てぃーだブログ › 徒然海月日記~つれづれくらげにっき~

2024年04月19日

限定的レア。

2024年 4月18日(木) 未明大雨のち午後から晴れ

西のち北の風 朝から荒れ模様

 真夜中過ぎにとんでも級の嵐になっていたかと思えば、早朝には早くも強風が。
 
 低気圧を伴う前線の通過のはてに、冬のような荒れ模様が待っていたのだった。
 
 昨日の時点でこれは予想されていたことだから、連絡船はもちろん朝から全便欠航…
 
 …と思いきや、どうしてもこの日出る必要があるという強い要望に応え、朝イチの1往復のみ運航。
 
 これで離岸接岸できるんだったら……
 
 …冬の欠航、もっと減るんじゃねーの?
 
 < おいちゃん、それを言っちゃあおしまいよ。
 
 午前中はときどきパラつく時間帯もあったけれど、午後にはすっかり晴天に。
 
 4月も半ばを過ぎているから日差しはなかなか強いものがあるものの、強い北風が運んでくる冷たい空気が相殺してくれるおかげで、なんとも過ごしやすくなっていた。
 
 そんな晴れた空の下で…
 

 …島ニンニク乾燥中。
 
 紫外線を浴びると赤く色づく島ニンニク、干すためにひとつひとつバラしてあるのだけど、その作業をしているオタマサの姿は、タマネギの皮を永遠に剥き続けるお猿さんのようだった。
 
 ニンニクをバラす時にお猿さんになるオタマサは、海中では猿山にばら撒かれた細かいエサを一粒ずつ拾っては食べるお猿さんのように、海底をつぶさにサーチする。
 
 すると、こういう1センチに満たない小さなウミウシに出会うことになる(以下の写真、すべて撮影:オタマサ)。
 

 おそらくオオアリモウミウシの仲間と思われるこのウミウシ、よく似た種類が他にもいるけれどそれらは多くの場合海藻についている。
 
 それに対し、コイツはたいてい砂底を這いまわっているようだ。
 
 砂底皿目ウォッチャーのオタマサによると、砂底にやたらと数多く集まっているときがあるそうで、当初は春だからと思っていたという。
 

 ところがその後の遭遇機会を朧げに振り返ってみると、どうも春だからというよりも、大雨のあとに団体さんが現れる傾向があるそうな。
 
 大雨になると、陸水環境が無い水納島でも本島が近いだけにその影響を受け、川から流れだした水が満遍なく拡散して周辺を覆うようになるんだけど、なにしろ本島の河口周辺といえば富栄養状態なので、そのあとしばらくは富栄養状態の水ならではの藍藻類が蔓延る。
 
 聞くところによるとこのウミウシは、藍藻食いなのだとか。
 

 大雨のあと藍藻が蔓延るようになった環境は、このチビチビウミウシにとって「お菓子の家」級のパラダイス…
 
 …ってことで、ワッと湧き出てくるのかもしれない。
 
 ただし「大雨のあとに集団が観られる」説は、あくまでもオタマサの朧げな記憶に基づいた感触であって、観察記録上の前後のお天気を調べたうえでの話ではまったくないから、アテにしてはいけません。
 
 こんな小さなクリーチャーをサーチしている一方で、ときにはこんな大物(?)にも遭遇することがある。
 

 10センチほどのブッシュドノエルウミウシ。
 
 ここに先ほどのオオアリモウミウシsp.が並んでも、そのサイズは10分の1以下だから、クラシカルアイには点にしか見えないことだろう。
 
 過去にも何度か触れたことがあるように、ブッシュドノエルウミウシはリーフ内で出会うことはちょくちょくあっても、リーフの外でとなるとかなり稀な存在だ。
 
 ボートダイビングばかりしていると、水納島では出会う機会はほとんどないといっていい。
 
 出会う機会は多いはずなのにクラシカルアイでは見えないオオアリモsp,、そしてサイズは申し分ないのにボートダイビングではなかなか会えないブッシュドノエル。
 
 クラシカルアイ&ボートダイビングオンリーという、高齢化ダイバーの条件に限定すると、両者はけっこうレアなウミウシということになるかもしれない。 

 未明の雨でまた環境が陸水化していたら、オオアリモsp.あたりがまた湧いているかもしれず、時化の荒波に吹き飛ばされたブッシュドノエルがリーフの外を徘徊しているかも。

 年齢的にリャンハン縛りのみなさま、今週末は遭遇チャンス!
  


Posted by クロワッサン at 08:03Comments(0)水納島の海島の美味いもの

2024年04月18日

小さい春みつけた。

2024年 4月17日(水) 晴れ
 
南の風 少しうねりあり

 朝から時間がたっぷりあったので、名護まで出掛けてゆっくり買い物をしたあと、秘密基地に戻ってから少々作業。
 
 そのあとエアチャージをお願いしていたタンクを回収して、最終便と同時刻くらいに島に帰還した。
 
 そんな次第なのでこの日はダイビングをしていないので、昨日の話題。
 
 春ならではだったり、勝手に春っぽいと思っていたりするスプリングシーンのひとつに、テンジクダイ類の子守初めもある。
 
 まだ水温が年間最小値を示し続けてはいても、早春から始まる彼らの口内保育。
 
 昨日訪れた根には以前からクロホシイシモチが集団で暮らすようになっていて、それらが皆立派なサイズのオトナになっている。
 
 隠れ家に通じる岩陰にたむろしていた集団の口元を見ると…
 

 …みなさん卵で一杯のご様子。
 
 普段のクロホシイシモチはたしかに群れ集まっているんだけど、このように卵を口内保育している時期は、それぞれのペアごとに根の周りでいる…
 
 …と思っていただけに、まるでスカテンの卵保育中パパたちのように、イクメンたちが同じところに密集しているのは不思議な光景だった。
 
 こうやって集まってくれているものだから、1匹ずつ観ていれば5分に1回くらいしかチャンスが巡ってこない卵フガフガシーンを、短時間のうちに続けざまに何度も観ることができた。
 

 いつものように、口元を拡大してみると…
 

 …産みたてホヤホヤの卵であることがわかる。
 
 これがシーズン開幕早々の第1回産卵周期であれば、他のオスの口の中の卵もみな揃ってほぼほぼ同じ発生段階のはず。
 
 しかし暦も4月半ばを過ぎている今、すぐ傍にいたオスの口内の卵は…
 

 …目ができるほどに発生が進んでいる。
 
 ということは、これがよぉ~いドン!で始まったシーズン開幕第1回目ではなく、すでに産卵周期は2~3サイクル目くらいになっているのだろう。
 
 がんばるオジサンにばかり潜ってクジャクベラだ、タコベラだ、とウツツを抜かしていた間に、クロホシイシモチたちの「春」は始まっていたのだ。 
 
 「小さい春」は、見つけなきゃ気づけない。
 
 誰かさんじゃなく、自分で見つければなお楽しい。
  


Posted by クロワッサン at 07:54Comments(0)水納島の海

2024年04月17日

衰退を歓迎する猫たち。

2024年 4月16日(火) 霧のち薄曇り

北東の風 少しうねりあり 水温21度

 前日までの大雨の名残りだろうか、早朝は一面に霧がたちこめていた。
 
 日が高くなるにつれ次第に薄れていったものの、なんだか霧が空に薄い膜を張ってしまったかのようで、天気予報がいうほどには「晴れ」という感じがしないままの1日に。
 
 それでも雨に祟られてはいないから、朝も午後も日帰り客はこの季節にしてはまずまずの人数だったようだ。
 
 ただしその半分もしくはそれ以上が、インバウンド客と思われる。
 
 「歴史的な円安水準を背景にインバンド絶好調」

 などと気楽な調子で業績好調を述べているニュースもあるけれど、それってようするに、かつてのバブルの頃の日本人にとっての東南アジア諸国をはじめとする旅行先と同じってことですよね?
 
 つまり、気がつけば発展途上国の仲間入り。
 
 というか、以前から述べているようにニッポンは将来の発展に向けての途上にあるのではなく、衰退の途上にある滅びの笛でしかなさそう…。
 
 霧の名残りが空にたちこめてはいても、日本の将来に立ち塞がっている暗雲に比べれば晴れているようなもので、おまけに海況はバッチリ。
 
 というわけで本日は、朝早めに海へGO!
 
 海中は海中で、長雨のせいで陸水の影響をたっぷり受けており、大雨の後につきものの真水濁りになっていて、ダイコン上の水温表示は変わらずとも、やや下がっているのだろう、寒さが身に染みた。
 
 それでもしっかり春の気配はあって、近年すっかり春の定番になった方々のラッシュは、今年もこの時期に観られている。
 

 ご存知アマミスズメダイ。
 
 昔からお馴染みのチビターレとはいえ、昔はこれほどたくさん観られはしなかった。
 
 ところが近年は、春になるとチビターレ祭り状態に。
 
 それもこれも、どういうわけだか爆発的に増えた、オトナたちの数の多さのおかげってことなのだろう。
 
 オトナになってもこれくらい綺麗でいてくれれば、リーフ際の群れももっと見応えがあるだろうになぁ…。
 
 年がら年中観られるからけっして春限定というわけではないのに、なぜだか個人的に「春」のイメージがつきまとうのがこの魚。
 

 恋の季節を迎えて活発になっている姿を、春になるとよく見かけるからだろうか。
 
 このように正面から見るとそうでもないんだけど、横から見ると…
 

 身を乗り出して遠くを眺める様子が、どこかしら「希望」を感じさせてくれる。
 
 衰退途上国ニッポンにとって最も必要なのは、ヒトスジギンポが眺めているのと同じ、明るそうな将来に違いない。
 
 欺瞞に満ちた「子育て支援策」にも、責任ある立場の方々が早くも責任逃れトークに終始し始めている大阪万博にも、明るそうな将来は見えてこないのだった。
 
 1本潜ったあと、早めにお昼を食べてから、ボートで本島へ。
 
 このところは何日か続けて好天という日にかぎって野暮用があったためになかなか出向けなかった秘密基地で、久しぶりに作業のお時間だ。
 
 冬の間は勢いをストップさせていた雑草たちも、このプレ梅雨のおかげでスクスク伸びてしまっているから、このまま放っておいたら梅雨で爆発的増殖状態になってしまう。
 
 その前に草刈り。
 
 そのあと、このところ取り掛かっている物置の整理整頓の一環で、いささか場所を取っているものを排除すべく組み立てたのがこちら。
 

 いわゆるひとつのガーデンテーブル。
 
 もともと現我が家で使っていたんだけど、庭に3つもテーブルはいらないということになって、部材を全部バラして秘密基地の物置に置いてあったもの。
 
 木材同士が接しているところは塗り跡で接合場所がわかるから、組み立てる際にはいちいち寸法を測らなくても済む…
 
 …と思っていたところ、バラした際に腐食が進んでいる部材はことごとく代替木材と交換していたことを忘れていた。
 
 もちろんながら、代替部材には塗り跡が無い。
 
 脚のうち3本と天板を受ける両サイドの横板が代替品のため、本来であればキチンと寸法を測ってから接合させなきゃいけないところである。
 
 でもそんなことをしていたら日没サスペンデッドゲームになりそうだったから、ええいままよ!とかなりテキトーに合わせて組み立てたところ、まるで測ったように均整の取れた形状になったのだった。
 
 デッサン力に乾杯。
 
 その頃オタマサは、ニンニク臭に塗れていた。
 

 今回のタイミングを逃すと「採り頃」を大幅にオーバーしてしまいそうだったから、ニンニクの収穫がマストだったオタマサである。 
 
 一時は水納島を済州島にする勢いでニンニク畑を拡張していたものだったけれど、降って湧いたリゾート開発計画によって頓挫。
 
 仕方なく細々と裏あたいに場所を設けて作ってみるも、あまりに日当たりが悪いために冗談のようなサイズにしか育たない。
 
 ところがダメ元で植えたヒミツの畑のニンニクは絶好調で、この勢いで畑を拡張していけば、やがて裏庭が済州島になる日が来るかもしれない。
 
 ともかくこれで、また1年間のアヒージョが保証されたようなものだ。
 
 夕刻には久しぶりに近所を散歩した。
 
 リゾート開発ほどではなくとも、秘密基地近隣も10年前に比べれば大幅に様子が変わっている。
 
 元々お住いだった高齢者がいなくなって無人になっている家が増えていて、なおかつそういった土地を不動産屋が集合住宅にしていく。
 
 道路大好き行政が、立派な道路を縦横に作っていく。
 
 そりゃ様子も変わろうというもの。
 
 それでも少し歩くとまだまだ昔のままのところがたくさんあって、そういう場所では猫も静かに落ち着いて暮らしている。
 

 面白いことに、いつもはアスファルトの路上で寝そべっている猫たちなのに、この日は畑に敷かれている枯れススキの葉の上で寝そべっているものが多かった。
 
 モーウイやシブイの葉が育っている畑でこのように丸まっていると、遠目には見知らぬ大きな作物のように見えて一瞬ビックリしてしまう。
 
 このところの雨続きで満足に日向ぼっこが出来なかったであろう猫たちにとって、敷き草はハイジの干し草のベッドなみに心地よいのかもしれない。
 
 この畑も周辺の街並みも、狂乱不動産バブルで次々に変貌を遂げていくくらいなら、野良猫たちにとっては「ニッポン衰退カモン!」ってところなのだろうなぁ。
  


Posted by クロワッサン at 08:08Comments(0)日々の作業水納島の海

2024年04月16日

意外なロングセラー。

2024年 4月15日(月) 朝雨のち曇り夕方から晴れ

南東の風 午前中は荒れ模様

 前日来の雨が朝まで続いていたのは、天気予報的にも想定内だったけれど、嵐のような南東の風は、どこの誰も予想だにしていなかった。
 
 最初からこのような予報が出ていれば、1便2便は欠航、日帰り業者さんたちもツアーを中止にしていたかもしれない。
 
 南東の風だけに渡久地港ではまったく感じることができない荒れ模様に連絡船の船長もさぞかし「しまった…」と思ったことだろうけど、見ている分には「難なく」接岸離岸作業をクリアしていた。
 
 午前中はそんな冴えないお天気だったので、おとなしく室内にてパコパコとパソコン作業をしつつ、BSのメジャーリーグ中継を流しておいた。
 
 野茂が米国に渡った時も、イチローが活躍し始めた時も、メジャーリーグで活躍している日本人選手といえばせいぜい1人ってところだったものが、今では対戦している両チームに、主力選手が複数いる時代。
 
 ダルビッシュと大谷がメジャーリーグの舞台で対戦する日が来るだなんて、当時の日本ハムのスカウトはどこまで本気で信じていただろう。
 
 一時期どんなに活躍しても、引退後解説者という立場になれるのは一部の人くらいのもので、多くの選手は引退したが最後、球団職員になったりバッティングピッチャーになったりして野球界に携わるか、飲食店を開いたり芸能活動をしたりしなければ食べていけない日本のプロ野球界。
 
 一方米国では「成功したプレーヤー」の成功度合いが桁違いなうえに、プロのアスリートに用意されている社会的ポジションが日本とはまったく違う世界だから、最高峰の舞台でのプレー実績があれば、引退後もそれなりの暮らしが保証されているし、62歳から支給される年金も、10年以上プレーしていれば年間3000万円超という破格の手厚さで鉄壁ケアが約束されている(満額ではなくとも、5年以上プレーしていたら高額支給保証)。
 
 ヤンキースで長年スター選手としてプレーし続けた松井選手も、そんな「成功したプレーヤー」の1人だから、ナカタヒテトシのように、何かしているようでいながら実質何もしていない暮らしを続けていても、生活にはまったく困ることはないはず
 
 ところが最近、ひそかにこんなシゴトをしていたことを知ってしまった。
 

 例によってヒトからいただいたレトルトカレーシリーズのなかにあったこの一品は、その名も「松井家秘伝のカレー」。
 
 我々もかつて訪れたことがある金沢の観光地「ひがし茶屋街」をバックに、バットを持つ松井氏。
 
 そしてその謳い文句はというと…
 

 「松井秀喜を育てた『母』の味を再現。」
 
 …って、おい、松井って「ゴーゴーカレー」で育ったんじゃなかったっけ?
 
 というか、カレー専門店のご家庭じゃあるまいし、おうちで作るカレーっていったら、どれほど具を工夫しようとも、ヒデキママだってバーモントカレーとかジャワカレーなどのルーを使ってたのでは??
 
 しかしパッケージ裏面ではさらに…
 

 実食しつつ「僕が子どもの頃から慣れ親しんだ母の味にそっくりです」と本人が語る態になっている。
 
 こういった細かいシゴトなどせずとも楽に暮らしていける元メジャーリーガーが、わざわざ名もコメントも肖像も提供しているということは、おそらく地元関係者との付き合い上、断り切れないオファーだったのだろうなぁ、松井選手は人格者だし…
 
 …と思いきや。
 

 このカレー、なんと販売者はニッポン放送、そして中身はエム・シーシー食品だって。
 
 エム・シーシー食品っていえば、神戸市灘区に本拠を構えるレトルト食品メーカーじゃないか。
 
 金沢全然関係ないし!
 
 金沢ではなくともニッポン放送ということは、おそらく付き合いのあるヒトが絡んでいるのは間違いなく、人格者松井秀喜氏としては断るわけにはいかないオファーだったのだろう。
 
 ひょっとして、正月早々震災に見舞われた方面を支援すべく企画されたプロジェクトとか?
 
 …と思ったら、この商品は2013年から発売されているのだった。
 
 松井選手が引退した翌年じゃん…。
 
 フツーだったらこのような製品は食べてからネタにするところ、パッケージに衝撃を受けてしまったあまり、実食前に紹介する運びとなってしまった。
 
 意外にロングセラーなこの一品、はたしてヒデキママの味やいかに。
   


Posted by クロワッサン at 07:54Comments(0)世間の美味いもの

2024年04月15日

テシオ。

2024年 4月14日(日) おおむね雨夜は嵐

南東の風 波あり

 飲みすぎ&食べすぎでダウン。

 その原因は、フツーに暮らしていたらおそらく3年分の量に相当しそうな、多種多様かつ超絶美味なソーセージたちにある。

 そしてさらに拍車をかけることになったのがこちら。


 その名もテシオのカリーケチャップ。

 テシオといえば、長年ゴッドファーザーに尽くしてきながら最後の最後で裏切ってしまい、粛清されてしまったあのヒト…

 …とはまったく関係が無く、TESIO(テシオ)とは県内にこの店ありと知られているソーセージ&ハムの専門店。

 「豚肉や牛肉・鶏肉・鴨などのジビエ肉を、クラシックなドイツ製法とほんの少しのユーモアでおいしいハムやソーセージに仕上げて」いるそうで、作業はオールハンドメイドなのだそうな。

 恥ずかしながらまったくその存在を知らなかった我々が、ありがたくもこの日いただく機会を得た数々のソーセージやハムは、まさにその謳い文句にしおう激ウマシリーズだった。

 そんなソーセージをさらにやる気系に駆り立ててくれるのが、このカリーケチャップ。

 沖縄の店だけに、「カリー」というのは食事関係でよく使われる方言の「カリー」なのでは…と思っていたところ、一口食べてみてナットク。

 ホントにカレー味のケチャップだった。

 これがまたソーセージに合うんだわ。

 数ある種類のなかでも最高級に美味しかったモッツァレラブルストにこのケチャップの組み合わせは、食べ終えた後の満足感と充実感が半端なく、土砂降りの雨の中、強風に吹かれながらデッキの上で食べていることを束の間忘れさせてくれるほど。

 とはいえケチャップはあくまでもバイプレーヤーであって、シアワセをもたらしてくれるのは主役がしっかりしていればこそ。

 一口食べたらパリッとくるこの食感、そしてそこから滲み出る旨味…。

 …ああ、美味しかった。

 ついついヨダレが出てしまった方は、↓こちらへどうぞ(ロゴにリンクを貼ってあります)。



  


Posted by クロワッサン at 07:44Comments(2)街の美味いもの

2024年04月14日

呼び合う二人。

2024年 4月13日(土) 曇りのち雨のち曇り
 
南東の風 少しうねりあり 水温21度

 さほど発達するわけではないとはいえ、本島のすぐ近くを低気圧が通過していくっぽい天気図だった。
 
 にもかかわらず、天気予報は力強く「晴れ」。
 
 はて、なんでこれで雨が降らないんだろう?
 
 …と不思議に思っていたところ、昼前から思いっきり雨になってしまったのだった。
 
 夕刻になって再び時系列予報を見てみれば、朝には「晴れ」となっていたマークが、ナニゴトもなかったかのごとく「強雨」に変身していた。
 
 天気結果報告なら誰でもできるんですけど…
 
 天気予報が何と言っていようとも、空を見れば今にも降りだしそう…ということはわかってはいたものの、海況的には穏やかなので、昨日までの3日間の海日和を棒に振ってしまっている以上、このチャンスを逃すわけにはいかない。
 
 幸い強い雨が降っていたのは潜っている間だけで、洋上や桟橋で雨に祟れることはなかった。
 
 そしてそんなお天気だと海中が暗いおかげだろうか、前回は話だけで終わっていたホワイトソックスとの17年ぶりの再会を果たすことができたオタマサである。
 

撮影:オタマサ

 前回からそれほど日が経ったわけじゃないにしろ、どうせきっとGoneだろう…と本人すら思っていたというのに、前回ワタシが出会った場所とほぼ同じところで、(同時的雌雄同体ながらあくまでも)童謡姉妹との新ユニットをキープしていたホワイトソックス。
 
 サンタクロースカラ―のためにクリスマスシーズンになると水槽展示されることもよくあるホワイトソックス、まったくの季節外れにいつまで居てくれるだろう?
 
 ワタシは前回たっぷり鑑賞させてもらったホワイトソックスはオタマサに譲り、薄暮に等しい暗い海中で目を凝らしながらサーチしていたところ、人生最小級のチビハナダイ改めムラモミジハナダイがチョロチョロしていた。
 

 もっとも、かつてチビハナダイと呼ばれていただけあってオトナでさえチビチビだから、15ミリに満たないサイズといえどオトナとさほど変わらない。
 
 ただ、オトナはたいそう警戒心が強く、不用意にカメラを向けるとすぐさま小さな穴の奥に逃げてしまうのに対し、まだ世間ずれしていないからだろうか、チョロチョロと動き回りはしても、けっこう長時間お姿を拝見させてくれた。
 
 少し離れたところにいたもう1匹は、オトナサイズだった。
 

 これで2センチほど。
 
 色味の濃淡は成長段階とは関係ないっぽく、チビターレかどうかの手掛かりは、体に比した目の割合くらいしかなさそうだ。
 
 リーフ際では、カスリヘビギンポが恋の季節を迎えていた。
 
 ご存知のように、やる気モードになっているカスリヘビギンポのオスは、普段透明な体を情熱の赤に変えているから、すぐにそれとわかる(↓この写真はこの日撮ったものではありません)。
 

 オスがやる気モードになっている時期にはかなり血気盛んになっているから、周りでウロチョロする小生意気なイソハゼ類に大してもこのように大見得を切ることだってある。
 
 産卵の様子も過去に何度か観たことがあるし、拙日記でも紹介したことがあるけれど、この日は観ている間に産卵までには至らなかった。
 
 ただ、その前段階なのだろうか、オスとメスとが互いに呼び掛けあっているかのような様子が面白かった。
 
 
 
 ラマーズ法の練習でもしているのだろうか。
 
 こうして少しずつ少しずつ、メスの気分を盛り上げていくのだろう。
 
 産卵の様子が気になる方は、どうぞこちらをご参照ください。 
  


Posted by クロワッサン at 09:38Comments(0)水納島の海

2024年04月13日

立法能力安危機を乗り越えろ。

2024年 4月12日(金) 晴れのち雨

南のち東の風 少しうねりあり

 いよいよ野球シーズンになって、レッドソックスの吉田がヒットを何本打とうとも、カブスの鈴木が毎試合打点を稼ごうとも、昨年同様スポーツ紙は「大谷」「大谷」の文字の乱れうち。
 
 もっとも、オフシーズン中も結婚やら通訳の超ド級裏切りやらでずっと紙面をにぎわせていたから、もはやスポーツ紙にとっての大谷は、ドジャースが必要とする以上に欠かせない存在になっている。
 
 で、まだ開幕から15試合くらいしか経過していないというのに、何かするたびに「〇〇年ぶりの記録」といったニュースが早くも出てくるようになってきた。
 
 イチローがメジャーで活躍し始めたころから、歴代の記録を塗り替えるたびに使われていたこの「〇〇年ぶり」、近頃は止まることなく突き進む円安の為替相場で使われる機会もやたらと増えてきた。
 
 このところは実に34年ぶりの円安水準なのだという。
 
 90年代初頭も、現在と同じような塩梅だったのだ。
 
 とはいえ当時は、それ以前もっともっと高かったドルが、様々な思惑が絡みながらヒュルヒュルヒュルヒュル…と下降してきてのその数字。
 
 じゃあ国民生活は今と大して変わらなかったのか?
 
 ちなみに当時のガソリン価格は、なんと1リットル80円台から高くても120円台くらい。
 
 現在1000円の壁と言われているラーメンの当時の壁は500円で、500円も出せばけっこうゼータクなラーメンを食べることができたはず。
 
 県内の沖縄そばなら、500円も出せばまず間違いなくお釣りが戻ってきたことだろう。
 
 さらにちなみに、1990年の国民年金保険料は、ひと月あたり8400円(現在は17000円)。
 
 もちろん40歳以上の健康保険にも、介護保険などというさらなるオマケまで上乗せされてはいない。
 
 一方で新入社員の初任給やその他給与体系などは今に比べれば随分低かったろうけれど、たとえ1ドルが153円であろうとも、全体的に見てみれば、物価や税金の負担による暮らしづらさを感じることなどほとんど無かった(※個人の感想です)。
 
 ようするに、円安がすべての原因にされがちな現在の負担感の増大は、円安どうこう以前に、国民生活の負担を一定レベルに保とうという努力がまったくなされていないからにほかならない。
 
 ようするに無策なのだ。
 
 いわば薬師寺保栄と戦った辰吉丈一郎のように、ノーガードスタイルで生き馬の目を抜く国際社会というリングに立っているのだから、ときどき鋭いパンチを打とうとも、そりゃあやられっぱなしのダメージは計り知れない。
 
 まだ変動為替制ではなく1ドル360円という固定相場だったその昔、タクシーの料金はワンメーター180円だったという。
 
 1ドルの半額だから、シャレのきくみなさんは、タクシーのことを「ハンドル(半ドル)」と呼んでいた…
 
 …という話を、子供の頃に母から聞いたような記憶がある(記憶の捏造かもしれない)。
 
 固定相場制だったのは70年代初めまでだから、もちろんのことワタシの記憶に残っているはずがない当時の暮らしながら、おそらく当時はたとえ1ドル360円であっても、人々の暮らしは明るく楽しく前向きで、将来も未来もバラ色に染まっていたことだろう。

 そりゃ大阪万博も楽しかったろうなぁ!(行った事実はあれど記憶なし)
 
 1ドル360円でもバラ色だった1970年にひきかえ、現在このまま円安が突き進み、1ドル200円、250円となっていけば……。
 
 すなわち今にも土砂降りになりそうな暗雲がたれこめている現在の状況は、けっして円安のせいばかりではないということになる。
 
 原因となる「安さ」はむしろ、立法府にいらっしゃる方々の、お安くなってしまったご本業での能力のほうがより深刻なんじゃなかろうか…。
 
 しかもお安くなって限られている能力を、たれこめる暗雲の上でいかに一部の方々がお日様を拝み続けることができるか、ということに傾注しているのだから、暗雲の下がバラ色に染まる日が来ることはまずない。
 
 というわけで、残念ながら地上にバラが咲くことはないけれど… 
 

 …今年もアマリリスの季節を迎えている。
 
 少雨傾向が続いていたおかげか、少々雨が続いてもいつぞやのようなカタツムリ被害は少なめで、存在感のある大きな花を今年も楽しむことができている。
 
 ちなみに↑このアマリリスは、旧我が家から飛んできたタネが勝手に根付いたのだろう、↓こういうところに咲いていたりする
 

 旧チャージ小屋前の路傍。
 
 建物の基礎コンクリートと沿道の砂利混じりの境界付近に根付いているものだ。
 
 以前も紹介したことがあるように、アマリリスは球根で増えるのと同時に、紙のように薄いタネからも増えるので、ときどきこのように思わぬところで花を咲かせることがある。
 
 ここのアマリリスは当初球根がひとつだけだったのだけど、肥料を与えているわけでもなく、特になんのケアをしているわけでもないのに、次々に球根が増えて、今では4~5本の花芽が伸びるようになっている。
 
 このアマリリスは1本の花芽におおむね四輪ほどの花を咲かせるから、4本の花芽が密集していると、超局所的アマリリスワールドになるのだった。
 
 というか、むしろ庭のアマリリスよりも立派に育っている気が…。
 
 円安ならぬ立法能力安にあえぐこれからの日本国民も、このアマリリスのように、ヒトの手による肥料やケアに頼らず、自らの力で強く逞しく生きていくほかない。
 
 それを邪魔するのが立法府ならびに地方行政だったりするのが、なんとも腹立たしいところではある…。
 
 というわけで、自生の植物というわけではないアマリリスながら、花が咲いているのは一年を通じてこの時期だけなので、4月にご来島の際には季節の便りとしてお楽しみください。
  


Posted by クロワッサン at 07:59Comments(0)吉田兼好山川草木

2024年04月12日

日本ヘビ類大全。

2024年 4月11日(木) 晴れ

北東の風 ややうねりあり

 ややうねりがあるもののほぼほぼベタ凪ぎ、そして快晴。
 
 抜群の海日和である。
 
 が。
 
 あいにくモロモロの事情によりそういうわけにもいかず。
 
 そんな日に、3日ぶりに運航した連絡船が、とある郵便物を届けてくれた。
 
 ヘビ嫌いな方にとっては無間地獄のようなブツなので、即刻退去されたし。
 
 これ。
 

 「日本ヘビ類大全」。
 
 B5版サイズでオールカラーのこの図鑑は、日本で見られる種類を完全網羅しており、日本のヘビについてはこれ1冊ですべて事足りるといっていいほどの、日本のヘビのすべてが詰まった集大成だ。
 
 もっとも、一部の世界では限りなく重宝されるのは間違いないにしても、いわゆる一般社会においては相当なキワモノ、しかも1冊5500円プラス税という高価な図鑑など、誰もが気安くポチッとできるわけでもない。
 
 そんな図鑑がなぜこの日届いたのか。
 
 それは昨夏こちらの記事で紹介していた図鑑だから。
 
 図鑑をめくってみると、リンク先で触れている「オファーがあった写真」がしっかり掲載されていた。
 

 クロガシラウミヘビの稿で、見開き2ページの左上と右下の写真。
 
 ページの中で大きく扱っていただいているのは大変光栄ながら、当方のことをご存知ない方がご覧になったら、ワタシもこの図鑑の中の錚々たる変態社会人のみなさんの末席にいる一員と思われるのだろうなぁ…。
 
 ワタクシ、なにもウミヘビ専門で撮っているわけじゃないですからね…
 
 …って、この場で言っても意味はないか。
 
 それはともかく、わずか写真2点とはいえ、印刷物ではこの図鑑でしか見られない画像、すなわち税込6000円余を投じなければ目にすることができない写真を、すでに拙日記読者はタダでご覧になっていたのだから、今さらながらその幸運に身を震わせていただいて差し支えない。
 
 < 震えないって。
 
 ちなみに先ほどのリンク先の記事中、まったく別件で液晶画面に写り込んでいた方にこの図鑑を目の前で見せつければ、おそらくあのポーズのまま3メートルくらい飛び跳ねること間違いなし。
 
 そっちを見てみたいという方も、すぐさま南米大河でポチッ!
 
日本ヘビ類大全 
 
著者
田原義太慶
福山伊吹
福山亮部
堺 淳


誠文堂新光社 刊
定価: 5500円+税

 ところで、ワタシが提供した画像とは関係ないのだけれど、図鑑中のイイジマウミヘビの稿を読んでいて、興味深い事実を初めて知った。
 
 先日動画付きで紹介した、イイジマウミヘビが長時間イチャイチャしているシーン、あの行動はやはりオスがメスに交尾を促しているものなのだそうな。
 
 それは観ていればおおよその見当はついたものの、図鑑では、オスの吻の先にあるトゲ状の小さな1対の突起も画像で紹介されている。
 
 イイジマウミヘビのオスは、メスにつきまといながらこの小さな突起で刺激し、「交尾したくなるツボ」を攻めに攻めて、メスに交尾を促しているというのである。
 
 そういう目で改めてさきほどのリンク先の動画を見てみれば、なるほどオスは……
 
 …刺激しまくり。
 
 それによってメスがその気になって交尾に至るということは、ようするにこの小さなトゲトゲは、交尾行動の合意形成には欠かせない繁殖ツールということになるわけだ。
 
 名声と金によって快楽を求める方々も、少しはイイジマウミヘビの努力を見習ったほうがいいかも…
 
 って、自身の名声と金こそが彼らにとっての「小さなトゲ」ってことか…。 
  


Posted by クロワッサン at 07:30Comments(0)

2024年04月11日

目指せ、ステンレスボディ。

2024年 4月10日(水) 晴れ

東の風 けっこう波ありのち波あり

 時化ているというほどではなかったんだけど、それなりに荒れていたこの日の朝、海運事務所のサイトを見てみると、「全便欠航」の文字が。
 
 今日は本島に出なければならない用事があったため、やむなく波々のなかボートで本島へ。
 
 そして疲労。

 なんで疲労したのかということについては、いずれキチンとお話しする機会があることでしょう。

  


Posted by クロワッサン at 06:43Comments(0)日々の徒然

2024年04月10日

ソムタム。

2024年 4月9日(火) おおむね曇り

北のち北東の風 早朝おだやかのち荒れ模様

 ようやく雨が上がって、この日はおおむね晴れる予報になっていた。
 
 ところが今にも降りだしそうな雲が周辺にあり、とてもじゃないけど布団を干そうという気にはならないお天気のままで推移した。
 
 それでも結局雨は降らなかったから、先日潜って以来雨に打たれ続けていたウェットスーツや器材が、ようやく乾いてくれた。
 
 雨は降らなかったものの、予報どおり洋上は次第次第に荒れ模様に。
 
 前日までの予告どおり連絡船は朝から全便欠航となっていたので、まだ風がさほどではなかった朝のうちに、ボートを連絡船用バースに回しておいた。
 
 日帰り客も各業者さんもやって来ない、静かな春の一日だ。
 
 昼時には久しぶりにお散歩。
 
 ワタシはカメさんたちのエサ採り、オタマサは路上に落ちているゴミ拾いといういつものパターンながら、オタマサには別にもうひとつ目的があった。
 
 パパイヤだ。
 
 本土なら南国フルーツとして一応もてはやされるパパイヤも、亜熱帯に暮らし続けていると、フルーツとしてはそれほど目の色を変える存在ではなくなる。
 
 ただし野菜用となると話は別だ。
 
 熟す前の緑色の状態、すなわち青パパイヤは、千切りにしたり角切りにしたりその他いろいろな方法で、野菜として料理に使えるのである。
 
 カレーに入っているジャガイモが苦手…というヒトでも、ジャガイモをパパイヤに代えればきっと美味しくいただけるはず。
 
 千切りもしくは笹かき状にしたものを炒めても美味しいから、パパイヤイリチ―は沖縄ではフツーに家庭料理になっている。
 
 青パパイヤを本土で手に入れるのは難しいだろうけれど、雑草のようにそのへんの野辺で育っているパパイヤが何本もある沖縄の田舎では、散歩のついでに確保できる。
 
 ただし木によっては島の誰かしらが自称「管理」しているものだったりするので、無造作にあれもこれもそれも…とできないところがやっかいなんだけど、たくさん生っているうちの1つを失敬するくらいなら、きっと誰も文句は言うまい。
 
 というわけで、この日ちゃっかり1個採取してきたオタマサ。
 
 はたしてそれを、何に使うのだろう?
 
 そのヒントは、先日久しぶりに訪れた読谷村のサイルーンのメニューにあった。
 
 ランチメニュー以外にもたくさんあったメニューをひととおり見ていたオタマサが、
 
 「おっ!」
 
 と反応したものがあったのだ。
 
 後刻レシピを調べて作ってみようという気になったらしい。
 
 もっとも、エスニック料理にはつきものの、意味不明のカタカナ列記名、はたして覚えていられるのか?
 
 …という危惧も、カタカタたった4文字ならなんとかなったらしい。
 
 そしてこの日、散歩で青パパイヤをゲットしてきてからレシピチェックをした結果、夕食に登場したのがこちら。
 

 青パパイヤのなんちゃって「ソムタム」。
 
 タイの東北地方のソウルフードらしいこのソムタム、「ソム」は酸っぱい、「タム」は叩くとか搗くという意味なのだそうな。
 
 パッと見は細く切ったパパイヤにトマトを添えてパクチーを載せているだけに見えるけれど、実はこの状態で味付けも調理も終わっていて、「タム」も施されている。
 
 見た目では存在がうかがい知れない小エビや落花生なども混じっており、パパイヤともども叩かれて搗かれて細かくなっている。
 
 ちなみに我が家では小エビなんてインスタントカップ麺の中でしか見ることができない食材なのに、このソムタム用にとあらかじめオタマサが人生で初めて購入しておいたものだったりする。
 
 さらにちなみに、調味料を除いた材料のうち、買い求めたのはこの小エビだけで、落花生はトシおばさんからいただいたもの、トマトやパクチーはオタマサ産、そして青パパイヤは採取してきたものだから、例によっていつものごとく、エンゲル係数は極めて低い。
 
 ま、だからといってそもそもやる気モード系の料理ではなし、ワタシにとっては「おおッ!」と盛り上がる料理ではないんだけど、ほぼほぼ家にあるものだけでできるエスニック、さっそく実食してみると…
 
 おおッ!
 
 まるでエスニック料理店でいただくような味付け!
 
 酸っぱい&叩くという意味だけに、てっきり酸味が強い系かと思いきや、いわゆる「日本人のお口に会うエスニック」で、辛いのは辛いものの味付けがビールにマッチング。
 
 もともとが日本人用のレシピだからこそなんだろうけど、オタマサがアレンジしたらもっと酸っぱくなっていたであろうところ、レシピどおりに砂糖もふんだんに使ってあるから(日本の)お店のような味になっているようだ。
 
 期待以上に美味しかったので、珍しくおかわりしてしまったくらいのこのなんちゃってソムタム、はたしてオタマサはレシピを覚えていられるだろうか?
 
 おそらく覚えているつもりで次回作ってくれたとしても、出来あがったものはかなり酸っぱくなっているものと思われる…。
 
 この日の感動は、今日だけのシアワセ。 
  


Posted by クロワッサン at 07:11Comments(0)島の美味いもの

2024年04月09日

ブッダマス。

2024年 4月8日(月) 雨模様

南の風 おだやかのち波あり

 引き続き頑張るプレ梅雨。
 
 この日の時系列予報には「強雨」の時間帯もあったけれど、それほどの土砂降りにはならずに済んだ。
 
 そんな冴えないお天気の1日ではあったけれど、本日は花祭りことお釈迦様の誕生日。
 
 すなわちブッダマスだ。
 
 キリストマスは盛大に祝っても、ブッダマスには灌仏会を催す寺院以外なにもしない不思議な国ニッポンながら、我が家ではブッダマスイブに御馳走が並んだ。
 



 バジルもミジュンアンチョビもビックリジャンボ(インゲンの親戚)も、そしてもちろんトマトも自家製の、ピザ3種盛り♪
 
 なにしろ今の季節はトマトバブルなものだから、大量に利用できる使い道といえばトマトソース。
 
 で、そのトマトソースを何に使うかということで、珍しくオタマサがネットで色々調べ、手軽にピザっぽいものを作れることを知ったらしい。
 
 さっそくブッダマスイブの日中、オタマサは下ごしらえに取り掛かり、肉まんでも作るのか?という感じの小麦粉の団子が平たくなって、ピザ生地に変身していったのだった。
 
 石窯であっという間に焼きあがるような本格的なピッツァではもちろんないけれど、本島まで出掛けなきゃ味わえないような類のものを、島に居ながらにして食べられるシアワセ。 
 
 お釈迦様とは何の関係もないピザながら、見ようによっては三種の大輪がパッと咲き誇っているかのような…。
 
 束の間ながらも我が家の食卓は、慎ましやかな花御堂になったのでした。 
  


Posted by クロワッサン at 07:11Comments(0)島の美味いもの

2024年04月08日

雨中に活を求めてみれば…。

2024年 4月7日(日) 曇りのち雨夕方曇り

南東の風 おだやか 水温21度

 引き続きプレ梅雨のお天気が続いている。
 
 おかげで天気はまったく冴えないんだけど、困ったことにというか皮肉なことにというか、海況はバッチリだったりする。
 
 客としてただ潜るだけならばともかく、ボートの面倒も見ながら海で遊ぶとなると、晴天で時化時化状態と雨模様でもベタ凪ぎ状態のどっちがいいかといえば、それはカレーの匂いがするウンコとウンコの匂いがするカレーだったらどっちを食べる?という究極の選択よりも遥かに答えは明白だ。
 
 もちろん雨模様でもベタ凪ぎの勝ち。
 
 < で、ウンコ問題は?
 
 これが雷雨が予想される状況であれば、四の五の言わずおとなしく家で本でも読んでいるところながら、雨は小康状態、周囲を見渡すかぎりどえらい雨雲の気配はなしとなれば、こりゃあ行くしかないでしょう。
 
 というわけで、朝イチ便の到着前に海へ。
 
 曇天&表層の濁りで、海中はトロピカルなイメージとは程遠いくらい世界ながら、照度が低い時ならではのラッキーチャンスというものもある。
 
 明るいところが苦手なエビカニ系が、普段よりも表に出てきていることが多いのだ。
 
 エビカニ好きなオタマサが、いつも以上に目を皿のようにしてサーチできる好条件とも言える。
 
 ところが彼女がこの日遭遇したホットなクリーチャーはというと…
 

撮影:オタマサ

 …ベニゴマリュウグウウミウシのチビターレ。
 
 過去にオトナには出会ったことがあるから初遭遇ではないとはいえ、スーパーファインサンドに比してこのサイズのチビターレはミニマム記録だ。
 
 この色味だと、赤系が真っ先に吸収される海中では地味に黒っぽい塊にしか見えないんじゃ…と思われるかもしれない。
 
 ところがこのウミウシの場合、海中では地色は地味になる一方で、なぜだか点々模様は妖しく蛍光色を発しているのである。
 
 むしろストロボを当てた色味よりも海中で観る色のほうが、よっぽど神秘的に見える。
 
 ところがストロボを当てて撮った写真をもとに後刻図鑑で調べてみると、「紅胡麻」なんて和名が…。
 
 枯れたススキが幽霊に見えるくらいのほうがよかった…ということも世の中にはあるのだった。
 
 一方ワタシは、エントリーと同時にイトヒキベラにつかまってしまったものの、もう少し足を延ばしていつもの根にたどりつき、以前紹介したことがあるアカシマシラヒゲエビの由紀さおり&安田祥子の童謡姉妹を訪ねてみた。
 

 不審死により先日最期を迎えてしまったサンゴの陰にポジショニングしているアカシマシラヒゲエビは、当初は1匹だけだったところにその後もう1匹現れ、おや、パートナー登場?と思ったら実はどっちもメスだった…
 
 …という話は以前紹介した。
 
 どっちもメスだから、それ以来この2匹を童謡姉妹と呼びながら訪れるたびに毎度チェックしていたところ、この日は少しばかり変化が生じていた。
 
 なんと童謡姉妹に従妹が加わり、新ユニットが誕生していたのだ。
 
 新登場のその従妹とは…
 

 ご存知ホワイトソックス!
 
 一時期シロボシアカモエビという和名がつけられかけたこともあるこのエビは、世にその存在が知られて以来、ずっとスター街道を歩んでいる。
 
 ただし水納島では、ひところ出現が相次いた頃もあったとはいえそうそう出会えるエビちゃんではなく、個人的には17年ぶりの再会だ。
 
 そんなレアものが、童謡姉妹と新ユニット結成。
 

 分類的に近い仲間だし暮らしぶりも似たようなものだから同じような場所にいることは不思議なことでもなんでもないものの、だからといってアカシマシラヒゲエビと一緒に写せる機会などこれまで一度もなかった。
 

 ちなみにこの新ユニットの3匹は、最初から先ほどの画像のようなポジション取りだったのではなく、↓こういう状態だった。
 

 このあと右の由紀さおりが左の安田祥子のほうに移動するのだけれど、その際に真ん中のホワイトソックスの目の前を横切っていく。
 
 そこはそれ、新ユニットのセンターとしてのプライドがあるからか、無遠慮に目の前を横切っていく由紀さおりに対し、ちょっと怒ってみせるシカゴ・ホワイトソックス。
 

 なにげに気は強いらしい。

 ところで、かねてより童謡姉妹がこの場所を気に入っていたのは、サンゴの陰で暗いということのほかに、すぐそばにイソギンチャクがいることも理由になっているのかもしれない。


 イソギンチャクに寄り添うタイプのエビちゃんではないとはいえ、イソギンチャクのおかげで余計なものが近づいて来ないとなれば、それにこしたことはないってことか。

 ちなみにこのイソギンチャク、おそらくイワホリイソギンチャクの仲間と思うのだけど、水納島ではそうそう目にする種類ではない。

 ひょっとすると出るところに出れば…というか見るヒトが見れば、ホワイトソックスよりも「おっ!」となるかも…。
 
 このイソギンチャクの助力のほどは不明ながら、童謡姉妹がずっと同じ場所に居続けてくれているからこそ毎度注目していたわけで、この日の17年ぶりの再会は、いわばこの童謡姉妹のおかげといっていい。
 
 そして海中が曇天&表層の濁りで暗かったからこそ、いつもは出てこない場所にホワイトソックスまで姿を現してくれていたのだろう。
 
 グッジョブ、プレ梅雨。
 
 ホットな出会いに気を良くしていたから、リーフ際に戻ってきてから「何かいはしまいか?」というサーチモードでもなく、のんびりポヨヨンと泳いでいたのがかえってよかったのだろうか、意外なところでこんな魚に出会った。
 

 この画像をご覧になり、20センチほどの魚がどこにいるか、ゼロコンマ3秒ですぐにわかった方はさすがである。
 
 3分経ってもわからない方のために…
 

 オオモンカエルアンコウ。 ←大山のぶ代版ドラえもんの声で。
 
 こうして見てみると、オオモンカエルアンコウの尾ビレはヘラジカハナヤサイサンゴの枝に擬態するのにバッチリな形状であることがわかる。
 
 それにしては色が…と思われるかもしれないけど、このヘラジカハナヤサイサンゴは半分かた紫色のカイメンに浸食されているから…
 

 …色味的にも見事に溶け込んでいるのだ。
 
 デンッと構えているようでいながら、実は背景に溶け込み、近寄ってくる獲物を虎視眈々と待っているオオモンカエルアンコウなのである。
 

 しかしその瞳は、案外プリティだったりする。
 

撮影:オタマサ

 目は口程に物を言う…のであれば、オオモンカエルアンコウ、実はいいヒトなのかもしれない。
 
 というわけで、天気予報的にはまったくもってその気になれない1日ではあったけれど、雨中に活を求めてみれば、意外や意外、実にホットな巡りあいが待っていたのでした。
  


Posted by クロワッサン at 07:31Comments(6)水納島の海

2024年04月07日

ダダ漏れの縮図。

2024年 4月6日(土) 雨夕刻だけ晴れ

東の風 おだやか

 今年のプレ梅雨はなかなか本格的で、梅雨よりも梅雨らしく、水不足などどこの県の話?と言いたくなるくらいよく降っている。
 
 今日も朝からずーっと雨で、このまま一日中降りっぱなしになりそうな雰囲気だった。
 
 ところが最終便が出るころに、空には次第に晴れ間が広がり始めた。
 
 きっと雨雲も疲れてしまったのだろう。
 
 おかげで散歩のひとときを楽しめた。
 
 湿度の高い空気には、満開を迎えているセンダンの花の香りが充満している。
 

 うーん、春の香り。
 
 夕刻束の間晴れたとはいえ、これほど連日雨が続いていれば、V字回復とはいかないまでも、ジワジワとダムの貯水率も上昇してきているんじゃなかろうか…
 
 …と思っていたところ、今朝届いた沖縄タイムスの1面を見て驚いた。
 

 伊平屋・伊是名あたりなんて、なにかといえばいつも雨雲の縦列駐車地帯だというのに、どこよりも貯水率が低いってどういうこと?
 
 記事を読んでみると、そもそもの少雨もさることながら、貯水率の大幅減の裏にはもっと衝撃のジジツが。
 

 まるで文春の芸能人報道のように「ある関係者」が語るところによると、
 
 「浄水場から各家庭までの水道管のどこかで漏れている疑いがある」
 
 というのだ。
 
 浄水場から供給されている水の量と、各家庭に行き渡っている水の量に大幅な差異があるとなれば、これはもはや推測の域ではなく、事実とは言えないまでもジジツと言ってしまって差し支えあるまい。
 
 しかるにそんな重要なことを、「ある関係者」の憶測だけで済ませてしまっていいのだろうか?
 
 というか、名や立場を明かせない「関係者」も匿名にしている記者も、慮るところを間違っていはしまいか。
 
 記者は一応伊是名村の「担当者」にも取材しているようながら、漏水のジジツに関してはウヤムヤのままで終わっている。
 
 先年座間味村でモンダイになっていた浄水場建設は座間味村だけの話ではなく、県内離島の水不足問題のために…という名目で巨額を投じてあちこちの離島に新規に造っているそうなんだけど、浄水場だけ立派にしつつ、そこから供給される水道管は老朽化のために漏水している……ってのはどうなのよ。
 
 増税その他社会のありようを決める立場にある人々が様々な方面で国民に負担を強いておきながら、当の本人たちは揃いも揃ってダダ漏れ状態という、ニッポンの縮図そのもののようにも見えてくるのだった。
  


Posted by クロワッサン at 07:32Comments(0)日々の徒然

2024年04月06日

便利の陰で広がる不便。

2024年 4月5日(金) 朝のうち晴れのち雷雨

南西の風 うねりありのち波あり 水温20度~21度くらい

 雨模様になる予報ではあったけれど、朝のうちは晴れ間も出ていて、パッと見はいい日和と騙されそう。
 
 でも遠く周辺空を見渡すと、やがて空を覆い尽くしそうな雲が虎視眈々で出番を伺っている様子。
 
 時系列予報でも昼から本格的な雨になりそうだ。
 
 ということは、午前中の早いうちがチャンスかも。
 
 明日以降晴れの日が続くのであれば、何もこんな日に海へ行こうという気にはならないところながら、この先5日間はずっと雨模様となれば、今を逃す手はない。
 
 というわけで、朝イチの連絡船が到着する前に海へ。
 
 ときおりパラつきつつも時々日差しも出るなど、お天気はなんとか持ちこたえてくれているなか、久しぶりに岩場のポイントのリーフ上へ。
 
 朝の早いうちはほとんど風が無かったものの、前日からのうねりが残っているために、リーフ上はグッドコンディションというわけではなかったけれど、シマハギの若魚たちが水深1メートルほどのところで群れ泳いでいる様は、砂地のポイントではそうそう見る機会がないだけに、新鮮かつ壮観だった。
 
 残念ながら、画像はない。
 
 海から戻ってきてしばらくすると、本格的な雨に。
 
 時間帯のチョイスは大正解だったようだ。
 
 あと1時間もってくれれば、雨に祟られることなく13時30分の便で島を発つことができたであろう日帰り客のみなさんは、惜しくも大雨に見舞われることとなってしまった。
 
 そしてそのまま雨が続いていたこともあり、13時の便で島にお越しになった日帰り客はゼロだったっぽい。
 
 明日も明後日も明々後日もお天気はこんな感じだろうから、週末のビーチは開店休業状態になることだろう。
 
 近年は4月早々に「もう梅雨入り?」と思わせる停滞前線が居座る期間があって、ワタシなどは毎年のごとくそれをもってセルフ梅雨入り宣言をしているのだけど、水不足に悩む沖縄のダム事情からすれば、このプレ梅雨は大歓迎のはず。
 
 とはいえメリハリサバイバル気象のこと、そのうち水不足解消を通り越して、大雨のあまり水害が発生しそうな気配もあったりするけど…。
 
 さてさて、そんなわけで日中は冴えないお天気だったかわりに、今宵の卓上は慎ましくも華やかに花開いた。
 

 サザエとズッキーニと島ニンニクのアヒージョ♪
 
 これといった主体性が無いかわりに、どんな味にもすぐさま染まるズッキーニ、名バイプレーヤーの本領はこういう味付けでもいかんなく発揮される。
 
 でまた島ニンニクが美味いんだわ。
 
 材料的にこれだけでも充分美味しいのだけれど、やはりそこにサザエさんのダシが加わることによって、煌めく黄金のメニューへと進化を遂げる。
 
 そして…
 

 サザエとヒロセガイのお刺身♪
 
 お刺身はオリーブオイルに塩をまぶしたものに漬けていただくから、どちらもワインメニュー。
 
 ワタシは生のコリコリ刺身よりも、茹でたものをいただく方が好きなので、サザエさんは本体を真っ二つにカットしたものが定番だ。
 
 サザエさんはなんといっても茹でたてをそのまま何もつけずに(海水の塩味は加わっているけど)食べるのが一番美味しいと個人的に思っていて、茹でてから2つにカットしたお刺身はそれに最も近い状態といっていい。
 
 いやはや、こりゃまた至福のひととき。
 
 その昔なら、沖縄のサザエならその辺の地産物を扱っているお店でも、まぁこれくらいかな…と納得できるお値段で売られていたものだった。
 
 ところが今や、たとえば名護のJAの鮮魚店で売られているサザエを見ると…
 
 ロケットパンチ状態で発射されたかのように目ん玉が飛び出てしまった。
 
 これまたその昔、本島をドライブしてから島にお越しになった方が、「古宇利島で1個1000円で売られてました」といって買ってきてくださったヤコウガイと、今JAの鮮魚店で売られているサザエさん3個のお値段が同じって…。
 
 ま、ウミンチュの皆さんは工事現場の警戒船という濡れ手に粟シゴトでウハウハだからわざわざサザエなどチマチマ獲るヒトなどおらず、なおかつ「密漁パトロール」と銘打って世間の人々のサザエ獲りを厳しく禁じ、おまけにサザエ自体もおそらく環境要因で激減しているとなれば、サザエはこの先ますます食卓から縁遠くなっていくことだろう。
 
 20世紀のその昔、島の民宿のバーベキューで、サザエの壺焼きが1人2個ずつ振る舞われていたことがいかにゼータクなことだったか、今さらながらよくわかるというもの。
 
 当時の民宿大城さんはおじいとおばあでやっていて、お客さんの人数が多い時は、オタマサは朝食と夕食を、ワタシはバーベキューの時のみ夕食の手伝いアルバイトという形でさせてもらっていたのだけれど、ご要望に応じてサザエも確保してきて、1個50円で買い取ってくれていたものだった(時効ですから)。
 
 つまり当時バーベキューで振る舞っていたサザエの壺焼きは、我々が海で獲ってきたものをワタシが焼いてお出ししていたのだ。
 
 うーん、なんというゼータク。
 
 ゼータクといえば、当時民宿大城のバーベキュー小屋は現在の宇宙基地待合所の場所にあり、お客さんたちは夕食時、海を眺めながらさざ波の音をBGMに食事をしていたものである。
 
 それが今や、目の前の海でサザエを獲ることは許されず、海まですぐの小さな島だというのに海辺で食事をすることもできなくなっているだなんて…。
 
 ネットだスマホだキャッシュレスだマイナカードだデジタルだAIだなんだかんだと、世の中便利になっているフリをし続けている一方で、暮らしの中で「昔のほうが良かった」と思う案件が年々増えていくのはどういうわけだ?

 < そんだけ齢とったってことなんじゃ?
  


Posted by クロワッサン at 07:46Comments(4)吉田兼好島の美味いもの

2024年04月05日

トマトにマッチ。

2024年 4月4日(木) 晴れのち晴れたり雨降ったり

南西の風 うねりあり

 昨日上架したばかりながら、作業は済んだのでこの日の朝さっそくボートを海に戻し、そのあとは潮に浸かった船台のお手入れ。
 
 我々の隣のスペースで、上架してあるボートのメンテナンスをしている方々は旧知でもあるので、もちろんのこと昨日の津波話になった。
 
 そしてその時お話を伺って、なぜ昨日は本部町だけが本島内で突出して非常事態レベルを上げていたのか、その理由がわかったのだった。
 
 というのも、昭和の昔にあったチリの大地震の際に、遥か太平洋の端から端まで渡ってきた津波により、沖縄本島地方にも被害が出ていたのだ。
 
 そういえばその昔、今は亡き民宿大城のおじいことヤスオさんから、当時の水納島での被害についてはお聞きしたことがあった。
 
 裏浜の湾内からドドッと押し寄せた津波のせいで、不定期渡船として利用していた木造船が流されてえらいことになった…ということがあったそうな。
 
 幸い集落方面まで津波が押し寄せることはなかったものの、裏浜一帯はかなり大変なことになったらしい。
 
 その話はかつてうかがってはいたけれど、本島でどうだったのかということをリアルタイムで体験していた方は島のおじいおばあのなかにはいらっしゃらなかったから、今回初めて当時の津波被害を目の当たりにした方の話を伺うことができた次第。
 
 それによると、渡久地港を河口にもつ満名川のかなり上流まで津波が駆け上り、当時あった採石場のトロッコレールからなにから、とんでもないことになったのだそうな。
 
 川沿いの小学校に通っていた彼によると、避難をしていたおかげで学校等に人的被害は出なかったそうながら、今で言うならディザスタームービーのスペクタクル場面のような光景だったことだろう。
 
 同じく低地にある学校ではかなり被害が出たらしく、それ以外にも低地集落が多い本部町のこと、随所で大変なことになっていたのは想像に難くない。
 
 昭和の昔に生きていた本部町の高齢者にとっては、津波被害はけっして他人事ではない災害として、今もなお根強く心に植え付けられているのである。
 
 ちなみにそれは現在70歳前後の方が小学生だった頃の話で、島のリョウセイさんやタツヤさんも紅顔の美少年だった頃のことだから、もはやほぼほぼ「歴史」の1ページといっても差し支えない。
 
 そんな昔に、よくぞみなさん事前に避難できたものだなぁ…。
 
 今のように地震発生と同時にアラームが鳴り響き、津波が来ることを知らせるシステムなどあるはずもない昔のこと、いったいどうやって?
 
 …と思ったら、なにしろはるばるチリからやってくる津波なものだから時間がかかり、途中途中で観測されていて、津波の第一波が現在どのあたりまで来ているか、ということがある程度把握できていたらしい。
 
 たとえアナログでも、やれることはいろいろあるのだ。
 
 さてさて、海に戻したボートで、昼頃に島に帰還。
 
 そのころまではいい感じだったお天気も、だんだん雲が増えてきて、けっこう本気の雨降りになってしまった。
 
 渡久地港を出るのがあと30分~1時間ほど遅かったら、雨に打たれて哀しい洋上になっていたかもしれないところ、ギリギリセーフ。
 
 そういえば、渡久地港を出る前に立ち寄ったサンエーでは、冬のトモダチのダニエル氏が、過去に目にしたことがない高額になっていたので驚いた。
 
 これじゃあひところのジョニ黒と同じじゃないか。
 
 ただしそのジョニー・ウォーカー氏も、ゴキゲンそうにステッキを持って歩きながら、その「ひところ」よりも1000円近く高みに去ってしまったけど。
 
 円安のせいで何もかもが高くなるなか、これまではかろうじて生活圏内にいてくれたダニエル氏までが、「家計」では買ってもらえない「あっち側」のヒトになってしまった。
 
 4月から多くの商品が値上がり…というタイミングとは関係なく、野菜類もかなり値が張っているようだけど、その裏には天候不良による不作という事情があるらしい。
 
 天候不良や生長不良などと聞くとたまたまこの年だけってイメージで、今だけ我慢していればそのうちまた元に…と楽観気味になるかもしれない。
 
 けれど生きていくうえでは半導体なんぞよりも遥かに大事な1次産業を、根本的なところでは政策的に長い間ズーッと粗略に扱いほったらかしにし続けてきたツケが、いよいよ怒涛の勢いで回ってくる段階に入ってきている…
 
 …と冷静に考えれば、ダニエル氏が縁遠いヒトになってしまったなどと嘆いている場合ではない世の中が、もうすぐそこまで来ているようにも見えてくる。
 
 であれば、ますますオタマサにはあたいぐぁやヒミツの畑で頑張ってもらわねばなるまい。
 
 その成果のひとつ、タマネギは昨日紹介したとおり。
 
 そしてタマネギたくさん♪という時代にのみ許されているのが、こちら。
 

 おかわりしてから撮ったので、皿の上が美しくなくてすみません…。
 
 でもワタシが思わずおかわりするほどのサラダ、残念ながらキャベツは作っていないから買ったものながら、千切りキャベツにかけるドレッシングといえば…
 
 そう、サトーちゃんドレッシング。
 
 その昔那覇の与儀公園近くにあった名店「さく菜や」さんのランチで定番だった、サラダのドレッシングだ。
 
 以前も拙日記にて触れたように、彼女が店を畳む際に、人気メニューのレシピをいわば形見分けのように配布してくれて、このドレッシングもその際教わったレシピ。
 
 もちろん当時のお店ではキャベツはもっともっと繊細な極細千切りだったから、ビジュアル的にも相当美しかったのだけど、今ここで肝心なのはドレッシング。
 
 これがまた美味しいんだわ。
 
 で、オタマサは以前から知っていたようながら、今回ワタシが初めて気がついたことが。
 
 このドレッシング、トマトに激マッチング!
 
 プチトマトや中玉トマトに比べ、フツーサイズのトマトはそれのみで食べるといささか甘味に劣る。
 
 でもトマトは基本的に何もかけないか、せいぜいマヨネーズというワタシなので、今まで試したことがなかった。
 
 ところがこの日、ふと気が向いてこのドレッシングをかけていただくと、まるで昭和の昔、さして甘くないスイカに塩をかけたらやたらと甘くなるように、トマトが極上テイストに早変わり。
 
 酸味強めのドレッシングなのに、なんでこうなるんだろう?
 
 当時の「さく菜や」さんではサラダにトマトまでついていた記憶はないから、これはひょっとするとお店では味わえなかった味かも?
 
 幸いトマトは現在山盛り、このドレッシングさえあれば、今だけのシアワセをたっぷり味わえる…
 
 …と思ったら、前回とこの日でドレッシングをかけすぎ、なんてことだ、当分楽しめそうなほどにあった作り置きが、もうあとわずかになってしまっていた。
 
 オタマサが調子に乗ってまた作ってくれることに期待しよう。
  


Posted by クロワッサン at 07:45Comments(0)日々の徒然島の美味いもの

2024年04月04日

津波の功名。

2024年 4月3日(水) 朝薄曇りのちおおむね晴れ

南西の風 津波あり

 無事なのか死んだのか、固唾を吞んで拙日記の更新をお待ちになっていた3名ほどの方に最初にお知らせしておきます。
 
 おかげさまで我々は無事でございます。
 
 さて。
 
 前日昼間に船長から電話があった。
 
 はて、こんな時間にナニゴトだろう?
 
 すると、「明日は全便欠航します」とのこと。
 
 たしかに風は強まる予報ながら、南西からの風のこと、島の桟橋側はほぼほぼ影響なしのはずなのに…?
 
 石橋を叩いても渡らない君子は、危うきには近寄らないのである。
 
 というわけで、わりといいお天気の予報だったこの日の連絡船は、南西の風という夏模様で欠航に。
 
 これには各業者さんも不満を隠せなかっただろうけれど、結果的には海運グッジョブということになった。
 
 この時期だからそれほど多くはないとはいえ、それでも島民を遥かに上回る数の日帰り客がもしビーチで遊んでいるところに津波警報が出ていたら…。
 
 ちなみに水納島の緊急避難場所は、現在休校中の小中学校の屋上ということになっている。
 
 なのでひとたび津波警報が出れば、そこに各業者も水着姿の海水浴客も、もちろん島民も、ドドッと集合することになる。
 
 かつて2~3度避難訓練が行われたことがあるけれど、もちろんそれはオフシーズンのことで、実際にお客さんまで避難したことはこれまで一度も無い。
 
 もし真夏のハイシーズンにそんなことになれば、小さな屋上に500人ほど押し寄せることになるから、とってつけたような役場の「避難場所」設定は、そもそも非現実的机上の空論である…ということが如実にわかるいいチャンスでもあったんだけど、幸か不幸か連絡船の全便欠航が前日から決まっていたおかげで、そういう事態にはならずに済んだのだった。 
 
 もっとも、津波警報が発令されたのは9時過ぎ、もし通常運航していたら連絡船が渡久地港を出港してほどない頃だったから、おそらく島まで渡ったとしても島のヒトだけ下船して日帰り客は下ろさず、日帰り客を乗せたままおっとり刀で渡久地に引き返していたことだろう。
 
 そんな混乱が発生することもなく、静かに警報&注意報解除の時を迎えることができたのは、これすべて連絡船が欠航していたおかげである。
 
 で、島ではみなさん学校の屋上に避難していたのかというと…
 
 …すみません、我々は島内に居なかったので知りません。
 
 というのも、先日お伝えしたように、渡久地港北岸の船台をいついつまでに移動すべしという通達を突如受けたこともあり、その前にボートを上架し、船底塗料を塗っておくことにしたのだ。
 
 それをこの日に予定していたのだけど、あいにく日中は連絡船が欠航を決めるほどの強風になる見込みだったから、まだ吹き始めの朝方に島を出ることにした。
 
 そして滞りなくボートを上架し、ついでに郵便局まで行って、連絡船欠航のために本来届かないはずのオタマサのハイオクガソリン5本セットを受け取って…
 
 …というところ、すなわち本部郵便局にいるときに「津波警報」発令。
 
 携帯電話がビービー鳴り、防災放送を流す町内のスピーカーからも警報発令を伝えるアナウンスが流れ続けている。
 
 ただしテレビニュースと違い、津波の到達予想時刻とかそういった詳しい内容が確認できないから、なにやら今にも押し寄せてきそうな雰囲気も。
 
 なんてことだ、本部郵便局は河口近くの海抜ヒトケタ地帯ではないか。
 
 ともかくまずは、海抜50メートル前後ある秘密基地まで戻らなければ。
 
 …という時にかぎって、前を行く大型のユニック車のノロノロ運転ときたもんだ。
 
 でも本部大橋の北側あたりから海を見渡したところ、今のところ緊急事態というわけでもなさそう。
 
 そのまま無事に秘密基地に戻り、さっそくテレビをつけてみたらば…
 

 こんな時間からテレビを見ていられるヒマな方々がご覧になっていたであろう、臨時ニュース。
 
 与那国や石垣などのほか、那覇の様子なども映像による中継があったのだけど、思いのほかみなさんちゃんと避難しているようで驚いた。
 
 さすがに正月早々能登であんなことが起こったあとだけに、けっして侮ってはいないということなのだろう。
 
 というか、ついさっきまで海抜0メートル地帯で上架作業をしていただけに、ホントに予想されるほどの津波が来ているときにそんな作業をしていたら…と思うと、作業をすべて終えたあとでラッキーだったと、今さらながら胸をなでおろしたのだった。
 
 でも上架しちゃったボートはどうなるんだろ?
 
 今さらそんなことを気にしても仕方がない。
 
 とはいえ、この日ペンキを塗る予定にしているというのに、このまま警報が解除されなかったら?
 
 3メートルもの津波などどうせ来ないだろう…と高をくくって、警報発令中に港で塗装作業をしているところにホントに津波が来て被害に遭えば、それはノーインテリジェンスな舌禍騒ぎを起こして辞職するどこぞの知事と同じくただのバカタレ以外のなにものでもない。
 
 でも名護に買い物に行くくらいなら大丈夫なんじゃね?
 
 なによりもペンキを買わねばならないし、その他いろいろ定例の買い物もある。
 
 海沿いの道を行かず、海抜の高い地帯伝いに行けば、まぁ大丈夫でしょう…
 
 …と、とりあえず今帰仁城址から本部町内に再び戻るコースで車を走らせてみたところ、おお、いくらなんでもここまで高いところに避難しなくても…ってくらいの高台の沿道に、多くの車が縦列駐車状態になっていた。
 
 海を見晴るかす場所が特等席らしく、みなさんちゃんと避難しながらも海の様子を気にしているようだった。
 
 本島地方では、なぜだか本部町だけが突出して警報レベルを最上級にしていたようなのだけど、どうせ町民のみなさんは真に受けていないのでは…というワタシの予測とはまったく違う光景なのだった。
 
 で、今帰仁城址から本部町内に出てくると…
 
 ああ、しまった!
 
 いったん海抜ヒトケタ地帯に出てしまうじゃないか。
 
 それも満名川の川沿いに。
 
 すぐさま伊豆味の道へ出て標高が高いほうへ向かうと、その川沿いの海抜ヒトケタメートルにあるローソンはフツーに営業していた。
 
 河口にほど近いこんな場所など、本気で津波が来たらかなりヤバいと思うんだけどなぁ…。
 
 名護に向かっている最中は、普段そこまで混みあわないだろうってくらいにあっちこっちで渋滞になっていた。
 
 それも、脇道から幹線道路に入ってくる車がやたらと多い。
 
 ひょっとしてこれは…?
 
 そのあとスマホで確認してみると、案の定警報が注意報に変わっていた。
 
 高台に避難していた車がドドッと降りてきていたのだ。
 
 時ならぬ大渋滞に戸惑いつつペンキを買いに。
 
 名護には知る人ぞ知る塗料専門の老舗があって、昨年デッキの色変えをした際もその店で買い求めた。
 
 ちょうど今頃のことだったから、かれこれ1年経っているため、覚えているつもりだった塗料の名前も色の種類も、注文する段になってビミョーになってしまった。
 
 すると、いつになくスタッフが多いレジスペースの奥に鎮座まします店主である貫禄あるご婦人が、
 
 「ああ、去年も買いに来ましたよね?」
 
 とワタシのことを覚えてくれていて、なおかつその際ワタシが買ったものを教えてくれたのだった。
 
 さすが老舗の店主…。
 
 それもあって話も弾み、あれやこれやと言っていると、そのうちふと奥からなにやら取り出した店主が、
 
 「はい、これ。」
 
 と、粗品進呈的にとあるものを手渡してくれた。
 
 その「とあるもの」とは…
 

 キャップ。
 
 それも、船底塗料でおなじみのうなぎ塗料「一番」のキャラクターマークが入っている帽子だ。
 

 農業関係でいうなら「HB-101」の帽子に匹敵する、いや、それ以上にレアものかもしれない…。
 
 秘密基地に戻ってきた頃には注意報も解除されていたので、午後遅くから心おきなく港で塗装作業をすることができた。
 
 この帽子のおかげで、すっかり良くなったお天気の下での塗装作業も、暑さに苛まれることなく無事終了したのだった。
 
 というわけで、降って湧いた津波騒ぎも結局20~30センチ程度が各所で観測された程度で済み、予定どおり作業を終えることもできたのだけど、あの緊急事態を告げるニュースをご覧になっていたら、
 
 「もう水納島は終わっている…」
 
 と思われた方もいらっしゃったかもしれない。
 
 実際、無事を確認するお電話をいただいたほか、少なくとも前回PCを買い替えて以降は一度も音信が無かった友人から、当サイトの「お問い合わせフォーム」を利用しての無事確認の連絡があったりもした。
 
 過去にPCが壊れて買い替える都度拙日記上で白状してきたように、恥ずかしながらワタクシ、メールアドレスのアドレス帳をキチンと管理していないため、PCが壊れてしまうとほぼほぼ白紙状態になる。
 
 そのためその都度、メールをくださいと拙日記上などでお願いしてきたわけなのだけど、数年前にメールアドレスを変更してしまったから、アドレスがわからなくなったままでいた方々にはアドレスを変更した旨を伝えることもできないし、先方が久しぶりに連絡を取ろうにも、こちらのアドレスがわからない、ということになる。
 
 そのうえ今年から従来の固定電話の利用も終了してしまったため、お互い無沙汰を決めていると、この日のような「いざ」という時にまったく連絡が取れない…ということになるのである。
 
 久しぶりに連絡が届いたのは学生時代からの友人で、もうこの齢になるといわゆる旧友ということになる。
 
 しかし我々の披露宴の際には友人代表として挨拶までしてくれた仲にもかかわらず、近年は年賀状を出しても返信が無いところからして、ひょっとしてもうこの世にいないのでは…?となにげに心配していたところではあった。
 
 それがまさか、こちらの生死を問う内容の連絡が彼から届こうとは…。
 
 おかげでかなり久しぶりに連絡を取り合うことができ、互いの生存確認もかなったのだった。
 
 まさに津波の功名だ。
 
 そんな津波騒ぎなどどこ吹く風でスクスク育っていたヒミツの畑の野菜たち、種類は限られてはいても、オタマサの丹精のおかげでこのとおり。
 

 タマネギをはじめとするネギ系もトマトも、以前までのマサエ農園畑1号2号当時に引けを取らない収穫量。

 なには無くともタマネギがあればシアワセ…という方なら涙ちょちょぎれ級の新玉バブルだ。
 
 まだまだ小石が多すぎて大根や人参などの根菜系はキビシイものの、これほど採れれば「森」を畑にした甲斐があるというもの。
 
 小石排除の道は険しけれど、やがてジャガイモや大根もわんさか採れるようになるかも?  
  


Posted by クロワッサン at 07:40Comments(2)日々の作業日々の徒然

2024年04月03日

ラスト・バブル。

2024年 4月2日(火) 晴れのち曇り昼前後雨
 
南東の風 波あり

 春はあけぼの、そして花々。
 
 ハイビスカスのように見境なく年がら年中咲いているのが亜熱帯っぽいイメージかもしれないけれど、沖縄にも「春」の花はたくさんある。
 
 我が家の庭でも、近年では随分遅めにアマリリス第1号が自ら開花宣言していた。
 

 ささやかな裏庭では、裏あたいの脇で肩を寄せ合うグラジオラス第1号も、静かに花を咲かせている。
 

 雨が上がった午後に散歩をすると、センダンがかぐわしい香りを周辺に放っているほか、まるで沸き立つかのように白い花を咲かせているシャリンバイも季節を迎えていた。


 なんだかそこだけ雪が積もっているかのようにさえ見れるシャリンバイ。


 島内には探せばほかにも花を咲かせているシャリンバイが何本か育っているんだろうけど、道路脇でこのように見られるところは島内ではここだけ。
 
 他の季節ではただ葉が茂っているだけの雑木にしか見えなくとも、この季節の短い期間だけ、このように目を見張るほどの満開時期を迎える。
 

 それほど香り立つ花々ではないけれど、やはり花から何かが発せられているのだろう、そこらじゅうハナムグリだらけだった。
 

 この木1本だけで、おそらく100匹は下らないほどのハナムグリ大集合。
 
 シャリンバイの満開は、ハナムグリたちにとっては願ってもない期間限定バブル到来状態らしい。
 
 毎年この時期に花を咲かせるシャリンバイ。
 
 しかしこの木は、やがて始まるリゾート開発の一環で整備される舗装道路のために、まずまちがいなく跡形もなく消え去ることだろう。
 
 ひょっとすると、今年が見納めかもしれない。
 
 となるとハナムグリの春のバブルも、今年でジ・エンド。
 
 春風に揺れる草々のざわめきに、諸行無常の響きあり…。
  


Posted by クロワッサン at 05:38Comments(0)昆虫記山川草木

2024年04月02日

クチナシはカラフル。

2024年 4月1日(月) 晴れ

無風のち北の風 おだやかのち波あり 水温20度(表層は21度)

 風は北に回る予報ながらお天気は良く、新年度の始まりは緑輝く春らしい日和になった。
 
 そして4月1日は、水納ビーチのシーズンスタートの日。
 
 コロナ禍中や昨年はGW前からというのが恒例になっていたから、久しぶりに4月の始まりとともにシーズンインとなると、なにやらのどかなオフシーズンから一変して慌ただしい雰囲気になる。
 
 そして、海開き=各業者さんたちが島で営業を始めるので、この日は朝からずっと、北風に乗ってジェットスキーのエンジン音が唸り続けていた。
 
 それ自体は大した音量ではないんだけど、もともと風や波の音、そして鳥の声くらいしか聴こえてくるものがないところにずっと続くエンジン音となると、まるで部屋に入り込んできた大きなハエの羽音なみに鬱陶しい…
 
 …とこれまでずっと思い続けていたんだけど、もうすぐ始まる港の大規模工事その他、予定されている様々な工事のことを思えば、ジェットスキーの音なんて100メートル先の蚊の羽音くらいのものでしかない。
 
 そう考えれば、シーズンインとともに始まるいつものウンザリ感を覚えることもなくなるのだった。
 
 基本的にビーチのシーズンインとは何の関係もない我々は、今朝の晴れは詐欺ではなさそうだったから、午前中に海へ。
 
 目当てはもちろん、このタコッ!。
 
 というわけで、なんてことだ、4連続でがんばるオジサン(←ポイント名です)。
 
 そういえば先日「おっ?」と思った、サンゴに群がるソラスズメダイたち、思わず動画でも撮っておこうと思ったほど多く群れていたのに…
 

 その翌日には…
 

 早くも激減していて、1週間経っても…
 

 減ったまま。
 
 そしてこの日は…
 

 サンゴの上にいるソラスズメダイは、わずか数尾になっていた。
 
 だからといってあたりからすっかり消え失せたわけではなく、周辺のソラスズメダイがいそうな場所にはたくさんいる。
 
 やはりソラスズメダイたちは、極端に言えばあの日あの時あの瞬間だけサンゴに集合していたわけで、ワタシが「おっ?」と思ったのも無理はなく、それはとてもラッキーなタイミングだったに違いない。
 
 その時そうとわからずとも、あとになってしみじみ味わえるタイプの幸運。
 
 とはいえワタシにもっと記憶力があれば、その場でラッキー♪と思えたろうになぁ…。
 
 このタコッ!現場を訪れる前に、前回の不思議的色味のモラトリアムタテキンを観ておこうと思ったら、前回出会ったところにその姿は無かった。
 
 たとえ幼魚であっても住処にするにはそぐわなそうな小さな岩だっただけに、前回はたまたまフラりと立ち寄っていただけだったのかも。
 
 でもそれほど遠くに行っているわけではないだろうと見当をつけ、このタコッ!観察終了後に付近を捜索してみたところ…
 
 いた。
 

 やっぱ顔黒…。
 
 砂底のポイントで観られるタテキンたちはオトナと子どもでうまいこと棲み分けをしていて、オトナはリーフ際近くに多く、子どもは砂底の根を住処にしている(最近は浅場がエサ不足なのか、オトナが深いところまで出張ってくることもある)。
 
 なので、幼魚からオトナに変わりつつある段階の新社会人は、従来の生息環境を離れ、新たな環境で一本立ちしなければならないのだけれど、この顔黒タテキンはそのあたりがうまくいっておらず、それが顔に表れている…ってことなのかもしれない。
 
 せっかく大手に就職できたのに、入社式すら催されることなく暗いスタートとなってしまった「製薬」しない製薬会社の新入社員も、おそらく同じ表情を浮かべていることだろう。
 
 さてさて、ようやく「このタコッ!」現場に到着。
 
 前回からたったの2日後、しかも潮的にほぼ同じタイミング、緩やかな流れの向きも前回同様とくれば、前回と同じように再びやる気モードのタコベラたちが観られるに違いない…
 
 …という期待を抱いて訪れたのだけど、案に相違してタコベラたちにやる気は観られず、オスもメスも、藻が生えている小岩に寄り添いながら地味に生きるいつもの様子しか見せてくれない。
 
 ナンバーワンオスと思われる1匹だけが広範囲を泳ぎ回っているものの、ときどきメスに遭遇するとブイ…といわせるだけで、
 

 …その「ブイ…」も、求愛というよりは「勝手にオスになるなよ」と戒めているだけのように見えた。
 
 そのため30分くらい滞在していても、オスがフワリと浮かんでメスにアピールする様子も、オス同士のケンカも、ましてや産卵行動などもまったく観られず。
 
 まったくもって、「なにやってんだこのタコッ!」状態である。
 
 そんな状況ではあっても、ナンバーワンオスがヒレを全開にする機会はあった。
 

 ホンソメ、グッジョブ♪
 
 それにしても、たった2日の違いでこの様子の変化とは。
 
 まだ水温が低い時期だから、そう毎日毎日産卵などしていられません…ということなのか、「ここ」という束の間しか開かれない儀式なのか。
 
 ただ、ひとつ勘違いしていたことがあって、潮的にほぼ同じタイミングと思っていたところ、この日は引き始めている時間帯ではなく、まもなく満潮というタイミングだった。
 
 なので、あと30分あとに来てみれば、違った様子が観られたかもしれない。
 
 いつもいつもそのような考察付きで潜っているわけではないから、いずれにせよあの日あの時あの瞬間にこの場に立ち会えたのは、まったくもってラッキーなことだったらしい。
 
 そんなこんなで、ここのところのおさらいをしてラッキー感を噛みしめていたワタシとは違い、オタマサはその場で身も心もホットになる幸運に遭遇していた。
 
 本日オタマサの体感水温が3度ほど上昇したクリーチャーとは…こちら(以下の写真すべて撮影:オタマサ)。
 

 初登場、クチナシツノザヤウミウシ!
 
 オタマサは図鑑でこのウミウシの色柄を見知っていたそうで、海中では「ついに出会えた!」的興奮モードで撮っていたという。
 
 ただしエキジット後にワタシに教えてくれた名前は、「カンナツノザヤウミウシ」だった。
 
 後刻図鑑をひもときながら「ほらほら、これこれ!」と指さして見せてくれた写真には、クチナシツノザヤウミウシの名が。
 
 そこでワタシが、いったいこの色のどこがクチナシ?的なことを言うと、そこで初めてこれがカンナツノザヤウミウシではなく、クチナシツノザヤウミウシであることに気がついたオタマサである。

 図鑑ではクチナシツノザヤウミウシの上に、たしかにカンナツノザヤウミウシが載っているから、ひと目で勘違いに気がつくはずなんだけど…。
 
 図鑑を見ていてさえも、思い込んだらリセットレス。
 
 それにしてもこのクチナシツノザヤウミウシ、季節を選べばフツーに出会えるツノザヤウミウシの南国エキゾチックバージョン…にしか見えないのに、なぜだか和風な名前がついている。
 
 その昔渡哲也が歌っていたクチナシの花はたしか白い花のはずなのに、なにゆえこのウミウシがクチナシ?
 
 …とこれを書いている今まで不思議に思っていたのだけど、今ハタと気がついた。
 
 この名はおそらく、着色料としてのクチナシのカラフルな色彩に由来しているに違いない。
 
 クチナシから取れる色素には、クチナシ青、クチナシ赤、クチナシ黄とあって、それらがひとつの原料から得られるおかげで、シアン、マゼンタ、イエローの三原色によるグラデーションまで作り出せるのだそうな。
 
 すなわち、色素を取り扱う化学業界からすれば、クチナシは「白」ではなく「カラフル」な存在なのである。
 
 そういう目で観ると…
 

 なるほど、まさにクチナシ。
 
 クチナシツノザヤウミウシも本家ツノザヤウミウシと同じくクマデコケムシをエサにするそうなのだけど、エサはたくさんあってもウミウシ本体がかなりレアだけに、遭遇チャンスはひょっとすると一生に一度級かもしれない。
 
 そんな千載一遇のチャンスがあったというのに、藻が生えまくっている冴えないガレ場でなんの動きも見せないタコベラをジッと観ていただなんて…。
 
 …ハイ、「このタコッ!」はワタシです。 
  


Posted by クロワッサン at 07:29Comments(0)水納島の海

2024年04月01日

暴走役場。

2024年 3月31日(日) 朝晴れのち昼前から雷雨

南の風 徐々に荒れ模様

 3時間ごとの時系列予報では、朝から傘マークが出ていたので、早朝の一見好天のフリをしている空の詐欺には騙されないよう心に決めた。
 
 ところが、午前中のお天気はそのままずっといい感じに。
 
 なんだ、これだったら通常のタイミングで1本潜りに行けたのになぁ…。
 
 しかしワタシは知っている。
 
 これでホントにイソイソと潜りに行っていたら、たちまち雷雨の洗礼を受けたことだろう。
 
 午前中の好天は、ワタシが潜りに行こうと思わなかったからこそ。
 
 昨日の土曜日は3月とは思えないくらいの日帰り客の多さだったというのに、この日朝の便で島にやってきた一般客はというと、たったの2人。
 
 旅先の天気予報をしっかりチェックしている賢明なみなさんなら、日帰りで島へ行こうだなんてまず思わない天気予報だったのだ。
 
 ところが案に相違して、午前中はすっかりいいお天気になったから、たった2人の選ばれし日帰り客は、大当たりも大当たりだなぁ…
 
 …と思っていたら、昼前から中天にわかに掻き曇り、その後は激しい雷雨が続くこととなったのだった。
 
 2人の日帰り客、13時渡久地港発の連絡船が来るまで、ずっと待合所にいたんだろうなぁ…。
 
 それにしても、雨は雨でもここまで降るようなことはヒトコトも言っていなかった天気予報、これはこれで詐欺に等しいはずし方ではある。
 
 そんな素振りなど露ほども見せず、結果報告ではしっかり雷雨マークに変えていたのは言うまでもない。
 
 まるで線状降水帯直下のようだった豪雨、ちゃんと北部のダム地帯にも降り注いでくれたのだろうか。
 
 こういうお天気が繰り返されると、ダムの貯水率はたちまちV字回復することだろう。
 
 ま、昨年も5月末から6月頭にかけてしつこい台風が襲来したくらいだから、水道局関係者は例年以上の降水量に大いに期待しているに違いない。
 
 一方、そういう季節には台風も大雨も微塵もないと信じて疑わないお役所があった。
 
 我々は普段島に居るためにまったく寝耳に水だったことに、なんと4月後半から6月末にかけて、渡久地港北岸の岸壁にマリーナ仕様の構造物を構築する工事が始まるという。
 
 それに伴い、うちのボートを上架させているスペースを含めたあのあたり一帯が作業現場になるから、4月24日までに船台やトンブロックを移動させるよう「説明会」が開催されたという。
 
 移動ってアンタ、その工事中に台風が来たらどうすんの??
 
 そのような工事の序章としての昨年の渡久地港内の浚渫工事だったから、将来的にマリーナ仕様にする工事が行われる、ということはある程度耳にしてはいた。
 
 でもそれを春からやるか?
 
 秋から冬にかけて半年惰眠をむさぼり続けておきながら、台風がいつ来てもおかしくない季節まで工期が続くだなんて…。
 
 発注者が本部町役場の港湾関係なのか北部土木事務所なのか、この日島の桟橋にボートをつけていたうみてんぐのサトーさんからオタマサが最新情報を伺っただけなので、今は詳しいことは不明だ。
 
 そのため怒りの波動砲のターゲットをどこにすればいいのかわからないのだけど、どこであれこれを「公共工事」としている人々の頭の中は、いったいどういう事態になってしまっているのだろうか。
 
 真夏に島の港の大規模工事を嬉々として行う計画を立てる北部土木事務所にしろ渡久地港の工事発注者にしろ、「公共工事」を黄門様の印籠と勘違いしている浅慮近謀集団の暴走が、街も人々の暮らしもどんどんメチャクチャにしていく…。
 
 市町村議会議員であれ県議会議員であれ国会議員であれ、建前上とはいえ選挙で落選させることができるこれらの人々とは違い、ヤクニンの暴走を止める手段はかなりハードルが高い。
 
 いわば、歯止めが利かない「勘違い権力」の暴走。
 
 それが優秀な人々がリーダーシップをとって進められているのであればともかく、身につけているのはヤクニン気質だけという浅慮近謀集団だから目も当てられない。
 
 その昔スティーブン・セガール主演の映画に「暴走特急」なんてのがあったけど、誰が見ても暴走していることがひと目でわかる特急とは違い、暴走していることが一部の関係者にしかわからない「暴走役場」は、よほどタチが悪い。
 
 ともかく、「暴走役場」を止める元CIAのコックなどいるはずはなく、この工事のせいでボートを上架することができず、季節外れの台風でえらい目に遭ってしまったら、ワタクシはこの工事発注者を地獄の業火で焼き尽くすことをここに誓います。
 
 というあっちでもこっちでもウンザリさせられる話のあとは、お口直しにこの日のオタマサの成果を。
 
 天気予報を観て海に行く気を失ってしまっていたワタシと違い、お天気に誘われて海へ行ってきたオタマサ。
 
 海といっても桟橋脇ながら、やがて港の大規模工事が始まればこのエリアも過去のものとなってしまうのだから、楽しめるのも残りあとわずかの貴重な環境でもあるのだ。
 
 そんな桟橋の岸壁にいたのが、こちら(以下の写真すべて、撮影:オタマサ)。
 

 岸壁にピト…とついているから実際この向きになっているんだけど、見づらいので横にしてみよう。
 

 ご存知コウワンテグリ。
 
 こういう場所でよく観られるからこそこの名があるのだろうけど、だからといっていつでもホイホイ出てくるわけでもない。
 
 また、これよりもっと小さかったりもっと成長していたりすると、セソコテグリと区別がつかなくなるところ、これくらいだと紛れもなくコウワンテグリであることがわかる便利なサイズだ。
 
 これまで当方にはもっと幼魚に近い白っぽい個体の記録写真しか無かったから、よりコウワンテグリらしく見える色味が加わってよかったよかった。
 
 全体的に美しいのに存在はかなり地味なハナミドリガイが、偶然チャツボボヤの仲間に乗っかってフォトジェニックシーンを自ら作り出していたらしい。
 

 ただしどちらも小さな生き物だけに、クラシカルアイな方々には、肉眼では綺麗もへったくれもなくなってしまうことだろう。
 
 先日桟橋の付け根あたりの波打ち際、極浅環境にいたカゴカキダイたちはこの日も健在だったようだ。
 
 で、先日からこのカゴカキダイチビターレに混じっている別の魚のチビターレが、なにげにナゾだったりする。
 

 はてさてこのチビターレ、いったい誰の幼魚なんですかね?
 
 先日から↓このようにカゴカキダイキッズに紛れ込んでいて…
 

 …わりと水面付近側にいるっぽく見えるのだけど、ホントに水面付近を好むからなのか、水深が20センチほどしかないからやむなく水面にいるのか、どっちかわからない。
 
 そういえば10年前の5月にオタマサが撮った、わりと深めの砂底から生えているスナイソギンチャクに寄り添っていたチビターレも、これといった特徴が無いために長らく正体不明のままになっている。
 

 当時はその後この日記上で広く(?)知識を募集したものの、誰からもご教示はいただけなかったこのチビターレ、あれから10年近く経って、きっと世間の知見はより深まっていることだろう。
 
 というわけで、先ほどのカゴカキダイに紛れ込んでいるチビターレと、10年前のこのチビチビ、その正体の見当がつく方はお手数ですがテルアスプリーズ! 
  


Posted by クロワッサン at 07:51Comments(0)吉田兼好水納島の海

2024年03月31日

がんばれ、このタコッ!

2024年 3月30日(土) 薄曇り

南東のち西の風 おだやか 水温20度~21度

 晴れたり雨になったりが繰り返しそうなこの先のお天気、この日はシャキッとはしないまでも「晴れ」のほうに傾いている。
 
 そのチャンスを活かすことにした。
 
 土曜のわりには洋上のボートは多くなかったから、それなりにポイントチョイスの自由度は高かったのだけど、先日遭遇したクジャクベラをオタマサが観たいというので、また同じところに潜ることにした。
 
 うーむ…これで3回連続がんばるオジサン。
 
 ドボンとエントリーして冷水の洗礼を受けた後、さっそく現場へ…
 
 …と思ったら、その途中に不思議な色味になっているタテキンと遭遇した。
 

 幼魚模様からオトナの模様に変わりつつある体の色が「不思議」というわけではない。
 
 変に見えたのは、その口元の色合いだ。
 
 渦巻き模様のチビターレ時代には濃紺色の口元は、オトナになると白っぽくなる。
 
 10センチ弱ほどの中間段階くらいまで育っていると、口元はオトナに近くなり、↓このように白っぽくなっているのがフツーだ。
 

 これに比べると、この日出会ったタテキンモラトリアムは変でしょ?
 
 そのほか、ベビーからアダルトまでのタテキン模様七変化コンプリートバージョンについては、こちらをご参照ください。
 
 口元が黒っぽいままなのは、幼魚カラーが抜けきらないからなのだろうか、それとも体調不良もしくはゴキゲン斜めだからなのだろうか。
 
 オトナ模様が出ているところも含め、全体的に黒っぽいイメージだったから、きっと何かがどうにかしていたのだろう。
 
 < 全然わからないんですけど?
 
 観ているうちに色が明るくなるのか、ずっとこのままなのか、もうしばらく観ていたかったところながら、まずはオタマサを現場まで案内せねばならない。
 
 タテキンダークモラトリアムは後刻ゆっくり観ることにしよう。
 
 ほどなく現場に到着。 
 
 するといきなりクジャクベラはGone…
 
 …とはならず、ちゃんと同じ場所で健在だった。
 
 ただし、前回はどういうわけかほぼほぼずーっとヒレを広げっぱなしにしてブイブイ言わせていたのに、この日は一瞬開いて見せるだけでブイブイ感がまったくなく、むしろイジケているようにすら見える。
 
 オスフォルムになりつつあるとはいえ、まだまだ小さいナリであることに気づかされたのか、それともどんなにがんばってもこの場にお相手となるメスが1匹もいないことを知ってしまったのか…。
 
 ともかくも目的は達することができたから、その場を離れてもう少し先に…
 
 …とっとと行ってしまったオタマサとは違い、ワタシはクジャクベラ現場で「あること」に気がついた。
 
 タコベラが多いのだ。
 
 上記リンク先でも触れているように、冴えない名前に比して地味に綺麗でかっこいいタコベラは、その昔は砂底ポイントの随所で小規模の集団を観ることができたものだった。
 
 ところがいつの間にかその姿を見かける機会が減ってしまい、立派なオスとなると滅多に会えない…
 
 …という期間が随分続いていたのだけれど、コロナ禍中くらいからオスとの遭遇頻度が徐々に増えてきてはいた。
 
 でもオスが複数いてメスもたくさんいる場所、となるとそうあるものではなく、彼らが何かをしている様子を観る機会なんて滅多にない。
 
 それがこの場所では、やや興奮モードになっているオスが、傘下にしているらしき周辺のメスたちのもとを巡ってはアピールしていた。
 

 興奮モードカラーになって素早く泳いでいるときはこのように尾ビレを閉じている。
 
 でもタコベラといえば、尾ビレを開いた姿がカッコイイ(↓これは別個体です)。
 

 なので興奮モードカラーのオスも尾ビレを開いてくれるところを待っていたところ、オス同士のケンカでその姿を見せてくれた。
 

 かなり遠くて光がほとんど届いていないけれど、この各ヒレ全開モードときたら!
 
 オス同士が互いに勢力を競い合う際には、自分の体をより大きく見せるというのがいろんな魚における定番でもある。

 とはいえ、タコベラの尾ビレってここまで開くものだったとは知らなんだ…。
 
 ここまでオスたちが張り切っているくらいだから、そのお相手となるメスもかなりその気になっていて、なにやらフラフラ~と中層に浮いてオスがくるのを待ち受けている様子。
 
 オスもメスに自分の姿を観てもらえるように、フラフラ~と中層に浮いてはポーズをとっている。
 
 そしてお互いの存在を認識すると、オスがメスの元にやってきて、一緒に上方へ泳ぎ始める。
 

 こうなればもちろんそのあとは…
 

 …産卵&放精(白くモヤッているところ)。
 
 オスは周辺に何匹かいるのに、メスを産卵に誘っているのは同じオスっぽく、メスはそこらにたくさんいるから、間をおきながら何度も繰り返し披露してくれた。
 
 何度もチャンスがあったわりにはロクな写真が撮れなかったけれど、タコベラの産卵シーンなんて人生初遭遇だ。
 
 なのでもっとちゃんと撮りたい、動画でも撮りたい…とアワワアワワしているうちに、気がつけば40分経過。
 
 水深が水深だけに、エアーは心もとなく、窒素も随分溜まってしまっている。
 
 というわけで、後ろ髪を引かれながらの撤収とあいなったのだった。
 
 あ……タテキン忘れた。
 
 タコベラの産卵はもっとじっくり観てみたいし、ダークモラトリアムタテキンも気になるところ。
 
 かくなるうえは、めざせ4回連続のがんばるオジサン(←ワタシのことではなくポイント名です)。
  


Posted by クロワッサン at 07:20Comments(0)水納島の海