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2017年02月28日
2017年02月27日
せみの研究。
2017年 2月26日(日) 雨
東のち北の風 波ありのち時化模様
台湾坊主的低気圧が発生したため、おだやかだったお天気は急速に悪化、午後にはすっかり時化模様になっていた。
コース的に本土に雪こそもたらさなかったけれど、ポッと誕生して足早に去っていく低気圧は、海況を急激に悪化させつつ風がグルリと廻っていくため、ウミンチュたちが昔からニンガチカジマヤー、すなわち2月の風廻りと呼んで警戒していたものと同じだろう。
24時間ごとの予想天気図を見ているだけでは、その天気図上に低気圧が現れていないケースが多いから、なかなか予想しづらい。
ところが気象庁発表の天気予報では、我々がまだ旅先にいる2日前から、しっかりとこの急速悪化予報を出していた。
普段のワタシは気象庁や沖縄気象台に対して罵詈雑言を浴びせてばかりいるけれど、沖縄気象台もホントはキチンと仕事をしているのである。
ちなみに2月の風廻りといっても旧暦のことなんだけど、この日26日は旧暦では2月1日。
旧暦ってすごい………。
さて、話は随分前のことになる。
先月埼玉の実家にいた時、思いがけないモノを見る機会を得た。
これ。
オタマサが小学6年生の時の、夏休みの自由研究である。
学校に提出すると、その後入間市から表彰されたという、いわくつきのものだ。
これ、パッと見はA4サイズくらいと想像してしまうだろうけれど、実際はA1サイズ。
小6のオタマサならほぼ等身大だったことだろう。
行政に表彰されるくらいだから、小学生の自由研究とはいえかなり本格的に地道なもので、ギリギリのラインで卒業するレベルの琉大理学部学生の卒論よりも手間ヒマがかけられているかもしれない。
内容は、当時埼玉の実家近辺で顕著なセミ2種類、すなわちミンミンゼミとアブラゼミを中心に、各セミの鳴き始めと鳴き終わりの時刻を日ごとに調べる一方、セミがよく止まっている木をセミごとに調査し、なおかつ成虫の生体機能や幼虫の居場所などなど多岐に渡っている。
1日ごとにまとめられた調査レポートの初日はこんな感じ。
セミの聴力実験をするために、木の裏側に回ってどなったり叫んだりって、それってあなた、かなりアブナイ人のような……。
この実験によりセミは耳が悪いと結論しつつも、オタマサはその後、それだったらオスが鳴いている意味っていったい??ということに気づき、新たなナゾが生まれていた。
この鳴く時間調査を2週間以上毎日続けた結果が表になっていた(図1)。
なるほどたしかに、ミンミンゼミとアブラゼミの鳴いている時間には、両者で有意な差が見られる。
そして日照時間が短くなるにつれ、鳴いている時間も短くなっているようだ。
また、幼虫についても(図2、3、4、5)、
成虫が見られる木についても(図6、7)、
このように表にしつつ、まとめた結論が↓こちら。
なにぶん小学生のことゆえ、結論が性急にすぎる部分もなくはないとはいえ、オタマサはこれをセンセイや親といったオトナの協力一切無し、トモダチと相談することもなしに一人でやってのけているのだからスゴイ。
そりゃ行政も表彰するはずだわ。
オタマサによると、受賞後に担任のセンセイがボソッとつぶやいていわく、
「まとめ方をもう少し工夫したら、もっと上に行ったなぁ……」
おい、そこはあんたのシゴトだろ。
もっとも作業中にオタマサが人の助言を得ようとするはずはなし、この場合、端からセンセイの出番など無かったことだけはたしかである。
というか、もともと変わった人だとは思っていたけれど、小学生の頃からすでに出来上がっていたのですな。
こと昆虫に関しては、香川照之とがっぷり四ツで話が合うこと間違いなし。
それにしても実家の若女将は、立花隆の真逆を行く「捨てる!技術」の達人だし、オタマサの父ちゃんはまったく娘のそーゆーことにご興味をお持ちではないから、16年前に一度全面的に家を改築した際に廃棄されていてもおかしくなかった。
それなのに、いくら誉れ高き自由研究とはいえ、A1サイズの特大画用紙の冊子を、よくもまぁ残してくれていたものだ。
若夫婦に感謝。
おかげでウワサのこの自由研究をワタシも初めて目にすることができ、全ページを写真にすることができたのだった。
そのうちA4サイズにリサイズして、全ページをプリントしておこうっと。
2017年02月26日
真夜中のカーボーイ。
2017年 2月25日(土) 雨
北東の風 波あり
滞在先から経由地までの飛行機は、行きとは真逆にことのほかスムーズで、到着予定時刻よりも15分も早く着いた。
が。
トランジットの都合で間がたっぷり空くうえに、那覇までの飛行機がまた例によって遅延。
記録的速さで到着してくれた、経由地までのプロペラ機のがんばりはなんだったのだ。
遅延といっても行きとは違い、たった15分ほどの遅れではあったけれど、もともとが午後9時55分那覇着予定だったものが15分遅れると、なんだか随分遅くなったような気持ちになる。
おまけに到着地那覇のお天気は「雨」。
けっして豪雨ではないものの、氷雨に降られてしまっては、それなりに寒い土地から帰ってきた時に味わえる「沖縄感」がまったくない。
おまけにこの雨の中を本部町まで運転しなければならない。そのために、せっかく選り取り見取りの飲食店が揃っている大きな空港に3時間もいたというのに、一滴の酒も飲めずにお茶で肴をつまんでいたワタシ。
真夜中のカーボーイになるために、ヒトがそうやって断腸の思いで飲まずにいるというのに、もちろんオタマサはダハダハと生ビール&日本酒を飲んでいるのであった。
でもまぁ、那覇空港の駐車場を10時30分に出るとなると、その先の道は一般道で行ってもスイスイスイスイ走らせることができるだろう………
…と思いきや。
いくらサタデーナイトだからって、夜の11時前にこんなに車が走っているなんて。
おまけに国道58号線の大山付近から工事区間があって、それも片側3車線の道路の2車線分を塞いでしまっているものだから、思いがけない大渋滞。
あのぉ……もう11時過ぎなんですけど。
いやはや、もうすっかり都会だなぁ、沖縄本島。
全国チェーンのビジネスホテルが林立していたり、これまた全国チェーンの大型ショッピングモールやらコンビニやら飲食店が建ち並ぶきらびやかな街の景観は、ヤシのシルエットのひとつも無かったら、もはや東京郊外のちょっとした街と大して変わらない。
ここでもまた、トランプタイプが勝利の雄たけびをあげていることだろう。
そして、トランプタイプにとっては「手つかず」といっていい状態だった本島北部にもまた、彼らの魔の手(※個人の感想です)が伸び始めて久しい。
古き良き沖縄の風情を求める旅行者は、ちょっとした裏道に入ったり路地裏を巡らなきゃ、旅情という意味での「沖縄感」を味わえなくなっているのだ。
もっとも、よもやの渋滞に巻き込まれつつも、12時40分頃には秘密基地に到着できていたのは、その「魔の手」が伸ばし続ける立派な道路のおかげでもあるのだった。
いつもならとっくに布団に包まっている時刻ながら、旅の垢を落としてビールをプシュッ。
そして滞在先でこの夜用に買ってきた肴で深夜酌。
実はこの時点ではまだ、翌日……いや、すでにこの日(26日)の連絡船の運航は朝決定するという話だったから、我々は島に戻れるかどうか未定だった。
一夜明け、船長始動時刻にお電話すると、朝イチで島を出て、臨時で9時30分発で渡久地港を出て以後欠航ということに。
夜も遅いから、那覇泊で……なんてことにしていたら、早朝からエライ騒ぎになるところだった。
真夜中のカーボーイも、けっして無駄ではなかったのである。
なにはともあれ、夢の日々はこれにて終了!
2017年02月25日
最終日。
2017年 2月20日(月)〜25日(土)
前線をまたぐように進む飛行機ではあったけれど、上空は比較的穏やかで、飛行はおおむね安定していた。
たった一人しかいないCAさんによる離陸直後の機内アナウンスでは、別の空港に着陸することになるかも、という状況に変わりはなかった。
なので飛行は安定しつつも、心は不安定なまま。
はたして我々は目的地にたどり着けるのだろうか…。
……な〜んて出発日のドタバタを書いているうちに、滞在期間が終わってしまった。
我々はいったいどこに行こうとしていたのか。
予定通りその日のうちに無事たどり着けたのか。
滞在中はどうだったのか。
すべては、いずれそのうちに公開することになるであろう本編にて。
というわけで、明日島に戻ります。
……連絡船が動いてくれれば、だけど。
2017年02月24日
見切り発進。
2017年 2月24日(金) 晴れ
北西の風 波あり(ただし沖縄ではありません)
JALといいつつ、正確にはJTA利用で窮地を脱した我々。
いずれにしても、JALグループの飛行機に乗るのは実に久しぶりのことで、微妙に異なるANAとの違いに戸惑った。
戸惑いつつも、機内誌をパラパラ見ていると、なんだかやけに興味を引く記事ばかり。
…と不思議に思いかけたのだけど、乗っているのはJTA機で、機内誌は沖縄ローカルネタ満載の「コーラルウェイ」なのだから不思議でもなんでもなかったのだった。
さて、こうして無事に那覇を飛び立つことができたのはよかったのだけど、経由地での乗り継ぎ便は再びANA管轄の便。
それが全日空の直々の運行便であればなんの問題もなかったのだけど、あいにくコードシェア便で運用はANAではないため、那覇空港でJALに預けた荷物を、いったん経由地で受け取り、その後改めて搭乗手続きをしなければならない。
ご存知のとおり、ある程度大きな空港ではANAとJALのカウンターの位置は、同じターミナル内でもかなり離れているため、いったん荷物を受け取って外に出たあと、ガラガラゴロゴロキュルッキュルッ(最後の音は、スーツケースの使用が久しぶりでコロコロがうまく動かないため)と荷物を引きずって移動するのに難儀した。
しかしそんなことは、このあとに控えていた晴天の霹靂…というか、荒天の皺寄せに比べれば、なんてことはなかったのだ。
というのも、改めてANAのカウンターで荷物を預ける手続きを済ませたところ、カウンターのおねーさんが、何やら言いにくそうに教えてくれたのである。
そう、目的地の悪天候のため、我々が乗る予定の一つ前の便は、出発はするものの場合によっては戻ってくることになるかもしれない、という案内のもとで離陸待機中ということを。
我々が搭乗予定の便にはまだその案内は来ていないものの、現在のところまったく予断を許さない状況なのだとか。
たしかに前線を伴う低気圧が午前中に通過するような天気図の流れであることはかろうじて知ってはいたものの、まさかそこまで大変な事態になっていたとは。
それは日本じゅうのことだったようで、出発の遅れを知らす案内などザラで、欠航が確定している便もあれば、悪天候のために到着地の変更を余儀なくされる場合もある、というアナウンスがいろんな便についてながれていた。
それにしても、岩手の空港が無理だったら仙台空港に着陸します、というのはわかるのだけど、札幌行きの便は、札幌がダメだったら羽田に変更します、ってあんた、東京でその先どうしろと?
などと他人の心配をしている場合ではなかった。
本来であれば8時過ぎに出発予定だった、我々が乗る予定の一つ前の便は、なんと4時間近く遅延ののちに、引き返すかもという条件付きのまま出発。
そして我々が乗る便も40分ほど遅延、くわえて、いざとなったらまったく別の空港におりるかもぉ、なんて言い始めているではないか。
百歩譲って引き返してくるのならもしもの場合の予定もたてやすいけど、そんなところに連れていかれて「じゃあ!」って放り出されても…。
というわけで、離陸することは確定したものの、はたして我々はどこに到着することになってしまうのか。
波乱含みのまま、いよいよテイクオフの時を迎えたのであった。
2017年02月23日
迷える子羊たち。
2017年 2月23日(木) 曇りのち晴れ
北の風 激荒れ
すっかり日が経ってしまったけれど、ともかく20日の災厄の続き。
「あなたの搭乗予定便はキャンセルになりました」
という場合、欧米諸国ではあとは自力でどうぞ、ということになるのだろうか。
ANAとしても、メールで欠航の知らせはしているわけだし、その中で予約変更や返金手続きはこちらのサイトで…的な通知も済ませてあるわけだから、本来ならあとはご自分でどうぞ、というのがオトナの社会のはず。
といっても、当日搭乗予定時刻ほぼ直前まで何も知らないまま空港に来てしまった迷える子羊たちは、どうなってしまうのだろう。
と思ったのも束の間、なんとANAはすでにほぼ同時刻に同じ目的地に向かうJAL便への予約変更手続きを済ませてくれていたのであった。
これはやはり、欠航の原因が気象その他の自然現象にあるのではなく、自社の責に負うところのものだからだろうか。
事前にメールだけを見ていたら慌てふためいて手続きに翻弄させられていたかもしれないところ、迷える子羊だったおかげで何をすることもなく、ただ引き換え劵をもらい、JALのカウンターに行くだけで済んだのだった。
飛ばないANAはただの穴だ、と言いたいところではあったけれど、ともかくもほぼ当初の予定どおり経由地までは行くことができそうだ。
そう、キャンセルになってしまった便は、経由地までの飛行機。
まさかそのあと、さらにハラハラさせられることになろうとは、神ならぬ身…どころかただの迷える子羊である我々には知る由もなかったのだった。
2017年02月21日
備え無ければ憂い有り。
2017年 2月21日(火) 晴れ
テレビニュースを観た限りでは全国的にとんでもないお天気だったようだけど、よりによってそんな日に那覇空港から発つ予定の我々。
いつもと違い、朝7時過ぎの便を予約していたため、前日のうちに島を出ておかなければならなかったのはともかく、秘密基地泊にしたから、7時過ぎの便に余裕を持って間に合わせるには朝4時半に出発しなければならなかった。
4時過ぎに出発だなんて、その昔伊豆の大瀬崎に行っていた頃以来である。
さすがに朝は道も空いているので、6時前に空港駐車場到着。
すると、いきなり駐車場入口で渋滞していたから焦った。
それで今回初めて知ったのだけど、空港駐車場って、朝6時からしか開かないのですね……。
単に開店前のパチンコ屋状態だっただけだったのだ。
オープン早々でがら空きだから、ターミナルとの連絡通路がある3階のポールポジションに駐車することができた。
うんうん、ここまではなんのトラブルもなく順調そのもの。
すぐさま身軽になりたいので、さっそく機内預け荷物のチェックを受けるべく、ANAのカウンターへ行く。
すると、ホテルのコンシェルジュのような男性全日空職員が話しかけてきた。
それも英語で。
行き先はどちらですか?というような意味の質問だった。
まぁ、ワタシの前に並んでいた2人連れの女性客がアジアン旅行者だったから、流れ的にそうなってしまったのだろう。
日本人です、と滑舌良く返答すると、ミスターコンシェルジュは恐縮しつつ、日本語で同じ質問を繰り返す。
面倒なので手にしていたチケットを手渡す。
随分前にANAのサイトで購入したチケットだし、なんの問題もあるはずがない。
ところが。
「お客様、大変申し訳ございませんが、本日のこの便は、機材調達ができなくなりまして、キャンセルになってしまいました…」
へ?
どーゆーこと??
聞けば、本来なら前夜のうちに那覇空港に到着しているはずの機体にトラブルがあったそうで、なんとか機材を間に合わせようという努力も虚しく、あえなく欠航になってしまったらしい。
トラブルの有無にかかわらず、ANAから前日に予約便のお知らせがメールで届くのだけど、連絡先を携帯電話にしていると、滅多にメールなど来ない携帯電話にいちいち着信するのがうざったいから、今回に限って連絡先をパソコン用アドレスにしてしまっていた。
自分自身が前日のうちに家から出て、ネット環境が皆無の場所にいるのだから、もちろんANAから届くメールなどチェックできるはずはない。
でもこれまでずっと、前日に何かあったことなど無かったんだし、今回だってきっと……。
トラブルとは、そういう時に限って起こってしまうものなのである。
備えあれば憂いなし、備えてなければ憂いあり。
肝に命じておきます……。
さて、その後の我々はいったいどうなったのか。
次回に続く。
テレビニュースを観た限りでは全国的にとんでもないお天気だったようだけど、よりによってそんな日に那覇空港から発つ予定の我々。
いつもと違い、朝7時過ぎの便を予約していたため、前日のうちに島を出ておかなければならなかったのはともかく、秘密基地泊にしたから、7時過ぎの便に余裕を持って間に合わせるには朝4時半に出発しなければならなかった。
4時過ぎに出発だなんて、その昔伊豆の大瀬崎に行っていた頃以来である。
さすがに朝は道も空いているので、6時前に空港駐車場到着。
すると、いきなり駐車場入口で渋滞していたから焦った。
それで今回初めて知ったのだけど、空港駐車場って、朝6時からしか開かないのですね……。
単に開店前のパチンコ屋状態だっただけだったのだ。
オープン早々でがら空きだから、ターミナルとの連絡通路がある3階のポールポジションに駐車することができた。
うんうん、ここまではなんのトラブルもなく順調そのもの。
すぐさま身軽になりたいので、さっそく機内預け荷物のチェックを受けるべく、ANAのカウンターへ行く。
すると、ホテルのコンシェルジュのような男性全日空職員が話しかけてきた。
それも英語で。
行き先はどちらですか?というような意味の質問だった。
まぁ、ワタシの前に並んでいた2人連れの女性客がアジアン旅行者だったから、流れ的にそうなってしまったのだろう。
日本人です、と滑舌良く返答すると、ミスターコンシェルジュは恐縮しつつ、日本語で同じ質問を繰り返す。
面倒なので手にしていたチケットを手渡す。
随分前にANAのサイトで購入したチケットだし、なんの問題もあるはずがない。
ところが。
「お客様、大変申し訳ございませんが、本日のこの便は、機材調達ができなくなりまして、キャンセルになってしまいました…」
へ?
どーゆーこと??
聞けば、本来なら前夜のうちに那覇空港に到着しているはずの機体にトラブルがあったそうで、なんとか機材を間に合わせようという努力も虚しく、あえなく欠航になってしまったらしい。
トラブルの有無にかかわらず、ANAから前日に予約便のお知らせがメールで届くのだけど、連絡先を携帯電話にしていると、滅多にメールなど来ない携帯電話にいちいち着信するのがうざったいから、今回に限って連絡先をパソコン用アドレスにしてしまっていた。
自分自身が前日のうちに家から出て、ネット環境が皆無の場所にいるのだから、もちろんANAから届くメールなどチェックできるはずはない。
でもこれまでずっと、前日に何かあったことなど無かったんだし、今回だってきっと……。
トラブルとは、そういう時に限って起こってしまうものなのである。
備えあれば憂いなし、備えてなければ憂いあり。
肝に命じておきます……。
さて、その後の我々はいったいどうなったのか。
次回に続く。
2017年02月19日
これが脚の生きる道。
2017年 2月18日(土) 晴れのち曇り
南西のち北の風 波あり
雑貨屋さんのトップページでお知らせしてあるとおり、19日午後から一週間ほど島を留守にする。
一週間も間を空ければ、お隣のウメおばさんの庭で今が盛りと咲き誇っている桜も、さすがに見頃が終わっていることだろう。
ということは、今年の桜もこれで見納め。
それはすなわち、桜の花を求めてやってくる、メジロと桜のコラボレーションも見納めということになる。
…という肝心な時に薄曇りになってしまう、恨めしいお天気なのだった。
さて、留守中もおそらく拙日記の更新は可能な環境ではありそうながら、写真も併せてアップすることができないから、これだけはなんとしても本日中にお知らせしておかねばならない。
先日紹介した、ホッカイドーデッカイドーの「マダコ」という名の巨大テンタクルである。
刺身用とはいいつつ冷凍品だから、食べるのはいつでも大丈夫……
……と安心していたら、送り主から電話があったのだ。
「あのタコどぉだった?」
ご本人は嗜好のモンダイでタコを召し上がらないので、購入はしても自分で試すことができない。だから気になって仕方がないらしい。
というのも、行きつけの飲み屋さんで巨大テンタクルが「マダコ」と表記されていた旨を話されたところ、板さんは躊躇なく
「それはミズダコっしょ!!」
と断言。Tバック氏もそう予想していただけに、はたして実際の味はどうだったのか、と我々に真偽のほどの確認を求めてこられたわけである。
ゲストを下にも置かない(けど上にも置かない)クロワッサンのこと、お安い御用なリクエストには、即刻対応するのは当たり前。
というわけで、ついに登場、テンタクル刺身!!(一応お約束の対人比入れてみました)
でかい、でかすぎるッ!!
とてもじゃないけど、この一皿を一人で全部平らげられるとは思えないボリューム。
しかし今この時肝心なのは、量じゃなくて味である。
見るからにミズダコそのものという感じのお刺身を、わさび醤油に浸けてパクッと食べてみる。
こ……これは…………
なんて水っぽいんだろう!!
いやほんと、タコであってタコにあらずというかなんというか、せっかく頂戴しておいてこういうのもなんですが、一言で結論を言ってしまうなら……
…でもそれを言っちゃあ、おしまいよ。
ともかくあまりの衝撃に、三切れでギブアップしてしまった。
朝も昼も抜いて、日中口にしているのは朝コップ一杯の牛乳と昼の伊予柑一個、そして3時のお茶タイムにチョコ2欠片だけで、1日のすべてをかけて臨むディナータイムに於いてワタシが食べきれないのだから、その威力は推して知るべし。
このテンタクルの種類は定かならないものの、ミズダコと聞いて思い浮かべる味そのままであって、けっしてマダコの味ではないことだけはたしかである。
海の幸のキングダム・北海道ではあるけれど、ことタコに限っては沖縄の圧勝!!
ところで。
食べきれなかった刺身も含め、なにしろあの巨大テンタクル、まだまだたっぷり残っている。
この水っぽい刺身用タコを、美味しく食べる方法はないだろうか。
そこで!!
酒の肴に懸ける情熱に関しては右に出るものが5人くらいのオタマサが一計を案じ、今宵試してみたのがこちら。
採れ採れのマサエ農園ブロッコリーとともに、島ニンニクたっぷりのアヒージョに。
これがあなた、なにげに………
美味いッ!!
水っぽさの原因であろう水分がオリーブオイルに置換され、そのうえ火が通ってオリーブオイルとニンニクの香りに包まれたほんのり塩味のミズダコ(もはや勝手に認定)は、火を通したことによってやや硬くなりはするものの、お刺身でいただく場合とは違いことのほか味わい深い。
味がある島ダコを使ったアヒージョよりも、むしろ一層アヒージョらしさを感じたのは、もともと味が無いところへ出汁が染み込みまくるからこそなのだろうか。
これはこれで、「また食べたくなる味」認定。
刺身用巨大テンタクルの生きる道を見つけたのであった。
さてさて、そんなこんなで明日から、ちょっとばかしバカンスしてきま~す♪
2017年02月18日
「コイキナポーチ」デビュー。
2017年 2月17日(金) 晴れのち雨
南西の風 おだやか
我々が水納島に引っ越してきてから、おかげさまでこの日で満22年。
よもやここまで生き延びているとは、越してきたばかりの本人ですら想像もできなかった。
それを記念し……ってわけじゃないけど、久しぶりに海抱きカメ玉の新作。
こういうとんぼ玉の場合、くらげ玉とカメを別々に作っているものとよく誤解されるのだけど、ガラスの性質上、一度冷えてできあがっているガラス玉を、再び溶かして何かとくっつける、なんてことができない。
だからこのような玉は、くらげ玉からカメまで一気に作り上げなければならないのだ。
どうにかカメのフォルムまでうまくいき、最後の最後、目玉を入れるところで大失敗すると、それまでのすべてが水泡に帰すこともある、ある意味作者泣かせのオソロシイ玉なのである。
そのため通常のくらげ玉と比べると相当手間暇がかかることもあって、Masae工房作品の中ではかなり高価な部類になる。
少なくとも我々のような生活レベルだと、お土産にひとつ……なんておよそ考えられないことながら、驚くべきことに世の中には、そういうものでも気軽にご購入してくださるハイソな方々がいらっしゃるのだ。
というわけで、ハイソな方々はこちらからどうぞ♪
一方、かけピーこと「海のかけらピアス」でおなじみの仕立て屋彩縫堂さんの素敵な作品が、このたび満を持して新登場!!
その名も「コイキナポーチ」!。
水納島の形と海をイメージさせる柄が染められた生地はもちろんオリジナルで、飾りの部分はお花とポッチリの2種類用意されている。
ばねポーチなので、開閉は片手でラクラク♪
この、ちょいと小粋な「コイキナポーチ」が、このたび5色揃って新登場!!
1つ1500円のご奉仕価格(?)で、絶賛(予定で)発売中!!
(現在のところ、店舗での販売のみです)
彩縫堂さんのモチベーションが、酒か何かで火がついてグーンと上がらないかぎり、けっして追加制作されることがない(かもしれない)コイキナポーチ、売り切れ必至につきお早めに!!
2017年02月17日
石の上にも三年シール。
2017年 2月16日(木) 晴れ
東の風 おだやか
ミスクロワッサンのような小型船舶は、6年に1度「船検」を受けなければならない。
また、その間の3年目に中間検査があり、小型船舶検査機構に支払う「みかじめ料」に多少の差こそあれ、ようするに3年ごとに検査があることになる。
検査といっても、車検ほどには高額ではないし、時間がかかるわけではなく、小型船舶検査機構の職員立会いのもと、法廷備品の有無その他、チェックリスト上の項目をザッと確認して終了、というもの。
ただしその度合いが立ち会う検査官によってまったく異なる、というのが少々厄介なところでもある。
小役人歴が長く続いた定年前のヒトの場合、チマチマコマゴマと重箱の隅をつつくことにヨロコビを感じているかのごとく「職務に忠実」な方もいるかと思えば、世はすべて事もなし的おおらかさで終始する方もいる。
なので船検の際には、船の状態がどうかとか備品に不備はないかとかいう以前に、どんな検査官が来るか、ということが最大の関心事になる。
幸い、6、7年くらい前に、小型船舶検査機構に多く在籍していた高年齢定年10秒前くらいの方々が一斉に退職し、職員の多くが若手になった。
職歴1年目くらいに若すぎるとやる気に満ちているから、それはそれでやや面倒なこともあるにはあるのだけれど、そこには重箱の隅をつついて悦に入るような小役人的いやらしさはない。
昔に比べると、船検も(精神的に)随分楽になったものだ。
で、この日はミスクロワッサンの船検の日だった。
はたして、訪れる検査官はどのようなタイプの方だろう??
前日に知らされていた予定時刻よりも随分早めに訪れた彼は………
人の好さげなアッサリタイプのにぃにぃだった♪
あー良かった。
ところで、今回少し感心したことが一つ。
いつ頃からだったか、漁船登録されているもの以外の小型船舶は登録番号を明記しておかなければならなくなり、それ以後製造されている船は刻印がなされているそうなんだけど、うちの船のようにそれ以前からある船には、お役所製の登録番号シールを貼っておかなければならなくなった。
うちの船にもそのシールを貼ってあったのだけど、所詮シールなので年月の経過とともに風化し、見えなくなる3秒前状態になっていたのが3年前の中間検査でのこと。
その際、そのシールを再発行してもらう手続きをしたのだけれど(これがまた10センチ弱の小さなシールにもかかわらず、わざわざ小型船舶検査機構宛てに「申立書」のような書類に必要事項を書き込む、という手の込んだ手続き)、その後受け取ることなく今日に至ってしまった。
だって、いちいち先方の都合に合わせて本島で会うのも面倒でしょう。
そこで今回、3年前にそういう手続きをしてある旨を、当日やってくる検査官に伝えておいた(前日の連絡は本人から来る)。
もっとも、本来であれば3年前に終わっているべき話で、しかも当時の検査官は他所の土地に移っている(全国区のお仕事なので)。
小さな船の小さなシールなど、いちいち引き継いでいるとも思えず、探したけれど無かった、という結果を想像していた。
ところが。
満面に喜色を浮かべつつ、にぃにぃ検査官は「ありました!」とシールを出してくれた。
探してみたところ当初は見つからず、当時の検査官は那覇の事務所にはいなくなっているから途方に暮れかけたその時、当時からすでに在職中だった事務職員が、
「そういえばそういう話があったような……」
と思い出してくれて、3年間デスクの中で熟成されていたであろうシールを無事発見できたという。
おお、小型船舶検査機構もなかなかやる。
少なくとも、しっかり残されている日報を廃棄したと言い切っていたどこぞのお役所とは、一味も二味も違うのであった。
2017年02月16日
ダースモールの嫁ぎ先。
2017年 2月15日(水) 晴れ
東の風 おだやか
コンプレッサーのオーバーホールが終了し、業者さんが渡久地港の海運事務所まで前日のうちに運び込んでくれていたから、それを受け取るべく本島へ。
コンプレッサーの受け取りとはいっても、事務所に置いてくれてあるものを連絡船に載せるだけだから、船員さんの手を借りつつも5分で終了。
余裕で11時の便で島に帰れるから、カメさんたちの餌である桑の葉を採るべく、田舎道を行く。
実に2週間ぶりの本島である。
小刻みにオタマサの通院があったため、先月まではしょっちゅう外出していたから、こんなにブランクを空けたのは久しぶりだ。
久しぶりに見る本島は、桜の季節を迎えていた。
八重岳の桜祭りはとっくの昔に終わっているけれど、低地の桜は今が見ごろになっているものが多いようだ。
もっとも、低地には桜が一同に集まっている場所がまずない本部町だから、一望真っピンクというわけではなく、緑濃い中にところどころピンクに染まる桜の木…といったところではある。
そんな桜を楽しみつつ桑の葉を採る一方で、この時期になるとやってくる本島用車両の車検の段取りをつけるべく、古堅自動車を訪れた。
我々が昔からお世話になっているフルゲンさんのご子息もまたスタッフとして勤務しており、何を隠そう彼は「カメ友」だったりする。
我が家で孵化したホシガメチビホッシーの里親の1人でもある。
そんな彼と工場で会うと、車の話よりなによりまず話題に登るのがカメ。
で。
我が家のアカアシガメ×2匹の養子縁組が決定!!
ガメ公とともに座間味からやって来たこのカメたち、ダースモールのような顔をしてはいるものの、ホシガメに比べるとかなり地味。
そのくせホシガメよりも活発で、その分餌も食いまくる。
場所の都合でどうしてもホシガメたちと共に暮らさざると得ないこともあって、それまでのホシガメたちの平穏な生活を乱している感満載でもあったから、引き取ってくれる方がいらっしゃるなら……と、ずっと里親を募集してはいたのだ。
そこへ、リクガメ飼育家生活が順調に推移して現在に至っているフルゲンジュニアが、二つ返事で引き取ってくれることに。
活発で人見知りもなくいつも柵内をウロウロしては、ヒトが来ると近寄って来るものだから、一般のお客さんにはウケが良かったアカアシガメに、ついに旅立ちの時来たる。
というわけで、密かにこのカメのファンだった方々(3人くらい?)、次回からは居なくなってますので、あしからずご了承くださいませ。
……出戻って来たりして。
2017年02月15日
小さな幸運。
2017年 2月14日(火) 晴れ時々曇り
東の風 少し波あり
風がおさまり青空が広がると、太陽がいかんなくその力を発揮してくれるおかげで、暖かく過ごしやすい1日になった。
コウブシ除去作業をしていても、冷え込んでいる日と違い、手先や足先がしびれるほど冷えることもない。
実に快適そのもの。
3時のお茶タイムも、暖かいから外のテーブルでいただける。
オタマサセレクトのチョコを食べつつ、コーヒーを飲んでいると、例によってオタマサが素っ頓狂な声をあげた。
「コゲラだ!!」
コゲラというのはキツツキの仲間の野鳥で、スズメくらいのサイズ。
本島では間近で目にしたことがあるけれど、水納島ではこれまで観たことがない鳥さんである(オタマサは過去に1度あり)。
そんなコゲラが、すぐそばのタカシさんの家のカニステルの木の天辺で、コンコンコンコンコン……とリズミカルにキツツキ作業をしている。
チャンス!!
すぐさまジョニーを取ってきて、パシャ。
これまで撮ったことがなかった野鳥の写真が、また一つ増えた。
ちなみにコゲラは留鳥だから、本島では季節を問わず観ることができるようなのだけど、水納島に定住しているとは思えない。
なのでこのコゲラも、なにがどうして島に渡って来たのかは不明ながら、束の間の滞在で終わるような気がする。
そんな鳥さんが、お茶を飲んでいるところから見えるお向かいの木に止まってコンコンコンコンしていたってのは、やはり千載一遇のチャンスだったのだ。
2017年02月14日
テンタクル襲来。
2017年 2月13日(月) 晴れ時々曇り
北の風 波あり
連絡船の朝イチ便が出るか出ないかというわりと早い時間に、電話がかかってきた。
もう少しあとだったら、郵便物の大きな荷物があるから桟橋まで取りに来てといった郵便レディからの電話であることが多いのだけど、オフシーズン中のこの時間の電話は珍しい。
はて、誰からだろう?
出てみると……………
ウロコムシTバック氏だった。
シーズン中はなにかと拙日記中で露出度が高い(肌の、という意味じゃなく)彼も、オフシーズンとなるとその頻度は、水納島のシロハラクイナなみにレアになる。
それにしても、恒例のタケノコにはまだ早いし、「今イースター島にいるんだけどね…」という本人以外にとっては意味不明の電話でもなさそうだし、いったいなんだろう。
「今日って連絡船動いてる?」
え?まさかいきなり来襲???
一瞬戦慄しつつ、通常運航である旨告げると、
「ヤマト便で荷物が届くと思うのでよろしく」
ん?
それって、シアワセの荷物なんでしょうか。
「このところの旬の話題のモノです」
旬の話題。もちろん拙日記上でのことである。
話題にしているといえば、高性能コンデジ。
でもまさかカメラが届くはずはなし、被写体にしている鳥さんたちのはずもなし。
ちょっと遡って茶色いお酒系?それともオタマサが愛してやまない日本酒系?
それもいまひとつピンと来ない。
あ、ひょっとしてキャベコロ???
んなわけはない。
うーん気になる、話題のモノってなんだろう。
そんなナゾの荷物が最終便で届いた。
はたして中身は………
これだった!!
巨大タコの脚!!
なんじゃこりゃ、なんだこの巨大さは!!
どう見てもミズダコサイズなんだけど、Tバック氏によると売り場では「マダコ」と記されて売られていたそうな。
こんなに大きな脚が他に7本もある巨大タコを水中で目にし、捕獲すべくなんの躊躇もなく突撃できるのは、おそらくこの世でリョウセイさんくらいのものだろう……。
その他、一夜干しの秋刀魚や丸干しの鰯が、店を開けるんじゃなかろうか…というほど大量に。
どれもこれも海の幸天国北海道の品である。
とてもじゃないけど名護以北、いや県内では手に入らないに違いない。
たしかに、マダコも、本部町では手に入らない各種お魚さんも、ともに話題にしてはいたけれど、さすがに想像もつかない品々だった。
ウロコムシ氏ご本人はけっしてタコを召し上がることはないにもかかわらず、衝動買いに等しい早ワザ、ありがとうございます!
刺身用と書かれてある巨大タコ、太い側だと3切れほど食べたらお腹一杯になってしまいそう。
見た目でとてつもないインパクトを放つ巨大タコ、はたしてそのお味のほどやいかに??
2017年02月13日
冬の稲妻。
2017年 2月12日(日) 曇りのち晴れ
北の風 けっこう波あり
まだまだ侮れない風が吹いてはいたものの、なにしろ3日間欠航していたということもあって、連絡船は今朝から「何が何でも通常運航モード!!」という気合いが入っているかのようだった。
日曜日でもあるし、通常運航ということなら日帰り観光客の1人や2人、来店してくれるかも……
…という期待は泡と消え、結局ヒトッコヒトリーヌ。
そもそも連絡船に一般客は乗っていたのだろうか……。
ま、この寒さのなか、わざわざ小さな離島へ行こうというのは相当物好きな方くらいのものだろう。
そんな寒い季節でさえ、冬枯れのない亜熱帯沖縄では花が咲き誇っている。
当店入り口付近のプランターもこのとおり。
このての花は夏の暑い盛りには弱いから、見頃はいつもこの寒い時期から春にかけてなんだけど、あいにく訪れるお客さんがいないため、「見頃」を見る人は少ない……。
一方本島では、「冬こそ花の季節」ということをアピールするため、この時期は各地で花のイベントが多い。
日本一早い八重岳の桜祭りもそのひとつで、すでに祭りの開催期間は終了している。
だからといって本部町の桜がすべて咲き終わっているかというと、そういうわけでもない。
同じ町内でも環境が異なれば、木によって見頃はまちまちで、お隣のウメおばさんの庭の桜は、このところようやく花を咲かせ始めている。
お隣なので、我が家の庭から眺めて楽しむことができる。いわば「借景」だ。
桜を楽しんでいるのは我々だけではない。
桜といえば、こちらの方。
ご存知メジロ。
花の蜜が好物のメジロたちだから、庭のハイビスカスの花を求めてやってくる様子は季節を問わずフツーに観ることはできるのだけれど、やはり桜にとまっている姿は絵になる。
なのでしばらく撮っていると………
……目が合った(モニター越しに)。
でも5メートルは離れているから、目が合ったからといって彼は慌てて逃げ去ることはない。
スズメよりも小さな小鳥とこうしてお近づきになれるのも、これまたジョニー・ライデンのおかげである。
ズームのハンパなさだけではなく、ほんの1、2年前のコンデジと比べても、オートフォーカスが合焦する速さはもはやニュータイプの域だから、むしろチャンスを逃す方がムツカシイくらい。
撮影中にはおそらく、カメラからニュータイプのスパークがキラリラリンッ!!と迸ってくることだろう(↓このことです)。
ひょっとするとこのメジロちゃんは、この冬の稲妻に気がついたのかもしれない……?
2017年02月12日
くんたまのきみ。
2017年 2月11日(土) 曇り時々小雨
北の風 激荒れ
時化始める前から誰もが覚悟していたとおり、3日連続の欠航となったこの日は、この3日間で最も冷え込んだ。
名護でさえ最低気温10度ということだったから、翌日4日分まとめて届く新聞(うち3日分はすでに古新聞だけど)には、
「国頭村奥で7度!」
といった見出しが見られることだろう。
周囲に風を遮るものが何もない水納島も気温はおそらく国頭村奥と同じくらいだろうから、ホントに相当寒かった。
こんな日に畑仕事をしていると、作業中に機能停止してしまうかも…
と恐れつつ畑2号でコウブシ除去作業をしていると、これが思いのほか寒くない。
厚着をしているのはもちろんながら、地面を掘り下げているから体が低い位置にあるのに加え、勝手に伸びまくって咲き誇っている菜の花(島菜)たちが、ちょうどいい具合に風よけになってくれるのだ。
まさかこんなところで役に立ってくれるとは。
さて、そんな寒い日に、海辺の鳥さんたちはどうしているのだろうか。
風が強めに当たっていた昨日までは裏浜から姿を消していたけれど、風向きが若干変わってさほど風が吹いていなかったこの日の裏浜には、シロチドリがチラホラ姿を見せていた。
一方、灯台へ行く途中にある御願所から海を覗こうと坂道を上がっていると、眼前をスタコラサッサとよぎる小さな影が。
立ち止まってみると、向こうも立ち止まってくれた。
パシャ。
イソシギだ。
シロチドリと同じく海岸で観られることが多いけれど、シロチドリが海岸オンリーなのに対し、イソシギは内陸部の陸水周辺でも生活する鳥らしい。
なのでこの日のように海辺が激寒状態になると、こうして風が当たらない島の中側で過ごしているのだろう。
また、1年中いるシロチドリとは違い、イソシギは暑い盛りにはいなくなるし、秋冬に姿を見かけたとしても、シロチドリに比べると警戒心は相当強く、近づくとアッサリ飛んで逃げるから(翼を広げると白い模様がカッコイイ)、間近で眺める機会はあまりないかもしれない。
この日のようにカメラを向けてもジッとしてくれていたのは、ひとえに寒波のおかげだろう。
イソシギさえジッとさせる冷え込み。
それくらい冷えるとやりやすくなるのが、これ。
オタマサ特製燻製の準備。
気温が高いとこうして置いておくだけで腐る方向にすぐ進むけれど、たくさん作ったおでんを鍋ごと外に出して保存していられるくらいに冷え込んでいれば、材料をこうして乾燥させるにはバッチリ。
そしてその後香り高いチップで燻された各種材料はその晩……
各種燻製盛りの前菜となって登場(各種野菜はもちろんすべてマサエ農園産)。
ここで最も重要なのは、薫タマの黄身。
世の中には生卵がダメとかトロトロの卵焼きや目玉焼きは無理とかいう方々もいらっしゃるようだけど、スクランブルエッグやオムレツ、卵焼きならトロトロフワフワが、目玉焼きなら半熟がベストのワタシにとっては、薫タマの黄身は、傾ければトロ~リと黄身がこぼれるくらいがちょうど良い。
それはオタマサもわかってくれてはいるものの、なにしろ基本的に料理はその時の気分次第で味付けが変わるという特技を持っているくらいだから、卵のトロトロ加減となると、当たるも八卦当たらぬも八卦的テキトーさ。
なので今オフ第1回目の燻製のときには、しっかりと黄身が固まった薫タマになっていたのだった。
でも……
そもそも茹で卵にする段階で決まるものなんだから、これという時間がわかればなんてことはない話なんじゃ??
というワタシの切なる希望を受け入れてくれたオタマサは、なんとなんと、珍しくも茹で時間をキチンと計るという快挙に。
その甲斐あって、前回に比べれば月とスッポンの薫タマに仕上がったのだった。
希望を言えば、あともう少しトロトロのほうが……
そこで、次回は茹で時間をさらに15秒短くしてみると決めたオタマサ。
が。
はたして今オフの間に、その「次回」がやって来るのか。
3日連続の欠航をもたらすことになる冷え込みは困ったものながら、燻製のためにはけっしてやぶさかではない。
もっとも。
いざ再び燻製日和になったときに、「あと15秒短くする」という話をオタマサが覚えているかどうか、はなはだ心もとない。
「あれ?そうだったっけ??」
という姿が、容易に目に浮かぶ。
近頃はお互い物忘れが顕著だから、まるで「博士の愛した数式」の博士のように、メモを残すようにしているから、冷蔵庫の卵収納スペースに、茹で時間もしっかり明記しておこう。
ただしそのメモを見て、
「これなんだっけ?」
そう言う姿もまた、容易に目に浮かぶのであった……。
2017年02月11日
タコ、海を渡る。
2017年 2月10日(金) 曇り時々日差し
北西の風 激荒れ
前日にも増して凄まじい波濤、そして吹きつける風。
海の様子を見ようと、桟橋へと続く坂道を登っていると、海岸から吹き飛んでくる砂塵が坂の天辺あたりで渦を巻いている。
砂粒が痛すぎてそれ以上進むことあたわず。
昨日に引き続き激荒れの1日ではあったけれど、夜明け以降は雨がほとんど降らず、ときおり晴れ間も見えるくらいだったから、寒くはあっても、散歩したり畑仕事をしたりジョギングしたりすることはできた。
そしてこんだけ冷え込んだ日には………
おでん♪
マサエ農園でスクスク育っている大根も出番を待っていたから、この冷え込みはタイミングバッチリ。
で、まだ北風が吹き始める前の8日に本島で買い物をしてきたオタマサは、当然のようにおでんの具を買い求める。
ところが!
なんということだ、おでんの重要なメンツの1人、牛蒡天が無い!!
この季節のスーパーで、牛蒡天が無いなんてことがありえるものなのだろうか。
昔はまず置いていなかったチクワブはあるのに……。
このあたり、牛蒡天が棚から無くなってもさほどの危機と感じない地域性のモンダイなのかなぁ。
地域ごとのスーパーの格差も、もう少しなんとかならんものかいな。
というか、牛蒡天切らさないでくれよ、サンエー……。
そうだ、スーパー格差といえば。
鳥羽の港を9時30分に出て、9時間弱でついに埼玉の実家にたどり着いた我々は、翌日お墓詣りを済ませた後にスーパーに立ち寄った。
TSUTAYAと併設されているヤオコーである。
おりにふれお伝えしているように、その土地その土地でスーパーに入っていろいろ物色することを趣味としている我々なので、もちろんヤオコーでも物珍しげにウロチョロしてみた。
そして衝撃を受けてしまったのは、鮮魚コーナーである。
海などどこにもない埼玉県のスーパーでありながら、鮮魚コーナーの充実ぶりときたら、まるで築地の場外市場の店のごとき様相。
一昔前なら流通事情の関係でありえなかったであろう地方からのモノも含め、全国各地から選りすぐりの品々が、値が張るわけでもなくとれとれピチピチ状態でズラリ勢揃いしている。
これだったらそのあたりのヘタな居酒屋で刺し盛りを注文するよりも、いろいろ買って美味しい酒とともに家で楽しむ方がよほど充実しそうだ。
あまりのショックに声も出ないオタマサ。
帰沖後もそのショックは続き、いつもだったら買い出しで本島に出るたびに、(たとえワタシがその日は休肝日にすると宣言していても)刺身をいくつか買ってくる彼女が、このところたて続けに刺身を買い控えている始末。
ショボイ品揃えの中からショボイ刺身を購入する気になれなくなってしまったらしい。
なんで思いっきり海辺にあるスーパーよりも、海無し県のスーパーのほうが充実しているのだろう………。
そんな我々のもとへ。
時化で欠航になった9日の夕刻、一本の電話が。
出てみると、機関長からだった。
「刺身取りに来て!」
すると……
豪華刺身盛り合わせが!!
チヌマン、イラブチャー、そしておそらくクチナジ、さらには白無垢のとても美味しかった刺身はセンスルーか。
前夜、時化る前に海に繰り出した機関長の成果だ。
那覇の飲み屋でこのグレードのものをこんなに頼んだら、会計は天文学的数字になってしまうところである。
衝撃のヤオコーに勝るとも劣らない品揃えを前にして、食べる前から舌鼓を連打するオタマサなのであった。
そんなサプライズがあった昨夜に続き、今宵のお刺身はこちら。
タコ刺盛。
実はこれ、島ダコ(ワモンダコ)じゃなくてマダコ(右端はイイダコ)。
埼玉の実家で我々を迎えてくれるオタマサの実弟T男氏は(T男と書くとTバック男の略みたいだけど、イニシャルですから誤解なきよう)、現在右に出るものが3人くらいかもしれないほどのタコ釣り名人である、ということはおそらくかつてどこかで触れた。
で、現在も趣味のタコ釣りは継続中で、相変わらず冷凍庫には釣果のタコが唸っているのである(ちなみにタコ専用冷凍庫)。
昨シーズン、思いもよらぬタコ不足に悩まされたため、タコがとっても貴重になっている我が家にとって、それは喉から手が出るほどの在庫であった。
というわけで………。
お言葉に甘え、埼玉から沖縄まで冷凍マダコを持って帰って来ちゃった(汗)。
いやあ、海を渡ってきたタコの美味いことといったら!!
目を瞑って食べてみて、マダコか島ダコかわかるかと言われればまったく自信はない。
…というか、目を開けて食べてもわからないかも。
でもなんだか、鳥羽でいただいたマダコといい、この逆輸入(?)マダコといい、島ダコとは微妙に異なる違いが新鮮で、自宅でいただくタコ刺しは久しぶりということもあって、おでんの前菜にするのがもったいないほどの、美味さ際立つ一品になったのだった。
2017年02月10日
旅は道連れ世はお酒。
2017年 2月9日(木) 雨のち曇り
北西の風 激荒れ
天気予報どおり朝から吹き始めた台風なみの強い風が、冷たい空気をたっぷり運んで来たため、機能停止級の寒さになってしまった。
今日、明日は間違いなく、そして下手をすると明後日まで、連絡船は欠航する見込みである。
昨日日帰りで島を訪れていたチャリンコ旅行中の青年たち、島に来るにあたって島内に飲食店が皆無であることをまったく知らず、途方に暮れていたくらいの彼らだから、四六時中スマホをいじくってはいても、きっと天気予報は観ていないに違いない。
今頃凍死しているかもしれない……。
ところで、今年2017年は、前オーナーが開業してから創業30周年のクロワッサンである。
で、すっかり失念していたのだけど、海と島の雑貨屋さんを現在の店舗で開業したのが2007年のこと。
すなわち雑貨屋さんは、今年で創業10周年なのだ。
うーむ……なにかせねばならないか??
そういえば2007年といえば、以前も紹介したとおり、新一本サンゴはこんな大きさだった。
それから10年経ち、現在の新一本サンゴは……
グングン育って、隣の岩まであと少しで届くほどにまで大きくなっている(写真は昨年10月時点)。
このところひと月ちょいほど観ていないから、ひょっとしたらこの間にオニヒトデにやられていたりして……という不安が無くはないけれど、この10年の間にはせっかく大きくなったところで不用意なアンカーか何かで4分の1ほど割られるなんてこともありつつ、スクスク成長し続けている(2007年から2013年までの1年ごとの様子は、こちらをご参照ください)。
それにひきかえ。
この10年での我が雑貨屋さんの変わらなさぶりときたら……。
ご協力いただいている作家さんたちのおかげで取り扱っている商品のバリエーションが、そしてMasae工房の品数も増えはしたけれど、肝心の売り上げは順調に右肩下がりというていたらく。
ここはひとつ、お客さんの度肝を抜くとんぼ玉の新作でも…
……といきたいところながら、一朝一夕で為し得るものではないので、とりあえず品切れ中だったものを久しぶりに追加。
地味に人気のヤドカリ玉♪
16個もあれば、おそらく2年分くらいにはなるか………
……ではダメなのだ、これをひと月で売り切るくらいの決意でなければ。
そうなったらそうなったで、オタマサは本気の悲鳴をあげることになるんだろうけど、悲鳴をあげさせたい方はこちらから是非(笑)。
さてさて、話はまた先月27日午前10時前後までさかのぼる。
キンタコブラザースの盛大な(?)見送りを受けて出航した伊勢湾フェリー・知多丸は、悠々伊良湖水道を行く。
鳥羽市はなにげに有人離島が多いところで、アルティア鳥羽の部屋から見えていた本部半島の採石場のような菅島にも、200世帯700人ほどの人々が暮らしているという。
一面採石場の島に人々の暮らしが??
…と思ったら、実は菅島は東西に細長く、部屋から見えていた採石場の背後の奥行きがけっこう広い大きな島だったのだ。
そのほか、答志島、坂手島など気になる島があるほか、最も有名な島といえばこちら。
三島由紀夫の「潮騒」の舞台になった神島。
……とエラそうなことをいいつつ、古今東西の古典的名作にはとんと疎いワタシにとってこの神島は、椎名誠著「わしらは怪しい探検隊」の遠征先としてその名を知る島なのだった。
それにしても。
これまで鳥羽には何度も訪れているワタシは、鳥羽水族館とその近辺の飲み屋を巡っただけで、なんだか妙に「鳥羽を知っている感」に満たされているような錯覚を覚えていた。
そこにこんな魅力的な島々があったとは。
その昔はそれぞれが独立した村だったという、知られざる鳥羽の島々。すべてを一度にとは言わないまでも、ゆっくり訪ねてみたいものだ。
このままトランプタイプの好きなままにさせていると、やがてすべての島に橋が架かっても不思議ではない。
離島苦に苛まれているであろう島民からすれば架橋は「待望」なのだろうけれど、旅行者としては橋が架かる前に(タコ主任が鳥羽にいる間に)実現したい。
さて、そんな島々を眺めながらの船旅、お供はこちら。
純米酒「鉾杉」第六十二回神宮式年遷宮記念ワンカップ。
伊勢神宮よりも大浴場を選んだくせに、記念酒は飲むんかい!!
と天照大神の怒りを買いそう……。
肴は、以前伊勢神宮のおかげ横丁で食べたことがあるタコ棒!!
外側から観るとただのカマボコ、もしくは大きなゴボ天程度にしか見えないけど、これ、その名のとおりタコがふんだんに入っている練り製品。
といっても、小さく刻まれたタコが混入されているだけなんでしょ?などとあなどってはいけない。
一口齧ってみれば一目瞭然、タコブツもしくはタコ刺級サイズのタコだらけなのだ。
とにかくこれ、美味いっす。
しかもボリュームたっぷり。
酒も肴も、55分間の船旅の良きお供になってくれた。
いいコンコロもちで船に揺られている間にのんびりと時は流れ、やがて正面に大きな陸地が見えてきた。
伊良湖岬である。
ついに渥美半島人生初上陸!!
港には、最近できたらしい「クリスタルポルト」なる名前の道の駅がある(なぜ港の駅じゃないんだろう?<予算の出どころのせいでしょう)。
初上陸の地、伊良湖や渥美半島の物産が、所狭しと並んでいるに違いない。
さあて人生初の渥美半島、道の駅にはいったい何が待っているのか?
は??
沖縄物産????
なぜ!?
そこには様々なオトナの事情なりなんなりがあるのかもしれないけれど、それにしたって渥美半島の先っちょ伊良湖で沖縄物産ってあんた……。
このセンスこそが、道の駅をしてワタシに「ハコモノ行政の権化」と言わしめる際たる理由である。
しかしこのあと1時間後に豊橋行きのバスが出る関係で、食事をするならここクリスタルポルト内以外の選択肢が無い。
調べてみると、もう少し足を延ばせば周辺にはわりと魅惑的な飲食店もありそうな気配だけに、ここで食事というのはわざわざ横浜中華街まで行ってファミレスで飯を食べるようなもの。
……かと思いきや、さすが渥美半島の道の駅、限られたメニューとはいえ、旅情をくすぐるモノを用意してくれている飲食店があった。
その名は麺屋岬亭。
麺屋というだけあって、ラーメンがウリのようなんだけど、ここまできてラーメンを食べたくなるほどの小池さんではないので、我々がオーダーしたのは………
どう見ても伊勢うどんがついてくるシラス丼のセットなのに、名前は「伊勢うどんセット」@900円。
そのうどんをワタシが、シラス丼はオタマサが、という、一杯のかけそば作戦にしてみた。
うどんはコシでしょう、いや、出汁でしょう、いやいや具の量でしょうなどなど、人それぞれうどんに求めるものは様々だろうけど、この伊勢うどん、伊勢方面の名物ではありながら、そのどれも満たさないという、ある意味珍しいご当地うどんだ。
ま、「太さでしょう!」というヒトにはピッタリかも。
いずれにしても、この地方で食べずにどこで食べる?というモノだから、キチンといただいておく。
一方シラス丼は、意外にしっかり作られた釜揚げシラスで、こういうものの味にはうるさいオタマサも納得の一品だった模様。
そしてここではもう一品、見逃してはならないものがある。
焼き大アサリ、アゲイン。
2個で450円也。
前夜の天びん屋では意外なほどの上品な仕上がりに驚いたのに対し、こちらは昔懐かしい露店の味、すなわちやる気系。
これがまたビールに合うんだわ!
朝っぱらからビールですか?
……って、船の中ですでに酒飲んでますから。
今回経由地としてほんの少し立ち寄ることになったので事前にちょっと調べてみたところ、ここ渥美半島は貝をウリにしている土地でもあることを知った。
貝好きのオタマサには垂涎のメニューが、魅惑的な飲食店のどこでもテンコ盛りなのだ。
そんな渥美半島の貝尽くしぶりを、如実に表すポスターが貼られてあった。
色とりどり、様々な種類の貝で埋め尽くされた渥美半島の絵柄。
日本一の渥美の貝、味わい尽くしてみたかったなぁ……。
味わってみたかったといえば、このクリスタルポルトで唯一未練が残ったものが。
食後もバスの時刻まで多少はあったから、沖縄物産以外の土産物などを物色しつつ、メロンも特産品の渥美半島ということで売られているカップ入りのメロンジェラートなど食べているうちに、そろそろバスの時刻が迫ってきた。
そんなとき、ふと目に留まったのがこちら。
キャベコロ。しかもカレー味!!
バスの発車まであと5分、作りおきがあればテイクアウトできるかも……と慌てて売店に行くと、
「7~8分かかります」
ここでキャベコロを優先してしまうと、次のバスまでまた1時間待たねばならなくなる。
ああ……キャベコロ。
もっとキチンとリサーチしておけば、けっして見逃すことはなかったろうに。
今回唯一の未練、どなたか我々の屍を乗り越えて(?)、新食感とやらの体験談をお聞かせくださいませ。
さて、いよいよバスの時刻に。
渥美半島の先まで鉄道が来ていないから、ここから利用できる公共交通機関といえばバスしかない。
で、鳥羽~豊橋間はフェリーとバス(時間帯によっては途中から電車)になり、それぞれのチケットを別々に購入すると高くなるところ、こういうモノを鳥羽のフェリー券売所で買うことができるのだ。
豊橋鳥羽割引キップ@1人2060円。
豊橋市内が混みあう時間帯にさしかかる便の場合は、バスを三河田原駅で降り、そこから豊橋鉄道で豊橋駅まで行くことになるようながら、我々は午前中ということもあってか、豊橋駅まで2時間ほどの道のりをバス1本で行く。
伊良湖から乗り込んだ乗客は………
我々のみ!!
いやはや、貸切とは。
フェリーに乗っていた他のお客さんたちは、あそこからどうやって移動しているんだろう??
伊良湖から三河田原駅までの1時間ほどは、路線バスだからいちいち各バス停に停まりはするものの、乗ってくる客など1人もいないまま。
この路線、大丈夫なのか、豊鉄バス……。
貸切なので快適、潔いほどに一直線の道の両サイドには今が盛りの菜の花が満開という素敵なバス旅。
トイレに行きたくなったらどうしよう……という一抹の不安を抱えながらも、クリスタルポルトで膀胱タンクの底の底まで絞り出しておいたのが功を奏し、決壊危機を迎えることがないまま、バスはほぼ定刻に豊橋駅に到着した。
我々が降りる際、運ちゃんが「お疲れさまでした」と一言。
たしかに、長い長いバスの旅であった。
さて、人生初の豊橋駅からの新幹線。
みどりの窓口のおねーさんにうかがったところ、昼間の豊橋駅には2時間に1本ひかり号が停まるものの、このあと随分長く待つことになる次のひかり号と、間もなく到着するこだま号とでは、東京に到着する時刻に7分ほどの差しかない。
だったら、のんびり各駅停車のこだま号に乗っていこう。
そこで、窓口のおねーさんに「こだまちゃんにします」と伝えたら、
「こだまちゃんですね!」
豊橋駅みどりの窓口のおねーさん、なかなかノリがいい。
やがて我々が乗るこだま号が到着。
東海道新幹線、しばらくぶりに利用してみたら、いつの間にかこだま号ですら宇宙仕様のフォルムになっていたので驚いた。
もちろん車中では……
キリン一番搾り「名古屋づくり」。
お酒好きゲストの皆様のおかげで、水納島に居ながらにして全国各地の一番搾りをいただく機会に恵まれてはきたけれど、やっぱりこういうものはご当地で飲んでこそその輝きは増す。
名古屋づくりもなかなかやる。
うーむ……こうしてふりかえってみると、移動中というのに飲んでばっかしじゃないか、我々。
しかし!!
その「移動」を楽しむのもまた旅行。
日本全国隅々まで新幹線を通したがる人たちは、そのあたりのことをまったくわかっていないに違いない。
豊橋から東京まで、リニアモーターカーで30分!!
なんて日が来たら、おちおち車内で名古屋づくりすら飲んでいられないぞ。
21世紀の文明を後ろ盾にした、1930年代くらいのスピードで世の中が動く世界だったら、住み心地良さそうなんだけどなぁ……。
あと、山手線も指定席を作ってくれればいいのに………<無理。
こんだけのんびり旅してきて、最後の最後で通勤ラッシュギリギリ前の山手線っていう選択肢は、できることなら避けたかった。
これでラッシュ時間帯だったら、我々は車内で屍をさらしていたかもしれない……。
次回はあそこをワープする方法を考えようっと。
2017年02月09日
港出船の銅鑼の音たのし。
2017年 2月8日(水) 晴れのち曇り一時小雨
東の風 やや波あり
今日はのっけから先月の話。
我々が鳥羽行をタコ主任に告げる前からすでに、翌日はお休み予定だったタコ主任。
27日は1日空いているから、伊勢神宮なりなんなり、好きなところへご案内いたします!
と、やる気に満ちてくれている。
が。
あくまでも帰省途上の我々は、この日のうちに埼玉にあるオタマサの実家に到着しなければならず、おまけに今回は人生的に未踏のルートをたどることにしていた。
鳥羽からフェリーに乗って渥美半島は伊良湖岬へ、そして伊良湖岬からバスに乗ってJR豊橋駅へ。
そこから先は新幹線、山手線、西武池袋線と続く。
時刻表を見るかぎり、埼玉の実家に夕刻くらいにたどり着くためには、遅くとも鳥羽発9時30分のフェリーに乗らなければならない。
タコ主任案内のもと、鳥羽や伊勢神宮、松阪牛あたりを攻める時間はなさそうだ。
その旨を彼に告げると、
「伊勢神宮は朝5時からお参りできますよ!」
そんなに伊勢神宮にお参りさせたいのか、タコ主任。
これまで何度か訪れたことがある伊勢神宮、たしかに早朝5時の雰囲気も味わい深そうではある。
でも。
この豪華なホテルをこそ、もっと味わってみたい我々。
大浴場は朝6時から入れるというし、部屋から日の出も観られるというし……。
朝5時の伊勢神宮と、朝6時の大浴場。
どちらを取るかと言われれば、朝のひととき、ゆっくりしたいじゃないですか。
というわけで、神様のバチが当たりそうなチョイスをし、気持ち良い朝風呂を満喫したあとは部屋から日の出を眺め、いいコンコロもちになって送迎車=タコ主任の到着を待った。
約束の8時30分にタコ主任のハイテクカー到着。
一路、鳥羽~伊良湖間を結ぶ、伊勢湾フェリーのターミナルまで送ってもらう。
ところで。
今回このルートを選ぶ際に、素朴な疑問が頭をよぎった。
伊良湖まで行く大きなフェリーが発着できる港なんて、鄙びた海辺の鳥羽にあったっけ??
ところがどっこい(死語?)、なんとなんと、伊勢湾フェリーのターミナルは、鳥羽水族館に隣接していたのだった。
これがターミナル。
そしてその2階から伸びる乗船タラップ。
そのタラップから眺めると、鳥羽水族館の裏側が見える。
こんなところにターミナルがあったとは……。
いやはや、今までまったく知りませんでした。
自分にまったく関係が無いと、気にもかけない、目にも留まらないようだ。
初めてその存在を知ったターミナルは立派な建物で、いろんなお土産も揃っている。
1時間弱の船旅の間の酒と肴を買い込み、準備万端整えているところへ、我々を伊良湖へと運んでくれる伊勢湾フェリーが到着した。
伊江島へ渡るフェリーと同じくらいの大きさだろうか。
2隻が交互に行き来しているようで、冬のこの時期でも便数が多いのは、やはり伊勢神宮の力というところか。
1時間弱の航海ながら、船内は広くて立派だ。
広々としたお座敷があるから、じっと座っていられない子供を遊ばせることもできるし、フツーにイスが並ぶ席もある。
そしてありがたいことに、テーブル席まで用意されている。
そのうえオプションとして300円ほど足せば、よりゴージャスな2階席も利用できるようだ。
時期も時期だし時刻も時刻だからだろうか、9時30分鳥羽発の船客はことのほか少なく、勝手気ままにテーブル席を確保して準備完了。
やがて出航時刻となったので、1泊だけながらもお世話になった、鳥羽に、鳥羽水族館に別れを告げる。
ん?
その視線の先には???
アッ!!
キンタコブラザース!!
KINDON氏はこのあと、松阪かどこかから出ているフェリーに乗って中部セントラル空港へ渡り、一路那覇空港へ帰還する予定で、タコ主任は松阪(かどこか)まで彼を送り届ける予定になっているのだ。
2人の盛大な見送りを受けながら、伊勢湾フェリー・知多丸は出航する。
我々の気ままな帰省途上旅に付き合ってくれて、ありがとうタコ主任、ありがとう海洋写真家。
また水納島で会いましょう!
2017年02月08日
コップのジュゴンちゃん。
2017年 2月7日(火) 曇り時々晴れ
北東の風 波あり
時化がおさまったのも束の間、また新たな脅威が迫っている。
どうやら9日からしばらく、強烈な北風に見舞われそうなのだ。
列島も大寒波のため、各地で雪のトラブルが相次ぐことだろう。
そんな束の間の平穏な1日、この日もシロチドリと戯れてみた。
裏浜は冬の北風では波が立たない場所だから、チドリたちも落ち着いてエサなど啄める模様。
彼らは波打ち際の藻が流れ着いているような場所でエサを探す。
でもそんなところを歩いていたら、ときおり寄せてくる波に浸かってしまうんじゃ??
と思いながら観ていると……
案の定。
慌ててスタコラサッサと逃げるシロチドリ(♀)なのだった。
逃げるとはいっても、彼女的にはこの程度の波にさほどの脅威を感じているわけでもなさそうで、実にのどかなモノである。
ところが、とある鳥の声が上空から聴こえてくると話が違うようだ。
サシバの声である。
ピッ、クィーーーーッ!!という甲高い声が上空から聴こえるやいなや、
シロチドリ(♂)はたちまち上空警戒態勢に。
そしていよいよサシバのサッシ―が真上付近に来ると……
完全に伏せの姿勢になって上空をうかがう。
毎日のどかに砂浜で遊んでいるように見えるチドリたちも、やはり日常的にサバイバル生活を過ごしているのである。
そういう彼らの日常を、砂浜に座ってコンデジのモニターを通して観ていると、まるで双眼鏡で観ているかのようにつぶさに観ることができる。
ただし老いた眼でモニターを至近距離から眺めるには、いちいちメガネの視野の外から観るようにしなければならず、それがいささか不便ではある。
これがファインダーで覗ければもっと便利なんだけどなぁ……。
もう少し上位機種ならそれが可能なんだけど、そうなるとポケットに入らなくなるから本末転倒だ。
さて、話は再び鳥羽に戻る。
鳥羽水族館を楽しませてもらった後、我々はいったん宿に戻り、今宵に備えて体調を整えるべく、めいめいがリラックスモードに。
そして約束の午後6時30分にタコ主任が、我がプチプチトマト号と比べれば宇宙へすら行けそうなほどに超ハイテク感満載のマイカーでエントランスまでお出迎え。
いやはや、至れり尽くせりである。
そしてようやく……
琉球大学ダイビングクラブOB会鳥羽支部新年会開催!!
随分昔に一度寄ったことがある、久兵衛さんにて。
カウンター席に4人で座るとなかなか落ち着いて話せないという弱点はあるものの、イセエビをドドーンと押し出す観光客向けの店に比べれば、これぞ鳥羽の味、庶民の味。
吉田類も鳥羽に来たらば、きっと立ち寄るに違いない。
というわけで、鳥羽といえば海の幸、まずはお刺身系で勝負。
アジとカンパチのお刺身。
みなさん方にとっては何を今さら的な魚なんでしょうけども、本部町に住んでいると、こういうものはなかなか食べられないんでございますよ。
そして、さすが鳥羽、真珠貝の味噌和え!
真珠貝=アコヤガイという目新しさもさることながら、味噌和えが八丁味噌!!(多分)というところが旅情満載。
そして海の幸といえば、もちろんこれもはずせない。
タコ主任共食いの図。
例年であれば、シーズン中もオフシーズン中もタコに事欠かない我々のこと、飲み屋でタコを注文するなんてありえない!!
……というところなんだけど、昨シーズンはタコに出会う機会に恵まれず、いつもなら備蓄をある程度抱えている冷凍庫は現在タコ在庫ゼロ。
なのでこのところの我々はすっかりタコに飢えており、マダコの刺身となれば是非!!
でまた、近年になってようやく気がついてきたのだけど、マダコはマダコで、普段島で食べているワモンダコ(島ダコ)とまた違った美味さがあって、沖縄にいるとそうそう食べられない味でもある。
ところで。
この日のタコ主任は、実はノンアルコール。
飲み屋街からホテルまで遠いということもあるし、タコ主任自身も現在の住まいが伊勢市内、という事情はあるにせよ、そんなのタクシーなり代行運転なり頼めばいいじゃん。
……というのは、本部町の夜ですら都会かもしれないと思わずにはいられない、鳥羽の陸の孤島ぶりのせいだったのだ。
というのも。
店のお手洗いに貼ってあったお知らせには……
え……
えええええーーッ!?
最後の頼みの綱の公共交通機関が夜10時で終了????
いやはや、さすが伝統的日帰り観光地。
タクシーですら無くなるくらいだから、代行など頼もうものなら名古屋あたりから来ることになるんだろうか。
なんてことだ、タコ主任と飲むためにはるばる鳥羽までやって来たというのに、肝心のタコ主任が飲めないなんて。
特に鳥羽泊にこだわっていたわけではないのだから、それだったら最初から伊勢神宮近くの宿でも良かったんだけどなぁ……。
結局、某海洋写真家氏と飲むの図になってしまった。
で、その某海洋写真家氏ことKINDON氏。
以前に比べると随分酒に強くなってきた彼は、本人的にもその自覚があるようで、今宵も乾杯の生ビールを飲み干すやいなや、お次はまさかの冷酒。
こんな早い時間からダッシュをかけて大丈夫なんだろうか。
ひょっとして、昼間に焼肉屋で生ビールをひっかけてきたことを忘れているとか??
でも最近の自らの酒量に鑑み、自信満々で飲んでいた彼だったのだけど、河岸を変えようという流れには気づくことができず、チビチビ飲むはずのものを去りしなに一気に流し込んだのが災いしたのだろうか。
つづく2軒目では、さんざん全開トークを繰り広げた果てに……
……チーン。
話したいことを話すだけ話し、力尽きたら眠りにつく………
さぞかし気持ちいい酒だろうなぁ!!
こうして後日ふり返ってみると、なんで鳥羽まで来て座間味の話を聞かなきゃならんのだ!!という根源的疑問も湧き出るのだけど、旧知の友人たちとひとたび飲んでしまえば、そこがどこかなんてことはたちまち銀河の果てまで消え去っていくからしょうがない。
とまぁ、バッテリー切れを起こしたニッカド電池になってしまった海洋写真家も、2軒目に到着早々は元気だったのだ。
といいつつ、この様子を見ても撃沈3秒前ということが容易に想像できるともいえる。
かくいうワタシも、ちゃんと画角にすべてを収めきれないくらいになっていたのはいうまでもない。
この2軒目は、わりと大手の天秤屋さん。
ここもかつてタコ主任に連れてきてもらったことがあるお店だ。
海の幸をウリにしているお店だけあって、刺し盛りもなかなかにご当地ならではの豪華な顔ぶれだったので、迷わずオーダー。
その写真を撮り忘れたのは酔っ払っているから当然として、忘れちゃならないのが、マトウダイのお刺身だ。
かつて木津温泉にて界隈を散歩中、町の魚屋さんでゲットするチャンスがあったにもかかわらず、その後の予定に鑑みて断念した魚である。
そんなマトウダイのお刺身が、今目の前に!!
丹後木津の仇を鳥羽で討つ。
そのお味は!!
………うーん、微妙。
<なんじゃそりゃ!!
いや、たしかに普段味わえない食感&味覚ではあるのだけれど、たとえば木津温泉で散歩していたあとに後悔した、一匹分まるまる刺身にしてもらって、後刻電車の中で食べるって手もあったよなぁ……という方法を実現していたら、はたして一匹丸々いただけたかどうか自信が無い。
でも本部町じゃまず味わえないマトウダイの刺身、そのお味、酔っ払ってはいたけれど、けっして忘れることはないだろう。
その他いろんな海幸をいただきつつ、鳥羽といえば伊勢、伊勢といえば伊勢神宮、その伊勢神宮の参道に数多溢れる露店で昔味わった、焼き大アサリもはずせない。
参道の露店で売られていた焼き大アサリと比べると、こちらのものは記憶の味とは異なり、かなり上品な仕上がりになっていたのでそれはそれで驚いた。
対人比が無いからご存知ない方には実感していただけないだろうけど、アサリといいつつ大アサリというだけあってひとつひとつはかなり大きく、シャコガイ料理を食べているくらいの感覚。
そうしてご当地ならではの海幸に舌鼓を連打しつつ、天びん屋をあとにした。
すでに死人(?)も出てはいても、12年越しの鳥羽の夜、これでお開きじゃあ物足りない。
というわけでやってきました3軒目。
タコ主任が我々を案内してくれたのは、
え?鳥羽にこんなお洒落なお店が!?
……と驚かずにはいられない、イタリアンダイニングバーだった。
「ここは12時過ぎまでやってるんさぁ」
とタコ主任が誇らしげに言う。
12時過ぎで誇らしげって…と笑うことなかれ。
なにしろタクシーは夜10時で終わってしまう町なのである。
代行もタクシーもない夜に12時まで飲んでしまったら、そのあとどうすればいいのだろう?
お店的にもお客的にも、後は野となれ山となれ的ヤケクソ営業なのだろうか。
入ってみると、さすがに11時前ともなると客の姿はなく、お洒落なカウンターには我々のみ。
メニューを見てみると、綺羅星のごとき魅力的なお酒が並ぶ中に(ずらりと並ぶボトルの中に、あのオーバンもあった)、さすが鳥羽水族館の御膝元、鳥羽水族館応援メニューなるカクテルまで用意されている。
で、さらなるオプションとして数百円足すと、鳥羽水族館オリジナルコップのフチ子ちゃんシリーズのガチャガチャがついてくるという。
迷わずオーダー。
そしてその鳥羽水族館応援カクテルにはノンアルコール仕様も用意されていて、限界を迎えていることを自認しているKINDON氏はそちらを。
はたして我々がゲットしたガチャガチャの中身は???
KINDON氏がバイカルアザラシで、ワタシはジュゴン。
バイカルアザラシもなかなかに捨て難いところながら、同じ値段でこのサイズの差、やっぱジュゴンが当たりでしょう。
そんなこんなで、12年ぶりに鳥羽で過ごす夜は更けていく。
ダイニングバーだけあって、食事メニューには鳥羽産カキのアヒージョとかなんたらピザとか、胃袋を刺激するものがいろいろ並んでいたから、次回は1軒目に立ち寄ってもきっと楽しめることだろう。
その次回は何年後になるのだろう?
今は一人ぼっちのフチ子ジュゴン、いつかトモダチが増える日をお楽しみに。
2017年02月07日
鳥羽のジェイソン・ステイサム。
2017年 2月6日(月) 曇り
北の風 時化模様
昨夕から吹き始めた風は、一夜明けてもおさまらず、この日午前中の連絡船は欠航となった。
当然本島からの日帰り客は島に渡ることはできない。
ま、真冬の平日のこと、連絡船が通常どおり運航していたとしても、誰も渡ってこなかったかもしれないけど。
連絡船が欠航するほどに北風が強く吹いているくらいだから、もちろん気温は下がっている。
リュウキュウアサギマダラが枝に止まったまま機能停止するほどの冷え込みではないけれど、それでもやはり、海辺にいると寒さ直撃。
しかし海辺にしか生計を立てる手段がない鳥さんたちは、寒かろうが風が吹いていようが、海辺でたたずむしかない。
普段は軽快に浜辺を走り回っているシロチドリの夫婦も、波打ち際でとても寒そうにしていた。
どんなに寒いかというと、ジッとしている時には……
片脚立ち。
そりゃチベタイよねぇ、水に浸かったら……。
……と、さりげなくここにアップした写真はもちろんジョニー・ライデンで撮ったもの。
浜辺にいるチドリ類なんて、これまでならたとえこうしてジッとしているところを撮ろうとしても、カメラを構える以前にススススススーーーーーーと遠くへ走り去ってしまうものだったのに、ジョニーのおかげで鳥さんの心を煩わせることなどまったくないまま、この程度の写真は撮れてしまうのだ。
いやホント、散歩や旅行が好きで鳥さんも好きな方は、これ「買い」ですぜ。
さて。
鳥羽を訪ねるのは12年ぶり、ということはすでに触れた。
当時のタコ主任は鳥羽水族館の独身寮住まいで、そこは元々大きな旅館だったこともあって、空いている部屋を自由に使っていいという、古き良き時代的ゆる~い寮だった。
おかげで、鳥羽を訪れる我々は、そこに無料で泊まらせてもらっていたものだ。
しかしさすがにこの齢になると、いつまでも独身生活を続けることはできても、独身寮暮らしを続けることはできなくなってしまったタコ主任。
早い話が寮を追い出された彼は、現在は伊勢方面にアパートを借り、(鳥羽よりは)都会の生活を満喫しているらしい。
だから今回の我々は鳥羽に滞在するにあたり、タコ主任におススメの宿を紹介してもらうことにした。
すると、なんとなんと、鳥羽水族館が企業として会員になっている水族館近隣の宿を、会員待遇の格安価格で利用可能という。
そしてタコ主任が我々のために手配してくれた宿が、こちら。
海を見下ろす小高い丘の上に建つ、ホテル・アルティア鳥羽。
見下ろす海は伊勢湾ではなくエーゲ海ですか?と錯覚してしまうような、地中海仕様(?)の立派なホテルだ。
我々の部屋はセミダブルサイズのベッドが2つ並んだツインルームで、那覇を出発する前夜に泊まった寝台列車の客室のようなおもろまちの狭苦しいホテルに比べれば、もはやこれは花輪君のおうち級。
もちろん部屋はオーシャンビューで、ちゃんと窓から海が見える。
そしてテラスに出れば、お向かいの菅島が一望のもとに。
観光地鳥羽にとってこのあたりの眺望・景観といったらかけがえのない財産のはずなのに、思いっきり人の目に着く側が採石場になっているところがスゴイ。
世の中の価値観は様々ながら、こと自然観に関しては大きく2種類のヒトに分けることできる。その1つはトランプみたいなヒトで、もう一つはC.W.ニコルのようなヒト。
で、たいていの場合、力と・金を持っているのはトランプタイプで、そういう方々が金に任せてやりたい放題やるものだから、C.W.ニコルタイプの人々にとってはどんどんどんどん住みづらい世の中になっていくのだ。
ここ鳥羽にも、規模こそ違えどトランプタイプがいるらしい……。
まるで本部半島の採石場と化した菅島の様子は残念ではあるけれど、夜明けになれば、同じくテラスから日の出も拝むことができる。
おまけに露天風呂を備えた大浴場まであって、その使用料も含めた鳥羽水族館優待宿泊代は、1人1泊5300円!!
週末の那覇の狭苦しいAPAホテルや東横インよりも遥かに安い!!
ここに……ここに……ただ寝るためだけの宿泊だなんて!!
しかもこの日は鶴橋で焼肉を食べてからやって来たこともあって、鳥羽駅到着は午後3時前、そしてホテルの送迎車が3時発だったため、ホテルに着いたのは3時過ぎになってしまった。
せっかくだから鳥羽水族館にもお邪魔するつもりだったんだけど、ひとっ風呂浴びてから行っても入館可能なんだろうか。
調べてみると、この季節は午後4時で入館終了、5時で閉館というではないか。
KINDON氏からタコ主任にメールをしてもらい(人はそれをキンタコ・ホットラインと呼ぶ)、入館終了時刻を過ぎても入らせてもらえるかどうか尋ねてみたところ、日々忙しそうに働くタコ主任のこと、仕事中に届くそんなメールに素早く対応できるはずはなく、入館可能かどうかはわからないまま。
こりゃゆっくり風呂になど入っている場合ではない。
というわけで、豪華なホテルの隅々まで味わい尽くしてゆっくり過ごしたいという後ろ髪を引かれつつ、旅装を解く間も惜しんでフロントでタクシーを呼び、おっとり刀で鳥羽水族館へ向かうことに。
そこへ、キンタコホットラインに返信が。
「券売所で呼んでもらえれば入れます!」
おせーよ、タクシー呼んじゃったよ!!
鳥羽水族館まで、タクシー運ちゃんから伊勢志摩サミット顛末記を聞くこと10分ほどで鳥羽水族館に到着。
入り口に向かう我々の前方に、館外を何やら忙しげに動き回っている人影が。
ん?あのジェイソン・ステイサムのような後頭部は、ひょっとしてタコ主任ではあるまいか。
呼びかけてみると、案の定タコ主任であった。
近頃の鳥羽水族館は、赤い作業着がユニフォームらしい。
タコ主任が赤い作業着なんか着たら、まるで茹でダコ……
…と言いたくなるのをグッと堪え、入り口まで案内してもらって、この日の段取りを軽く打ち合わせるやいなや、ジェイソン・ステイサムのような後姿を見せながら、彼は再び駆け足で作業へと戻っていった(まったくどうでもいいことながら、ジェイソン・ステイサムとは同年齢)。
忙しいところに押しかけて申し訳ない……。
…と思っていたのだけど。
後刻水族館内を巡っていると、旧知の職員Mさんにお会いした。
彼はタコ主任の先輩スタッフで、オタマサがサンシャイン水族館に勤めていた頃から面識があり、しかも奥様が独身時代に偶然にもクロワッサンのゲストとして水納島にお越しになったことがあるという縁があるため、たまたまお姿を見かけた時にお声掛けしてご挨拶した。
すると、
「そういうことなら、早く帰ればいいのに……」
友人一同が来館するということを一言言ってくれれば、仕事を早めに終えて帰ることだってできるのに、タコ主任なにやってんだ…ということらしい。
なんだ、今の時期はヒマだったんだ。
ヒマなのに誰よりも忙しげに働くタコ主任。
彼の禿頭はダテではない。
さて、閉館時刻を考えるとそうゆっくりもしていられないから、特に順路が示されるわけではない館内を巡ってみる。
鳥羽水族館ではずすわけにはいかないダイオウグソクムシや、その他いろんなお魚さんたちを鑑賞しつつも、やっぱり海生哺乳類は楽しい。
夕刻は餌やり時刻でもあるためか、いろんな生き物が餌をもらっていて、ラッコもご馳走をスタッフから受け取っては、集まっているギャラリーに愛嬌をふりまきながら、アクリルガラスにコンコンコンコンしつつ食べていた。
そちらにはお客さんの人だかりができているのに対し、そこからほんの少し離れたところに展示されているイロワケイルカの前には、お客さんの姿がまったく無い。
でもそのイロワケイルカは、順調に育っていそうな子供と一緒に泳いでいるではないか。
イロワケイルカが赤ちゃんと一緒に泳いでいるなんていったら、ひと昔前なら水族館的にけっこう話題になる展示だったのに、今では当たり前になってるんでしょうか??
でもこの方はしっかりカメラを向けていた。
うみまーるの写真集で、「マゼラン海峡で撮ってきました」なんて写真になっていたりして。
<なりません。by 世界5億人のうみまーるファン
屋外にも、ひときわ目を引く哺乳類がいた。
彼らが目にしているものはいったい何?
彼らの視線の先には、ものすごい重低音スーパーウーハーな唸り声でスタッフと楽しげにコミュニケーションを取りながら、好物の餌をもらっている特大哺乳類がいる。
その生き物とは……この方。
セイウチ。
食事を終えると水に飛び込んで、アクリルの外にいる客にこうして愛想を振りまいてくれるのだ。
オスのポウ君とメスのクウちゃんの2頭がいて、先だってこのカップルに赤ちゃん誕生!というニュースが舞い込んでいたから、オタマサはその赤ちゃんを観るのも楽しみにしていた。
しかし残念ながら、赤ちゃんは短い命で終わってしまったという。
それを知ったオタマサの興味は、また別のところに移っていた。
セイウチのヒゲって、時々抜けるものなんだろうか。
かつてサンシャインに勤めていた頃は、ラッコのプールの排水孔に溜まったラッコの毛をコレクションしたり、某水族館に勤めている後輩には、チューブワームの管をねだったりする彼女には、変態社会人垂涎の「オタマサコレクション」がある。
そのコレクションに加えるべく、あわよくばセイウチのヒゲを……と密かに目論んだのだ。
しょっちゅう抜けるものならば、ラッコの毛のように排水孔に集まっているに違いない。
そのうちの1本でも……ムフフフフ♪
そこでタコ主任に訊いてみるオタマサ。
セイウチのヒゲってよく抜けるものなの?
「うーん、どうかなぁ………」
知らないらしい。
そこへ、先ほどまでセイウチ君たちに餌を挙げていたスタッフの方が出てこられたので、すぐさま訊いてくれるタコ主任。
するとその方曰く、セイウチのヒゲは滅多に抜けるものではないという。せいぜい運悪く折れたものが1本、年に1度くらいのわりで観られるかどうかという程度なのだとか。
オタマサの野望、破れたり。
2005年に鳥羽水族館にやってきたセイウチたち、年に1本あるかどうかということはすなわち2頭合わせてこれまで24本あるかどうかという貴重なヒゲ、オタマサに回ってくる日が来ないことだけはたしかである。
2005年といえば、我々が最後に鳥羽水族館を訪れた年で、当時はコビトカバのあやめちゃんはいたけれど、セイウチはまだ入館していなかったはず。
そうか、あのあとやって来たのか。
そんな12年前のセイウチ君たちの様子も掲示されてあった。
哺乳類に進化したモスラですか??
いやはや、大きくなったものである。
現在の鳥羽水族館には、そんな巨大セイウチのショータイムがあるという。
展示水槽に面した屋外の広場にブルーシートを引き、それを取り巻くように観客席が設けられ、その真ん中に巨大セイウチが登場、数々の芸を披露したり、超至近距離でセイウチと触れ合えたりするというのだ。
何かあったら小さなお子様など圧死しそうなくらいのものだけど、どうやら何かが起こる危険性はないらしい。
うーん、観てみたいぜセイウチショー(鳥羽水族館 セイウチ で画像検索すると、その様子をご覧いただけます)。
その他、スナドリネコがいたりクリオネがいたりガメ公と同じケヅメリクガメの大きい子がいたりした中で、この日個人的に最も際立って印象深かった生き物がこれ。
ドクターフィッシュ。
近頃はいろんなところで展示されるようになっているようだから、ご存知の方も多いことだろう。
ヒトの角質を食べてくれるということで、いわゆるスキンケアに一役買ってくれるこの魚、展示しているところによっては、足湯のように足をつけることができたり、水に手を浸けるなら指一本だけと制限しているところもあるようだけど、鳥羽水族館の場合はこのようなルールになっている。
足はつけないでね!と明記されているこの表示がそこかしこにあるにもかかわらず、堂々と素足を浸けているお客さんがよくいるらしい。
そういうヒトは、たとえ「ここにはピラニアもいます」と大書されていても、手や足を浸けるんだろう。
ところでこの大量のドクターフィッシュ、餌は来館者の角質のみなの?それとも餌は餌で別にちゃんと与えているの?
タコ主任に問うてみた。
すると、
「うーん、どうかなぁ……」
タコ主任、毎日忙しげに働いているようながら、どうやら水族館のことはあまり知らないらしい………。
やがて時刻が5時10分前になると、館内には寂しげな音楽が流れ始めた。
閉館時刻が迫っている。
かつては太陽系最大級と謳っていたほどに大きな水族館を、ほんの1時間で観て回るなんてどだい無理な話だから、一部抜粋局所限定で楽しませてもらった。
目の前に美ら海水族館があるにもかかわらず、「水族館」を訪れるのは随分久しぶりの我々。久しぶりに来てみると、やっぱり水族館って面白い。
次回はもっとゆっくり時間をかけて、もちろんセイウチのショーも楽しませてもらおうっと。
さあて、水族館を見学したあとは、いよいよ酒だ、海の幸だ!!