2025年 2月27日(木) 晴れ
そよ風 春の陽気
この日も御沙汰待ちの状況は変わらないままながら、肝心の御沙汰がないので、春の陽気に誘われてまた少しばかりお散歩。
沖縄を発つ前は、前回と同じ上着を着ていくかどうか悩んだ挙句、やや薄めの上着にチェンジしたのだけれど、どっちにしろ日中は上着など必要ないほどの暖かさだ。
さてさて、この日はどこを目指したのかというと…
…おっとっと、そんなことを書いている場合じゃなかった、昨日の続きを書いておかねば。
コーヒーパーラーのおねーさんに未練を残しつつ、牧野記念庭園をあとにして一路石神井公園を目指す。
庭園前の道をそのまままっすぐ行って、学芸通りに出たらひたすら南下。
沿道に東京学芸大学とその付属小中学校があるから「学芸通り」って名前のようながら、そもそも大泉学園の「学園」ってのはいったいなんなのだろう…
…と昔からウスラボンヤリと素朴に疑問に思っていたんだけど、実はこれ、学園都市にしようと大いに計画されて盛り上がり、碁盤目状の宅地造成まで完璧に完了、駅名まで「東大泉駅」から「大泉学園駅」という名に変更したまではよかったものが、肝心の「学園」の誘致に失敗してしまったらしい(一橋大学の前身など)。
すなわち夢物語の駅名がそのまま残っているそうな。
銀河鉄道999の曲が流れるのも、夢物語という意味ではかなりふさわしいのかも、大泉学園駅。
ル・ジャンボンまで歩いた商店街もそうだったけれど、この学芸通りの沿道にある飲食店もまた、定食屋や大衆中華料理店の店頭に掲げられているメニューの価格がやたらと安くてビックリした。
何度も書いているけれど、もはや沖縄よりも東京の地元客向け飲食店のほうが、圧倒的に安いというこの衝撃…。
やがて通りの向こうに、丈高い木立ちが見えてきた。
きっとあのあたりから石神井公園なのだろう。
地図を見るかぎりでは東西に長細い公園らしく、グーグルマップ上ではいったいどこが公園の「正面玄関」なのか不明だったのだけど、とりあえず入り口にたどり着いた。
…と思いきや、ここを抜けるといったん一般道になって、その先に池へと続く階段があった。
近くにあった園内地図を見たところでは、ここは公園の西端っぽい。
その階段を降りると…
…池があった。
石神井公園には石神井池と三宝寺池という2つの池があって、ここは西側の三宝寺池。
昨日の記事にぱぱままださんが書き込んでくださっていたコメントによると、ぱぱままださんのご自宅はこの池を上がったところなのだとか。
そこまでニアミスしているとは知らないまま、思いっきりそばを歩いていた我々なのだった。
池の周辺にはウッディな遊歩道が整備されていて、随所にベンチやテーブルが配されている。
この対岸には「厳島神社」があって、浮見堂と呼ばれているらしい四阿のような建物が池に張り出していてたいそう雰囲気があった。
対岸ゆえあとで回ろうと思っていたところ、すっかり忘れてしまった…。
そもそも我々はここに何をしに来たのかといえば、「ル・シャンボンで買ってきたサンドイッチでランチ」こそがその目的。
とはいえいきなり到着早々に食べ始めるのもなんだし、公園の真ん中あたりには茶店があるようだから、そこで飲み物でも買ってから食べることにし、まずは池の周りを散策してみることにした。
公園を訪れているヒトは多すぎず少なすぎず、平日の午後をこういうところでのんびり過ごす老若男女がそれぞれにくつろいでいて、インバウンダーでえらいことになっている有名観光地などいったいどこの国の話?ってなくらいに落ち着いたいい雰囲気だ。
池にはカモ類やオオバンなどがスイスイ泳いでいるほか、これまたすっかりおなじみになったカワウの姿もあった。
その他アオサギの姿も目にしたけど、それらおなじみの鳥さんたちのほかに、思わず「おっ!」となるモノもいた。
まったくアテにはならないワタシの記憶がたしかなら、水納島では観られないゴイサギに会うのは
17年前に天王寺動物園のアシカコーナーで観た時以来のこと。
撮影直前までは羽繕いをしていたのでハッキリ見えていたアホ毛(?)が、あいにく枝に隠れてしまった。
でも枝上にもう1羽いて、向こうを向いていたからアホ毛はハッキリ見えた(矢印の先の白く伸びている羽)。
カワウやゴイサギがいるところを見ても、池にはそれなりにエサとなる魚がいるらしい。
ここ三宝寺池でもコロナ前から池のかいぼり活動が行われるようになっているらしく、そうやって定期的に手を入れることによって、命のリサイクルがよりいっそう活発になるのだろう。
そういえばその昔、
「石神井公園にワニがいる!」
なんてことが話題になったことがって、実はその正体はガーパイクという熱帯魚だった…なんて話があったっけ。
今はどうか知らないけれど、ガーパイクといえば当時は熱帯魚屋さんで手に入れられる魚だったのだけど、大きくなると1メートル級になるから、その背中が水面に浮いていたら、そりゃワニに見えてもおかしくはない。
というか、こういう池だもの、ワニじゃなくとも何か不気味なものに見えるわなぁ、そりゃ。
かいぼりでは、ガーパイクは登場しなかったのだろうか。
我々はゴイサギに盛り上がっていた一方、池上がコースになっている遊歩道では、バズーカ砲を抱えたカメラおじさんおばさんたちが、樹上にいる小さな鳥さんに夢中になっていた。
シジュウカラっぽい声が聴こえていて、実際その姿も見えたのだけど、なかにはシジュウカラではない〇〇カラ系がいたようにも見えたから、彼らのターゲットはそちらだったのかも。
平日にこういうところでバズーカ砲を構える方々なんていったら、おうおうにしてリタイア世代…
…かと思いきや、通りすがりには若い男女のバズーカさんたちもいらっしゃって、こちらの趣味でも老若男女が楽しめる公園であるようだ。
バズーカさんたちのターゲットは無論鳥さんたちなんだけど、この季節のこのあたりの植物の様子が新鮮に映る我々の目には、遊歩道沿いで目にした↓こういう冬芽に思わず目が行く。
その昔の千昌夫の大ヒット曲「北国の春」をご存知ない方など、拙日記読者にはよもやいらっしゃるまい。
~♪ 白樺 青空 南風…
…の後につづいて
~♪ こぶし咲くあの丘 北国の ああ北国の春…
と歌われるほどに、北国の春を代表する花、コブシ。
恥ずかしながらワタクシ、今に至ってもコブシの花を実際に目の当たりにした覚えはないのだけれど、この冬芽がついている木には、ご丁寧にも「コブシ」とネームプレートが掲げられていた。
オタマサはボンヤリとは知っていたようながら、(おそらく)初めて相まみえるワタシが、北国の春を歌いながら撮っていたのは言うまでもない。
そうこうするうちに茶店ゾーンについたので、自販機でコーヒー飲料を購入。
自販機は離島価格も真っ青のボール3コ分ほど高め設定だったこの昭和中期の香りがぷんぷん匂いたつこのパーラー(豊島屋)は、なにをかくそう「孤独のグルメ」の原作本にて、井之頭五郎がランチを摂っている店でもあるのだ。
「課長 島耕作」ではたびたび石神井公園が出てくることは知っていたけれど、「孤独のグルメ」原作本にも登場していたとは。
あいにく店の周囲には「撮影禁止」という貼り紙がドデンと貼られていたから、写真はない。
そこから先ほど通りかかったテーブルがいくつかあるあたりまで戻り、いよいよ待ちに待ったランチタイム♪
保冷バッグから取り出しましたるは、もちろんル・ジャンボンでテイクアウトしてきたサンドイッチだ。
オタマサはペッパーミートサンド。
ワタシは、チキン南蛮サンド…
…と、調子に乗ってもう1種類。
ケバブチキンのピタ。
オタマサセレクトはサンドイッチが2つという態だからパンの量がワタシセレクトのものよりも多くなかなかボリューミーで、具が美味しいのはもちろんながら、パン自体も美味しいとオタマサは満足した模様。
チキン南蛮に卵サラダが加わって葉野菜もたっぷりなワタシセレクトサンドイッチは、食パンでサンドにするのがもったいないくらいの本格的味わいでビックリした。
ピタになっているケバブチキンは、ケバブといえばトルコ料理のはずなのにインド料理のようなスパイシーな味が抜群。
不思議なことに、1本を2つにカットしたものであるはずなのに、どういうわけか両者で具の味に違いがあったような気がしたのはホントに単なる気のせいだろうか。
いずれにせよ、こりゃあコーヒー飲料じゃなくワインを是非!ってところだったなぁ。
ちなみに、画像だけだと周囲は野鳥たちの声が響くだけの静けさに包まれているかのように見えるかもしれないけれど、実はたくさんのカラスがやたらと上空でフィーバーしていて、カァカァカァカァうるさいことといったらなかった。
ま、インバウンダーでごった返すことに比べれば、それでもよほど静かというところか。
パーラーのすぐ近くには、三宝寺池の対岸に渡れる橋が架かっていていた。
その先に石神井城跡があるというからさっそく渡ってみたところ、城跡を示す石碑が池のほとりにあって、その傍らに階段が続いていた。
その先に、お城の中心内郭跡があるそうな。
もっとも、お城とはいっても戦国時代よりはるかに前の時代の城で、平安末期から室町中期までの間、後に江戸となる場所一帯でブイブイ言わしていたという豊島氏の居城だったというから、後世の見事な石垣や矢倉跡などがあるわけではなく、我々が目にすることができるのは土塁や空堀の跡でしかない。
ただし、凡百なる我々からすればこんもり盛られた小山とちょっとへこんだ小谷にしか見えずとも、千田嘉博センセイのような城郭変態社会人が目にすれば、たちまち
「ヒョーッ!」
と奇声を発しながら、往時の姿に思いを馳せるであろうことは間違いない。
地形的には三宝寺池とその南側に流れている石神井川に挟まれた一帯が高台になっているそうで、その高台一帯がお城になっていたそうなのだけど、ひょっとしてもっともっと前は古墳だったんじゃね?
…という話はないのだろうか。
城跡地には木々が茂っていて、池の周辺とはまた異なる閑けさを保っている様子が印象深かった。
三宝寺池は豊島屋があるあたりが東端で、そこからひょうたん池なる水辺再生プロジェクトゾーンを過ぎると、車道を挟んで石神井池になる。
石神井池は東西に長細く、しかも石神井池の北岸側は、池のすぐ外が一般住宅街になっているから、対岸から眺めるとこのようになる。
井の頭公園などの「公園」のイメージからすると意外だったのだけど、そういえば「課長 島耕作」でも池の向こうに別居中の妻が暮らすマンションが見える…なんてシーンがあったようななかったような。
おそらく当時の島耕作も、このあたりを歩いていたのだろう。
後日知ったところによると、昭和の名作アニメ「ど根性ガエル」の舞台も石神井周辺だそうで、なんとピョン吉は石神井公園の池のカエルさんなのだそうな。
大阪の朝日放送では、毎年夏休みになると午前中に「ど根性ガエル大会」と題して再放送しまくっていたものだけど、子供の頃のワタシにとって石神井公園なんて言われたって、それは月面の「静の海」と言われているのとなんら変わりない遠い世界だったことは間違いない(作品の中で石神井公園という地名が出ているのかどうかまでは覚えてません)。
冬のこととてピョン吉一族は声も姿もどこにもないかわり、こちらの池にもカモ類やカイツブリ、オオバンなどが多い。
それがまた妙に人慣れしているらしく、池のほとりで休憩しているアイガモをすぐそばから覗いても、まったく動じることなくのんびりしていた。
三宝寺池側では目立たなかった梅が、こちらでは見事に咲いているところもあった。
拙日記でも過去に何度か紹介しているように、沖縄でも梅は咲く。
けれどこと香りに関しては、こちらで咲き誇る梅のほうが遥かに強く、けっこう離れているところからでも梅の香が濃厚に漂ってくる。
我々が気づくくらいだから、もちろんのことメジロなどもチョコマカまとわりついているほか、見慣れないハチだかアブだかの姿もあった。
ナミハナアブですかね?
アブやハチといえば一般的には嫌われ者ではあるけれど、梅の花にいればフォトジェニック。
なので虻蜂とらずにならないよう、アブハチを撮る。
石神井池の東端には、手漕ぎボートやスワンがズラリと並んでいた。
先日訪れた井の頭公園では、池上にスワンがたくさん遊覧していたけれど、この日の石神井池ではボートはすべて係留されていた。
それもそのはず、冬期は土日祝のみの営業だそうで、ボートたちは休憩中なのだ。
ボートがすべて休憩中なのをいいことに、浮き桟橋をカワウが独り占めしていて、思いっきり羽を伸ばしていた。
この陽気だもの、そりゃカワウだってたいそう心地よいことだろう。
ボートハウスのパーラーでソフトクリームなんぞを買って休憩したあと、大通りではなく石神井公園通りから駅を目指す。
そして到着した石神井公園駅。
電車に乗って何度も何度も通過してきたこの駅、外から眺めるのは人生初のことだ。
この南口の広い範囲が工事現場になっていた。
いわゆるひとつの「再開発」らしく、地上100メートルの巨大なビルが建つそうな。
首都圏の駅前はなにかというと「再開発」のオンパレードのようなイメージがあるけれど、個人的には「再開発前のほうが味があったんじゃね?」と思えてしまうあたりが、それぞれに共通している。
年をとると変化を厭うようになるものとはいっても、「再開発」がホントにそこに住まう住民のみなさんのためを思ってのことなのかどうかって、けっこう微妙じゃないですか、たいていの場合。
石神井公園駅も、西武池袋線を利用して通勤していた三十数年前とはまったく違う姿なのだろうなぁ。
往時の姿は知らねども、ともかく人生で初めて石神井公園駅から乗車して、帰路に着いたのだった。
ひょっとしたら最初で最後かもしれない石神井公園、いいお散歩でございました。