2024年02月02日
スーパータラちゃん。
2024年 2月1日(木) 晴れ
南の風 波あり
今日も南風&太陽燦々で絶好の海日和。
でも残念ながら、この日はボートを上架させるために、朝島を出て渡久地港で作業なのだった。
あらためて驚いたことに、ボートの上架作業は昨年8月末が最後で、船台を使うのはそのあと9月初めにボートを海に戻して以来のことになる。
それもこれも9月10月にまったく台風が来なかったおかげだ。
例年だったらボコボコ襲来する時期だから、本来なら「どうせまたすぐ使うことになるから…」とばかり、船台の手入れはシーズンが終わってから…となる。
ところが昨秋は、なんとなくこのまま船台を使用せずに済むような気もしたために、船台のケア、特に足回りについてはグリス注入から油さしまで、いつになく念入りにやっておいた。
それが功を奏し、かなり久しぶりにもかかわらず船台シローの動きは実にスムーズで、スロープでボートを載せてから所定の場所への移動も滞りなく終了したのだった。
海水に全身浸かってしまう船台だけに、いずれにせよ経年劣化は免れないところではあるものの、多少のケアで劣化スピードを少しでも遅くすることはできる。
ちょうど昨年のこの時期にベアリング部分が壊れてえらいことになった自在車輪なんて、左右2つで15万円超もするのだもの、そうでもしなきゃ、船台の維持だけで破産してしまう…。
作業は午前中で終わったので、いつもだったらその足で名護に行くなり秘密基地で作業をするなりし、時間が空いたら夕刻にはどこかを散歩、そしてそのまま一泊…
…となるところ、この日は最終便で島に戻る日帰り予定にしていた。
なぜか。
本日はカンダーラの鍋だからである。
昨夜は足の速い生食用のものを中心にいただいたカンダーラこと寒鱈、鍋にするにはいささか暑すぎる気候ではあるけれど、今食べないでいつ食べる。
というわけで今宵は寒鱈鍋。
フタを開けたらオタマサネギに覆われていたので、むりやりのけてみたら、なんだかアクだらけのように見えてしまった…。
これはアクではなく、アバサー汁のように肝を投入しているため。
最初は上品に肝なしでいただき、その後追い肝的に投入するという手もあったんだけど、肝入りのコクの味の誘惑に勝てず、最初から投入。
今季ほぼ採れなかった白菜の代用チンゲン菜がビジュアル的には違和感がありはしたものの、味的には美味しくいただけた。
白子がまた美味いんだわ…。
ところでこの白子、ワタシはてっきり鱈が獲れる地方では白子のことを真だちと呼ぶのだとばかり思っていたら、それはでっかいどう北海道だけの通り名であって、仙台方面では「鱈きく」という風雅な名前で呼ばれているそうな。
「きく」というのはきっと菊のことなのだろう。
鍋とは別に白子入り茶碗蒸しをオタマサが作ってくれたので、白子をサルベージしてみたところ…
ほんに、菊の花のよう…。
ただでさえ茶碗蒸しラバーなワタシなので、そこに白子の味が加われば、小さな茶碗はたちまちパラダイス。
そしてこの日、切り身はこういう姿で登場。
西京漬け風の一夜漬け。
たった一夜にもかかわらず、何日も漬けていました的な西京漬け風味になっていたので驚いた。
やはりこのあたりは鱈の身のなせるワザなのだろう。
そういえば昔魚すきの具としていただいていた頃から、やたらと身離れがいい魚だなぁという認識があった鱈。
この日鍋の中に投じられていたアラも、ワタシでさえ箸でチマチマと身を骨から取っていられるくらいだったから、オタマサが食べ終えた後の姿ときたら、ホネフィルムのロゴマークですか?ってなくらいの有様になっていた。
同じように魚を投じて作られる沖縄の魚汁は、投じられている魚たちの特性もあって、魚の身自体を食べるのはなかなか至難のワザになるから、どちらかというとスープメインで…となることのほうが多い(オタマサはしっかり身も食べ尽くす)。
それに比べると、鱈はまさに食べられるべくして生まれてきているかのような身離れの良さ。
これはやはり、水深200メートル前後に暮らす魚たちの特性なのだろうか。
昔からフグ田家の長男だけに、その名を聞く機会はとても多かったタラだけど、タラといえば、魚すきを食べる機会がたまにあった当時に流通していた冷凍もののブツ切りのことだった。
現地ものと比べればかなり品下るものを、ずっと「鱈」と思っていたのだなぁ…。
当時の冷凍モノブツ切り鱈に比べれば、獲れ獲れピチピチの現地ものは、中学生になったタラちゃんが金髪デビューしてスーパーサイヤ人化したほどの衝撃の違いなのだった。
タラちゃん、誤解していてごめんなさい。