2024年04月12日
日本ヘビ類大全。
2024年 4月11日(木) 晴れ
北東の風 ややうねりあり
ややうねりがあるもののほぼほぼベタ凪ぎ、そして快晴。
抜群の海日和である。
が。
あいにくモロモロの事情によりそういうわけにもいかず。
そんな日に、3日ぶりに運航した連絡船が、とある郵便物を届けてくれた。
※ヘビ嫌いな方にとっては無間地獄のようなブツなので、即刻退去されたし。
これ。
「日本ヘビ類大全」。
B5版サイズでオールカラーのこの図鑑は、日本で見られる種類を完全網羅しており、日本のヘビについてはこれ1冊ですべて事足りるといっていいほどの、日本のヘビのすべてが詰まった集大成だ。
もっとも、一部の世界では限りなく重宝されるのは間違いないにしても、いわゆる一般社会においては相当なキワモノ、しかも1冊5500円プラス税という高価な図鑑など、誰もが気安くポチッとできるわけでもない。
そんな図鑑がなぜこの日届いたのか。
それは昨夏こちらの記事で紹介していた図鑑だから。
図鑑をめくってみると、リンク先で触れている「オファーがあった写真」がしっかり掲載されていた。
クロガシラウミヘビの稿で、見開き2ページの左上と右下の写真。
ページの中で大きく扱っていただいているのは大変光栄ながら、当方のことをご存知ない方がご覧になったら、ワタシもこの図鑑の中の錚々たる変態社会人のみなさんの末席にいる一員と思われるのだろうなぁ…。
ワタクシ、なにもウミヘビ専門で撮っているわけじゃないですからね…
…って、この場で言っても意味はないか。
それはともかく、わずか写真2点とはいえ、印刷物ではこの図鑑でしか見られない画像、すなわち税込6000円余を投じなければ目にすることができない写真を、すでに拙日記読者はタダでご覧になっていたのだから、今さらながらその幸運に身を震わせていただいて差し支えない。
< 震えないって。
ちなみに先ほどのリンク先の記事中、まったく別件で液晶画面に写り込んでいた方にこの図鑑を目の前で見せつければ、おそらくあのポーズのまま3メートルくらい飛び跳ねること間違いなし。
そっちを見てみたいという方も、すぐさま南米大河でポチッ!
日本ヘビ類大全
著者
田原義太慶
福山伊吹
福山亮部
堺 淳
誠文堂新光社 刊
定価: 5500円+税
著者
田原義太慶
福山伊吹
福山亮部
堺 淳
誠文堂新光社 刊
定価: 5500円+税
ところで、ワタシが提供した画像とは関係ないのだけれど、図鑑中のイイジマウミヘビの稿を読んでいて、興味深い事実を初めて知った。
先日動画付きで紹介した、イイジマウミヘビが長時間イチャイチャしているシーン、あの行動はやはりオスがメスに交尾を促しているものなのだそうな。
それは観ていればおおよその見当はついたものの、図鑑では、オスの吻の先にあるトゲ状の小さな1対の突起も画像で紹介されている。
イイジマウミヘビのオスは、メスにつきまといながらこの小さな突起で刺激し、「交尾したくなるツボ」を攻めに攻めて、メスに交尾を促しているというのである。
そういう目で改めてさきほどのリンク先の動画を見てみれば、なるほどオスは……
…刺激しまくり。
それによってメスがその気になって交尾に至るということは、ようするにこの小さなトゲトゲは、交尾行動の合意形成には欠かせない繁殖ツールということになるわけだ。
名声と金によって快楽を求める方々も、少しはイイジマウミヘビの努力を見習ったほうがいいかも…
って、自身の名声と金こそが彼らにとっての「小さなトゲ」ってことか…。
2024年04月11日
目指せ、ステンレスボディ。
2024年 4月10日(水) 晴れ
東の風 けっこう波ありのち波あり
時化ているというほどではなかったんだけど、それなりに荒れていたこの日の朝、海運事務所のサイトを見てみると、「全便欠航」の文字が。
今日は本島に出なければならない用事があったため、やむなく波々のなかボートで本島へ。
そして疲労。
なんで疲労したのかということについては、いずれキチンとお話しする機会があることでしょう。
2024年04月10日
ソムタム。
2024年 4月9日(火) おおむね曇り
北のち北東の風 早朝おだやかのち荒れ模様
ようやく雨が上がって、この日はおおむね晴れる予報になっていた。
ところが今にも降りだしそうな雲が周辺にあり、とてもじゃないけど布団を干そうという気にはならないお天気のままで推移した。
それでも結局雨は降らなかったから、先日潜って以来雨に打たれ続けていたウェットスーツや器材が、ようやく乾いてくれた。
雨は降らなかったものの、予報どおり洋上は次第次第に荒れ模様に。
前日までの予告どおり連絡船は朝から全便欠航となっていたので、まだ風がさほどではなかった朝のうちに、ボートを連絡船用バースに回しておいた。
日帰り客も各業者さんもやって来ない、静かな春の一日だ。
昼時には久しぶりにお散歩。
ワタシはカメさんたちのエサ採り、オタマサは路上に落ちているゴミ拾いといういつものパターンながら、オタマサには別にもうひとつ目的があった。
パパイヤだ。
本土なら南国フルーツとして一応もてはやされるパパイヤも、亜熱帯に暮らし続けていると、フルーツとしてはそれほど目の色を変える存在ではなくなる。
ただし野菜用となると話は別だ。
熟す前の緑色の状態、すなわち青パパイヤは、千切りにしたり角切りにしたりその他いろいろな方法で、野菜として料理に使えるのである。
カレーに入っているジャガイモが苦手…というヒトでも、ジャガイモをパパイヤに代えればきっと美味しくいただけるはず。
千切りもしくは笹かき状にしたものを炒めても美味しいから、パパイヤイリチ―は沖縄ではフツーに家庭料理になっている。
青パパイヤを本土で手に入れるのは難しいだろうけれど、雑草のようにそのへんの野辺で育っているパパイヤが何本もある沖縄の田舎では、散歩のついでに確保できる。
ただし木によっては島の誰かしらが自称「管理」しているものだったりするので、無造作にあれもこれもそれも…とできないところがやっかいなんだけど、たくさん生っているうちの1つを失敬するくらいなら、きっと誰も文句は言うまい。
というわけで、この日ちゃっかり1個採取してきたオタマサ。
はたしてそれを、何に使うのだろう?
そのヒントは、先日久しぶりに訪れた読谷村のサイルーンのメニューにあった。
ランチメニュー以外にもたくさんあったメニューをひととおり見ていたオタマサが、
「おっ!」
と反応したものがあったのだ。
後刻レシピを調べて作ってみようという気になったらしい。
もっとも、エスニック料理にはつきものの、意味不明のカタカナ列記名、はたして覚えていられるのか?
…という危惧も、カタカタたった4文字ならなんとかなったらしい。
そしてこの日、散歩で青パパイヤをゲットしてきてからレシピチェックをした結果、夕食に登場したのがこちら。
青パパイヤのなんちゃって「ソムタム」。
タイの東北地方のソウルフードらしいこのソムタム、「ソム」は酸っぱい、「タム」は叩くとか搗くという意味なのだそうな。
パッと見は細く切ったパパイヤにトマトを添えてパクチーを載せているだけに見えるけれど、実はこの状態で味付けも調理も終わっていて、「タム」も施されている。
見た目では存在がうかがい知れない小エビや落花生なども混じっており、パパイヤともども叩かれて搗かれて細かくなっている。
ちなみに我が家では小エビなんてインスタントカップ麺の中でしか見ることができない食材なのに、このソムタム用にとあらかじめオタマサが人生で初めて購入しておいたものだったりする。
さらにちなみに、調味料を除いた材料のうち、買い求めたのはこの小エビだけで、落花生はトシおばさんからいただいたもの、トマトやパクチーはオタマサ産、そして青パパイヤは採取してきたものだから、例によっていつものごとく、エンゲル係数は極めて低い。
ま、だからといってそもそもやる気モード系の料理ではなし、ワタシにとっては「おおッ!」と盛り上がる料理ではないんだけど、ほぼほぼ家にあるものだけでできるエスニック、さっそく実食してみると…
おおッ!
まるでエスニック料理店でいただくような味付け!
酸っぱい&叩くという意味だけに、てっきり酸味が強い系かと思いきや、いわゆる「日本人のお口に会うエスニック」で、辛いのは辛いものの味付けがビールにマッチング。
もともとが日本人用のレシピだからこそなんだろうけど、オタマサがアレンジしたらもっと酸っぱくなっていたであろうところ、レシピどおりに砂糖もふんだんに使ってあるから(日本の)お店のような味になっているようだ。
期待以上に美味しかったので、珍しくおかわりしてしまったくらいのこのなんちゃってソムタム、はたしてオタマサはレシピを覚えていられるだろうか?
おそらく覚えているつもりで次回作ってくれたとしても、出来あがったものはかなり酸っぱくなっているものと思われる…。
この日の感動は、今日だけのシアワセ。
2024年04月09日
ブッダマス。
2024年 4月8日(月) 雨模様
南の風 おだやかのち波あり
引き続き頑張るプレ梅雨。
この日の時系列予報には「強雨」の時間帯もあったけれど、それほどの土砂降りにはならずに済んだ。
そんな冴えないお天気の1日ではあったけれど、本日は花祭りことお釈迦様の誕生日。
すなわちブッダマスだ。
キリストマスは盛大に祝っても、ブッダマスには灌仏会を催す寺院以外なにもしない不思議な国ニッポンながら、我が家ではブッダマスイブに御馳走が並んだ。
バジルもミジュンアンチョビもビックリジャンボ(インゲンの親戚)も、そしてもちろんトマトも自家製の、ピザ3種盛り♪
なにしろ今の季節はトマトバブルなものだから、大量に利用できる使い道といえばトマトソース。
で、そのトマトソースを何に使うかということで、珍しくオタマサがネットで色々調べ、手軽にピザっぽいものを作れることを知ったらしい。
さっそくブッダマスイブの日中、オタマサは下ごしらえに取り掛かり、肉まんでも作るのか?という感じの小麦粉の団子が平たくなって、ピザ生地に変身していったのだった。
石窯であっという間に焼きあがるような本格的なピッツァではもちろんないけれど、本島まで出掛けなきゃ味わえないような類のものを、島に居ながらにして食べられるシアワセ。
お釈迦様とは何の関係もないピザながら、見ようによっては三種の大輪がパッと咲き誇っているかのような…。
束の間ながらも我が家の食卓は、慎ましやかな花御堂になったのでした。
2024年04月08日
雨中に活を求めてみれば…。
2024年 4月7日(日) 曇りのち雨夕方曇り
南東の風 おだやか 水温21度
引き続きプレ梅雨のお天気が続いている。
おかげで天気はまったく冴えないんだけど、困ったことにというか皮肉なことにというか、海況はバッチリだったりする。
客としてただ潜るだけならばともかく、ボートの面倒も見ながら海で遊ぶとなると、晴天で時化時化状態と雨模様でもベタ凪ぎ状態のどっちがいいかといえば、それはカレーの匂いがするウンコとウンコの匂いがするカレーだったらどっちを食べる?という究極の選択よりも遥かに答えは明白だ。
もちろん雨模様でもベタ凪ぎの勝ち。
< で、ウンコ問題は?
これが雷雨が予想される状況であれば、四の五の言わずおとなしく家で本でも読んでいるところながら、雨は小康状態、周囲を見渡すかぎりどえらい雨雲の気配はなしとなれば、こりゃあ行くしかないでしょう。
というわけで、朝イチ便の到着前に海へ。
曇天&表層の濁りで、海中はトロピカルなイメージとは程遠いくらい世界ながら、照度が低い時ならではのラッキーチャンスというものもある。
明るいところが苦手なエビカニ系が、普段よりも表に出てきていることが多いのだ。
エビカニ好きなオタマサが、いつも以上に目を皿のようにしてサーチできる好条件とも言える。
ところが彼女がこの日遭遇したホットなクリーチャーはというと…
撮影:オタマサ
…ベニゴマリュウグウウミウシのチビターレ。
過去にオトナには出会ったことがあるから初遭遇ではないとはいえ、スーパーファインサンドに比してこのサイズのチビターレはミニマム記録だ。
この色味だと、赤系が真っ先に吸収される海中では地味に黒っぽい塊にしか見えないんじゃ…と思われるかもしれない。
ところがこのウミウシの場合、海中では地色は地味になる一方で、なぜだか点々模様は妖しく蛍光色を発しているのである。
むしろストロボを当てた色味よりも海中で観る色のほうが、よっぽど神秘的に見える。
ところがストロボを当てて撮った写真をもとに後刻図鑑で調べてみると、「紅胡麻」なんて和名が…。
枯れたススキが幽霊に見えるくらいのほうがよかった…ということも世の中にはあるのだった。
一方ワタシは、エントリーと同時にイトヒキベラにつかまってしまったものの、もう少し足を延ばしていつもの根にたどりつき、以前紹介したことがあるアカシマシラヒゲエビの由紀さおり&安田祥子の童謡姉妹を訪ねてみた。
不審死により先日最期を迎えてしまったサンゴの陰にポジショニングしているアカシマシラヒゲエビは、当初は1匹だけだったところにその後もう1匹現れ、おや、パートナー登場?と思ったら実はどっちもメスだった…
…という話は以前紹介した。
どっちもメスだから、それ以来この2匹を童謡姉妹と呼びながら訪れるたびに毎度チェックしていたところ、この日は少しばかり変化が生じていた。
なんと童謡姉妹に従妹が加わり、新ユニットが誕生していたのだ。
新登場のその従妹とは…
ご存知ホワイトソックス!
一時期シロボシアカモエビという和名がつけられかけたこともあるこのエビは、世にその存在が知られて以来、ずっとスター街道を歩んでいる。
ただし水納島では、ひところ出現が相次いた頃もあったとはいえそうそう出会えるエビちゃんではなく、個人的には17年ぶりの再会だ。
そんなレアものが、童謡姉妹と新ユニット結成。
分類的に近い仲間だし暮らしぶりも似たようなものだから同じような場所にいることは不思議なことでもなんでもないものの、だからといってアカシマシラヒゲエビと一緒に写せる機会などこれまで一度もなかった。
ちなみにこの新ユニットの3匹は、最初から先ほどの画像のようなポジション取りだったのではなく、↓こういう状態だった。
このあと右の由紀さおりが左の安田祥子のほうに移動するのだけれど、その際に真ん中のホワイトソックスの目の前を横切っていく。
そこはそれ、新ユニットのセンターとしてのプライドがあるからか、無遠慮に目の前を横切っていく由紀さおりに対し、ちょっと怒ってみせるシカゴ・ホワイトソックス。
なにげに気は強いらしい。
ところで、かねてより童謡姉妹がこの場所を気に入っていたのは、サンゴの陰で暗いということのほかに、すぐそばにイソギンチャクがいることも理由になっているのかもしれない。
イソギンチャクに寄り添うタイプのエビちゃんではないとはいえ、イソギンチャクのおかげで余計なものが近づいて来ないとなれば、それにこしたことはないってことか。
ちなみにこのイソギンチャク、おそらくイワホリイソギンチャクの仲間と思うのだけど、水納島ではそうそう目にする種類ではない。
ひょっとすると出るところに出れば…というか見るヒトが見れば、ホワイトソックスよりも「おっ!」となるかも…。
このイソギンチャクの助力のほどは不明ながら、童謡姉妹がずっと同じ場所に居続けてくれているからこそ毎度注目していたわけで、この日の17年ぶりの再会は、いわばこの童謡姉妹のおかげといっていい。
そして海中が曇天&表層の濁りで暗かったからこそ、いつもは出てこない場所にホワイトソックスまで姿を現してくれていたのだろう。
グッジョブ、プレ梅雨。
ホットな出会いに気を良くしていたから、リーフ際に戻ってきてから「何かいはしまいか?」というサーチモードでもなく、のんびりポヨヨンと泳いでいたのがかえってよかったのだろうか、意外なところでこんな魚に出会った。
この画像をご覧になり、20センチほどの魚がどこにいるか、ゼロコンマ3秒ですぐにわかった方はさすがである。
3分経ってもわからない方のために…
オオモンカエルアンコウ。 ←大山のぶ代版ドラえもんの声で。
こうして見てみると、オオモンカエルアンコウの尾ビレはヘラジカハナヤサイサンゴの枝に擬態するのにバッチリな形状であることがわかる。
それにしては色が…と思われるかもしれないけど、このヘラジカハナヤサイサンゴは半分かた紫色のカイメンに浸食されているから…
…色味的にも見事に溶け込んでいるのだ。
デンッと構えているようでいながら、実は背景に溶け込み、近寄ってくる獲物を虎視眈々と待っているオオモンカエルアンコウなのである。
しかしその瞳は、案外プリティだったりする。
撮影:オタマサ
目は口程に物を言う…のであれば、オオモンカエルアンコウ、実はいいヒトなのかもしれない。
というわけで、天気予報的にはまったくもってその気になれない1日ではあったけれど、雨中に活を求めてみれば、意外や意外、実にホットな巡りあいが待っていたのでした。
2024年04月07日
ダダ漏れの縮図。
2024年 4月6日(土) 雨夕刻だけ晴れ
東の風 おだやか
今年のプレ梅雨はなかなか本格的で、梅雨よりも梅雨らしく、水不足などどこの県の話?と言いたくなるくらいよく降っている。
今日も朝からずーっと雨で、このまま一日中降りっぱなしになりそうな雰囲気だった。
ところが最終便が出るころに、空には次第に晴れ間が広がり始めた。
きっと雨雲も疲れてしまったのだろう。
おかげで散歩のひとときを楽しめた。
湿度の高い空気には、満開を迎えているセンダンの花の香りが充満している。
うーん、春の香り。
夕刻束の間晴れたとはいえ、これほど連日雨が続いていれば、V字回復とはいかないまでも、ジワジワとダムの貯水率も上昇してきているんじゃなかろうか…
…と思っていたところ、今朝届いた沖縄タイムスの1面を見て驚いた。
伊平屋・伊是名あたりなんて、なにかといえばいつも雨雲の縦列駐車地帯だというのに、どこよりも貯水率が低いってどういうこと?
記事を読んでみると、そもそもの少雨もさることながら、貯水率の大幅減の裏にはもっと衝撃のジジツが。
まるで文春の芸能人報道のように「ある関係者」が語るところによると、
「浄水場から各家庭までの水道管のどこかで漏れている疑いがある」
というのだ。
浄水場から供給されている水の量と、各家庭に行き渡っている水の量に大幅な差異があるとなれば、これはもはや推測の域ではなく、事実とは言えないまでもジジツと言ってしまって差し支えあるまい。
しかるにそんな重要なことを、「ある関係者」の憶測だけで済ませてしまっていいのだろうか?
というか、名や立場を明かせない「関係者」も匿名にしている記者も、慮るところを間違っていはしまいか。
記者は一応伊是名村の「担当者」にも取材しているようながら、漏水のジジツに関してはウヤムヤのままで終わっている。
先年座間味村でモンダイになっていた浄水場建設は座間味村だけの話ではなく、県内離島の水不足問題のために…という名目で巨額を投じてあちこちの離島に新規に造っているそうなんだけど、浄水場だけ立派にしつつ、そこから供給される水道管は老朽化のために漏水している……ってのはどうなのよ。
増税その他社会のありようを決める立場にある人々が様々な方面で国民に負担を強いておきながら、当の本人たちは揃いも揃ってダダ漏れ状態という、ニッポンの縮図そのもののようにも見えてくるのだった。
2024年04月06日
便利の陰で広がる不便。
2024年 4月5日(金) 朝のうち晴れのち雷雨
南西の風 うねりありのち波あり 水温20度~21度くらい
雨模様になる予報ではあったけれど、朝のうちは晴れ間も出ていて、パッと見はいい日和と騙されそう。
でも遠く周辺空を見渡すと、やがて空を覆い尽くしそうな雲が虎視眈々で出番を伺っている様子。
時系列予報でも昼から本格的な雨になりそうだ。
ということは、午前中の早いうちがチャンスかも。
明日以降晴れの日が続くのであれば、何もこんな日に海へ行こうという気にはならないところながら、この先5日間はずっと雨模様となれば、今を逃す手はない。
というわけで、朝イチの連絡船が到着する前に海へ。
ときおりパラつきつつも時々日差しも出るなど、お天気はなんとか持ちこたえてくれているなか、久しぶりに岩場のポイントのリーフ上へ。
朝の早いうちはほとんど風が無かったものの、前日からのうねりが残っているために、リーフ上はグッドコンディションというわけではなかったけれど、シマハギの若魚たちが水深1メートルほどのところで群れ泳いでいる様は、砂地のポイントではそうそう見る機会がないだけに、新鮮かつ壮観だった。
残念ながら、画像はない。
海から戻ってきてしばらくすると、本格的な雨に。
時間帯のチョイスは大正解だったようだ。
あと1時間もってくれれば、雨に祟られることなく13時30分の便で島を発つことができたであろう日帰り客のみなさんは、惜しくも大雨に見舞われることとなってしまった。
そしてそのまま雨が続いていたこともあり、13時の便で島にお越しになった日帰り客はゼロだったっぽい。
明日も明後日も明々後日もお天気はこんな感じだろうから、週末のビーチは開店休業状態になることだろう。
近年は4月早々に「もう梅雨入り?」と思わせる停滞前線が居座る期間があって、ワタシなどは毎年のごとくそれをもってセルフ梅雨入り宣言をしているのだけど、水不足に悩む沖縄のダム事情からすれば、このプレ梅雨は大歓迎のはず。
とはいえメリハリサバイバル気象のこと、そのうち水不足解消を通り越して、大雨のあまり水害が発生しそうな気配もあったりするけど…。
さてさて、そんなわけで日中は冴えないお天気だったかわりに、今宵の卓上は慎ましくも華やかに花開いた。
サザエとズッキーニと島ニンニクのアヒージョ♪
これといった主体性が無いかわりに、どんな味にもすぐさま染まるズッキーニ、名バイプレーヤーの本領はこういう味付けでもいかんなく発揮される。
でまた島ニンニクが美味いんだわ。
材料的にこれだけでも充分美味しいのだけれど、やはりそこにサザエさんのダシが加わることによって、煌めく黄金のメニューへと進化を遂げる。
そして…
サザエとヒロセガイのお刺身♪
お刺身はオリーブオイルに塩をまぶしたものに漬けていただくから、どちらもワインメニュー。
ワタシは生のコリコリ刺身よりも、茹でたものをいただく方が好きなので、サザエさんは本体を真っ二つにカットしたものが定番だ。
サザエさんはなんといっても茹でたてをそのまま何もつけずに(海水の塩味は加わっているけど)食べるのが一番美味しいと個人的に思っていて、茹でてから2つにカットしたお刺身はそれに最も近い状態といっていい。
いやはや、こりゃまた至福のひととき。
その昔なら、沖縄のサザエならその辺の地産物を扱っているお店でも、まぁこれくらいかな…と納得できるお値段で売られていたものだった。
ところが今や、たとえば名護のJAの鮮魚店で売られているサザエを見ると…
ロケットパンチ状態で発射されたかのように目ん玉が飛び出てしまった。
これまたその昔、本島をドライブしてから島にお越しになった方が、「古宇利島で1個1000円で売られてました」といって買ってきてくださったヤコウガイと、今JAの鮮魚店で売られているサザエさん3個のお値段が同じって…。
ま、ウミンチュの皆さんは工事現場の警戒船という濡れ手に粟シゴトでウハウハだからわざわざサザエなどチマチマ獲るヒトなどおらず、なおかつ「密漁パトロール」と銘打って世間の人々のサザエ獲りを厳しく禁じ、おまけにサザエ自体もおそらく環境要因で激減しているとなれば、サザエはこの先ますます食卓から縁遠くなっていくことだろう。
20世紀のその昔、島の民宿のバーベキューで、サザエの壺焼きが1人2個ずつ振る舞われていたことがいかにゼータクなことだったか、今さらながらよくわかるというもの。
当時の民宿大城さんはおじいとおばあでやっていて、お客さんの人数が多い時は、オタマサは朝食と夕食を、ワタシはバーベキューの時のみ夕食の手伝いアルバイトという形でさせてもらっていたのだけれど、ご要望に応じてサザエも確保してきて、1個50円で買い取ってくれていたものだった(時効ですから)。
つまり当時バーベキューで振る舞っていたサザエの壺焼きは、我々が海で獲ってきたものをワタシが焼いてお出ししていたのだ。
うーん、なんというゼータク。
ゼータクといえば、当時民宿大城のバーベキュー小屋は現在の宇宙基地待合所の場所にあり、お客さんたちは夕食時、海を眺めながらさざ波の音をBGMに食事をしていたものである。
それが今や、目の前の海でサザエを獲ることは許されず、海まですぐの小さな島だというのに海辺で食事をすることもできなくなっているだなんて…。
ネットだスマホだキャッシュレスだマイナカードだデジタルだAIだなんだかんだと、世の中便利になっているフリをし続けている一方で、暮らしの中で「昔のほうが良かった」と思う案件が年々増えていくのはどういうわけだ?
< そんだけ齢とったってことなんじゃ?
2024年04月05日
トマトにマッチ。
2024年 4月4日(木) 晴れのち晴れたり雨降ったり
南西の風 うねりあり
昨日上架したばかりながら、作業は済んだのでこの日の朝さっそくボートを海に戻し、そのあとは潮に浸かった船台のお手入れ。
我々の隣のスペースで、上架してあるボートのメンテナンスをしている方々は旧知でもあるので、もちろんのこと昨日の津波話になった。
そしてその時お話を伺って、なぜ昨日は本部町だけが本島内で突出して非常事態レベルを上げていたのか、その理由がわかったのだった。
というのも、昭和の昔にあったチリの大地震の際に、遥か太平洋の端から端まで渡ってきた津波により、沖縄本島地方にも被害が出ていたのだ。
そういえばその昔、今は亡き民宿大城のおじいことヤスオさんから、当時の水納島での被害についてはお聞きしたことがあった。
裏浜の湾内からドドッと押し寄せた津波のせいで、不定期渡船として利用していた木造船が流されてえらいことになった…ということがあったそうな。
幸い集落方面まで津波が押し寄せることはなかったものの、裏浜一帯はかなり大変なことになったらしい。
その話はかつてうかがってはいたけれど、本島でどうだったのかということをリアルタイムで体験していた方は島のおじいおばあのなかにはいらっしゃらなかったから、今回初めて当時の津波被害を目の当たりにした方の話を伺うことができた次第。
それによると、渡久地港を河口にもつ満名川のかなり上流まで津波が駆け上り、当時あった採石場のトロッコレールからなにから、とんでもないことになったのだそうな。
川沿いの小学校に通っていた彼によると、避難をしていたおかげで学校等に人的被害は出なかったそうながら、今で言うならディザスタームービーのスペクタクル場面のような光景だったことだろう。
同じく低地にある学校ではかなり被害が出たらしく、それ以外にも低地集落が多い本部町のこと、随所で大変なことになっていたのは想像に難くない。
昭和の昔に生きていた本部町の高齢者にとっては、津波被害はけっして他人事ではない災害として、今もなお根強く心に植え付けられているのである。
ちなみにそれは現在70歳前後の方が小学生だった頃の話で、島のリョウセイさんやタツヤさんも紅顔の美少年だった頃のことだから、もはやほぼほぼ「歴史」の1ページといっても差し支えない。
そんな昔に、よくぞみなさん事前に避難できたものだなぁ…。
今のように地震発生と同時にアラームが鳴り響き、津波が来ることを知らせるシステムなどあるはずもない昔のこと、いったいどうやって?
…と思ったら、なにしろはるばるチリからやってくる津波なものだから時間がかかり、途中途中で観測されていて、津波の第一波が現在どのあたりまで来ているか、ということがある程度把握できていたらしい。
たとえアナログでも、やれることはいろいろあるのだ。
さてさて、海に戻したボートで、昼頃に島に帰還。
そのころまではいい感じだったお天気も、だんだん雲が増えてきて、けっこう本気の雨降りになってしまった。
渡久地港を出るのがあと30分~1時間ほど遅かったら、雨に打たれて哀しい洋上になっていたかもしれないところ、ギリギリセーフ。
そういえば、渡久地港を出る前に立ち寄ったサンエーでは、冬のトモダチのダニエル氏が、過去に目にしたことがない高額になっていたので驚いた。
これじゃあひところのジョニ黒と同じじゃないか。
ただしそのジョニー・ウォーカー氏も、ゴキゲンそうにステッキを持って歩きながら、その「ひところ」よりも1000円近く高みに去ってしまったけど。
円安のせいで何もかもが高くなるなか、これまではかろうじて生活圏内にいてくれたダニエル氏までが、「家計」では買ってもらえない「あっち側」のヒトになってしまった。
4月から多くの商品が値上がり…というタイミングとは関係なく、野菜類もかなり値が張っているようだけど、その裏には天候不良による不作という事情があるらしい。
天候不良や生長不良などと聞くとたまたまこの年だけってイメージで、今だけ我慢していればそのうちまた元に…と楽観気味になるかもしれない。
けれど生きていくうえでは半導体なんぞよりも遥かに大事な1次産業を、根本的なところでは政策的に長い間ズーッと粗略に扱いほったらかしにし続けてきたツケが、いよいよ怒涛の勢いで回ってくる段階に入ってきている…
…と冷静に考えれば、ダニエル氏が縁遠いヒトになってしまったなどと嘆いている場合ではない世の中が、もうすぐそこまで来ているようにも見えてくる。
であれば、ますますオタマサにはあたいぐぁやヒミツの畑で頑張ってもらわねばなるまい。
その成果のひとつ、タマネギは昨日紹介したとおり。
そしてタマネギたくさん♪という時代にのみ許されているのが、こちら。
おかわりしてから撮ったので、皿の上が美しくなくてすみません…。
でもワタシが思わずおかわりするほどのサラダ、残念ながらキャベツは作っていないから買ったものながら、千切りキャベツにかけるドレッシングといえば…
そう、サトーちゃんドレッシング。
その昔那覇の与儀公園近くにあった名店「さく菜や」さんのランチで定番だった、サラダのドレッシングだ。
以前も拙日記にて触れたように、彼女が店を畳む際に、人気メニューのレシピをいわば形見分けのように配布してくれて、このドレッシングもその際教わったレシピ。
もちろん当時のお店ではキャベツはもっともっと繊細な極細千切りだったから、ビジュアル的にも相当美しかったのだけど、今ここで肝心なのはドレッシング。
これがまた美味しいんだわ。
で、オタマサは以前から知っていたようながら、今回ワタシが初めて気がついたことが。
このドレッシング、トマトに激マッチング!
プチトマトや中玉トマトに比べ、フツーサイズのトマトはそれのみで食べるといささか甘味に劣る。
でもトマトは基本的に何もかけないか、せいぜいマヨネーズというワタシなので、今まで試したことがなかった。
ところがこの日、ふと気が向いてこのドレッシングをかけていただくと、まるで昭和の昔、さして甘くないスイカに塩をかけたらやたらと甘くなるように、トマトが極上テイストに早変わり。
酸味強めのドレッシングなのに、なんでこうなるんだろう?
当時の「さく菜や」さんではサラダにトマトまでついていた記憶はないから、これはひょっとするとお店では味わえなかった味かも?
幸いトマトは現在山盛り、このドレッシングさえあれば、今だけのシアワセをたっぷり味わえる…
…と思ったら、前回とこの日でドレッシングをかけすぎ、なんてことだ、当分楽しめそうなほどにあった作り置きが、もうあとわずかになってしまっていた。
オタマサが調子に乗ってまた作ってくれることに期待しよう。
2024年04月04日
津波の功名。
2024年 4月3日(水) 朝薄曇りのちおおむね晴れ
南西の風 津波あり
無事なのか死んだのか、固唾を吞んで拙日記の更新をお待ちになっていた3名ほどの方に最初にお知らせしておきます。
おかげさまで我々は無事でございます。
さて。
前日昼間に船長から電話があった。
はて、こんな時間にナニゴトだろう?
すると、「明日は全便欠航します」とのこと。
たしかに風は強まる予報ながら、南西からの風のこと、島の桟橋側はほぼほぼ影響なしのはずなのに…?
石橋を叩いても渡らない君子は、危うきには近寄らないのである。
というわけで、わりといいお天気の予報だったこの日の連絡船は、南西の風という夏模様で欠航に。
これには各業者さんも不満を隠せなかっただろうけれど、結果的には海運グッジョブということになった。
この時期だからそれほど多くはないとはいえ、それでも島民を遥かに上回る数の日帰り客がもしビーチで遊んでいるところに津波警報が出ていたら…。
ちなみに水納島の緊急避難場所は、現在休校中の小中学校の屋上ということになっている。
なのでひとたび津波警報が出れば、そこに各業者も水着姿の海水浴客も、もちろん島民も、ドドッと集合することになる。
かつて2~3度避難訓練が行われたことがあるけれど、もちろんそれはオフシーズンのことで、実際にお客さんまで避難したことはこれまで一度も無い。
もし真夏のハイシーズンにそんなことになれば、小さな屋上に500人ほど押し寄せることになるから、とってつけたような役場の「避難場所」設定は、そもそも非現実的机上の空論である…ということが如実にわかるいいチャンスでもあったんだけど、幸か不幸か連絡船の全便欠航が前日から決まっていたおかげで、そういう事態にはならずに済んだのだった。
もっとも、津波警報が発令されたのは9時過ぎ、もし通常運航していたら連絡船が渡久地港を出港してほどない頃だったから、おそらく島まで渡ったとしても島のヒトだけ下船して日帰り客は下ろさず、日帰り客を乗せたままおっとり刀で渡久地に引き返していたことだろう。
そんな混乱が発生することもなく、静かに警報&注意報解除の時を迎えることができたのは、これすべて連絡船が欠航していたおかげである。
で、島ではみなさん学校の屋上に避難していたのかというと…
…すみません、我々は島内に居なかったので知りません。
というのも、先日お伝えしたように、渡久地港北岸の船台をいついつまでに移動すべしという通達を突如受けたこともあり、その前にボートを上架し、船底塗料を塗っておくことにしたのだ。
それをこの日に予定していたのだけど、あいにく日中は連絡船が欠航を決めるほどの強風になる見込みだったから、まだ吹き始めの朝方に島を出ることにした。
そして滞りなくボートを上架し、ついでに郵便局まで行って、連絡船欠航のために本来届かないはずのオタマサのハイオクガソリン5本セットを受け取って…
…というところ、すなわち本部郵便局にいるときに「津波警報」発令。
携帯電話がビービー鳴り、防災放送を流す町内のスピーカーからも警報発令を伝えるアナウンスが流れ続けている。
ただしテレビニュースと違い、津波の到達予想時刻とかそういった詳しい内容が確認できないから、なにやら今にも押し寄せてきそうな雰囲気も。
なんてことだ、本部郵便局は河口近くの海抜ヒトケタ地帯ではないか。
ともかくまずは、海抜50メートル前後ある秘密基地まで戻らなければ。
…という時にかぎって、前を行く大型のユニック車のノロノロ運転ときたもんだ。
でも本部大橋の北側あたりから海を見渡したところ、今のところ緊急事態というわけでもなさそう。
そのまま無事に秘密基地に戻り、さっそくテレビをつけてみたらば…
こんな時間からテレビを見ていられるヒマな方々がご覧になっていたであろう、臨時ニュース。
与那国や石垣などのほか、那覇の様子なども映像による中継があったのだけど、思いのほかみなさんちゃんと避難しているようで驚いた。
さすがに正月早々能登であんなことが起こったあとだけに、けっして侮ってはいないということなのだろう。
というか、ついさっきまで海抜0メートル地帯で上架作業をしていただけに、ホントに予想されるほどの津波が来ているときにそんな作業をしていたら…と思うと、作業をすべて終えたあとでラッキーだったと、今さらながら胸をなでおろしたのだった。
でも上架しちゃったボートはどうなるんだろ?
今さらそんなことを気にしても仕方がない。
とはいえ、この日ペンキを塗る予定にしているというのに、このまま警報が解除されなかったら?
3メートルもの津波などどうせ来ないだろう…と高をくくって、警報発令中に港で塗装作業をしているところにホントに津波が来て被害に遭えば、それはノーインテリジェンスな舌禍騒ぎを起こして辞職するどこぞの知事と同じくただのバカタレ以外のなにものでもない。
でも名護に買い物に行くくらいなら大丈夫なんじゃね?
なによりもペンキを買わねばならないし、その他いろいろ定例の買い物もある。
海沿いの道を行かず、海抜の高い地帯伝いに行けば、まぁ大丈夫でしょう…
…と、とりあえず今帰仁城址から本部町内に再び戻るコースで車を走らせてみたところ、おお、いくらなんでもここまで高いところに避難しなくても…ってくらいの高台の沿道に、多くの車が縦列駐車状態になっていた。
海を見晴るかす場所が特等席らしく、みなさんちゃんと避難しながらも海の様子を気にしているようだった。
本島地方では、なぜだか本部町だけが突出して警報レベルを最上級にしていたようなのだけど、どうせ町民のみなさんは真に受けていないのでは…というワタシの予測とはまったく違う光景なのだった。
で、今帰仁城址から本部町内に出てくると…
ああ、しまった!
いったん海抜ヒトケタ地帯に出てしまうじゃないか。
それも満名川の川沿いに。
すぐさま伊豆味の道へ出て標高が高いほうへ向かうと、その川沿いの海抜ヒトケタメートルにあるローソンはフツーに営業していた。
河口にほど近いこんな場所など、本気で津波が来たらかなりヤバいと思うんだけどなぁ…。
名護に向かっている最中は、普段そこまで混みあわないだろうってくらいにあっちこっちで渋滞になっていた。
それも、脇道から幹線道路に入ってくる車がやたらと多い。
ひょっとしてこれは…?
そのあとスマホで確認してみると、案の定警報が注意報に変わっていた。
高台に避難していた車がドドッと降りてきていたのだ。
時ならぬ大渋滞に戸惑いつつペンキを買いに。
名護には知る人ぞ知る塗料専門の老舗があって、昨年デッキの色変えをした際もその店で買い求めた。
ちょうど今頃のことだったから、かれこれ1年経っているため、覚えているつもりだった塗料の名前も色の種類も、注文する段になってビミョーになってしまった。
すると、いつになくスタッフが多いレジスペースの奥に鎮座まします店主である貫禄あるご婦人が、
「ああ、去年も買いに来ましたよね?」
とワタシのことを覚えてくれていて、なおかつその際ワタシが買ったものを教えてくれたのだった。
さすが老舗の店主…。
それもあって話も弾み、あれやこれやと言っていると、そのうちふと奥からなにやら取り出した店主が、
「はい、これ。」
と、粗品進呈的にとあるものを手渡してくれた。
その「とあるもの」とは…
キャップ。
それも、船底塗料でおなじみのうなぎ塗料「一番」のキャラクターマークが入っている帽子だ。
農業関係でいうなら「HB-101」の帽子に匹敵する、いや、それ以上にレアものかもしれない…。
秘密基地に戻ってきた頃には注意報も解除されていたので、午後遅くから心おきなく港で塗装作業をすることができた。
この帽子のおかげで、すっかり良くなったお天気の下での塗装作業も、暑さに苛まれることなく無事終了したのだった。
というわけで、降って湧いた津波騒ぎも結局20~30センチ程度が各所で観測された程度で済み、予定どおり作業を終えることもできたのだけど、あの緊急事態を告げるニュースをご覧になっていたら、
「もう水納島は終わっている…」
と思われた方もいらっしゃったかもしれない。
実際、無事を確認するお電話をいただいたほか、少なくとも前回PCを買い替えて以降は一度も音信が無かった友人から、当サイトの「お問い合わせフォーム」を利用しての無事確認の連絡があったりもした。
過去にPCが壊れて買い替える都度拙日記上で白状してきたように、恥ずかしながらワタクシ、メールアドレスのアドレス帳をキチンと管理していないため、PCが壊れてしまうとほぼほぼ白紙状態になる。
そのためその都度、メールをくださいと拙日記上などでお願いしてきたわけなのだけど、数年前にメールアドレスを変更してしまったから、アドレスがわからなくなったままでいた方々にはアドレスを変更した旨を伝えることもできないし、先方が久しぶりに連絡を取ろうにも、こちらのアドレスがわからない、ということになる。
そのうえ今年から従来の固定電話の利用も終了してしまったため、お互い無沙汰を決めていると、この日のような「いざ」という時にまったく連絡が取れない…ということになるのである。
久しぶりに連絡が届いたのは学生時代からの友人で、もうこの齢になるといわゆる旧友ということになる。
しかし我々の披露宴の際には友人代表として挨拶までしてくれた仲にもかかわらず、近年は年賀状を出しても返信が無いところからして、ひょっとしてもうこの世にいないのでは…?となにげに心配していたところではあった。
それがまさか、こちらの生死を問う内容の連絡が彼から届こうとは…。
おかげでかなり久しぶりに連絡を取り合うことができ、互いの生存確認もかなったのだった。
まさに津波の功名だ。
そんな津波騒ぎなどどこ吹く風でスクスク育っていたヒミツの畑の野菜たち、種類は限られてはいても、オタマサの丹精のおかげでこのとおり。
タマネギをはじめとするネギ系もトマトも、以前までのマサエ農園畑1号2号当時に引けを取らない収穫量。
なには無くともタマネギがあればシアワセ…という方なら涙ちょちょぎれ級の新玉バブルだ。
まだまだ小石が多すぎて大根や人参などの根菜系はキビシイものの、これほど採れれば「森」を畑にした甲斐があるというもの。
小石排除の道は険しけれど、やがてジャガイモや大根もわんさか採れるようになるかも?
2024年04月03日
ラスト・バブル。
2024年 4月2日(火) 晴れのち曇り昼前後雨
南東の風 波あり
春はあけぼの、そして花々。
ハイビスカスのように見境なく年がら年中咲いているのが亜熱帯っぽいイメージかもしれないけれど、沖縄にも「春」の花はたくさんある。
我が家の庭でも、近年では随分遅めにアマリリス第1号が自ら開花宣言していた。
ささやかな裏庭では、裏あたいの脇で肩を寄せ合うグラジオラス第1号も、静かに花を咲かせている。
雨が上がった午後に散歩をすると、センダンがかぐわしい香りを周辺に放っているほか、まるで沸き立つかのように白い花を咲かせているシャリンバイも季節を迎えていた。
なんだかそこだけ雪が積もっているかのようにさえ見れるシャリンバイ。
島内には探せばほかにも花を咲かせているシャリンバイが何本か育っているんだろうけど、道路脇でこのように見られるところは島内ではここだけ。
他の季節ではただ葉が茂っているだけの雑木にしか見えなくとも、この季節の短い期間だけ、このように目を見張るほどの満開時期を迎える。
それほど香り立つ花々ではないけれど、やはり花から何かが発せられているのだろう、そこらじゅうハナムグリだらけだった。
この木1本だけで、おそらく100匹は下らないほどのハナムグリ大集合。
シャリンバイの満開は、ハナムグリたちにとっては願ってもない期間限定バブル到来状態らしい。
毎年この時期に花を咲かせるシャリンバイ。
しかしこの木は、やがて始まるリゾート開発の一環で整備される舗装道路のために、まずまちがいなく跡形もなく消え去ることだろう。
ひょっとすると、今年が見納めかもしれない。
となるとハナムグリの春のバブルも、今年でジ・エンド。
春風に揺れる草々のざわめきに、諸行無常の響きあり…。
2024年04月02日
クチナシはカラフル。
2024年 4月1日(月) 晴れ
無風のち北の風 おだやかのち波あり 水温20度(表層は21度)
風は北に回る予報ながらお天気は良く、新年度の始まりは緑輝く春らしい日和になった。
そして4月1日は、水納ビーチのシーズンスタートの日。
コロナ禍中や昨年はGW前からというのが恒例になっていたから、久しぶりに4月の始まりとともにシーズンインとなると、なにやらのどかなオフシーズンから一変して慌ただしい雰囲気になる。
そして、海開き=各業者さんたちが島で営業を始めるので、この日は朝からずっと、北風に乗ってジェットスキーのエンジン音が唸り続けていた。
それ自体は大した音量ではないんだけど、もともと風や波の音、そして鳥の声くらいしか聴こえてくるものがないところにずっと続くエンジン音となると、まるで部屋に入り込んできた大きなハエの羽音なみに鬱陶しい…
…とこれまでずっと思い続けていたんだけど、もうすぐ始まる港の大規模工事その他、予定されている様々な工事のことを思えば、ジェットスキーの音なんて100メートル先の蚊の羽音くらいのものでしかない。
そう考えれば、シーズンインとともに始まるいつものウンザリ感を覚えることもなくなるのだった。
基本的にビーチのシーズンインとは何の関係もない我々は、今朝の晴れは詐欺ではなさそうだったから、午前中に海へ。
目当てはもちろん、このタコッ!。
というわけで、なんてことだ、4連続でがんばるオジサン(←ポイント名です)。
そういえば先日「おっ?」と思った、サンゴに群がるソラスズメダイたち、思わず動画でも撮っておこうと思ったほど多く群れていたのに…
その翌日には…
早くも激減していて、1週間経っても…
減ったまま。
そしてこの日は…
サンゴの上にいるソラスズメダイは、わずか数尾になっていた。
だからといってあたりからすっかり消え失せたわけではなく、周辺のソラスズメダイがいそうな場所にはたくさんいる。
やはりソラスズメダイたちは、極端に言えばあの日あの時あの瞬間だけサンゴに集合していたわけで、ワタシが「おっ?」と思ったのも無理はなく、それはとてもラッキーなタイミングだったに違いない。
その時そうとわからずとも、あとになってしみじみ味わえるタイプの幸運。
とはいえワタシにもっと記憶力があれば、その場でラッキー♪と思えたろうになぁ…。
このタコッ!現場を訪れる前に、前回の不思議的色味のモラトリアムタテキンを観ておこうと思ったら、前回出会ったところにその姿は無かった。
たとえ幼魚であっても住処にするにはそぐわなそうな小さな岩だっただけに、前回はたまたまフラりと立ち寄っていただけだったのかも。
でもそれほど遠くに行っているわけではないだろうと見当をつけ、このタコッ!観察終了後に付近を捜索してみたところ…
いた。
やっぱ顔黒…。
砂底のポイントで観られるタテキンたちはオトナと子どもでうまいこと棲み分けをしていて、オトナはリーフ際近くに多く、子どもは砂底の根を住処にしている(最近は浅場がエサ不足なのか、オトナが深いところまで出張ってくることもある)。
なので、幼魚からオトナに変わりつつある段階の新社会人は、従来の生息環境を離れ、新たな環境で一本立ちしなければならないのだけれど、この顔黒タテキンはそのあたりがうまくいっておらず、それが顔に表れている…ってことなのかもしれない。
せっかく大手に就職できたのに、入社式すら催されることなく暗いスタートとなってしまった「製薬」しない製薬会社の新入社員も、おそらく同じ表情を浮かべていることだろう。
さてさて、ようやく「このタコッ!」現場に到着。
前回からたったの2日後、しかも潮的にほぼ同じタイミング、緩やかな流れの向きも前回同様とくれば、前回と同じように再びやる気モードのタコベラたちが観られるに違いない…
…という期待を抱いて訪れたのだけど、案に相違してタコベラたちにやる気は観られず、オスもメスも、藻が生えている小岩に寄り添いながら地味に生きるいつもの様子しか見せてくれない。
ナンバーワンオスと思われる1匹だけが広範囲を泳ぎ回っているものの、ときどきメスに遭遇するとブイ…といわせるだけで、
…その「ブイ…」も、求愛というよりは「勝手にオスになるなよ」と戒めているだけのように見えた。
そのため30分くらい滞在していても、オスがフワリと浮かんでメスにアピールする様子も、オス同士のケンカも、ましてや産卵行動などもまったく観られず。
まったくもって、「なにやってんだこのタコッ!」状態である。
そんな状況ではあっても、ナンバーワンオスがヒレを全開にする機会はあった。
ホンソメ、グッジョブ♪
それにしても、たった2日の違いでこの様子の変化とは。
まだ水温が低い時期だから、そう毎日毎日産卵などしていられません…ということなのか、「ここ」という束の間しか開かれない儀式なのか。
ただ、ひとつ勘違いしていたことがあって、潮的にほぼ同じタイミングと思っていたところ、この日は引き始めている時間帯ではなく、まもなく満潮というタイミングだった。
なので、あと30分あとに来てみれば、違った様子が観られたかもしれない。
いつもいつもそのような考察付きで潜っているわけではないから、いずれにせよあの日あの時あの瞬間にこの場に立ち会えたのは、まったくもってラッキーなことだったらしい。
そんなこんなで、ここのところのおさらいをしてラッキー感を噛みしめていたワタシとは違い、オタマサはその場で身も心もホットになる幸運に遭遇していた。
本日オタマサの体感水温が3度ほど上昇したクリーチャーとは…こちら(以下の写真すべて撮影:オタマサ)。
初登場、クチナシツノザヤウミウシ!
オタマサは図鑑でこのウミウシの色柄を見知っていたそうで、海中では「ついに出会えた!」的興奮モードで撮っていたという。
ただしエキジット後にワタシに教えてくれた名前は、「カンナツノザヤウミウシ」だった。
後刻図鑑をひもときながら「ほらほら、これこれ!」と指さして見せてくれた写真には、クチナシツノザヤウミウシの名が。
そこでワタシが、いったいこの色のどこがクチナシ?的なことを言うと、そこで初めてこれがカンナツノザヤウミウシではなく、クチナシツノザヤウミウシであることに気がついたオタマサである。
図鑑ではクチナシツノザヤウミウシの上に、たしかにカンナツノザヤウミウシが載っているから、ひと目で勘違いに気がつくはずなんだけど…。
図鑑を見ていてさえも、思い込んだらリセットレス。
それにしてもこのクチナシツノザヤウミウシ、季節を選べばフツーに出会えるツノザヤウミウシの南国エキゾチックバージョン…にしか見えないのに、なぜだか和風な名前がついている。
その昔渡哲也が歌っていたクチナシの花はたしか白い花のはずなのに、なにゆえこのウミウシがクチナシ?
…とこれを書いている今まで不思議に思っていたのだけど、今ハタと気がついた。
この名はおそらく、着色料としてのクチナシのカラフルな色彩に由来しているに違いない。
クチナシから取れる色素には、クチナシ青、クチナシ赤、クチナシ黄とあって、それらがひとつの原料から得られるおかげで、シアン、マゼンタ、イエローの三原色によるグラデーションまで作り出せるのだそうな。
すなわち、色素を取り扱う化学業界からすれば、クチナシは「白」ではなく「カラフル」な存在なのである。
そういう目で観ると…
なるほど、まさにクチナシ。
クチナシツノザヤウミウシも本家ツノザヤウミウシと同じくクマデコケムシをエサにするそうなのだけど、エサはたくさんあってもウミウシ本体がかなりレアだけに、遭遇チャンスはひょっとすると一生に一度級かもしれない。
そんな千載一遇のチャンスがあったというのに、藻が生えまくっている冴えないガレ場でなんの動きも見せないタコベラをジッと観ていただなんて…。
…ハイ、「このタコッ!」はワタシです。
2024年04月01日
暴走役場。
2024年 3月31日(日) 朝晴れのち昼前から雷雨
南の風 徐々に荒れ模様
3時間ごとの時系列予報では、朝から傘マークが出ていたので、早朝の一見好天のフリをしている空の詐欺には騙されないよう心に決めた。
ところが、午前中のお天気はそのままずっといい感じに。
なんだ、これだったら通常のタイミングで1本潜りに行けたのになぁ…。
しかしワタシは知っている。
これでホントにイソイソと潜りに行っていたら、たちまち雷雨の洗礼を受けたことだろう。
午前中の好天は、ワタシが潜りに行こうと思わなかったからこそ。
昨日の土曜日は3月とは思えないくらいの日帰り客の多さだったというのに、この日朝の便で島にやってきた一般客はというと、たったの2人。
旅先の天気予報をしっかりチェックしている賢明なみなさんなら、日帰りで島へ行こうだなんてまず思わない天気予報だったのだ。
ところが案に相違して、午前中はすっかりいいお天気になったから、たった2人の選ばれし日帰り客は、大当たりも大当たりだなぁ…
…と思っていたら、昼前から中天にわかに掻き曇り、その後は激しい雷雨が続くこととなったのだった。
2人の日帰り客、13時渡久地港発の連絡船が来るまで、ずっと待合所にいたんだろうなぁ…。
それにしても、雨は雨でもここまで降るようなことはヒトコトも言っていなかった天気予報、これはこれで詐欺に等しいはずし方ではある。
そんな素振りなど露ほども見せず、結果報告ではしっかり雷雨マークに変えていたのは言うまでもない。
まるで線状降水帯直下のようだった豪雨、ちゃんと北部のダム地帯にも降り注いでくれたのだろうか。
こういうお天気が繰り返されると、ダムの貯水率はたちまちV字回復することだろう。
ま、昨年も5月末から6月頭にかけてしつこい台風が襲来したくらいだから、水道局関係者は例年以上の降水量に大いに期待しているに違いない。
一方、そういう季節には台風も大雨も微塵もないと信じて疑わないお役所があった。
我々は普段島に居るためにまったく寝耳に水だったことに、なんと4月後半から6月末にかけて、渡久地港北岸の岸壁にマリーナ仕様の構造物を構築する工事が始まるという。
それに伴い、うちのボートを上架させているスペースを含めたあのあたり一帯が作業現場になるから、4月24日までに船台やトンブロックを移動させるよう「説明会」が開催されたという。
移動ってアンタ、その工事中に台風が来たらどうすんの??
そのような工事の序章としての昨年の渡久地港内の浚渫工事だったから、将来的にマリーナ仕様にする工事が行われる、ということはある程度耳にしてはいた。
でもそれを春からやるか?
秋から冬にかけて半年惰眠をむさぼり続けておきながら、台風がいつ来てもおかしくない季節まで工期が続くだなんて…。
発注者が本部町役場の港湾関係なのか北部土木事務所なのか、この日島の桟橋にボートをつけていたうみてんぐのサトーさんからオタマサが最新情報を伺っただけなので、今は詳しいことは不明だ。
そのため怒りの波動砲のターゲットをどこにすればいいのかわからないのだけど、どこであれこれを「公共工事」としている人々の頭の中は、いったいどういう事態になってしまっているのだろうか。
真夏に島の港の大規模工事を嬉々として行う計画を立てる北部土木事務所にしろ渡久地港の工事発注者にしろ、「公共工事」を黄門様の印籠と勘違いしている浅慮近謀集団の暴走が、街も人々の暮らしもどんどんメチャクチャにしていく…。
市町村議会議員であれ県議会議員であれ国会議員であれ、建前上とはいえ選挙で落選させることができるこれらの人々とは違い、ヤクニンの暴走を止める手段はかなりハードルが高い。
いわば、歯止めが利かない「勘違い権力」の暴走。
それが優秀な人々がリーダーシップをとって進められているのであればともかく、身につけているのはヤクニン気質だけという浅慮近謀集団だから目も当てられない。
その昔スティーブン・セガール主演の映画に「暴走特急」なんてのがあったけど、誰が見ても暴走していることがひと目でわかる特急とは違い、暴走していることが一部の関係者にしかわからない「暴走役場」は、よほどタチが悪い。
ともかく、「暴走役場」を止める元CIAのコックなどいるはずはなく、この工事のせいでボートを上架することができず、季節外れの台風でえらい目に遭ってしまったら、ワタクシはこの工事発注者を地獄の業火で焼き尽くすことをここに誓います。
というあっちでもこっちでもウンザリさせられる話のあとは、お口直しにこの日のオタマサの成果を。
天気予報を観て海に行く気を失ってしまっていたワタシと違い、お天気に誘われて海へ行ってきたオタマサ。
海といっても桟橋脇ながら、やがて港の大規模工事が始まればこのエリアも過去のものとなってしまうのだから、楽しめるのも残りあとわずかの貴重な環境でもあるのだ。
そんな桟橋の岸壁にいたのが、こちら(以下の写真すべて、撮影:オタマサ)。
岸壁にピト…とついているから実際この向きになっているんだけど、見づらいので横にしてみよう。
ご存知コウワンテグリ。
こういう場所でよく観られるからこそこの名があるのだろうけど、だからといっていつでもホイホイ出てくるわけでもない。
また、これよりもっと小さかったりもっと成長していたりすると、セソコテグリと区別がつかなくなるところ、これくらいだと紛れもなくコウワンテグリであることがわかる便利なサイズだ。
これまで当方にはもっと幼魚に近い白っぽい個体の記録写真しか無かったから、よりコウワンテグリらしく見える色味が加わってよかったよかった。
全体的に美しいのに存在はかなり地味なハナミドリガイが、偶然チャツボボヤの仲間に乗っかってフォトジェニックシーンを自ら作り出していたらしい。
ただしどちらも小さな生き物だけに、クラシカルアイな方々には、肉眼では綺麗もへったくれもなくなってしまうことだろう。
先日桟橋の付け根あたりの波打ち際、極浅環境にいたカゴカキダイたちはこの日も健在だったようだ。
で、先日からこのカゴカキダイチビターレに混じっている別の魚のチビターレが、なにげにナゾだったりする。
はてさてこのチビターレ、いったい誰の幼魚なんですかね?
先日から↓このようにカゴカキダイキッズに紛れ込んでいて…
…わりと水面付近側にいるっぽく見えるのだけど、ホントに水面付近を好むからなのか、水深が20センチほどしかないからやむなく水面にいるのか、どっちかわからない。
そういえば10年前の5月にオタマサが撮った、わりと深めの砂底から生えているスナイソギンチャクに寄り添っていたチビターレも、これといった特徴が無いために長らく正体不明のままになっている。
当時はその後この日記上で広く(?)知識を募集したものの、誰からもご教示はいただけなかったこのチビターレ、あれから10年近く経って、きっと世間の知見はより深まっていることだろう。
というわけで、先ほどのカゴカキダイに紛れ込んでいるチビターレと、10年前のこのチビチビ、その正体の見当がつく方はお手数ですがテルアスプリーズ!
2024年03月31日
がんばれ、このタコッ!
2024年 3月30日(土) 薄曇り
南東のち西の風 おだやか 水温20度~21度
晴れたり雨になったりが繰り返しそうなこの先のお天気、この日はシャキッとはしないまでも「晴れ」のほうに傾いている。
そのチャンスを活かすことにした。
土曜のわりには洋上のボートは多くなかったから、それなりにポイントチョイスの自由度は高かったのだけど、先日遭遇したクジャクベラをオタマサが観たいというので、また同じところに潜ることにした。
うーむ…これで3回連続がんばるオジサン。
ドボンとエントリーして冷水の洗礼を受けた後、さっそく現場へ…
…と思ったら、その途中に不思議な色味になっているタテキンと遭遇した。
幼魚模様からオトナの模様に変わりつつある体の色が「不思議」というわけではない。
変に見えたのは、その口元の色合いだ。
渦巻き模様のチビターレ時代には濃紺色の口元は、オトナになると白っぽくなる。
10センチ弱ほどの中間段階くらいまで育っていると、口元はオトナに近くなり、↓このように白っぽくなっているのがフツーだ。
これに比べると、この日出会ったタテキンモラトリアムは変でしょ?
※そのほか、ベビーからアダルトまでのタテキン模様七変化コンプリートバージョンについては、こちらをご参照ください。
口元が黒っぽいままなのは、幼魚カラーが抜けきらないからなのだろうか、それとも体調不良もしくはゴキゲン斜めだからなのだろうか。
オトナ模様が出ているところも含め、全体的に黒っぽいイメージだったから、きっと何かがどうにかしていたのだろう。
< 全然わからないんですけど?
観ているうちに色が明るくなるのか、ずっとこのままなのか、もうしばらく観ていたかったところながら、まずはオタマサを現場まで案内せねばならない。
タテキンダークモラトリアムは後刻ゆっくり観ることにしよう。
ほどなく現場に到着。
するといきなりクジャクベラはGone…
…とはならず、ちゃんと同じ場所で健在だった。
ただし、前回はどういうわけかほぼほぼずーっとヒレを広げっぱなしにしてブイブイ言わせていたのに、この日は一瞬開いて見せるだけでブイブイ感がまったくなく、むしろイジケているようにすら見える。
オスフォルムになりつつあるとはいえ、まだまだ小さいナリであることに気づかされたのか、それともどんなにがんばってもこの場にお相手となるメスが1匹もいないことを知ってしまったのか…。
ともかくも目的は達することができたから、その場を離れてもう少し先に…
…とっとと行ってしまったオタマサとは違い、ワタシはクジャクベラ現場で「あること」に気がついた。
タコベラが多いのだ。
上記リンク先でも触れているように、冴えない名前に比して地味に綺麗でかっこいいタコベラは、その昔は砂底ポイントの随所で小規模の集団を観ることができたものだった。
ところがいつの間にかその姿を見かける機会が減ってしまい、立派なオスとなると滅多に会えない…
…という期間が随分続いていたのだけれど、コロナ禍中くらいからオスとの遭遇頻度が徐々に増えてきてはいた。
でもオスが複数いてメスもたくさんいる場所、となるとそうあるものではなく、彼らが何かをしている様子を観る機会なんて滅多にない。
それがこの場所では、やや興奮モードになっているオスが、傘下にしているらしき周辺のメスたちのもとを巡ってはアピールしていた。
興奮モードカラーになって素早く泳いでいるときはこのように尾ビレを閉じている。
でもタコベラといえば、尾ビレを開いた姿がカッコイイ(↓これは別個体です)。
なので興奮モードカラーのオスも尾ビレを開いてくれるところを待っていたところ、オス同士のケンカでその姿を見せてくれた。
かなり遠くて光がほとんど届いていないけれど、この各ヒレ全開モードときたら!
オス同士が互いに勢力を競い合う際には、自分の体をより大きく見せるというのがいろんな魚における定番でもある。
とはいえ、タコベラの尾ビレってここまで開くものだったとは知らなんだ…。
ここまでオスたちが張り切っているくらいだから、そのお相手となるメスもかなりその気になっていて、なにやらフラフラ~と中層に浮いてオスがくるのを待ち受けている様子。
オスもメスに自分の姿を観てもらえるように、フラフラ~と中層に浮いてはポーズをとっている。
そしてお互いの存在を認識すると、オスがメスの元にやってきて、一緒に上方へ泳ぎ始める。
こうなればもちろんそのあとは…
…産卵&放精(白くモヤッているところ)。
オスは周辺に何匹かいるのに、メスを産卵に誘っているのは同じオスっぽく、メスはそこらにたくさんいるから、間をおきながら何度も繰り返し披露してくれた。
何度もチャンスがあったわりにはロクな写真が撮れなかったけれど、タコベラの産卵シーンなんて人生初遭遇だ。
なのでもっとちゃんと撮りたい、動画でも撮りたい…とアワワアワワしているうちに、気がつけば40分経過。
水深が水深だけに、エアーは心もとなく、窒素も随分溜まってしまっている。
というわけで、後ろ髪を引かれながらの撤収とあいなったのだった。
あ……タテキン忘れた。
タコベラの産卵はもっとじっくり観てみたいし、ダークモラトリアムタテキンも気になるところ。
かくなるうえは、めざせ4回連続のがんばるオジサン(←ワタシのことではなくポイント名です)。
2024年03月30日
足りないものは真剣味。
2024年 3月29日(金) 朝まで雨のち晴れ
北の風 おだやか
本日は海開き前のビーチ清掃の日…
…ということを、昨日渡久地港でリョウセイさんから伝えられたのだった。
このようにシーズンイン前もしくはシーズンイン直後のビーチ清掃が恒例になったのは、もう10年くらい前からになるだろうか。
これはシーズン中にビーチの海の家での営業を役場から許可されている3業者を中心に、その他島に客を連れてくる各業者さんたちにも声を掛け、そのついでに島のヒトも…ということになっている共同作業だ。
我々も含め、海水浴場で銭稼ぎをしていないヒトは本来無関係ではあるものの、そこはそれ、島の大事な海水浴場でもあるので、民宿の方もパーラーを営業している方も何も営業していない方も、みなさん参加する流れになっている。
ところがこの日は、水納ビーチスタッフのリョウセイさんやタツヤさんを除くと、いわゆる「島のヒト」で清掃作業に参加していたのはナリコさんと我々だけなのだった。
みんなお出掛け中なのだ。
もっとも、軽石が大量に溜まっていた頃は2日がかりになっていたビーチ清掃も、多少の軽石とゴミだけとなれば、人海戦術だと午前中だけで終了するのだった。
今年は4月1日からオープンするそうなので、海水浴でお越しの皆さんはきれいになったビーチでお楽しみください。
…4月から大規模工事が港で始まっちゃうけど。
話は変わる。
「ゴジラ-1.0」がVFX方面でアカデミー賞を受賞したことにより、多くのマスコミが取り上げている気がするけれど、映画が公開されていた夏休み期間中の各マスコミにおける扱いといえば、いわゆるひとつの「ゴジラシリーズの映画」程度だったような気がする。
海外の方々の高評価が作品の評価となる日本のマスコミのレベルの低さなど今に始まったことではないとはいえ、そんな国内であっても、映画を観る目が相当高い方々もいる。
そういうヒトの1人でもあるとある方の映画評サイトでは、アカデミー賞を受賞する以前から、著者は相当な高評価を「このゴジラ-1.0」に与えていた。
業界その他に忖度することのない辛口批評が信条のサイトなので、東宝や山崎監督におもねってのことではもちろんないそのヒトの評価では、今回アカデミー賞を受賞した映像技術もさることながら、いいものを作ろうというスタッフ全員の意気込みというか決意というか、ともかく制作サイドの「本気度」レベルの高さがヒシヒシと伝わってくる。
毎年のようにゴジラシリーズが作られていたのも今は昔、最近はハリウッド製はあっても国内のゴジラ映画は一世を風靡した「シン・ゴジラ」以来7年ぶりのことだそうな。
その間なぜ作られなかったのかといえば、諸事情あるなか最大の理由は、「シン・ゴジラ」(と、ほぼ同時期に作られたハリウッド産のゴジラ映画)の出来が良すぎたために、ハードルが高く高く聳え立つことになったからという。
「シン・ゴジラ」を超えろ。
その意気込みで制作陣が取り掛かったという本作では、脚本だけでも検討に検討を重ね、推敲に推敲を加え続け、なんとなんと30回も書き直した果てにようやく完成したそうな。
もちろんその熱意が脚本だけに留まるはずはなく、そりゃ特殊撮影分野でも相当な研鑽努力が徹底的に注ぎ込まれたのは想像に難くない。
そういった努力が見事に実を結んでの「名作」の誕生なのである。
…と、いまだ観ていないワタシが語るのもナンだけど、この話を知って真っ先に思ったことが。
通常国会で通過する予算案といった、数々の国会でのキメゴトである。
「審議を尽くした」
「議論を深めた」
などと羽毛よりも軽そうなお飾りの言葉を添えつつ、自分の身にふりかからないことはチャチャチャと決めていく国会。
彼らがもしゴジラ映画を拵えたら、どういうものになるだろう…。
「ゴジラ-1.0」制作陣のように、「イイモノ」を生み出すために血の滲む努力を重ねてくれれば、ニッポンの将来にも明るい兆しが見えてくるだろうになぁ…。
観てみたい、「ニッポン-1.0」。
まぁせいぜい0.001から20倍で「ニッポン0.02」程度かな?
話は変わるようで変わらない。
現在の雑貨屋さんのサイトは、ご利用になっている端末に応じて画面が変わるように作ってあるんだけど、なにぶん自分がスマホを使っていなかったこともあって、実際にどのようになるのか、PC画面で「スマホ画面チェック」的なことをするしかなかった。
そのため気づくのが随分遅くなってしまったことがいろいろあって、そのひとつが、画面にカーソルを持ってくると別の画像になる、という仕組み。
そこでクリックすれば、商品個別ページにいくようにしてある。
これがPCでは思っていたとおりに変化するのに対し、スマホの場合、指を当てるとそのままリンク先の個別ページが開いてしまうから、別に用意してある画像は一瞬見えるか見えないかくらいになってしまうのだ。
そのため、PCでは商品の全体像が初めに出ていて、そこにカーソルをもってくるととんぼ玉のアップになるのに、スマホでは個別ページに行かないかぎり、各とんぼ玉のアップが見られないことになる。
PCでこのようなサイトをご覧になっているヒトなど全体の30パーセント程度とも言われる時代に、これは不向きなのではないか…。
そこでワタシは考えた。
いっそのこと最初から全部とんぼ玉のアップ画像にしておいて、PCを利用しているヒトだけカーソルを当てれば全体が見られるようにしておけばいいんじゃね?
その効果が最も現れそうなページを、さっそく手直ししてみたところ…
ハリセンボンたちも…
インコたちも…
…なんだかゴキゲンに大集合。
うーむ、最初からこうしておけばよかった…。
> 検討に検討を重ね、推敲に推敲を加え続け…
…ていれば、ってことか。
それでもワタシは2つのお約束をします。
●来年以降、売り切れ続出の店にします。
●来年までに、月商100万円の雑貨店になります。
ああ、どこぞの首相の「約束」と何ら変わらぬ無思慮ぶり、書いているだけで虚しくなっちまったぜ…。
2024年03月29日
カゴカキ幼稚園。
2024年 3月28日(木) 晴れのち曇りまた晴れ
南の風 波あり
昼頃から南風が強まる予報になっていた。
グズグズしているとまたビショビショになってしまうこと必至だから、風が吹き始めたくらいのタイミングで島に戻ってきた。
桟橋に到着し、タンクその他の荷物を下ろしている時のこと。
瀬底方面水納島寄りの洋上に、ブシューッと潮が吹きあがった。
ザトウクジラだ。
もっと南のほうからの帰路の途中なのだろうか。
親子連れっぽい大小2頭、ただ通り過ぎていくだけかと思いきや、小さいほうが…
ジャンプ!
その後も小さいほうは続けざまに飛んだり跳ねたりを繰り返していたため、付近を航行していたボートが近寄って行った。
それでも飛び跳ね続けるチビターレ。
そんなに繰り返してくれれば、シャッターチャンスもあろうというもの。
しかしあいにくお出掛けの際は望遠ズーム性能がよろしくない旧コンデジなので、肉眼ではハッキリ見えているというのに…
…ボヤ~ン。
念のために言っておくと、右側の洋上に飛び出した鰹節のようなものがザトウクジラです。
最初は全身が見えるくらいにまでジャンプしていたチビターレだったけれど、遊びすぎて疲れてきたのか、だんだん往年の坂口征二のジャンピングニーほどの高さに留まっていたような…。
画像はショボショボでも、陸に居ながらにしてクジラのジャンプが眺められるなんてラッキーチャチャチャウッ。
その幸運を享受できたのは我々だけではなく、朝から桟橋で釣りをしていた民宿大城のヤスシさんも。
でもせっかくクジラが何度もジャンプしているというのに、なにか手元を覗きこんでいる。
なんで?
と思ったら、ナリコさんに電話していたのだった。
ダーリンヤスシさんから知らせが届き、ただちに(車で)駆けつけたナリコさん。
もし桟橋にワタシ1人でオタマサが家にいようとも、電話を掛けたところで携帯していない電話に出るはずがないから、そんな無駄なことをするはずもなし。
せいぜいその時撮った写真を後刻見せて、うらやましがらせるのが関の山ってところだろう。
その点すぐさま電話を掛けて知らせてあげるあたり、相変わらずアツアツのお二人なのである。
帰宅後はカメのエサ採りだなんやかやとやっているうちに慌ただしく昼になったものの、この日の午後は時間がたっぷりあった。
オタマサもいつの間にやらいなくなっていたので、静かな環境でデスクワークに勤しめるというもの。
この日は先日受け取ってきたばかりのこちらをアップ。
新作Tシャツ、今年はハナヒゲウツボベビー♪
新作をアップするに際し、従来のすべてのページに手直しを施したこともあり、午後のほとんどを費やすことになってしまった。
ああ、せっかく晴れていたのに…。
晴れているから、屋外で物撮りをするのにバッチリ…かと思いきや、強風のためTシャツがはためくことはためくこと。
ハナヒゲベビーが鯉のぼりになるところだった。
そうやってワタシが奮闘している間ビーチに潜っていたオタマサは、久しぶりの登場となる↓この魚たちに出会っていたという(以下の写真、すべて撮影:オタマサ)。
ご存知カゴカキダイ。
ごくごく稀に、桟橋脇に流れ着いてくるチビターレだ。
しかし今回は…
団体様でご登場。
先ほどソロで写っていたのが最大サイズで1センチちょいほど。
他はもっと小さく、模様の出方も薄い。
しかも5匹だけではなく、全部で…
↑この写真には別の魚も2匹ほど混じっているけれど、カゴカキダイだけで8~9匹いたもようだ。
このあたりにカゴカキダイが現れると、たいていオヤビッチャなどのチビターレに混じって…というパターンなのに、今回は立場が逆転していた。
肩身の狭そうなオヤビッチャなんて、初めて見たかも…。
そんなキンダガーデンカゴカキダイたち、ずっと同じ場所に居てくれれば…と言いたいところながら、なにしろ彼らがいるところといったら、
砂底から水面まで20センチそこそこの激浅波打ち際。
タンクを水面上に露出させながら撮っていたというオタマサは、浜に打ち上げられたジュゴンのチビ状態になっていたに違いない。
こんなところにカゴカキダイが長居するとも思えず、潮の満ち干に乗ってあっという間に旅立つことだろう。
クジラもカゴカキダイも風とともに去りゆく春、一期一会のかくも儚き…。
2024年03月28日
ウゾ800。
2024年 3月27日(水) 晴れ
北の風 波あり
本日は検査に出してあったタンクの受け取り第2弾のため、再び北谷まで南下。
今回は耐圧検査ではなく、アルミタンクに年イチで義務付けられている目視検査である、ということは先日紹介したとおり……紹介しましたよね?
で、フツーにちゃんとまっとうに使用していれば、これで引っ掛かることはまずないところなんだけど、今回は1本だけ不合格が出てしまった。
タンク内部に水が入っていたために、内部が一部腐食して、ボコ…ボコ…と小さなクレーター状になっていたためである。
タンク内部に残圧10でも5でも残っていれば、水が入ってしまうことはまずない。
ところがほぼほぼゼロになってしまうと、場合によっては内部のほうが陰圧になってしまうから、何かの拍子に水が入ってしまうのだ。
フツーに使用していれば、タンク内の圧力がゼロになることはない。
ところがごくごく一部の方が、何も考えずにゼロまで吸い尽くしてしまうため、こういう事が起こってしまう。
通常営業していないのになぜそんなことに?
それはヒミツです。
ともかく当方にとってはテロリストといっていい方々のせいで、10リットルタンク1本という貴重な資産がフイになってしまったのだ。
決定。
今後残圧10以下でエキジットした方からは、追徴課税として5000円いただきます。
通常営業していないのに誰から?
それはヒミツです。
さてさて、本日は早めに島を出たので、北谷に到着したのも早く、名護店に比べれば遥かに品揃えが豊富な(でもシンメーナービーなど田舎独特の品は少ないけど)メイクマン美浜店に寄ってからでも昼前に到着することができた。
そしてタンクを積み込み、一路北上。
時間もあることだし、今日はどこぞのお店でランチでも♪
さて、どこで?
観光客でごった返している美浜あたりは勘弁願いたいし、どうせだったら北上がてら寄れるところで…
そうだ、シマウマカレー食堂がいいんじゃね?
ゼロコンマ3秒で急速にカレーモードになりかけたものの、定休日や臨時休業、店内改装期間に当たる率が高い我々のこと、ウカツに読谷の奥に入り込んで路頭に迷ってしまったら大変なことになる(客観的にはたいして大変じゃないけど)。
そこで取り出しましたるスマホ。
テザリング機能を除き、こういう時に役に立たずに、いつ役に立つというのだ。
で、シマウマカレーを調べてみたところ…
「閉店しました」
あ…。(ちびまる子ちゃんでいうなら顔の右側に縦線がたくさん入るシーン)
そういえば、ずいぶん前に誰かから聞いていたっけなぁ…。
いいお店ほど、惜しまれて消えていく世の中なんて。
しかしこの日は珍しく、次善の策まで用意してあった。
かつて一度だけお邪魔し、その味に感動したサイルーンである。
定休日が木曜であることは事前に知ってはいたものの、我々のことだから、定休日じゃないからといって営業しているとはかぎらない。
これまた珍しく事前に電話して、営業していることを確認してから北谷を出発した我々は、ようやく一歩現代人に近づいたかもしれない。
一度訪れたことがあるからといっても、幹線道路沿いというわけじゃなし、だいたいこのあたりだろう…と見当はついても、そこからディテールはまったく思い出せない。
もう少し先かな…と車を進めていたら、なんてことだ、残波岬と真栄田岬の岐路まで降りてきてしまったではないか。
Uターンして坂道を登り直し、このあたりだろう…と適当に入り込んでみたところ、このままテキトーに進んでいると泥沼になりそうなことが判明した。
そこで取り出しましたるスマホ。
さっそくグーグルマップで見てみると…
おお、この道の先ではないか!
豆腐脳内のあやふやな記憶とは違い、グーグルマップはなんでも知っている。
昼時で家族連れや1人客など常連さんっぽいお客さんたちでにぎわってはいたものの、駐車スペースもテーブル席も空いていたので、落ち着いてメニューをチョイス。
あれ?
コロナ禍前に一度訪れたときにくらべ、メニューがメチャクチャ増えている!
そのなかでも前回いただいた「カオソーイ」は、看板メニューとして燦然と輝くポジションをキープしているようだった。
ランチタイムにはそんなたくさんあるメニューから選ぶことももちろんできる一方、ランチメニューも日替わりで用意されていて、あらかじめたくさん用意しておける分出てくるまでが早く、お値段はお安く設定されている。
カオソーイがランチメニューに入ることがあるのかどうかは不明ながら、この日は「タイカレーのハーフ&ハーフ」、「ガパオライス」、そして「クイッティアオクアガイ」という聞き慣れぬ一品もラインナップしていた。
カオソーイ待機態勢で来店したワタシながら、聞き慣れないメニューも大変気になるところ。
米の麺だというし…
「醤油で下味を付けたやんばる若鶏と幅広米麺センヤイ、地養卵を炒めたモチモチ食感の優しい味わい。 付け合わせのチリソースをかけてスパイシーな味も楽しめます。」
…とメニューで紹介されている幅広米麺センヤイを味してみたい。
というわけでランチメニューからチョイスすることにし、オタマサはガパオライス…
そしてワタシは、件のクイッティアオクアガイ。
どちらにも、ナッツがまぶされたサラダがついてくる。
入店した時から空気はアジアンテイストだったけれど、これにてテーブル上も気分はサウスイーストエイジァン。
ガパオライスは今やすっかり日本でもおなじみになっているから、ワタシですら口にしたことはあるし、家でもちょくちょくオタマサがガパオライスもどきを作ってくれる。
でもこういうお店でいただくと、その味付けはやっぱりしっかりアジアンなんだなぁ、これが。
一方、初体験のクイッティアオクアガイ略してクアガイ、後刻調べてみたところ、この幅広の米麺は場合によっては幅2センチというものもあるそうながら、ここではおおむね1センチほどだった。
見た目はなんとなくきし麺の焼きそばって感じ。
でもそのお味は…
ああ…やっぱりアジアン♪
このエスニック感がたまらない。
米だけにもっちもちで、それでいて米粒ではないから満腹中枢モードが変わるのか、スルスルスル…といくらでも食べられそう。
でありながら、プレ高齢者の胃袋にはなんとも適量で、ほどよい満腹感と得難い満足感に浸ることができた。
これでアナタ、税込980円ですぜ。
そういえば先日、税抜き価格が同じ値段のカレー弁当を買ったような気が…。
お客さんたちはみな馴染みのようで、なんだかその様子は行きつけのそば屋を訪れているかのよう。
近所にこういうお店があって、普段使いできる暮らしって……ああ、うらやましい。
ところでランチメニューにはデザートセットというものもあって、本来480円のデザートを380円でいただけるようになっている。
ただしそれは3種あるデザートのうち、塩ココナッツバニラアイスにだけ適用されるようだった。
塩とココナッツとバニラアイスだなんて、耳にするだけで美味しそうに思えるけれど、だいたい味の想像はつく。
「バンコクの雪山」と名付けられたマンゴーソースのミルクプリンも、当たらずとも遠からず的な見当はつく。
でも「バイン・フラン」という、「エバミルクを使った濃厚なベトナム風カスタードプリン」の場合、わかるのはプリンだけで、そのビジュアルからも味の見当がまったくつかなかった。
セットにはならないものの、せっかくだからなんだかわからないものを頼んでみることに。
そのバイン・フランとは…
プリンの上にミントが載っていて、黒い蜜っぽいところには何かの花弁のようなものが浮かんでいる。
この黒い蜜っぽいものが、卓上のメニューでは日焼けしていたためか赤くなっていたものだから、黒いのが出てきてビックリした。
赤いからこそ味の見当がつかなかったのだけど、黒いとなると、ひょっとして……黒蜜?
実食。
おお…ホントに黒糖だった。
カスタードプリンに黒糖は合うし、濃厚な甘味にミントが混じるとミント嫌いのワタシでさえ思わずミントファンになってしまいそうな見事なバイプレーヤーぶりを発揮している。
とはいえ。
3種あるデザートのうちで、最もオキナワっぽいじゃんこれ…。
後刻調べてみたところ、本家本元のバイン・フランは、コーヒー味の濃い目のキャラメルに、ベトナムコーヒーのようにコンデンスミルクで甘味を加えた蜜をかけていただくんだって。
そういえば、本格的なタイ料理、アジアン料理を作ってくれるサイルーンさんは、たとえばカオソーイもその麺は特注の沖縄そばを使用しているように、随所に沖縄料理とのコラボが見受けられる。
ベトナムのプリンを黒蜜味でいただくのも、そういうことなのだろうなぁ。
…って、実はコーヒーに練乳味だったのに黒蜜と思い込んでいただけだったりして?
そんなこんなで、満足の読谷行なのだった。
しかしメインイベントはここからだったりする。
載せてきたタンクをボートに積む作業を終えて秘密基地に戻ってきた頃には午後も遅くなっていたので、これから何ができるわけでもないから、とりあえず物置の片づけをすることにした。
物置の半分を工房にしようとたくらむ一方、そのために「とりあえず」で置いてあるものはすべてもう半分側にドドンとテキトーに置いてある。
でもこのもう一方の側もちゃんと物置になるよう手を付けるとなると、テキトーに置いてあるものをとにかく整理整頓&断捨離しなくては始まらない。
とにかくなんでもかんでも「とりあえず」なので、処理しようにも時すでに遅く行き場を失ってしまったブラウン管仕様のパソコンモニターまであったりするくらいだから、空間を占めているもののうち半分以上はロクでもないものばかりだ。
なかには、梅干し用のガラス容器に漬けられた、アヤシゲなお酒がいくつもあった。
ここに安置されるようになってからでも15年くらい、作ってからとなると四半世紀くらいは経っているかもしれないそんなお酒など、この先も絶対に飲むことはないだろうから、この際中身は全部捨ててしまおう…
と、フタを開けて流してしまおうとしたところ、なかから漂ってくる香りがどういうわけか…
…美味そう。
さすがにクワの実酒は異臭がしたので廃棄したけれど、こちらはかなりそそられる香りだった。
ハマゴボウを泡盛に漬けたもの、人呼んでボウフウ酒。
今は亡き民宿大城のおじいことヤスオさんが「体にいい」と好んで飲んでいたもので、我々もおじいに教わって作ったものだ。
まだおじいが元気にお酒を美味しく召し上がっていた頃のことだから、「体にいい」と言いながらいつも飲みすぎているから、それは中身が何であれ体に良くないのでは…と笑い話にもしていたっけ。
そんな時代に作ったものだから、いわば相当な古酒ではある。
でもハマゴボウがたくさん漬かっている様子は…
なんだかエイリアンの採集標本のような…。
ところが香りは美味しそう…となれば、これは味してみるしかござるまい。
柄杓はないのでお玉で1~2杯掬い取り、ロックグラスに入れてみる。
はたしてそのお味は?
チビっとヒト舐め。
あれ?
ゴクッとひと口。
あれれ?
アルコールをほとんど感じないんですけど?
もうひと口。
さらにひと口。
あれれれれれれれ?
食後のことなのですでに酔っているとはいえ、これほどアルコールを感じないってことは、ひょっとしてアルコールが飛んでしまっているのだろうか?
すかさずオタマサに味してもらったところ…
「しっかりアルコール度数がある!」
なんと!
まったくアルコールを感じさせないまろやかな口当たり、さすが四半世紀ものの古酒。
ただし。
そこにはジンのような、もっと具体的に言うなら養命酒が作ったジンのような薬草味が。
その雰囲気は、ギリシャのお酒ウーゾ(ウゾ)に相通じるものがあるかもしれない。
なので好き嫌いが別れるところなのだろうけれど、養命酒のジンもウーゾも美味しく飲めたワタシには、おじいの懐かしさもあってとても美味しくいただけた。
オキナワン・ウーゾとして売り出せば、名産品になること間違いなし!
小林〇薬も裸足で逃げ出すほどの効果・効能を列記して、長寿の薬酒として売り出すのだ。
商品名はもちろん……
ウゾ800。
2024年03月27日
名護岳登山・後編。
2024年 3月26日(火) 雨
南西のち北の風 荒れ模様
午前中に前線が通過し、その後北風が強めに吹く予報が出ていたこともあり、連絡船は前日のうちにこの日の運航を朝イチ便のみと決めていた。
朝イチ便が島から出て行ってしばらくすると、予報どおり前線通過。
通過時のひと雨だけで済むかと思いきや、その後しつこく雨が降り続くまま、風は冬の風に変わった。
という予報が先日から出ていたからこそ、昨日のチャンスを逃さなかったクロワッサン登山隊。
無事登頂を果たした我々だというのに、いまだ目的が達せられていないという、その目的とは?
実は昨年、とある方から名護岳にかなり興味深い植物が観られるというお話を伺っていたのだ。
それも、奥深い山中の人跡未踏級の場所ではなく、登山道沿いにフツーに観られるという。
そのような植物など沖縄県内で観られるとは思っていなかったこともあり、オタマサは随分食いついてお話を伺い、いつの日か名護岳までその植物探査に乗り出そう!と心に決めていたのである。
それもあっての、ホワイトデー記念登山の目的地となった名護岳。
しかし本部富士に比べれば遥かに時間がかかる頂上に達するも、道中その植物の姿はなかった。
そもそも登山ルート自体、地図を見ながら歩いているはずのオタマサが頭の中で描いていたコースと全然違っていたりする。
「このあと沢伝いに歩くルートになるから、きっとそのあたりで観られるはず」
と言いながら登っていたところ、頂上まで大まかに2ルートある登山ルートのうち地図上左側のルートに沢があるのに、我々が昇っているのは右側のルートなのだから、途中に沢などあるはずはなかったのだ。
それに気がついたのは頂上まであとひと息という地点の、その後頂上まではもう一度降りてまた登らなければならないという意味で、ほとんど詐欺のようなプチ頂上的ピークのところ。
とはいえ、そもそも沢付近で観られるものなのだろうか。
名前から想起されるイメージからすると、ジメジメしたところに生えていそう、と勝手に思い込んでいるだけなのでは…。
ワタシもその植物の名前は知ってはいても、どういうところでどのような塩梅で観られるものなのかということについてはまったく知らなかったし、そもそも姿かたちもうろ覚えだから、事前に名護岳で件の植物をご覧になっている方々のサイトをチェックしてはいた。
その際拝見した画像を見るかぎりでは、もっと日当たりがあって乾燥しているっぽい場所のようで、うっそうと木々が茂る沢近辺というイメージとは全然かけ離れている。
また、周辺を木々に囲まれ、落ち葉が降り積もるような場所でもなさそうだった。
となると、フツーに登山道を歩いていたのでは見つからないんじゃ?
しかしそこはオタマサのこと、思い込んだらリセット無しで、行くが女のド根性。
そもそもオタマサなど「観たい!」と言っていたわりにはほぼほぼノーリサーチで、いくらなんでもそれではナンだからせめて現地での様子くらいは見ておけば…
と、ワタシが勧めて初めて多少チェックをした程度でしかない。
というわけで、地図は読めないわ、目的の植物の居場所の見当もつかないわ、という状況のまま、クロワッサン登山隊は頂上から下山を開始したのであった。
本来行きにたどるはずだったルートで下山し始めると、ようやく件の沢伝いルートにたどり着いた。
細い沢を渡るところには、沈下橋的なコンクリート製の構造物がある。
たしかに周辺はジメジメしているし、コケ類シダ類ならワーイワーイ!ともろ手を挙げてヨロコビそうな環境ではある。
でもネット上の画像を見たかぎりでは、こういう場所ではなかったんだけどなぁ…。
というワタシの声には聞く耳持たず、下映えの下などをチェックするオタマサ。
目当ての植物は、ポツンポツンと一人寂しく野辺に佇んでいるわけではなく、まるで分裂増殖していくソフトコーラルのように、ひとッところにたくさん生息している雰囲気だった。
なので、ひっそり何かの陰に…というイメージでもなかったけどなぁ…。
なんとなく見つからなそうな気配が濃厚だったけれど、そこは非日常の環境のこと、やはりこういうところで眺めるヒカゲヘゴはかなり雰囲気がある。
そうこうするうちにやがて沢伝いルートが終わり、いったん車道に出ることとなった。
この車道をそのまま歩いて行ってもスタート地点まで帰れるようながら、どうせだったら山の中を歩いてみたいので、車道から再び山中にヒョイと入れるルートをたどることにした。
その時!
そうそう、画像で観たのはこういう乾燥して開けた感じのイメージだったんだよ、その植物が写っていたのは。
探すんだったらきっとこういう場所のはずよ、沢ではなくて…
…と言いながら、山道の法面にふと目をやると、
発見!
ゴールまであとわずか、ほぼほぼ散策も終盤となり、今回は目的達成ならずだったか…と諦めかけていたところへ、9回裏に飛び出たサヨナラ満塁ホームラン級の大逆転が待っていた。
こんなところに群生してました、その植物たち。
なんだか人けの無い神社の賽銭箱に投げ入れられている10円玉のような雰囲気ながら、この植物こそ、知る人ぞ知るコモウセンゴケである。
食虫植物というジャンルでもお馴染みのモウセンゴケの親戚、コモウセンゴケ。
※追記
恥ずかしながら我々は…というかオタマサは、その名前からずっとコケ植物であると思い込んでいたのだった。
コケ植物=ジメジメしたところ…ということで沢伝いを要チェック、ということだったのである。
なので序盤から目的の正体をボカすために「植物」と書いてあるところは、ホントは「コケ植物」と書いていたのだけれど、重大なる誤解のご指摘を受け、ここに訂正した次第です。
※追記終わり
その姿をグッとクローズアップしてみよう。
なにやらオニヒトデの赤ちゃんのようにも見えるけれど、このトゲトゲのように見えるものの先には…
…露が玉になっている。
食虫植物と称されるものには、フタをして閉じ込めるもの、葉と葉を合わせて檻のようにしてしまうものなどいろいろあるなか、このモウセンゴケの仲間たちは、このようにトゲ状の先からネバネバした液体を分泌し、そうとは知らずに立ち寄ってきた小さな虫たちをくっつけて身動きできないようにしてしまうという。
この玉の露がどれくらいネバネバしているかというと…
こんなに糸を引くくらいネバネバ。
小さな虫だと抵抗できなくなるのも無理はない。
撮っているときにはまったく気づいていなかったのだけど、後刻PC画面で画像を見ていたところ、実際に捕獲されている小さな虫も写っていた。
アリかなにかかな?
ところで、見事に赤い色をしているコモウセンゴケながら、これは気温が低い季節の色味だそうで、夏場は緑色をしているそうな。
また、それぞれのミニミニオニヒトデからは、それぞれ1本ずつ花芽がピンと出ていた。
どうせだったら咲いているところも観たかったなぁ…
…と思っていたら、
咲いているものもあった。
なんとも可憐な花だこと…。
それにしてもコモウセンゴケ、オタマサによるとその昔尾瀬で観たモウセンゴケは、遊歩道から眺めるようになっていることもあり、天然自然の生息状態であったらしい。
ところがここのコモウセンゴケときたら、なんとも無造作にテキトーに生育している。
というか、法面だからこのように無事でいられるだけで、路上のものなんて大勢の登山者に繰り返し踏みしだかれているからだろう、無残な姿を晒していたほど。
県内じゃけっこう珍し系の植物のような気がするのに、ほぼほぼ路上の雑草と同じ扱いらしい…。
ともかくそんなわけで、慧眼なるワタシの起死回生の発見により、登山の目的はここで見事に達せられたのであった。
バレンタインデーの返礼がなんちゃって登山だなんて、ショボい、ケチ臭い、安上り、と、いらざるところでブツブツ文句を言っている方がいらっしゃるかもしれないけれど、このヨロコビの顔を見ればグゥの音も出まい。
チャレンジ1度目にして、鮮やかに期待に応えてくれたコモウセンゴケに乾杯。
※私も見たい!という方へ。
なにもわざわざ頂上まで行く必要はありません。
ホント、拍子抜けするくらいの場所で観られますから。
2024年03月26日
名護岳登山・前編。
2024年 3月25日(月) 曇りのち晴れ
南の風 波あり
ひと月に渡って進めていた事務シゴトがようやく終了する予定のこの日は、そのために本島へ出なきゃならなかったのだけど、メインイベントは他にあった。
遅ればせながらの、ホワイトデー記念登山である。
前回はバースデー記念登山で本部富士登頂を果たしたクロワッサン登山隊、今回はホワイトデー記念登山でどこを目指すのか。
それは……名護岳。
これまたオタマサはかつて一度登ったことがある山ながら、なにしろ15年くらい前のことなので、記憶容量とメモリーの性能的に、ほぼほぼ初めてと大して変わらない。
そして今回の登山には、登頂よりも重大な目的があるのだ。
オリオンビール工場の近くからまずは車道を登り始めるコースもあるのだけれど、それだとフツーにただ歩くだけでも3時間近くかかるそうなので、日帰り予定では少々きつい。
そこで名護青年の家からスタートという、前回オタマサが歩いた短縮コースをたどることにした。
青年の家(青少年の家)では駐車場を快く利用させてくれるほか、入山する人数と下山予定を記入すると、チラシ程度の簡略なモノながら登山ルート地図まで渡してくれる親切ぶり。
ペーパーレス社会のこと、そのうちQRコードをスマホでダウンロードしてくださいなんて日が来るかもしれないけれど、そんな日に生きていたくはないなぁ。
さてさて、名護青年の家の場所は覚えていたオタマサながら、さあそこからスタートという段になって、早くも足取りがおぼつかない。
簡略地図を手にしながら歩いていくと、キャンプ場を通り抜けた先に登山道入り口があった。
ただ、どういうわけか出入口がネットで封鎖されている。
早くもオタマサ化するオタマサ。
しかしこの封鎖は、↓こういうことだった。
ハブ除けネットだったのだ。
なので登山道利用者は、出入りする際にいちいちこのネットを開閉すべしということになっていて、その開閉の仕方が写真付きで説明されていた。
一般的沖縄県民に比べれば遥かにハブ経験値が高いと思われる我々からすると、このネット扉などハブはものともしないような…。
ネットの扉の先は、いきなり亜熱帯の登山道。
序盤はけっこうな隘路で、鉄砲水でも来たらあっという間に吹っ飛ばされそうな、ほとんど溝状態の道だ。
場所によっては靴の幅くらいしかない逆平均台状態になっているところもあった。
そうかと思えば、しっかり拵えれた階段も。
この階段用の資材をいったいどうやって運んでいるんだろう…と思うと気が遠くなりそうな数の階段が、坂道になるたびに出現する。
なかにはかなり急な階段もあって、そういう場合にはご丁寧にも手すりまで設けられているんだけど、先を見るとあまりにも長くて、ただ登ることを考えただけで気が遠くなってしまった。
頂上までは、この階段や登山道が上り下りしながら繰り返し続く。
うっそうと茂る木々からは、えもいわれぬ花の香りがたちこめている。
柑橘系の花々とはやや異なるその香り、いったいどの木の花が放っているのだろう…と気にしていたところ、路面に花が大量に落ちている場所があった。
ひとつ手に取って香りを試してみたところ…
…あ、この香りだ!
帰宅後調べてみたところ、この花はエゴノキの花らしい。
花が咲いている画像では、まるでプチトマトが生っているかのごとくズラリと花が密集勢揃いしている。
こんなに花がたくさん咲けば、そりゃ周辺はこの花の香りに満ちることだろう。
勝山ではシークァーサーがそれだったように、エゴノキはこの山の春の香りなのかも。
香りのほか、沿道には興味深い動植物がポコポコ現れる。
キノボリトカゲも、大小各サイズ各カラーがそこかしこで姿を見せてくれた。
↑これは尻尾の先まで5センチくらいのチビターレ。
もちろんオトナもいる。
ただしキノボリトカゲたちは「キノボリトカゲでござ~い!」とアピールしているわけではなく、どちらかというと人知れず静かに潜んでいるので、明後日の方向を見ていると、その存在に気がつかないかもしれない。
ちなみに↑このときはたまたまそんな感じに写っているだけで、オタマサは記憶性能は劣悪でも発見機能は優れているから、キノボリトカゲがいたらたちどころに見つけることができる。
地味なところで今回特徴的だったのがこちら。
カタツムリと同じく陸生の、キセルガイの仲間。
あいにく乾燥しているから貝から身を出しているものは1匹もいなかったけれど、やたらと数が多く、木の幹に何匹もついていることもあった。
恥ずかしながらワタシは初認識だったのだけど、こんなにたくさんいるのにこれまで知らなかったということは、環境を選ぶということなのだろう。
木々がうっそうと茂っているからか、チョウの姿はそれほど目立たなかったものの、初遭遇となるチョウもいた。
(おそらく)クロセセリ。
水納島で観られるセセリチョウの仲間といえば地味地味ジミーな黄土色っぽいものばかりだから、シブく黒でキメている姿がやたらとかっこよく見えた。
そんなクロセセリもさることながら、ここでさらに注目すべきは、クロセセリが吸蜜している花。
かつて喜如嘉の七滝で見た、アカボシタツナミソウだ。
いったいこの花のどこの何が赤星なのかいまだに不明ながら、名護岳を代表する草花のひとつなのである、とオタマサは言う(ホントかウソかは知らない)。
ただし前回登った時に比べると、まったく目立たなくなっているとも言っていた。
知っているヒトにはツトに有名でも、知らないヒトにとっては名もなき草花たちは、人知れずひっそりと姿を消していく。
実が目立っているものもいた。
重さで花芽が垂れ下がっていたほどのこの実は、(おそらく)ノシランの実。
園芸植物にもなっているようだから、きっとご存知の方も多いのだろう。
頂上付近の開けたところでは、こういう花も咲いていた。
この花が咲き終わり、実が膨らんで熟すと…
イチゴちゃんになる。
これはおそらくリュウキュウバライチゴ。
子供の頃、こういうのを草原で見かけると「それは毒である」と近所のニィニィたちに教わったものだったけど、リュウキュウバライチゴは食用OKだそうで、野山に生きる方々はこれでジャムを作ったりするそうだ。
それを知っていれば試食したろうに、子供の頃の教えが…。
三つ子の魂百までとはよく言ったものである。
< そういう意味でしたっけ?
そんなこんなしながらなのでやたらと時間をかけつつ、ついに頂上到達!
~♪ 僕は空になるぅ~~~(ダーバダーバダーバダーバダーダーダー…) by さだまさし
頂上を示す標識の根元には…
「よく頑張りました」
と、まるで通知表のような誉め言葉が。
この齢になるとヒトから褒められることなどそうそうないので、ちょっぴり心をくすぐられた。
でも345メートルで空になるも何もないか…。
この名護岳から西を見ると、ちょうど本部半島の付け根から半島の先側を見渡すアングルになる。
なので視界の右端は羽地内海とその先に古宇利島が…
そして中央には名護市街と本部半島の山々が…
左側には名護湾…
…を一望できる。
そんなベルベデーレを一望しながら頂上でやることといえば…
お弁当♪
今回も仲宗根ストアで買ってきたふみちゃん弁当のカキフライだ。
山を登るたびにカキフライ弁当を食べていると、なんだかワタシにとっての牡蠣は「山の幸」になってしまいそう…。
さてさて、いろんな動植物にも会えたし、登頂には成功したし、美味しいお弁当も食べたとなれば、これにて目標達成、一件落着…
…というところながら、実は今回の名護岳登山の目的は、頂上に至ってもまだ達成されてはいなかった。
その目的とは?
そしてその結果は?
後半へ続く。 by キートン山田
2024年03月25日
飛べ飛べはばたけ紅孔雀。
2024年 3月24日(日) おおむね晴れ
南の風 波あり 水温20度
午前中は予報よりも風は吹いておらず、今の時期にこれ以上を望むとバチが当たるってくらいの海日和。
ただし日曜日ということもあって、洋上には早くも9時頃にはダイビングボートが何隻も浮かんでいた。
仕方なく、前日と同じ場所に。
前日と同じ場所となれば、再びオナベケラマをチェックしに行ってみよう。
いきなりヘラヤガラに食われちゃった…なんてことはなく、この日も健在だったオナベケラマ、なんとなんと、背ビレ尻ビレをすぼめるこのポーズになって…
…やる気モードのオスに特有の、急降下泳ぎを繰り返していた!
ロンリーだから相手はキンギョハナダイだったとはいえ、その行動は完全にオスのそれだ。
オナベケラマ、相手が見つかるといいね…。
もう少し深いところには、カシワハナダイ率が高い小さな根がある…
…はずだったのに、ああなんてことだ、砂にほとんど埋もれてしまっていた。
それでも残存部隊ががんばっていて、オスもしっかり興奮モード。
やっぱきれいだわ、カシワハナダイ。
その同じ根ではキンギョハナダイもいるんだけど、なにぶん根がほとんど砂に埋もれているものだから、当然ながらその数は少なく、オスは1匹しかいなかった。
ただしそのオスの傘下にいるはずのメスのうち、1匹だけ…
…背ビレがオス状になりかけていた。
ちなみにキンギョハナダイのメスは、背ビレを広げても…
…どこもピンと伸びたりはしない。
背ビレが1本ピンと伸びているのは、ようするにオナベちゃんキンギョハナダイ、略してナベキンなのだ。
だからといってこのナベキンがそのままアッサリオスになるのを、現在がんばっているオスが指をくわえて見ているはずはなく、他のメスに対するのと同じように、眼前に急降下してきてはブイブイとアピール泳ぎをして去っていく。
ナベキンとしても、伸び始めている背ビレをオスの目が光っているところで気安くピンと立ててアピールするわけにはいかないらしい。
でもここというときにはやはりヒレを広げるようで、接近したカシワハナダイ相手にはパッとヒレを広げて示威モードになっていた。
少ないといってもメスは20匹ほどいる。
そこにオス1匹だといくらなんでも身が持ちそうにないので、おそらくこのナベキンは順調にオスになることだろう。
その後浅いほうへ戻りつつ、転石が多いところを徘徊していたときのこと。
クロヘリイトヒキベラに混じり、ゴシキイトヒキベラの姿も見えるとはいえ、全体的にみなさんサイズが小さく、特にやる気モードになっているわけでもないからいまひとつパッとしない。
なのでフツーだったらそのままスルーするところ、小ぶりなイトヒキベラたちに混じって、一番星のようにキラリと光るこの方の姿が。
クジャクベラ!
クジャクベラは水納島でそうそう出会える魚ではない。
いたとしても深く、しかも立派なオスとなるとたいてい1匹だけ。
かつて1シーズンだけ水深20メートルそこそこにオスが何匹も…ということがあったけれど、いずれにせよ出会えるのは岩場のポイントでのことだった。
砂地のポイントとなると、後刻調べてようやくクジャクベラとわかる幼魚がせいぜいだ。
ところがこの日まさかの砂底転石ゾーンにいたクジャクベラは、サイズこそ4センチほどとかなり小ぶりながら、背ビレにはオスの特徴でもあるヒレの伸長がピンピンピンと3本も。
いかに小ぶりとはいえ、砂地のポイントでオスフォルムのクジャクベラに会えるとは。
体感水温が、20度から一気に20.5度くらいに跳ねあがった。
< ほとんど変わんないじゃん…。
いや、ずいぶん違うんですってば。
もっとも、ワタシのココロはホットになっても、周りにメスの姿があるわけじゃなし、オナベケラマと同じくロンリーライフを送っているスモールクジャクベラ、この先どうなっていくんだろう?
立派なオスに成長して…
@14年前
…↓このような婚姻色の輝きを見せてくれたらステキだなぁ…。
@14年前
がんばれ小さなクジャクベラ。
2024年03月24日
ケラマナベ。
2024年 3月23日(土) おおむね晴れ
南の風 けっこう波あり 水温20度!
春四番五番がなかなか強めに吹き続けているものの、島の桟橋側は波を避けられる風向きだから、わりといいお天気とも相まってなかなかの海日和。
というわけで8日ぶりに海へGO!
時々時化るとはいっても時すでに3月も後半、このところ晴れ間が多いことだし、水温もちょっぴり上昇傾向かな…
…と期待してドボンとエントリーしてみたらば、ダイコンの水温表示は今オフ最小値を記録。
20度はさすがにチベタイ…。
我々が「がんばるオジサン」と呼んでいるポイントは、干潮に向かうタイミングになるとリーフ内から冷たい水が流れ出てくることもあり、毎年水温最小値を示すのはこの場所だ。
だったら干潮に向かい始めているこの時にはそこを避ければよかったところながら、諸々の事情で選択肢がなかったのだった。
年間最低水温を記録しつつも、海中では春らしい光景もそこかしこで観られるようになっている。
ふと目をやった砂底で、コナユキツバメガイがくんずほぐれつ状態で交接団子になっていた。
春の南風に誘われて、ウミウシたちの気分も浮き立ってくるのだろう。
このように、南風に誘われて交接するウミウシたちのことを、医学用語では
南こうせつ
という。 < よっ、ケーシー高峰!
春っぽいといえば、魚たちのチビターレたちも、このところジワジワと増えてきている。
オレンジ色の小さなキンギョハナダイのチビたちが各根のそこかしこで目立ってきているほか、アマミスズメダイのチビターレの姿もこのところ目につくようになってきた。
チビターレといえば初夏というイメージがあった当時は、3月初旬には早くもチビチビが目立ち始めるセナキルリスズメダイを観て不思議に思ったこともあったけれど、2月のうちに繁殖行動&産卵していることを知った今では、この時期にチビチビだらけになっているのもお馴染みの光景だ。
赤い海面をバックにしているチビチビがお利口さんだったので、しばらくカメラを向けていたところ…
波動砲発射。
可憐な乙女も、アクビをするとなかなか強烈な顔になる…。
砂底では、ミスジスズメダイのチビチビの姿も増えてきている。
ミスジスズメダイはチビに限らずオトナもすぐに岩の下に逃げてしまうほど警戒心が高いのだけど、このチビチビはかなりのお利口さんだった。
これでおそらく1センチほど。
ちなみにオトナのミスジスズメダイは…
…体の黒帯模様が腹ビレまで伸びていないから、腹ビレに黒が入っていればチビターレということがわかるようになっている。
その昔初めて知った時はけっこう意外に思ったことに、このミスジスズメダイはルリスズメダイ属なので、セナキルリスズメダイとは親戚くらいに近い仲間だったりする。
そのルリスズメダイはリーフ内でしか観られず、リーフの外の青いスズメダイといえばソラスズメダイになる。
ただしソラスズメダイは死サンゴ石がたくさん転がる浅場の転石帯に集まっていることが多く、ルリルリのようにサンゴの枝間に群れ集うことがほとんどない。
ところがどういうわけか、たまにサンゴの上で集団になっていることもある。
この日もその「たまに」の日だった。
このサンゴはいつも目にしているけれど、普段はこのようにソラスズメダイが集まっていない…
…と思うのだけど、どうだったっけ。
シンジツはともかく、これがリーフ内ならミスジとルリルリってところ、ミスジリュウキュウスズメダイとソラスズメダイのコラボ風景が個人的に新鮮だったので、動画でも撮ってみた。
フタスジリュウキュウスズメダイが群れているあたりも、リーフ外の印。
こういうところにソラスズメダイが集まるのは、春だから…ってこともあるのだろうか。
一方砂底の根では、本来なら集まって暮らしているはずの魚が、他の魚たちに混じりながらも種類的にはたった1人で寂しそうに暮らしていた。
本来群れていたものが激減して1匹になってしまったわけではなく、水深20メートルに満たないこの根にはキンギョハナダイは群れていてもケラマハナダイはいなかったから、何かの拍子に流れ着いてそのまま育ったロンリーケラマなのかもしれない。
一見すると立派に育ったメスに見えるこのケラマハナダイ、その「立派」がかなりの「立派」だったのでずっと観ていたところ、(個人的)衝撃的ジジツに気がついた。
このケラマハナダイ…
…オナベちゃんだったのだ。
…って、ジェンダー問題が声高に叫ばれている今の世の中で、こんな単語を安易に使っていいのだろうか。
まぁ、魚たちは文句は言うまい。
背ビレのポッチリマークに気づいてみれば、そういえば顔のあたりもオスっぽい色味になりかけている。
ちなみに背ビレのポッチリマークは、ザ・オスがコロコロ濃淡を変えるのと同じく、このオナベケラマも出たり出なかったりするため、いつでもポッチリが目立っているわけではない。
ただ、ケラマハナダイのザ・メスは、アクビでもしないかぎりこのように各ヒレを(文字どおり)雄々しく全開にすることなど滅多にないのに対し、このオナベケラマは頻繁にこのようにヒレ全開ポーズになっていた。
おそらくメンタル的には、ひと足早くすっかりオスになっているのだろう。
これまでスミレナガハナダイやキンギョハナダイではときどき見かけたことがあったオナベちゃんながら、ケラマハナダイでは記憶にあるかぎり人生初と思われる。
この調子でザ・オスに変身しきるのか、それとも他にメスの姿が無くアピールする相手がいないところでザ・オスになっても仕方ないからこのままでいるのか。
オナベケラマの今後に要注目だ。
…あっさりヘラヤガラに食べられちゃったりして。