2020年03月27日

砂のおさらい。

2020年 3月26日(木) 晴れ

南東の風 波あり 

 この日、水納海運社長セイゴウさんと船長カネモトさん、そして水納班班長のヤスシさんが北部土木事務所都市港湾班に出向いて話をしに行く、というので、同席させてもらうことにした。
 
 北部土木事務所は名護の合同庁舎ビル内にある。
 
 2度ほど訪れたラーメン屋さん「もとなり」の目の前だ。
 
 そんなところまでいったい何の話を…ということは今さら説明する必要はないだろうけど、よく考えると、古いゲスト以外の方は、そもそものそもそもをよくご存知ないかもしれない。
 
 というわけで本日はまず、ビーチの砂問題おさらい大会。
 
 人呼んで「水納ビーチ」は、沖縄本島内に数多ある埋立地の先に造られた人工ビーチではなく、まったくの天然の海岸である。  
 
 美しく連なる白い砂浜は、どこかの土建屋が作り出したものではなく、自然がそこに作り出した造形だ。  
 
 それには微妙なバランスがあって、島があればどこでも砂浜ができるというわけではない。
 
 火星や金星にはなく、地球にだけ水や生命があるように、いろんな条件がうまい具合に重なっているにすぎない。  
 
 その偶然のおかげで、白い砂浜が続く県内屈指の海岸になっていた。
 
砂のおさらい。

 ところがそこに、島民の暮らしの上では欠かせない一本の桟橋が造られた。
 
砂のおさらい。

 この時に島の裏側に港を造っていれば、現在の様々なモンダイが出来することは無かったのだろう。
 けれど、当時は今のように15分もあれば到着する高速船ではなく、現在の港にさえ渡久地港から30分かかっていた時代のこと。
 
 港が島の裏側になると、50分近い航路になってしまうため、「港を島の裏側に」案は最初から除外されていたのだ。
 
 リーフに切れ目を設けて水路を造ったのは、この桟橋と同時進行で、その採取されたリーフの残骸や砂はすべて、島の裏側に持っていかれた(裏浜から昔のチリ捨て場まで続く道がその堆積物)。
 
 そのあと、ただ突き出ている桟橋だけだとあまりにも波に弱いために、現在のモノよりもやや短い防波堤が北側に設けられた。
 
 それから数年経つと、美しい砂浜を形成していた絶妙なバランスがおかしくなり始める。  
 
 やがてビーチの砂は……
 
砂のおさらい。

 桟橋の西側に溜まり始める。
 
 このままではさらに砂浜の形が変わる……と思ったからなのかなんなのか、北部土木事務所はその対策としてこういうものを造った。
 
砂のおさらい。

 突堤。
 
 工期が分かれていて、当初短かったもの(図中、「突堤」の字の下あたりまでだった)が何年後かに延長され、この形になった。  
 
 しかし、流体力学や複雑な物理法則を持ち出すまでもなく、この状況でこの場所にこのような突堤を作ったら、砂浜はどのように変わっていくかというのは火を見るより明らか……なはずなのだけど。
 
  案の定、こうなった。
 
砂のおさらい。

 突堤の付け根の東側の砂はえぐられ、その分桟橋の西側に溜まっていく。
 
 水納島に限らず、沖縄は冬の季節風である北風が卓越しているので、その北風に対して絶妙な角度を有している海岸には砂浜ができやすい。   
 
 つまり砂浜の砂の供給源は、その浜よりも北側ということになる。この図でいうと、北は左斜め上だ。  
 
 突堤が砂浜への砂の供給を遮断しつつ、複雑な流れを作って砂を持っていかれやすくしているものだから、砂は他へ移っていくばかりとなる。  
 
 砂が無くなった砂浜には下にあるビーチロックが現出し、一方で本来はもっと南側へ移動していくはずだった砂は桟橋の付け根に溜まっていく。  
 
 これでは夏の海水浴シーズンにいろいろ不都合があるために、これを修正する事業が行われることとなった。  
 
 我々が「砂移動」と呼んでいる工事だ。  
 
 早い話が、桟橋の付け根に溜まってしまった砂を、再びもとの場所に戻す作業である。  
 
 その作業をすると、見た目はある程度元通りになる。
 
 当時はまだ県にも予算があったのか、この砂移動を毎年行っていた。
 
 ところがそのうち北部土木事務所はこの砂移動事業を渋るようになり、桟橋に砂が溜まる一方になってしまった。
 
 これでは困ると陳情すると、県としては毎年毎年やっていたら埒が明かないから、砂が移動しないようにあらたな構造物を造ることを認めるなら、砂移動も行うという条件を出してきた。
 
 なにはともあれビーチを元に戻してもらわなければ話にならないから、水納班(当時の班長はリョウセイさん)としてはやむなく了承。
 
 そして出来上がったのがこれ。
 
砂のおさらい。

 人工リーフ、いわゆる潜堤である。  
 
 潮が引くと突然出現するこの構造物を観て、誰もが眉をひそめていることだろうけれど、背景にはこういう事情があったのだ。
 
 砂の移動を科学的に解析し、ビーチの砂移動後そのままに安定させる最も効率的な方法は、まず波による侵食を食い止める必要があるらしい(ちなみにこの潜堤工事の際に、周辺にあったユビエダハマサンゴの大群落は壊滅した)。  
 
 さらに効率よくさせるには、突堤から直角に伸びる砂防堤を造れば完璧であるという。
 
砂のおさらい。

 しかし、いくら科学的にそれが効率が良いといったところで、砂がどれだけ移動しなくなったところで、最も大事なものであるはずの「景観」が損なわれては本末転倒。  
 
 ビーチを人工物だらけにして何が海水浴場か。天然のビーチか。  
 
 そのため、「景観」に配慮した施工にとどまらざるを得なかった。  
 
 潜堤の嵩は干潮時にようやく頭を出すほどの、つまり能力を満たさないかもしれないほどの最小限に、砂防堤は造らずに。  
 
 これがどういうことをもたらすか。
 
 出来上がったものは、景観をそこそこ乱しつつ、本来の役割であるはずの砂の移動防止にはまったく役に立たず、おまけに潜堤&防波堤とビーチに挟まれた隘路はものすごい激流を作り出すことになり、逆にビーチの中の水は淀みに淀むこととなっていったのだ。  
 
 いったい何をやっているのだろうか。  
 
 こうして、愚にもつかない役にもたたない無駄なものを造った挙句の果てには、なんの解決も見られないまま、ビーチの砂侵食に対する予算は、行政にまったく考慮されなくなってしまったのだった。
 
 そして何年も経つと、桟橋脇の砂の堆積はますますひどくなり、一方でビーチの西側はえぐられて岩盤が露出する状態に。
 
 水納島としてもずっと陳情は続けていたので、ようやく重い腰を上げた北部土木事務所が何をしたかというと、砂移動ではなく「砂搬入」。
 
 砂移動程度の予算規模だと誰の懐も潤わないかわりに、砂搬入事業になれば業者もやる気になるだろう…的な話だったかもしれないけれど、とにかくその砂搬入というのは、砂がえぐれてしまった部分に(下図の薄赤部分)、新たに砂を搬入するということ。
 
砂のおさらい。

 となるとこれが1年経てばどうなるか。
 
 小学生でもわかるとおりの結果になった。
 
砂のおさらい。

 砂がえぐれている部分を埋めた分が、ほとんど桟橋脇に堆積。
 
 またえぐれてしまったからか、それとももともと2年計画だったのか、この事業は翌年も行われ、さらに砂が搬入された。
 
砂のおさらい。

 当然ながら、1年後には……
 
砂のおさらい。

 さらに桟橋脇に。
 
 潜堤や突堤がなんの役にも立っていないことは明らかなののだけど、水納班が砂移動を求めても、県は「しばらくは経過を観察する」ということでなんのアクションも起こさないまま時は流れた。
 
 ちなみに図中の赤い印はクロワッサンのボート。
 
 停める場所が無くなっていく様子も併せてご理解ください。
 
 一方で、桟橋脇に砂が溜まっていくのと同じように、ビーチから流出した砂は、水路内にもわんさか溜まっている。
 
 桟橋の先まで砂がきているものだから、潮流も砂が水路に出やすいものになっているのだろう。
 
 そこで、水路に堆積した砂を浚渫する工事が、なにもわざわざシーズン開幕早々にやんなくても……という2007年4月に行われた。
 
 で、その際浚渫した砂を北部土木事務所はどうしたか。
 
 こうした。
 
砂のおさらい。

 1年後、この砂がどうなったか、言うまでもない。
 
 ビーチはえぐれる、桟橋脇には砂が溜まってボートがつけられない、という、元を正せばほとんど人災でしかない状況を打破すべく、大阪のガラの悪いオッサンを中心とする当店ゲストの方々がドーンと大運動を展開してくださり、北部土木事務所が思わず目を見開いて唖然とするほどの署名を集めてくださったおかげで尻に火がついた行政は、慌てて従来同様の砂移動事業を決定。
 
 2010年のことである。
 
 これで5年は平和が訪れる……。
 
 …と安心していた5年はあっという間に過ぎ、桟橋脇には再び砂が堆積し、ビーチの西側は砂がえぐれほうだいになっていた。
 
 度重なる台風の襲来もあって、連絡船の泊地に大量の砂が東側から押し寄せていたこともあり、年末にそのあたりの砂を浚渫する工事が、2016年の年末に行われた。
 
 その浚渫した砂をどうしたかというと。
 
 またしても西側の砂がえぐれた部分に!!
 
 すでに桟橋脇には過去最大級の砂が堆積しているというのに、ここで新たに大量の砂を搬入してしまったら……
 
 過去に他所から大量に搬入した砂に加え、ダメ押し的に再び大量の砂をビーチに搬入したこの事業が、現在のビーチの海の中と水路の惨状をもたらした直近の原因だ。
 
 年末に搬入された砂は翌年のシーズンを迎える前にほとんど流出、 もはや桟橋脇には砂が溜まりすぎていて行き場が無かったからか、砂は海水浴場エリアの海底に溜まってサンゴを埋め、さらにはどんどん水路に流出し、水路内に砂の山を形成。
 
 さらにはリーフの外まであふれ出し、水路両サイドの砂地の根を埋めてしまった。
 
 その後も順調に(?)砂が水路に流れ出ているものだから、連絡船の航行の限界まで達し、今回ついに大潮干潮時前後の欠航もしくは変則運航という非常手段という事態になったのだった。
 
 ちなみに昨年行われた浚渫工事は、前年の爆裂台風によって泊地側が埋没するほどの事態になっていたため行われたもので、水路部には手をつけていない(浚渫した砂は、さすがにもうビーチ側には搬入できず、待合所の隣に山を造ることになってしまった)。
 
 とまぁそんなわけで、現在のモンダイは自然災害でもなんでもなく、ほぼほぼ北部土木事務所の事業による人災であることは誰の目にも明らか。
 
 ところがやっかいなことに、この一連の流れを知っている人間が、北部土木事務所都市港湾班の中に1人もいない。
 
 「担当者が変わったので…」
 
 というセリフをこの間呪文のように唱えていた彼らだそうだけど、そんなことが理由になると平気で考えている職場など、この世に役所だけだということを彼らは知らない。
 
 そういえば昔、この流れのなかで一度北部土木事務所に赴き、公文書開示請求をしたことがある。
 
 手続きをしてから15日以内になんらかの返答があるというので待っていると、1日だけ閲覧OKという返事が。
 
 で行ってみると、(さも迷惑そうな顔をした)青年が関係資料を持ってきてくれた。
 
砂のおさらい。

 ここに、水納島の海岸を滅茶苦茶にした一切の話が……
 
 ……あるわけではなかった。
 
 担当者がいろいろ調べて探し出してくれた結果、台帳には昭和59年から水納港に関する記載があったものの、設計報告書として存在しているものは、どれもみな潜堤のものだけだった。  
 
 ここは非常に大事なところ。 
 
 そもそもの砂の侵食の大元凶であるべき「突堤」に関する設計報告書は存在しない。  
 
 開示を要求して、それで無いというのだから、この世にないのである。無くなったわけでもない。そもそも無かったのだ!!  
 
 ホントはあったなんてことになったら、北部土木事務所を厚生労働省と呼ぶ。 
 
 当然といえば当然ながら、それを造った結果どうなったかという、「事後評価」なんてものはまったく行われていない。  
 
 これは潜堤についても同様だ。
 
 なにしろ担当者が行われていないと断言していたのだから間違いはない。
 
 造ったものがどのように機能しているか、または機能していないか、誰も何も顧みてはいないのである。  
 
 潜堤施工後も砂が侵食され続けていたにもかかわらず、行政は一貫して
 
 「しばらく様子を見ている…」
 
 と言っていたのは、ただ本当に見ていただけだったのだ。
 
 資料として残っていないくらいだから、部署内で話が引き継がれているはずもない。
 
 今回の「水路緊急事態」についても、それが実は「人災」であるという感覚など北部土木事務所都市港湾班は当然ながら持ち合わせているはずはない(引き継がれていれば役所としては100パーセント否定するんだろうけど)。
 
 それもあってか、水納海運も水納班も、何年も前からずっとずっとやがてこういう事態になるから早く水路の浚渫を、と訴え続けてきたにもかかわらず、北部土木事務所はやはりただジッと見ていただけなのだった。
 
 その恐るべき気の長さを誇る長期観察者・北部土木事務所を訪れたこの日。
 
 はたして話の内容は……?
 
 つづく(たぶん) 


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Posted by クロワッサン at 09:12│Comments(4)吉田兼好
この記事へのコメント
突堤が完成した時、
リョウセイさんから声がかかって、
「○月○日 突堤工事」と書かれたボードを、
突堤の水中に持って入って、記録写真を撮りましたよ。
だから何らかの報告書はあったはずですけどね。
「突堤を造ったのは失敗だった」と気づいて
廃棄したとか??
頑張ってくださいね。続きを楽しみにしています。
Posted by KINDON at 2020年03月27日 18:28
 長編の報告書すごい。この報告書を事務所の所長に差し上げた方が良くない? でも、報告はまだ半分ですよね?
 この起承転結からすると、現在ある海中の工作物はは全て撤去し、今の桟橋を「浮桟橋」に作り直すか、現構造物は全て見切りを付けてそのまま放置し、島の反対側に港を新設するのが、長期的展望にたてば妥当かもしれないですね。
Posted by ブラック佐藤 at 2020年03月27日 22:33
そんな歴史を知らずに、夜な夜なぼーっと潜っている私はチコちゃんに叱られますね。で、文学部仏文科卒の私には全然円門外なんですが、図を見て思ったのですが、桟橋の手前を崩して島の様にし、上を鉄板で渡して、海水の行き来できるようにしたらどうだろうと、適当なこと言ってみる。あと浮桟橋という手も・・・。
Posted by 泉ちゃん at 2020年03月27日 22:53
KINDONさん、
その突堤も、数々の台風で外側は崩れている部分が増えてきて、
内側に詰められている石灰岩(琉球石灰岩じゃないほう)が流出し、
ビーチにゴロゴロしています(笑)。
ひょっとしてあの突堤は、本部町の事業だったんですかね?
ボードに書かれていたであろう事業主の名前に記憶はありませんか?(笑)

ブラック佐藤さん、泉ちゃんさん、
新たなる港をどうするかということについては、
以前お伝えしたとおり決着はついているのですが、
(現在の構造物は除去することも含まれてます)
伝えられていた予定で事業が進められていなかっただけです(笑)。
先だって県議その他につつかれつつかれ、
遅くとも来年度から始まる、
という再度の通達が先日ありました。
本来は今年度からだったものが来年度から、
しかも未曾有の不況が迫ってきそうな世の中ですから、
どうなることやらわかりませんが……。
(個人的には、砂移動や浚渫さえしてくれれば、
永遠に先延ばしでもいいのですが…)

今現在喫緊のモンダイになっているのは、
水路に堆積している砂で、
これについては、港をどうするかという悠長な話とは関係なく、
もう浚渫以外に手はないのです。
Posted by クロワッサン at 2020年03月28日 07:32
 
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