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2015年01月30日
槿花一日の菜。
2015年 1月29日(木) 曇り時々晴れ
北東の風 けっこう波あり
野菜の季節を迎えている水納島。
この日カメさんたちの餌を採るために歩いていると、畑仕事をしているジュンコさんに会った。
「大根ある?」
我が家の大根は来月半ばがピークになりそうなので、まだ成長途上というところ。
ただ、翌日から10日ほど留守にするので、大きな大根をいただいてしまうと1日では食べきれない。
その旨伝えると、
「大丈夫よ、小さいやつだから」
世の中の核家族化が進んだせいで、大きな大きな青首大根を1本買ったところで消費し尽くせない家庭が増え、大根も近頃は小ぶりな品種のほうがもてはやされているのである。
というわけでありがたいことに、カメの餌を採っていたら大根をいただいてしまった。
それも2本も。
2本だと、結局大きな大根1本と変わらないんですけど……。
大根の鮮度が高いうちに食べきるべく、この日のランチは大根サラダ、そして夜には大根スティック。
これがもう、美味いのなんの。
大根は辛い物と思っておられる方は、たちまちその認識を新たにされることだろう。
スティックなんて、何もつけずにそのまま食べても、瑞々しさを伴ったほのかな甘さと品のいい香りが、酒にただれた口中をひとときのシアワセで満たしてくれる。
大根万歳。
ジュンコさん、ありがとう。
マサエ農園の野菜のなかでも、そろそろピークを迎えるものがある。
これ。
ブロッコリー♪
これまた大根と同じで、採れ採れのブロッコリーときたら、何をどうしたって不味くなるはずがないってくらいに美味しい。
同じような料理を作るにしても、スーパーで売られているモノと比べると茹で時間が圧倒的に短くて済むというところにも、その鮮度と味わいの片鱗がうかがい知れる。
逆に言うと、この採れ採れブロッコリーを市販のモノのように茹でてしまうと、クタクタヘニョヘニョになってしまうので注意が必要だ。
そんなシアワセのブロッコリーが、もうすぐピークに!
小さな畑の畝ひとつ分だけの量なので、ピークといっても20株あるかどうかって程度。すなわちマサエ農園のブロッコリーの「旬」は、桜の満開時期よりも儚く短いのである。
その年に1度のブロッコリーの旬に!!
………我々は島を留守にするのであった(涙)。
留守中世話になるナリコさんやヤスコおばさんに、採って食べてねとお願いしてあるから、ブロッコリーが無駄になることはないだろうけど、我々にとっては、ウミトサカのように大きく膨らんだブロッコリーは今日で見納めだ。
島に戻ってきたあとは、脇から出てくる小さな芽を楽しむこととしよう。
というわけで、明日からしばらくこの稿の更新はありません。
なお、スマホやタブレットなどモバイルツールを持たない我々は、出先でのメールチェックはほぼできません。
お急ぎの方はお電話で、お急ぎではない方は2月8日以降にご連絡くださいますよう御願いいたします。
それではみなさんごきげんよう、さようなら。
2015年01月29日
物忘れの原因。
2015年 1月28日(水) 曇り
北東の風 けっこう波あり
本島へ日帰りで出かけるとなると、どうしても連絡船の運航時刻の制限を受けることになる。
なにしろ最終便に乗り遅れてしまったら、帰ることができなくなるのだから当然だ。
その本島での用事が買い出しなどのように、ある程度時間の目途が立つものなら、予想外の大渋滞とか車の故障などよほどのことが無いかぎり、さほどモンダイはない。
ところが、費やす時間に予測が立たない「作業」になると話は違ってくる。
最終便というタイムリミットがある以上、切りのいいところで終わらせるためには、どんなに途中段階でも作業を切り上げなければならないのだ。
それがまぁ、もともと2、3日かかることがわかっているような作業なら、途中で切り上げることになんの躊躇もない。
しかしなんとかその日のうちに、がんばればタイムリミットまでに終えられるかもしれない、という場合、時間に追われているわけでもなんでもなく、本来のんびりゆっくりでいいはずの仕事が、途端にタイトなものになってくる。
昨日の作業もそのテのものだった。
朝イチの便で本島に渡り、9時頃からスタート。当初は2日がかりのつもりだったものの、この時間から始めてスムーズにいけば、最終便までに全部終わらせられるかもしれない。
となると途中に充分な休憩をはさむこともままならなくなり、そのままエンドレスで4時過ぎまでぶっ続けでやったら、なんとなんと、2日を要するはずだった作業が1日仕事で終わった。
フルマラソンを完走したくらいに疲労したけれど、充実度も同じくらいである。
ただ、あいにく最終便に遅れるわけにはいかないため、最後の最後のツメの部分と後片付けができないままになってしまった。
ま、これは翌日ゆっくりやればいいか。
というわけで、この日も朝イチの便で本島へ。
早めに連絡船に乗って、出航を待つ間からポッケに入れている文庫本を呑気に読んでいた。
その時に気がついていたら何のモンダイもなかったのだけど、そういうコトっていうのはえてして船長の「レッゴー」の放送を聞いた途端、まるで電気が走るように思い至ることになる。
重大な忘れ物をしてしまったのだ。
しかし時すでに遅し。
連絡船は動き始めてしまった。
大きな買い物をするわけではないので、たとえサザエさんのように財布を忘れてしまったとしても、免許証不携帯になってしまう以外にこれといって不都合はない。
車のカギを忘れてしまったとしても、何かの際に駐車場に停めてある車を移動してもらわなきゃならない場合に備え、島民はたいてい水納海運事務所にスペアキーを預けており、うちも例外ではないので、車もなんとかなる。
が。
この日最も大事なものを忘れてしまったのだ。
さきほどから作業、作業といっている、その現場に入るためのカギ。
さすがにこれの予備を海運事務所に預けているはずはなし。
前日であれば、うちの奥さんも所用で一緒に出ていたからその場で借りれば済んだのに、あいにく今日は僕一人だ。
この後連絡船が島に戻るのは11時。
再び島から出るのが午後2時。
1日2往復では、忘れたモノをすぐさま取りに帰ることも、次の便で載せてもらうこともままならない。
というわけで、この日やるつもりだったツメの作業&後片付けという予定は、「レッゴ―」の声とともに手つかずのまま終了したのであった………。
11時まで時間がたっぷりあるので虚しくドライブして時間を潰し、11時前に待合所に戻ってくると、冬場はデイケアセンターのテレビ室と化している待合所で、船員さんがテレビを見ていた。
10年後には、日本人の5人に1人が認知症に!!
というような話の情報番組。
うーむ、個人的には10年後の客観的な心配をしている場合ではないような気が………。
さて。
連日僕が本島へ日帰り仕事をしに行っている間も島に居るオタマサは、天気がいいからといって先日は海に出かけた。
目的はもちろん海の幸。
その晩はおなじみの海の幸尽くしが食卓を賑わせたのはいうまでもない。
そんな海の幸のひとつに、ボートでリーフの外に繰り出したのでは絶対に獲れないモノも含まれていた。
ティラジャーだ。
本名をマガキガイという巻貝の詳しいことはこちらをご覧いただくとして、潮が引けばおばあたちが歩きながらでも獲れるこの貝、ボートで海に行くのがもっぱらな我々には、案外縁遠い海の幸でもある。
ところが先日の学習発表会に出品されていたアヤコさん作の「水納島産野菜&海の幸のサラダ」の中に、剥き身になったティラジャーが密かにゼータクにまぶされていたのだ。
それを賞味したオタマサは、当然のように自らも獲ってきた次第。
そんなティラジャーの……
アヒージョ♪
もちろん味付け用の島ニンニクも含め、野菜はすべてマサエ農園産。
サザエのアヒージョに比べると、身が小さい分上品なお味だ。
しかしなんといってもその色合いが美しい。
このティラジャー、クリームパスタの具にするとこれがまた得も言われぬ一品になるので、この日もシメはクリームパスタが予定されていた。
でも。
まだ具があるんだったら、せっかくだから………
ティラジャーのアヒージョパスタ♪
いやあもう、こんなのが出てきたらあなた、白ワインが何本あっても足りませんぜ……。
……って、その積み重ねのせいで、カギを忘れてしまうことになるんじゃ?????
2015年01月28日
わらしべチヌマン。
2015年 1月27日(火) 雨
北東の風 おだやかのち波あり
Tシャツ一枚で過ごせる初夏のような1日から一転、冷たい雨が降り続ける北風の1日になった。
ここのところ連日のように、今月中に終わらせておきたい作業を本島でしているため、島の日中のことはあまり知らない。
知らないけど、連絡船の行き帰りで船員さんとは毎日合うのでいろいろ話していると、機関長からOリング用のグリスはどういうものだという質問を頂戴した。
言われてみると、ああいうグリスってのは水中写真器材関連で使うことがもっぱらで、そういった器材を買うとたいてい付いてくる小さなチューブ入りのものでずっと賄っているから、いちいち買ったことがないことに気がついた。
機関長はこれまで夜出漁するときには、大きなバッテリーを電源とする大光量の水中ライトを使っていたのだけれど、齢50も半ばを過ぎると巨大バッテリーを腰にキープするのが難儀になったらしく、このたびハンディライトを新たに購入したそうな。
単2電池8本で、ハロゲン球が夜の海中を9時間も煌々と照らし続けることができるというから、もちろんそれなりのお値段である。
そんな高価なツールを電池交換のたびに水没させていたのではどうしようもないから、キチンとOリングの手入れをしようと、こういうわけらしい。
今後も使うものだから、どうせだったらまとまった量のものをと思い立ち、その辺の資材屋さんを巡ったところ、これというものが見当たらなかったようである。
水中カメラ用品で使う、あのチューブに入ったグリスと同等のものって、工業製品として出回ってないんですかね?
もっとも、捜索範囲が本部町内だから見つからなかっただけで、名護まで行けば手に入るのかも…。
これが良い!という情報をお持ちの方は是非ご一報を。
ともかくそんなわけで当面手に入らなそうだったから、我が家にある小さなチューブ入りのシリコングリスをひとつ分けてあげた。
その晩早速夜の海に繰り出した機関長。
なぜ彼が夜の海に繰り出したことをいちいち知っているのかというと。
夜9時過ぎに、海から上がって来たばかりの黒づくめのアヤシイ姿で、機関長が玄関先に登場したのだ。
その手には大きなチヌマンが!!
ご存知のとおり、この季節のチヌマンは脂が乗って美味いのである。
小指よりも小さなシリコングリスのチューブ1本が、大きなチヌマン1匹に変身するだなんて……
……わらしべ長者もビックリ。
そんなわらしべチヌマンが、今宵は………
オタマサ特製ジェノベージェソースで彩られたカルパッチョに。
いやあもう、これがあのチヌマンですか!?ってなくらいのジョートーな前菜に変身。
シリコングリスよ、ありがとう……。
2015年01月27日
Eye of the Bird。
2015年 1月26日(月) 晴れのち夜雨
南東の風 おだやか
昨夕、夕食前にシャワーを浴びていると、外からなにやら金属の部材を運ぶような音が聞こえてきた。
運んでいる金属の両端が打ち合って、カシャンカシャンと音を立てているような。
小さな島のこと、誰がどこでどんな作業をしているか、なんてことはある程度想像がつくものの、そのようなモノで何かをする仕事というのは見当がつかなかった。
隣でタツヤさんが物置の中の何かを工作しているのだろうか。
それにしては、いつまでたっても鳴り止まない。
耳にしているうちに、もっと近いところで音がしているような気がしてきた。
ひょっとして???
風呂場の小さな窓から外を覗いてみると。
その音の正体はコイツだった。
冬になると島に渡ってくる鳥、シロハラ。
以前も触れたことがあるこのシロハラ、今年は我が家の庭を縄張りにする子が例年以上に多く、掃除したはずのアプローチに枯葉が散らかっていたり、カメさんたちにあげたはずのバナナやパパイヤを横取りしたりと、いろいろと悪さをしている。
通年いるイソヒヨドリにいじめられつつも、数を恃むと気が大きくなるのか、庭の芝生の上に2、3羽ウロウロしていることもザラだ。
例年よりも気が大きくなっているそんなシロハラが、ボイラーの燃料タンクの前に鎮座していた。
写真ではジッとしているように見えるけれど、実はこれ、ただここに止まっているわけではない。
なんと彼は、ステンレスタンクの表面に映った己の姿に、雄々しくも戦いを挑んでいたのである。
これを延々繰り返していたのである。
そりゃカシャンカシャンという音が鳴り続けるはずだわ……。
この日はたいがい暗くなっていたので写真を撮るのは無理だったものの、彼は翌日になってもずっとバトルを繰り広げていたらしく、日中それに気づいたオタマサが一連の写真を撮ってくれた次第。
というか、いい加減に気づけよ、シロハラ……。
もしかするとこれは、来たるべきイソヒヨドリとの決戦に備えてのトレーニングなのだろうか。
そう考えれば、日がな一日ステンレス相手に戦い続けているのもうなづける。
彼の脳裏には、きっとサバイバーの「Eye of the Tiger」が流れていることだろう。
一撃必殺のワザ「真空飛び膝蹴り」の鍛錬に、今日も余念がないシロハラ君なのであった。
2015年01月26日
ハゲトマト。
2015年 1月25日(日) 晴れ
南東の風 おだやか
人生最高級車として購入したプチトマト号も、渡久地港の駐車場放置という酷使(?)のために、プチトマトというよりはハゲトマトといったほうがしっくりくるようになってしまった。
そんなハゲチョロケとはいえ、名護以北で走らせている分にはそれほど目立つことはない。
田舎にはまだまだ、昔ながらの沖縄が残っているのだ。
ところがひとたび中南部、それも那覇市内のホテルの駐車場なんぞに停めると、なんだかそこだけ30年前にタイムスリップしたかのように際立つ存在になってしまう。
その浮き具合いという意味でなら、本部のサンエーの駐車場にフェラーリ・テスタロッサが停まっているに等しいといっていい。
その昔の沖縄の道を走っている自動車といえばボロいのが当たり前で、赤錆びが浮いているのは当たり前、どうやったらそういうふうに凹むのだろうと思わず首をひねる外傷がたくさんあるのも普通で、ともすればガムテープでミラーを固定していたり、ビニールを窓代わりにしていたりする車をちょくちょく目にしたものだった。
とりわけその当時のYナンバーの車ときたら、刑事コロンボの車どころではないボロ車ばかりで、多少ぶつけられたとしても、被害箇所など絶対にわからないであろう車だらけだった。
それが今や、Yナンバーですらやたらとピカピカしたジョートーな車ばかりになり、那覇あたりになるともう東京郊外を走っている車たちとなんら変わりはなくなってしまっている。
ああ、みんなボロボロだったあの時代が懐かしい……。
我々がハゲチョロケになったプチトマト号に乗り続けているのは、そんなノスタルジィに浸るためでもなんでもなく、単に先立つものが無いだけなんだけど、あまりの浮き具合いのため、だんだん那覇方面に出向くのが小恥ずかしくなってしまっている今日この頃。
そんなプチトマト号でお出かけした先日の新年会から帰ってきたとき、ボンネットに見覚えのないものを見つけた。
これ。
ウサギだか猫だかなんだかわからないどこぞのゆるキャラのような絵が、握りこぶし大サイズで描かれているのだ。
前日まではたしかに無かったはずなので、これは先輩宅前の路上か、それとも泊まったロコイン那覇の駐車場か、もしくは翌日昼間に立ち寄った泡瀬の泡瀬そばの駐車場でしかあり得ない。
でまた、どこかで見たことがあるような画風なんだよなぁ………。
これまでプチトマト号には、知らない間にステッカーを貼られていたことがたびたびあったけど、イラストを頂戴したの初めてのこと。
それもこれも、指でなぞっただけで描けてしまうほどに、塗料がハゲハゲ粉粉になっているためにほかならない。
せっかくなので記念にそのままにしておくことにしたものの、どうせだったら作者が明らかな方が面白い。
この画風に心当たりのある方、ご一報を。
次回、サインも併記していただきます(笑)。
2015年01月25日
炭火でアヒージョ。
2015年 1月24日(土) 晴れ
東の風 おだやか
この日はオタマサの誕生日。
なので前日の買い出しでは、普段飲みのモノとは1ランクジョートーな、名護以北では高級なワインを赤白揃え、1年に1度買うかどうかという高級な(あくまでも本部のサンエーでの話)肉なども購入。
そしてマサエ農園の採れ採れ野菜と併せ、炭焼きで美味しくいただく。
そんな準備をしている時に機関長から電話が。
すわ来襲か?と一瞬たじろいだのだけど、実は渡久地で手に入れたものがあるから取りにこいというありがたいお電話だった。
はて、渡久地で何を手に入れたのだろう??
これだった。
なんとなんと、マグロのハツ!!
ご存知のとおり渡久地ではマルハ漁業がマグロの養殖をしているので、機関長にはなんらかのツテがあるのだろう。
今日だったら刺身でOKということだったので、これをごま油&塩でいただく。
おお、鳥レバのような趣……。
思いがけない前菜に舌鼓を打っているうちに、炭がいい感じになってきた。
普段滅多に食べない牛肉のための炭火。
しかしその炭焼きで最も美味しかったのはこれだった。
ご存知アヒージョ♪
網の上に鍋を載せて作ったら、いつでも温かいまま食べられるということに気がついたオタマサ。
でまたこれがそのとおりのスグレモノで、炭から少し離して置いておけば、程よく温かいアヒージョのまま。
無くなれば作り足せるわけだから、アヒージョの出汁(?)も思う存分使うことができる。
こうなるともう、ほとんどチーズフォンデュー状態だ。
スライスしたカイトのパンをヒタヒタになるまでアヒージョの汁に浸し、具(今回はタコといんげん豆と初物ブロッコリー)を載せてパクリといただく。
Buonissimo!!
あまりの美味さに、用意したワインはたちまち空いてしまった。
そして夜が更けるとともに部屋の中に戻ったのは覚えているのだけれど、いつの間にかベッドの上で2人とも撃沈。
せっかくボン・シャンスでショートケーキを買ったのに、ついにそこまでたどり着くことができなかったのだった。
アヒージョ、それはヒトをダメにするお味………。
2015年01月24日
たんぽぽ、咲かず。
2015年 1月23日(金) 曇り時々晴れ
北西の風 うねりあり
大時化はどうにか1日でおさまり、引き続き寒さは残っているものの連絡船は運航を再開した。
雑貨屋さんのトップページでお知らせしているとおり、来週末からしばらく留守にするので、とりあえず留守中は船を陸揚げしておくべく、午前中のうちに本島に出て、岸壁に係留してあった船を上架しておいた。
思いのほかスムーズに作業が捗ったおかげで時間ができた。
せっかくだから、今年も桜を観に行こう。
「日本一早い!」と毎年宣伝し続けて早37回目の本部町八重岳の桜祭り、今年は「ひとあし、お咲きに。」などという、およそ10年前の本部町観光協会では考えられないような糸井重里風キャッチコピーとともに、今月17日から開催されている。
ただ。
旧暦ではまだムーチービーサーも過ぎていないためかなんなのか、開催時期はいつもと同様にもかかわらず、桜の咲き具合いはとっても微妙。
この日の時点で、頂上付近でさえ四分咲き程度だった。
この状態だと、全然「ひとあし、お咲きに。」じゃないじゃん……。
旧暦に鑑みて、今年は開催時期をあと少し後ろにずらしておけばよかったところなのかもしれない。
ただ、今帰仁城跡の桜祭りも、今年は本部町と同じく17日から始まっているのだ。
「日本一早い桜祭り」と言い続けるためには、今帰仁の後塵を拝するわけにはいかない………
……という事情があったかどうかは知らない。
ともかくこの日の桜祭りで目立っていたのは、肝心の桜よりも、オリオンビールの提灯と、風にはためく風俗店のようなピンク色の大量の幟なのだった。
あ、それでも木によってはそれなりに花を咲かせている。
個人的に毎年の縁起物なので、とりあえず撮っておこう。
それにしても、この八重岳頂上付近の寒いことといったら!!
それなりに防寒ウェアに身を包んでいるというのに、体感気温はかつて石巻を訪れた際に立ち寄った日和山公園に匹敵するといっても過言ではない。
車外に出ていたのはわずかな時間なのに、体の芯まで冷えてしまった。
そのあとモロモロの所用を済ましせても、冷えた体はなかなか温もらず。
こういう時は、体の内側から暖まるしかない。
目指すはカレーライス♪
実は、先日の新年会にて貴重な情報を得ていたのだ。
どういう流れだったか忘れたけどカレーの話になって、僕が自他共に認めるキレンジャーであることをアピールすると、居並ぶ先輩方が異口同音に褒め称えるカレー屋さんが名護にあることが判明したのである。
その名を「たんぽぽ」というらしい。
あのぉ……すみません、行ったことどころか耳にしたこともないんですけど???
すると先輩方は、
え゛―ッ!?知らないのぉおおおお!?
そ……そこまで声を大にしつつ口を揃えておっしゃるほどのことなんですか????
なんだか重大な知能の欠陥を指摘されたかのごとく、思いもよらぬ集中砲火を浴びたのだった。
しかし言われてみれば、それが那覇だとか糸満とかいうならともかく、名護にこの店ありと知られているのに本部在のキレンジャーが知らないというのもいささか肩身が狭いものがある。
ググればなんでも知ることができる今の世の中である。店名を知った以上、さっそくネットで検索してみよう。
あれ?
ここのカレー屋さんて、随分前に連絡船の甲板員タカシさんから、「あそこのカレーは洒落ていて美味しい」と教えてもらっていたところではないか??
古道具屋さんっぽいお店「なんでも屋」の脇を抜け、細い道を入ったところ……という説明とピッタリ同じじゃないか。
昨日の学習発表会の際にタカシさんに伺ってみると、やはりビンゴ!だった。
なんだ、お店の存在自体は知っていたのか、オレ……。
というわけで、本日のターゲットはもちろん「たんぽぽ」。
定休日もしっかりチェックし、今日この日に初たんぽぽを体験しようと前日から意気込んでいた我々なのである。
綺羅星のごとく並ぶ魅惑的なカレーのメニューから珠玉の1品を選び、食道から胃袋から大腸小腸に至るまで、全身カレー祭りに突入するのだ!!
やや道に迷いつつも逸る心を抑えに抑え、ようやくたんぽぽ駐車場に到着。
さあ、待っていろカレーたち!!
胸を躍らせ期待は膨らみ、これでついに自分も「たんぽぽ」を語れるキレンジャーになれるのだとばかり、意気揚々と入り口のドアを開けようとしたところ、
ウ゛ェーーーーーーッ!?
きゅ、急用って………急用って何!?
というか、「よりによって」という言葉が不二家のミルキーなみに甘く思えるほどの、究極のよりによって的「今日に限って」臨時休業ってどーゆーこと???
もともとこういう時の間の悪さは他の追随を許さない僕なのだけど、ここまでくると我ながら身震いするほどに神憑り的だ。
それよりもなによりも、全身カレー待ち状態のこの体をどうしてくれるのだ………。
あまりの衝撃に打ち震えつつ、いつの日かたんぽぽでカレーを食べる日を夢見つつ、新山食堂で野菜そばを背を丸めて食べるのだった。
2015年01月23日
苦悶の船長。
2015年 1月22日(木) 曇り
北のち北西の風 激荒れ
いったん南下した緯度が、一夜明けて元に戻った………
……かのようなお天気の豹変。
夜中に降っていた雨は夜明けとともに止んでいたけれど、その後風が吹き始めた。
どうやら予報どおりの天候。
しかし朝の様子だけを見るなら、ひょっとすると運航可能かも……。
この日学習発表会の本番を迎える水納小中学校のセンセイ方から、そして本島から学習発表会を観に来る予定の親類縁者からの声を代弁する班長ヤスシさんから、是非とも運航を!というせつなくも熱い願いを送られ続けていた船長カネモトさんは、まだ誰も活動を始めていない朝の早い時間から、桟橋に行っては海況を確かめていた。
で、ついにこの日の運航OKという結論が出された!!
のだが。
出航準備が始まっている8時くらいになると風はさらに強まり、早朝の様子からは早くも様相を異にし始める海。
もともとの予報では、昼からさらに風が強まるという。
朝からこの様子では、昼にはとんでもないことになるに違いない。
ひとたびOKという結論を伝えた後だけに、それを翻す船長の苦衷は、消費増税を決意するアベ総理の比ではない。
あ、アベ総理はなんの痛痒も感じないか……。
ともかく船長カネモトさんは、断腸の思いで本日の欠航を決断。
こうして本島から来る予定だった観客は、島に足を運べなくなったのだった。
これで時を追うごとに風が鎮まっていたら、カネモトさんの立場はないところ。
しかし実際は、午後からさらに風は強まり、とてもじゃないけど連絡船の離岸接岸など不可能な状態になった。
それもそのはず、その時間帯の実況天気図は………
おお、低気圧のトリオ・ロス・パンチョス!!
昨日の予報図ではシンクロデュエットだった低気圧、まるでのび太にバイバインをかけられた栗饅頭のように分裂増殖しているではないか。
いかに大陸の高気圧がそれほど威力がなさそうでも、リバプールとエバートンが手を合わせたかのような赤と青の合わせワザ一本となれば、激荒れになるのは必定。
学習発表会の最中、締め切られた体育館の中にいてさえ、猛々しく吹き荒れる風の音が聞こえてくるほどだ。
隣にいた船長カネモトさんは、その猛威を耳にし、一人にこやかに安堵の笑みを浮かべるのだった。
心中、お察しいたします……。
2015年01月22日
春の道をゆく。
2015年 1月21日(水) 曇り
東の風 おだやか
太陽が景気よく空に輝き続けていたわけではなかったけれど、朝から全体的にヌルッとした暖かさに包まれた1日になった。
昨日今日の寒さと比べると、緯度にして10度くらいは南に下がったかのようだ。
この日島に来ていた修学旅行生たちは、普段よほど善行を積んでいるに違いない。
寒さのせいでこのところ半分ほど機能停止していたガメ公も、曇り空にもかかわらず暖かいおかげで朝から姿を現し、やる気モードになっていた。
真冬には滅多にない散歩日和の日。
今日を逃すとまたチャンスはしばらく無くなりそうだから、付き合ってやることにした。
すると、島内を一人で散策中の、修学旅行の引率の先生らしき方と遭遇。
1億総カメラマン時代の今の世の中、散歩中に思いもよらぬ大きなカメを目の当たりにすれば、写真を撮りたくなるのは当たり前である。
聞けばやはり引率の先生だったその男性も、
「写真撮らせていただいていいですか?」
こういう場合、こうして一言断ってから、というのがグローバルスタンダードのマナーだと思うのだけど、どういうわけか中国人団体客にはこれができない。それもひとつの中華思想なのだろうか。
ともかく、そうおっしゃっていただければ、もちろん当方に否やの有ろうはずはなし。
このあと、センセイの携帯でもガメ公とのツーショットを撮ってあげた。
近頃はこんな感じで散策中の日帰り客と会う機会も多く、そのたびにツーショットを撮っている気がする(マナーを有するヒトに限る)。
面白いことに、そのツールはスマホやガラケーばかり。
なるほどたしかに、世間における「コンデジ」の需要は減少しているようだ。
もはやコンデジが生き残るためには、
「宇宙でも使える」
「深海10000メートル防水」
「一生壊れない」
などといった究極の耐久仕様か、
「念写で撮れる」
「未来を撮れる」
「過去を撮れる」
といったドラえもん級のメカニズムを開発するしか、道は残されていないに違いない。
この日は修学旅行生と水納小中学校関係者以外に乗船客はなく、修学旅行もマリンスポーツ込みっぽかったから雑貨屋さんとは無縁であろうと判断し、いったん開けた店は早々に閉めていた。
そのため、
「やっぱりこの季節はお店は開けていないんですか?」
しまった、開けていたらセンセイお一人でもお越しいただけたのに………。
ガメ公との写真を撮ってる場合じゃないじゃん。
でも今さらしょうがないので、散歩を続ける。
まだ真冬のこの時期ながら、沿道には春を思わせる彩りが。
菜の花だ。
昨年のこの時期の灯台への道は、菜の花ロードと化すほどに咲き乱れていたんだけれど、沿道の草刈りのタイミングや場所の加減で菜の花の咲き具合いが左右されるため、今年は疎らにショボショボと咲いている程度。
そんな菜の花の道を行くガメ公。
春ですなぁ……。
2015年01月21日
臥虎蔵龍。
2015年 1月20日(火) 曇りときおり日差し
東の風 少しうねりあり
学習発表会を翌々日に控えたこの日、すでにして船長カネモトさんの心中は穏やかではなかった。
よりによって当日に時化る予報になっているのだ。
学習発表会には本島から子供たちの縁者がギャラリーとして来島するし、今回は昨年子供たちと一緒に劇に出演された福岡のコガキョさんがお越しになる予定とかで、学校としては連絡船になんとかして運航してもらいたいところなのである。
が。
この日19時に発表された、22日9時の予報天気図はこのとおり。
シンクロナイズド低気圧。
なんじゃこりゃ。
大陸の高気圧自体はさほどバカ高くないから、それだけだったらまだ望みはあったかもしれない。
しかし前線を伴う低気圧がこのように2つも並んで高気圧との合わせワザになると、相当な時化が予想されるのである。
はたして22日の水納海運やいかに。
さて。
こういう気圧配置も異常気象の影響なのかどうかはともかく、最近ではいろんな企業が、地球のために、環境のために緑を増やそうと努力しているというアピールをするようになっている。
でももともと緑が多かった地域を観るかぎりでは、加速度つきで激しく緑は奪われていっているのが紛れもない現状だ。
その猛々しいまでの緑強奪の様は、とてもじゃないけど環境のためなどという、いわば「政治的に正しい」スタンスからは程遠い。
この冬から始まったこの現場も凄まじいものがある。
電線が邪魔でわかりづらいけれど、これ、もともとは背後の山が見えないくらいの、緑の木々に覆われた丘だったところ。
ベスト電器が入っているイオンの大型店舗と、メイクマン名護店との間の土地だ。
随分前から「ショッピングモール建設予定地」という看板が立っていたとはいえ、まさかこの丘を削り倒すとは思ってもみなかった。
こういう勢いの工事を見ていると、100年後の沖縄は全土に渡ってまったいらになっているだろう…というのが冗談とも思えなくなってくる。
名護市長も沖縄県知事も、普天間基地の辺野古への移設に強く反対する立場のヒトたちだけれど、その理由の一つとして辺野古の自然を守るというようなニュアンスもありつつ、こういう丘をショッピングモールのためにぶっつぶすことについてはなんの痛痒も感じないらしい。
ここからさらにさらに南へ向かいライカムまで達すると、こんな緑の丘の消失など比べ物にならないほどの大変化を目の当たりにすることになる。
ダイビングが目的で来沖する方々にとっては馴染みの薄い国道330号、那覇から北上してコザに入る前の北中城村に、「ライカム交差点」と呼ばれているところがあって、その周辺を県民はライカムと呼んでいる(それが琉球米軍司令部 「Ryukyu Command headquarters)」の略称であるということを今日初めて知った……)。
米軍から土地が返還される以前は、両サイドをフェンスに囲まれているとはいえ、緑豊かな米軍専用ゴルフコースが沿道にある素朴な道だった。
それが今や………。
秦の始皇帝がお住まいになる宮殿でも造ってるんですか??
……ってな具合のとんでもない建築物が建造中。
琉球イオンじゃなくてイオンモール直営の超巨大ショッピングモールなんだと。
県内初出店の有名企業がズラリとテナントに入るそうで、今春オープン予定らしい。
イオングループといえば、その店舗において無駄にでかいサイズで、イオン環境財団が緑を守ってます、植樹してます、なんてことをアピールしている。
けれど。
巨大なショッピングモールを建てて緑を奪っているのは、あんたたちなんじゃね???
さんざん原発を造りたおしておきながら、「太陽光でエコな暮らしを」なんて平気で言ってる東芝なみだな、こりゃ。
ともかくそんなわけで今の沖縄本島は、水納島から外出してどこに行っても、ほんの数か月前と見違える景観になっているところだらけ。
それはそれで、ある意味ワンダーランドなのかもしれない???
2015年01月20日
身も心も温まる案内状。
2015年 1月19日(月) 曇り
北東の風 うねりあり
1泊2日の那覇行&夜通しの酒&往復のドライブのあとともなれば、ゆ~っくりして体力の回復を待ちたいところ。
でもオフシーズン中のミッションがいろいろあるため、この日も本島に出てペンキ塗り。
何を塗っているのかということについては、まぁそのうち明らかになる日が来ることだろう。
それはともかく、疲労の上に疲労を重ねたために、夕食にこの冬初のおでん(マサエ農園の大根が採れるようになるとおでんが解禁になる)をいただいたら、もう眠くなってしまった。
その昔、島のおじいたちがみなさんご存命だった頃、いつも8時過ぎには寝るという話を聞いては笑っていたものだったけど、ついに自分もその域に達しつつあるようだ。
そんなわけで、世の中はもちろん島の中のことさえ何も知らないまま過ごす1日だったのだけど、夕刻戻ってくると、思わず心がホッコリするエピソードが待っていた。
今週開催される水納小中学校の恒例行事学習発表会。オタマサによると、この日その案内を児童生徒たちが各家庭に配っていたという。
ところがその案内状、当日のプログラムだけにしてはやけにかさばっているし重さもある。
例によって「?」マークを頭の上に7個くらい浮かべながらオタマサがその封を開いてみると、中には………
どうやら冷え込みが厳しくなりそうな当日、寒い体育館で座り続けることになるギャラリー用にと、使い捨てカイロが人数分用意されていたのだ。
なんという配慮!!
もちろん児童生徒たちにはさすがにそこまで気が回せないだろうから、センセイ方のアイデアだろうことは想像に難くない。
それにしても、ナニゴトも前例踏襲主義の公務員の世界にあって、今回初めて見るこのさりげなくも温かな心配りは、個人的にはかなり画期的なアイデアに思える。
こういうちょっとした「配慮l」を目の当たりにした子供たちにとってもいいことだろうし、その積み重ねが、ひいては日本を美しい国に変えていく力になるに違いない……とすら思えるほどに感動してしまった。
ところで、「配慮」という意味では、この2つのカイロのそれぞれの製品名も非常に興味深い。
ひとつは「貼らないカイロ」。
もうひとつは「貼れないカイロ」。
その用途も能力もほぼ同様なのに、語感は微妙に違ってくる。
どうせだったら、能力を否定する「れ」よりも、能動的な「ら」のほうが、製品名としては前向きだよなぁ……。
……って、ひょっとしてそういうことを考えさせる意味で、わざわざ2種類のカイロが入っていたのだろうか????
ウーム……水納小中学校、侮りがたし。
あ、ちなみに学習発表会は22日木曜日。
当日は海況的に欠航しそうな気配もあるものの(すでに船長カネモトさん苦悶中)、とりあえず今年もまたハブクラーゲンさん出演予定です♪
2015年01月19日
新年会。
2015年 1月18日(日) 曇り
北東の風 うねりあり
この週末は、浦添の先輩宅で毎年催されている新年会出席のため、泊りがけで那覇方面まで行ってきた。
この新年会、昨年は海況悪化にともなう連絡船欠航のため、島を出ることがかなわなかったので我々は参加できなかったから、2年ぶりになる。
琉大ダイビングクラブのOBや現役部員といったいろんな世代が集う会で、ホームパーティということもあって家族連れでお越しになる方々もいらっしゃるからかなりにぎやかな宴席になる。
宴席は各自の都合で来ては帰っていくものなので、夕方まだ早い4時から来る現役学生たちがいるかと思えば、夜10時過ぎ到着というヒトもいる。
所用のため一足遅れになったなちゅらる院長も、場の雰囲気に乗り遅れまじとばかり、駆けつけ一芸姿でご登場。
時として座がひとつになったり、そうかと思えば各所でいろんな話がなされていたり。
僕の傍では、先輩お2人(同級生)が、まるで学生時代に返ったかのごときノリで、実に楽しげに盛り上がっていた。
お二人とも一歩外に出れば真面目な顔をして学生たちや教授連と議論を戦わすアカデミズム界の方々なのに、傍らにあったカイトのバゲット2本を手渡したら、チャンバラが始まりそうな勢い………
……って、それじゃあ学生は学生でも小学生にまで返っているんじゃ???
新年会が催されるようになってからずっと参加されている彼ら前後の世代がいる一方で、近年OBになった若い世代も近頃は出席するようになっている。
その昔クロワッサンでドレイとして一生懸命働いてくれていたドレヤンナカオも、今では環境調査業界でこのヒトありと知られるほどに立派な社会人となり、これまたOBの奥さんともども出席している。
世代もそれぞれが就いている職業も様々な分、宴席の話題は時事放談から芸能談義、アカデミズムの香りが漂うかと思えばスウィーツの甘さが染みたりなど、実に多岐に渡る(もちろん、ダイビングの話題も多少は……)。
そんな様々な話題の中で、かなりびっくりしたのがJIMMY’Sというアメリカンなお店の話。
ジャーマンケーキで有名なお店のことね。
このジミー、てっきりアメリカに本社があるアメリカーのお店だとばかり思っていたら、なんとなんと、前述のチャンバラしそうな勢いの先輩(琉大ダイビングクラブ顧問の先生です)の、子供の頃の同級生のお父さんが創業者なのだとか。
あのアメリカンな味は、基地内のお店で修業をしていた成果らしい。
いやあ、ジミーが沖縄県生まれのお店だったってことだけでもオドロキなのに、まさか創業者とかなり近いポジションの方が先輩にいらっしゃっただなんて……。
ジミーひとつでこうなのだから、他にも面白い話は無尽蔵。
ただし夜通し飲んでいると、翌日にはそれらの面白い話の多くが、3万光年彼方の銀河へと飛んでしまっている。
トキソプラズマ。
うーん、なんか我が身にかかわる大事な単語だった気がするんだけど、なんだったっけ………
という具合。
ま、そのおかげで同じ話でまた盛り上がれるのだけれど。
そんなこんなで毎年楽しみにしているこの新年会、我々のように行こうと思えば行けるところに住んでいる者はいい。
でも中には、かつては参加できたけれども現在は県外在住のため、毎年指をくわえている者もいる。
愛媛のみかん王、またの名を伊予の猪狩人すきすき木原もその一人だ。
夏は鬼のようにヒマな彼でも、さすがにこの季節は家を留守にするわけにはいかない。
そんな彼から先輩宅へ、目にも鮮やかな大量のみかんが届いていて、それに添えられていたのがこれ。
「身替わりにみかんで参加させていただきます。みなさんでお召し上がりください 木原」
かつては自身も出席していた、新年会への未練と羨望が入り混じったメッセージが、実に涙ぐましいのだった。
伊予の山奥にいるすきすき木原ぁあ、現役部員がポッケを膨らませて帰っていくほどに、みかんはみんなに好評だったよぉ!!
……とみかんを宣伝したついでに(写真撮るの忘れた)、とんぼ玉のCM。
ついに登場♪
売り切れ必至!!<推測というより願望。
2015年01月17日
ウメホール。
2015年 1月16日(金) 曇り
北西の風 波あり
寒い寒い冬の沖縄の、数少ない「イイコト」のひとつが野菜だ。
暑すぎる夏だと露地栽培ではゴーヤーかヘチマくらいしか作れない沖縄でも、冬なら様々な野菜ができるのだ。
畑を初めて15年、何気にベテランファーマーになっているオタマサのマサエ農園も、この時期はすっかり緑の空間に。
大根や人参は例年よりも成長が遅れているものの、白菜はもういつでも出動OK状態になっている。
2月以降からフィーバーがかかるであろうトマトも……
バブルの萌芽が。
ああ、トマト三昧の日々が待ち遠しい。
水気が無いのになぜかマサエ農園で毎年スクスク育つクレソンは、今年も順調に緑の絨毯を周囲に広げ続けている。
この冬はこのクレソンを御浸しにする食べ方を開発したので、この先緑の絨毯がどれほど広がろうと困ることはない。
毎日喜々として畑仕事をしてくれるオタマサのおかげで、僕は不自由なくウサギさん生活をしていられるのであった。
さてさて、今日は16日。
沖縄でジュウルクニチと言われるものは、本来旧暦の1月16日に催されるもので、簡単に言うとあちらの世の方々のためのお正月だ。
ちなみに今日1月16日は、旧暦では11月26日。
まだ11月だったのだ。
先日前線通過だけで時化たのも無理はないし、台風が1月からけっこう発達するのも道理なのである。
よりによってこういう時にフィリピン訪問中のローマ法王は大丈夫なんだろうか……。
あ、そうか。
こういう時こそ神の力が必要なんだった。
ともかくそういうわけで、旧ではまだお正月までひと月以上もあるんだけど、水納島の場合、昔から連綿と続いている祭事はすべて新暦で行うようになっている。
そのため昨日から、各家の親類縁者が島にお越しになっていた。
それに備えて、島内の各お墓は周囲の雑草駆除を含め、きれいに清められている。
そしてあちらの世専用とはいえお正月なので、もちろん供物のご馳走も用意される。
揚げ物がメインの供物は、島ではいまだに各家庭でいろいろ作っているので、前日の集落には食欲をグイグイそそる匂いがあちこちにたちこめていた。
沖縄県内に先祖が眠っているわけではない我々は、指をくわえてその匂いをクンクンしているしかないところ。
ところがそんな供物のおすそ分けを、いつも近所の皆様から頂戴しているので、毎年この日の晩は普段食べることができない揚げ物のオンパレードに………
……という話は毎年この時期に書いているか。
と思ったら、以前書いたのはもう3年も前のことだった。
とにかくいくら毎日野菜は食べ放題とはいえ、たまにこうしていただける揚げ物がまた実に美味しい。
そんな供物のおすそ分けをしてくださる方の一人に、お隣のウメおばさんがいる。
お隣とはいえハイビスカスの垣根で仕切られているため、何かをやりとりしようとすると、わざわざ外を回ってこなければならない。
塀越しに世間話をするフネさんとオカルさんのようにはいかないのだ
ところが、ウメおばさんには便利なものがある。
家にいると、すぐ近くから聴こえてくるウメおばさんの声。
「マサエ~?マサエ~?」
うちの奥さんがいればそれで事は済むところ、僕しかいないときに初めてその声を聞いたとき、ハテ、どこから聴こえてくるのか最初はわからなかった。
外に出て声の主の姿を探すと、その声は、ハイビスカスの垣根の端にあるクワの木の下から聴こえてきたのだった。
ちょうどここに、モノをやり取りすることができる隙間があるのだ。
ウメおばさんがうちの奥さんに何かを手渡そうとするとき、外を回って来ようとすれば30メートルほど歩かなければならないところ、この隙間を使えば軒先から数歩だけの、ちょうどいい近道(?)になるのである。
齢90を超えているおばさんに、わざわざ外を回ってまで何かを持ってきてもらったら、それこそ恐縮至極というところ。
ウメおばさん専用ワームホールとでもいうべきこの隙間のおかげで、我々は有難くも気軽にお隣からおすそ分けをいただくことができているのであった。
クワの枝が伸びすぎてこの隙間が狭くなった時には、ウメおばさん直々に伐採指令が出たほどだから、いかにこのワームホールが普段から利用されているかおわかりいただけよう。
もっとも、さすがにうちの奥さんがそこからウメおばさんを呼び出すなんてことはできないので、このワームホールは一方通行であることはいうまでもない。
とはいえいただいてばかりじゃ申し訳ない。
ウメおばさんはこの冬、体調管理の都合で畑仕事をやっていないから、出動可能になった白菜は要らないかとうちの奥さんが尋ねると、島に来ている娘さんたちに手渡せるようにという需要があった。
後刻畑から採ってきた白菜を、ウメおばさんに渡すオタマサ。
もちろん外回りである。
そんなこんなで今年もまた、ワームホールを通過したご馳走をはじめとする各ご家庭の供物の品々が、我が家の16日の食卓を彩ってくれるのであった。
おばさんたちにも、天国のおじいたちにも感謝。
※明日のこの稿は更新しません。
2015年01月16日
やめられない止まらない。
2015年 1月15日(木) 晴れ時々曇り
北西の風 荒れ模様
ひょんなことからたこ焼き器をたこ焼きではない目的のために使うことになったので、大事に保管されているたこ焼き器を久しぶりに表舞台に登場させた。
で、その「たこ焼きではない目的」は無事終了したものの、せっかく表舞台に出てきたたこ焼き器、ここで本来の用途で活躍してもらわない手はない。
幸い、タコの備蓄はたんとある。
というわけで!
大阪のおっさんのような技術はお互い無いものの、随分前にがんばるオジサン!さんからいただいた電気たこ焼き器なら、我々のようなヘタクソがモサこきながらオタオタしていても、それなりにちゃんと丸くなる。
なんだかホシガメの卵みたい。
中はトロトロ外カリカリの加減で皿に載せ、ソースと鰹節をかければ……
たこ焼きの出来上がり♪(青海苔が無かった……)
ちなみに、具のタコもキャベツもネギもすべて水納島産。
ビールから始めたあとは日本酒に突入したんだけど、思いのほか日本酒にも合いますね、たこ焼きって。
やっぱ、具自体の味がいいからかなぁ。
それにしても、こういう一口サイズになると、なんでこうとめどなく食べ尽くせるんだろうか……。
一皿に載せた分でけっこうお腹は膨れるというのに、ちょこっとおかわりした後、とりあえず焼いてしまおうと作ったものまで結局食べきってしまった。
これで摂取した分を消費するためには、6時間くらい走らなきゃならないに違いない………。
ダイエットの敵、たこ焼き。
しかしその味は、やめられない止まらない。
たこ焼き器を舞台裏に戻す前に、近いうちにもう一回作ろうっと。
2015年01月15日
一部限定朗報。
2015年 1月14日(水) 曇りのち雨
南東のち北西の風 荒れ模様
真冬だというのに、低気圧を伴う前線の通過でけっこう大荒れのお天気に。
この時期に時化るのは、大陸高気圧が張り出してくるというのが定番だったから、以前はある程度間隔を置いたローテーションだった。
それが近頃は、やけに小刻みに時化る日が来るようになってしまった。
しかもこの季節に強い南風が吹くなんて……。
今年もますます変な気象に悩まされることになるだろう。
さて。
携帯電話各社が鎬を削っている影響は小さな水納島にも出ていて、各社の中継塔が島にも建てられた、という話は以前触れた。
繋がらない度合ではナンバーワンのソフトバンクも、ようやく重い腰を上げ、米軍施設なみに警戒厳重な電柱を建てたということについても先のリンク先でご紹介したとおり。
ただ。
一昨年に電柱が建ったというのに、その後もソフトバンクユーザーからは「繋がらない」という話しか聞かない。
はて、なんで?
その答えは簡単にわかった。
だってあなた、電柱は建てたのはいいけれど、そこには電波中継に必要な機器はなにひとつ取り付けられていないんだから。
……そりゃ繋がらないはずだわ。
というか、この電柱が建てられたのは一昨年の話ですぜ。
それ以来ずーっとほったらかしってどういうこと?>孫正義。
たかだか人口30余名の、しかもソフトバンクユーザーがほぼいない島に、わざわざ高価な機器などとりつけなくてもいいっしょ、ってことだったのだろうか。
しかし島に訪れる観光客からの「繋がらない」クレームが予想外に多かったのか、そんな田舎軽視ソフトバンクもようやく重い腰を上げ、前線接近前の一昨日、「機器」取り付けのために業者がバージでやってきた。
というわけで、今シーズンからソフトバンクユーザーの方々も、わざわざ桟橋まで電波を拾いに行かずとも、お部屋に居ながらにして通信可能になることでしょう。<あくまでも当サイト推測
2015年01月14日
エンゲル低空飛行。
2015年 1月13日(火) 曇り時々晴れ
東の風 わりとおだやか
ホントはこの日、このところ毎年恒例になっている「新春本部マラソン合宿」をする予定でいたのだけれど、翌日の海況が微妙だったため、急遽合宿は取りやめて日帰りで本島に行き、所用を済ませてきた。
というわけで、更新しないと書いていたのに更新している次第。
その所用のひとつに、郵便局で52円切手を購入するというミッションがあった。
服喪中の方に寒中見舞いを送る際に、お年玉付き切手では具合が悪いから、別に用意する必要があるわけだ。
その場合、せっかく沖縄から送るのだから、切手はいつも沖縄風のものを用意するようにしている。
ところが。
消費税が上がって葉書の郵便料金が52円になったのは昨年4月のことなのに、なんと未だに沖縄風デザインの52円切手は用意されていないという。
それってつまり、せっかく用意してもすぐまた消費税が上がるから、今作っても大量に無駄になっちゃうってことですか。
利用者の理不尽な負担については微塵も忖度&斟酌しないくせに、自身の無駄には敏感に対応するのだなぁ。>日本郵便。
というわけで、寒中見舞い用切手は味もそっけもないフツーのものになりましたです、ハイ。
話は変わる。
旧我が家から引っ越した先は繁華街(?)なので、以前に比べて家の前の人の往来は頻繁になったことはかつて触れた。
往来する方の一人に、ヤスコおばさんもいらっしゃる。
畑が我が家よりも灯台方向にあるので、畑への行き帰りに通りかかることになるからだ。
で、いろいろとお話しする機会も多く、何かというと余っているモノを頂戴することもある。
そのお礼もかねて、当方からも野菜の苗だとかその他いろいろをお渡しするのだけれど、そうするとまたそのお礼代わりにと、ヤスコおばさんが何か持ってきてくれる。
いつの間にか、お礼の堂々巡りになっているのだ。
その、いわば素朴な物々交換のおかげで、珍しいものを目にする機会も増えた。
先日も、おばさんが
「赤白黄色もらうねぇ?」
すみません、まったく意味わからないんですけど………??
それはこういうことだった。
なんとまぁ、カラフルな野菜。
ほうれん草の一種っぽいこの野菜たち、本名が本当に「赤白黄色」かどうかは知らないけれど、春を思わせるパステルカラーっぽい色合いは、緑に偏りがちな野菜生活に文字どおり彩りを添えてくれた。
そういう物々交換の社会では、時として笠地蔵のように玄関先にモノが置いてあることもある。
何かを持ってきたけど留守だったので置いておいた、ということね。
昨日玄関先に置いてあったのは、なんとも雅な色をした大根だった。
基本は白ながら、ほんのりと鮮やかな紫色に染まっているのだ。
ヤスコおばさんが作っている小ぶりなダイコンである。
オタマサがさっそく浅漬けにしたのがこれ。
雅でしょう?
薄くスライスした浅漬けは、ほとんど千枚漬けのようなお味で、ことのほか上品だ。
そこでハタと思いついた。
というのも、この日たまたま、とある方から超高級海苔が届いていたのだ。
となれば、こうしていただいたら美味しいんじゃなかろうか。
紫大根浅漬けアスパラ菜添え巻♪
シャリは酢飯じゃないものの、見栄えもまったくイマイチだけど、これがあなた、ビックリするほど美味しい一品に。
もう少し手の込んだ形にすれば、名物料理のラインナップに並ぶこと請け合い。
ここでフト思い至った。
この即席名物料理、大根も高級海苔もいただいたものであることは前述のとおりで、そのうえ使っている米も、ご実家が農家だというゲストにいただいたものだった。
しかも!!
ちょっぴりつけるお醤油も、何かのおりに島のジュンコさんに貰ったものだったりする……。
添えているアスパラ菜はマサエ農園産だから、つまるところ材料費はゼロ円なのである。
必要経費は、ご飯を炊くための光熱費だけではないか………。
おかげさまで食事については何気に低い、我が家のエンゲル係数なのであった。
2015年01月13日
ヌカヨロコビ。
2015年 1月12日(月) 晴れ
北の風 けっこう波あり
晴れても寒い、北風の1日。
北風がわりと強いので海に行くのはやめていたし、ジョギングする日でもなかったのだけど、お昼にこういうものを食べてしまった。
実家から送ってもらったお餅と、水納島産各種豆を使ったパーラー・ティーダ特製ぜんざいのコラボレーション。
パーラーシーズン終了後にジュンコさんからいただいた、ぜんざい用のお汁を冷凍してあったのだ。
沖縄で「ぜんざい」といえばかき氷状のものだから、こっちでは食べる機会がまずない、内地風のぜんざいだ。
ここにきてようやくマサエ農園の野菜たちの収穫が充実してきたので、近頃のランチはウサギさんゴハンになっているのだけど、せっかくお餅があることだし、やはり年明けに一度はぜんざいを食べておかないと。
…と自分に言い訳してぜんざいを美味しくいただいたのはいいとして、摂取した分は消費しなければならない。
というわけで、午後は少しばかりウォーキング。
冷たい風が吹きつける砂浜を歩いてみた。
すると………
……哀れ、ハリセンボン・チビターレの骸が。
ここまで小さなハリセンボンなんて、ダイビング中にはまず出会わない。
ところが冬の時化が続いたあとには、このような小さなハリセンボンの亡骸を浜辺でよく目にする。
きっと小さい頃は沖合の表層で暮らしていて、冷たい北風と時化のために力尽きてしまったものが流れ着くのだろう。
流れ着く骸といえば、思わず目を疑ったものもあった。
これ。
え”ッ!?
と一瞬思うでしょ?
まさか沖縄の海にタラバガニが住んでいるはずはなし、これはひょっとして、沖縄まで漂流してしまったロシアの密漁船が転覆でもしたのだろうか……
……と3秒ほど本気で考えてしまった。
それにしても、どういう状況だったらこんなものが海を漂うんだろう???
カニ食ったからって甲羅を海に捨てるか、フツー??
砂浜に流れ着いているのは骸だけではなかった。
遠目で気づくなりアドレナリンが湧き出て、思わず駆けつけてしまったのがこれ。
ガラスの浮き玉!!
おお、水納島在住20年にして、ついに5個目のガラス玉発見!!
………と感動しかけたのだが。
抱え上げてみると、その表面には……
惜しいッ!!
ガラス玉まで骸なのだった……。
ヒビが入っているだけなら、その部分を丸くくり抜いて電球など入れてみるってテもあったところながら、あいにく反対側も半周以上に渡ってほぼ割れてしまっていた。
ちなみに、中には水がまったく入っていなかった。
ということは、とりあえず島に流れ着くまでは割れていなくて波打ち際で何かにぶち当たって割れちゃったってことか。
かえすがえすも惜しいッ!!
うーむ、近来稀に見るヌカヨロコビ。
一瞬盛り上がりかけたこの気持ちをどうしてくれるのだ。
かくなるうえは、酒でも飲むしかあるまい。
<それじゃあ消費より摂取の方が上回るんじゃあ……??
※明日のこの稿を更新しないのは、飲み過ぎたせいではありません。
2015年01月12日
黄金の水面と銀幕のスター。
2015年 1月11日(日) 晴れ
北の風 やや波あり 水温20度
寒さに負げず、今朝も海へ。
1年で最も日の出時刻が遅い時期になり、朝7時前はまだほとんど夜状態だということはすでに何度も触れた。
そういう季節の朝に潜ると、夏では味わえないような風景を観ることができる。
ただでさえ冬だから角度の低い太陽は、夜が明けて間もない9時前ともなると、往年の坂口征二のジャンピングニーなみに低い位置にある。
その時刻に海底から見上げる水面は、夕方の風情になるのだ。
そう、お日様煌めく黄金のゆらめき。
近年は3本目を潜らなくなったので、シーズン中にこのような黄金太陽を目にする機会はほとんど無くなってしまった(その代り黄金生ビールをよく見るようになった……)。
タンクのチャージが間に合わないとかいろいろ理由があるために観られなくなった黄金太陽。
しかし手はあった。
黄金の煌めきを観たければ、冬の朝潜ればよかったのだ。
こういう輝きを背景にすると、生きとし生けるものあらゆるものが神々しく見えてくる。
あいにく廉価版デジイチやコンデジ程度では、見た目どおりの色合いにはならないものの(実際は、周囲はブルーで、ハイライト部分は金色)、とりあえずキホシスズメダイはこんな感じ。
そしてズゴックでナミスズメダイを撮ってみると、
なんかこう、ナミスズメダイのくせに「並」じゃない雰囲気になるでしょう?
こういう景色を眺めながら耳を澄ませば、聴こえてくるのはクジラの歌声。
ああ、なんとゼータクなひととき……。
エキジットすると、大勢のお客さんを載せた数隻のホエールウォッチングのボートがダッシュしていた。
その進路の先に、2頭のザトウクジラの姿が。
いやはや、重ね重ねゼータクなひとときである。
話は変わる。
昨年末にちびっこさんからいただいた平成ガメラ3部作+1のBD&DVDを、このほどようやく観終えた。
平成ガメラ3部作と呼ばれているものと、最も新しい作品である「小さき勇者たち~ガメラ~」は、まったく別系統の作品で、以前の僕なら圧倒的に3部作の方が面白いと評したことだろう。
ところが。
「小さき勇者たち~ガメラ~」には、反則ワザがあった。
なんといってもこれ。
ご存知ケヅメリクガメのチビターレ。
なんと、主人公の少年が発見したナゾの卵から孵るガメラの子供時代(?)を、ケヅメリクガメの子供が演じている(?)のである。
我が家のガメ公も、座間味で暮らしていたであろう18年前は、こんなに小さかったのだなぁ………。
随分昔に劇場でこの映画の予告編を観たので、ガメラの子供時代としてケヅメリクガメが出ている、ということは知ってはいた(それこそが、我が家に来たケヅメに「ガメラ」と名付けた由来)。
でも、子供の頃のガメラとしてチラッと出るだけで、あとはおきまりの怪獣映画なのだろう……と思っていたら。
とんでもなかった。
ケヅメリクガメ・チビターレ、けっこう出まくり。
思わず笑ってしまうシーンもいくつかあった。
ガメラチビターレを父親に内緒で飼っている主人公の少年が、あわや父親にガメラを発見されそうになったときのこと。
そこにいたはずのガメラチビターレがいない。
あれ?どこ行ったんだろう??
すると………
ガメ公、飛んでるしッ!!(フワフワ~って感じで)
たった一晩でグンッと大きくなったガメ公、いったい何を食べて生きているのかという、生き物と接するうえで最も大事な部分を完璧にスルーする脚本には納得いかないけれど、その後も続くガメ公の冒険には笑わせてもらった。
父親が料理をしている厨房に、何も知らないままヒョコヒョコ歩いてきたガメ公、その目の前に、巨大な出刃包丁が落下!!(出刃をあんなとこに置いておく料理人はいないと思うけど)
あわや巨大出刃で一刀両断にされてしまうところだったガメ公は、鈍く光る出刃のスルドイ刃先に敵意を感じ取ったらしい。
どうするのかと思ったら………
火吹きよったッ!!(爆)
……あ、もちろん顔はCGですよ。
(以上写真4点、「小さき勇者たち~ガメラ~」by角川映画 より)
もともと怪獣映画としての「ガメラ」には、子供の頃によく観たということ以上の思い入れはないので、この作品がガメラ映画としてどうなのかということはわからない。
映画として観れば、手の込んだ子供だましってな感じだったから、万人におススメするわけでもまったくない。
でも………
リクガメ好きな方なら、前半だけで充分満足できること請け合い。
その興味だけでも観る価値あり………かも。
……と、カメの話を引っ張ってきたところでCM。
この冬、2年ぶりに登場予定!!
売り切れ必至!!
お取り置き不可!!
お買い求めはお早目に♪
2015年01月11日
メルヘンメェメェ。
2015年 1月10日(土) 曇りのち晴れ
北の風 波あり 水温20度
連休はそこそこの海況のままでいてくれそうなので、前日のうちに船を渡久地港から水納島に戻しておいた。
さっそくこの日、朝から海へ。
清々しい朝ではあっても、なにしろ朝7時でまだ暗いくらいだから、8時を過ぎても大地も気温も人間もまったく暖まっていはいない。
潜る準備をしている時も、これから海へ行こうというのに、靴下を脱ぐことに恐怖すら感じるほどだ。
朝の冷たい風が吹く中そうやって準備をしていると、ジュンコさんとナリコさんが珍しく連れ立って家の前を通りかかった。
「海に行くの!?」
この寒い中海へ行くなんて!!というオドロキの意味で、お2人ともただでさえ大きなオメメを見開いて言う。
たしかに、靴下を脱ぐことすら躊躇してしまう寒さではある。
でも。
この寒い中、そうおっしゃる二人とも、素足に島ぞーりなのだった……。
見ただけで寒そうなんですけど。
ところで、珍しく朝からお2人が連れ立って歩いているのはなぜかというと、うちから100メートルほど離れたお隣さん宅で催されていた宴席のメインディッシュ、ヒージャー汁とヒージャーの刺身の回収に赴かれていたのである。
その後ほどなく、大きな真鍮鍋に入った汁と保冷バッグに入れられたお刺身を、お二人が仲良く手をつなぐようにして携えつつ戻ってこられた。
で。
「ヒージャー汁もらう??」
ハイッ!!
「刺身ももらって」
ハイッ!!
現在の沖縄県では詳しく書くわけにはいかなくなってしまったので、そのヒージャーの由来はご想像に任せるとして、似たようなパンツルックかつ島ぞーり姿のジュンコ&ナリココンビが、至福のご馳走の宅配便。
なんだかある意味メルヘンのような世界………。
よく考えてみると、この寒い中海へ行こうと思ったからこそのご馳走だ。
というわけ夕食は……
ジャンッ!
ジャジャンッ!!
もちろん、どちらもおかわりたっぷり♪
高血圧カモンッ!プリン体バッチコーイッ!!的な至福のひととき。
毎日食べたいわけではないけど、たまにふと食べたくなるご馳走。
それがヒージャーなのである。
2015年01月10日
栄えある入選。
2015年 1月9日(金) 曇り
北の風 波あり
お正月にテレビにご出演されていた写真家の大方洋二さんとは、かつてはたびたびお会いしていたこともあったのだけど、近年はご活躍の様子を陰ながら密かに楽しみにしているだけに過ぎず、お付き合いといえば年に一度の年賀状のやりとりだけである。
とはいえ著名な大方さんに届く年賀状ともなれば、おそらく毎年3万4千通くらい届いてるはずで、当方からの賀状など、届きはしてもはたして目に止めていただく機会はあるのだろうか、という気がしないでもない。
ところが!!
大御所はちゃんとご覧になっていたのだ。
こまめに更新される大方さんのブログで、今年届いた年賀状の話がアップされていた。
その中で、
「特に良いと思う写真(年賀状)を選んでみた」
と紹介されている選りすぐりの年賀状9枚に、なんとうちの年賀状が!!
あ、ちなみにこれね。
いやあ、なんだかとってもウレシイ。
昔はよく応募していた、ダイビング雑誌のフォトコンやらフジネイチャーフォトコンテストなどの入賞などとは比べ物にならないほどの誉れである。
ダイビングサービスから届く年賀状など、ゲストのみなさんにとってはダイレクトメール以外のナニモノでもないってところだろうけれど、栄えある「大方洋二の年賀状コンテスト」堂々入賞作品なのである。
襟を正して背筋を伸ばし、心してご覧あれ!!<ジョークですからね。