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2015年12月31日
畑の野菜、明と暗。
2015年 12月30日(水)
北東の風 少し波あり
昨年とまったく同じ予定で、29日にお正月用の買い出しに出かけた。
それ以外にも多少用があったので、せっかくだから夜はそのまま本島泊にして居酒屋納めを。
そういえば去年もこの29日に買い出しついでに本部泊にしたのだけれど、その際トクマツおじぃの訃報を受けた。
すなわち29日はトクマツおじぃの一年忌。
あれからまだ1年だったのか…。
というわけで、お昼時にお線香をあげに行き、午後2時発の便で本島へ。
予定どおり居酒屋納めをして、翌日の昼には沖縄そば食べ納め=ひとあし早い年越しそばを食べてから、うちの船で島に戻ってきた。
昨日、今日と良いお天気で日中はわりと暖かかったから(ああ、この太陽をあの少年に見せてあげたかった)、お正月前に庭でバーバーマサエになってもらった。
するとそこへ、スーコーを終えたトシおばさん(トクマツおじぃの未亡人)が、娘さんやお孫さんたちを連れた散歩で通りがかる。
カメ見ついでに庭に立ち寄られたのでお話を伺ったところ(ダンパチ中の情けない格好で…)、前夜のスーコー中に、我が家のお隣の(といっても100mくらい離れてるけど)庭でトマトが鈴生りだから好きなだけ食べて、と家の主に言ってもらったという。
トシおばさんももちろんトマトやプチトマトを作っているけれど、マサエ農園同様鈴生り状態はもう少し先の話なので、この時期にトマト食べ放題はおよそありえないのだ。
それもあって娘さんやお孫さんたちから是非という話になったため、トシおばさんご同道ということに相成ったという。
で。
現在トシおばさんの畑はすべて、お家から西側、すなわち島のメインストリート(?)よりも秘密のビーチ側にある。
昔はトクマツおじぃとともに畑をしていたから、重いものを運んだりするときはおじぃ運転の軽トラで気軽に資材や収穫物を運んでいたのだけれど、おじぃがお星さまになってからはそうはいかなくなり、しばらくは1輪車を使った人力で運ぶようになっておられた。
それが近頃は、もともとおじぃ用に用意されてあった高齢者用電動スクーターを駆り、颯爽と畑に通うようになっているトシおばさんである。
ただ、行き先は前述のとおり島の西半分がもっぱら。
なのでこの日トマトを求めて普段赴かない島の東側を久しぶりにご一族とともに散歩してみたら、
「すっかり変わっていたからビックリしたさぁ!!」
浦島太郎の気分を味わわれたのであった。
1時間チョイあれば徒歩でさえ島内全域をカバーできるほどの小さな島のこと、日ごろからカメのエサ採りだ、ジョギングだと毎日のようにあっちゃこっちゃ見回っている(?)我々には、なんだかうらやましくなる新鮮なオドロキである。
ともかくそんなわけで、昨年の今頃は悲嘆に暮れておられたトシおばさんも、みんなでワイワイとお散歩しながらトマトを味わえるくらいに傷が癒え、新たな日常を過ごせているのだった。
時として時間は、人生にとって何にも勝る良薬になるということなのだろう。
さて、ひと足早くプチトマトが鈴なりになっている畑がある一方。
暖冬のために害虫が活発過ぎるという話をお伝えしてから2週間の時が経過したマサエ農園では、一部の白菜がこんなことになってしまっていた。
イモムシの進撃、止まるところを知らず。
中央までテッテー的に食べ尽くされた白菜の残骸に、まだイモムシたちがまとわりついていた。
かろうじて5、6個は「白菜」として使えそうだけど、丹精込めた結果がこれでは、作者としては拗ねたガメ公なみになるのも無理はない。
イジケるマサエ農園オーナー。
白菜第1弾は惨敗に終わりつつあるマサエ農園ながら、レタスは順調に育ち、このところ収穫のヨロコビを迎えている。
でこのレタス、実はお隣のウメおばぁの好物でもある。
まだ苗が我が家の庭で出番を待っていた頃、お散歩に見えたウメおばさんが、自分の好物だからもっと植えなさい、と冗談交じりにおっしゃっていた。
数年前までは誰よりも一生懸命畑をしていたウメおばさんも(大正生まれ)、今では事実上畑仕事からは引退しておられるので、好き放題にレタスを食べることがなくなっているのだ。
そんな話をしていたものだから、この日オタマサは収穫してきたレタスを1個ウメおばさんに渡しに行くと大層喜んでいただき、しかも
「これ持っていきなさい!」
と、おばぁ特製揚げたての天麩羅を頂戴して戻ってきた。
なんだかわらしべ長者のような……。
アチコーコーの天麩羅を手に帰ってきたオタマサは、先ほどのイジケ顔はどこへやら、ホントに長者になったかのようなシアワセ色に満ちていたのであった。
さてさて、今年も相も変らず書き連ねられるバカ話に、皆様の貴重なお時間を費やしていただきありがとうございました。
いよいよ本年も残すところあと1日。
暖冬のおかげで平穏無事になりそうなお正月、旅するヒトも寝て過ごす方も、皆様良い年をお迎えくださいませ!!
2015年12月29日
氷雨の奇跡。
2015年 12月28日(月)
北東の風 時化模様
予想天気図を見れば、海況の塩梅はだいたい見当がつくはずのものなんだけど、この日は気象台すらその見当を大幅に狂わせてしまうほどに、なんでこの気圧配置でこんなに吹くの???的大時化になってしまった。
これがもともと予報されていたもので、なおかつ特に年末のこんな時期でもなければ、連絡船はあっさりと朝から欠航していたに違いない。
が、年末も押し詰まるといろいろと人の出入りがあるということもあったのだろうか、昼前にはさらに風が強まってきたにもかかわらず、ど根性水納丸は終日運航となった。
とはいえ朝から雨雨雨。
冷たい北風に降り続ける雨となれば、いくら冬休みだからといっても、日帰り観光客など皆無に違いない。
ところが!!
一応雑貨屋さんを開けつつも母屋でパソコン作業をしていると、雨合羽を着込んだ家族連れ3名様がご来店。
こんなお天気でよくもまぁ…………。
お聞きしたところ、息子さんが授業で沖縄のことを習った際に教科書に載っていた水納島の写真がずっと気になっていて、少年はそれ以来是非一度訪ねてみたいと願い続けていたという。
以前にも似たような話を伺ったことがあったような気が……。
水納島の航空写真が載っている教科書(もしくは副読本)って、どこの出版社のだろう??
ともかくそんなわけで、フツーだったらこんな日にはおよそ考えられない、奇跡の売り上げである。
よりによって的こんな大時化&氷雨の日にもかかわらずご来島くださった彼らご家族には、ただただ感謝の言葉しかない。
できれば少年には、一昨日のような抜群のお天気の日の島を見せてあげたかった……。
その後雨は小止みにはなったけれど、いくらなんでもこの日、さらなる来店者はあるまい。
……と思っていたら、午後2時の島発最終便の少し前に、もうお一方がご来店くださった。
なんでも、知り合いの三線シチャーの奥さんが水納島出身で、話を聞いて訪ねてみたくなったので…ということだった。
滞在先の那覇ではさほどのこともなかったのに、島に来てみると風は強いわ海は時化ているわでビックリされていた。
街中と小さな島では、たとえ同じ気象状況下でもまったく様相は異なるのだ。
次回は夏に訪れてみたいとおっしゃるので、是非にとオススメしたのだけれど、ご本人いわく、足繁く訪れている鳩間島では「台風男」として認定されているらしく、
「そんなワタシが夏に来たらご迷惑かなぁと……」
ハイ、次回も閑散期にお願いいたします!
というわけでこの日こんな天気にもかかわらず、お2組計4名にご来店いただき、それなりの売り上げに。
水納海運さま、運航してくれてありがとう!!
そしてなんとも驚くべきことに。
今月26日までの4週間の売り上げと、昨日今日の2日間の売り上げが同額!!
何やってたんだ26日まで、という話もさることながら、いかにこの2日間が奇跡的だったかがおわかりいただけよう。
その「奇跡」がどの日になるかは誰にもわからない。
もっとも、祝日に呑気に夫婦揃ってPTA視察研修なんて行っている場合じゃなかったことだけはたしかである……。
※本日午後から出かけて翌朝帰ってくるので、明日のこの稿は更新しません。
2015年12月28日
Coral Hermit Crab。
2015年 12月27日(日)
北東の風 おだやか
連絡船が運航していて、我々夫婦のどちらか一人でも島にいれば、基本的に毎日営業している雑貨屋さんではある。
しかしそこはシーズンオフ。
どんなに天気が良くともヒトッコヒトリーヌという日のほうが多く、1グループのアジアン旅行者がカメだけ見て帰っていくだけ、という日も多い。
だから昨日のように、たったお1人のお客様がストラップ1ヶご購入してくださるだけでも、ありがたやありがたやなのである。
そんな季節だというのに!!
本島で用があった僕が最終便で帰ってきたとき、どうせ今日もまたヒトッコヒトリーヌだったのだろうとオタマサに訪ねると、
「まさかの臨時ボーナス!!」
目を見開いてオタマサ化しているではないか。
なんとこの日は、連絡船到着早々に3組ものお客様が次々にご来店されたというのだ。
1人で対応に追われたオタマサは、レジカウンターで例によってオタオタしていたのはいうまでもない。
当サイトをご覧になっていた方、たまたまいらっしゃった方などなど、3組のお客様ご滞在時間は約30分。その売り上げは……
2万5千エーン!!
シーズン中でさえ小1時間いろいろ話を訊いたあげくに何も買わずに帰っていく人がいることを思えば、まさに感謝感激雨霰。
週間天気予報を見るかぎり望み薄か…と思っていたのだけれど、この臨時ボーナス的奇跡の1日のおかげで、ついに今月の売り上げ目標に到達したのだった。
国籍に関係なく、団体ツアー客がゾロゾロワサワサ年間何万人も来島するよりも、こういう個人旅行の方々がゆっくりできる島であってくれればなぁ……。
不景気到来に期待しよう。
さて。
昨日のダイビングの話の続き。
僕が大御所のブログから新知見を得た一方、オタマサもまた、ある方のブログに触発されていた。
ゴッドハンド小野さんのブログである。
もともとブログでご自身の確固たる世界を構築されていた彼ではあるけれど、近頃さらなる発展進化を遂げられ、もはや他の追随を許さぬ……というか、誰もついていけないかもしれない世界が広がろうとしている。
そのブログに、こだわりのカンザシヤドカリがアップされていたのだ。
実は今年のオタマサも、なぜだか今さらながら憑りつかれたようにカンザシヤドカリ・ラブになっていて、カンザシヤドカリを撮っていた。
そこんところにもってきて、年末のこの時期にゴッドハンドワールド。
そこでこの機会に、久しぶりにオタマサワールド2015・カンザシヤドカリ編!
↑超チビ♪
ゲップが出るほどカンザシカンザシしたところで、今日はこのへんでお開きでございます。
あ、せっかくだから宣伝しとかなきゃ。
オタマサ撮影カンザシヤドカリのポストカードもあります。
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2015年12月27日
リュウキュウハナハゼ。
2015年 12月26日(土)
北東の風 やや波あり 水温23度
年末年始も引き続きぐずついたお天気予報が出ている。
そんななか、この日は数少ない海日和。
朝方に渡久地港からうちの船で帰ってきた我々は、午後2時まで雑貨屋さんを営業したあと、潜りに行くことにした。
さて。
ダイビング雑誌を手に取ることがなくなってすでに十数年、だからといってネットでいろいろチェックするわけでもなし、その方面の情報といったら、数人のゲストや知人のブログを拝見して得る程度の我々である。
そんな僕の数少ない情報源のひとつが、大御所写真家・大方洋二さんのブログだ。
美しい写真の数々や魚の珍しい生態もさることながら、この魚にようやく和名がつけられたとか、和名が変更になったとか、ただ酒を飲むだけの当店ゲストと話しているだけではけっして知ることができない、有難い情報をもたらしてくれるのである。
つい最近も、モノを知らぬ我々に新たな知見を提供してくださった。
本土で見られるものとは別種とされて以後もずっと名前が無く、仕方なしに沖縄版ハナハゼと呼び続けていたこの魚。
彼にとうとう和名がついたというのだ(もう2、3年前のことだそうだけど…)。
その名もリュウキュウハナハゼ。
意味的には沖縄版ハナハゼのまんまだった。
そんなニュース(?)を観たばかりだったので、この日は久しぶりにこの沖縄版ハナハゼ改めリュウキュウハナハゼを観てみることにした。
水納島には数は少ないとはいえ、あそことここにいる、程度のことはもちろん把握しているのである。
この日もちゃんと、いつもと同じ場所にカップルで居た。
とはいえ水温が低くなっている季節だから、そうそう寄らせてはくれないだろうなぁ……と覚悟していた。
ところが、流れの塩梅がちょうど彼らの食事に適していたからだろうか、低水温のわりにはフレンドリーで、たとえ引っ込んでしまっても、少し離れて待っているとすぐさま出てきてまた食事を続ける。
おかげで、風にたなびく長い尾鰭の美しさをたっぷり堪能することができた。
ところで、ご存知のとおりリュウキュウハナハゼにかぎらずこのテのハゼたちは、ヒレをすぼめた姿が常態で、各ヒレを長時間全開のままにしてくれることはなく、一瞬の閃きのようにしか全開時の姿を見せてくれない。
なので静止画で全開状態を撮るのは至難の業なんだけど、どうせならヒレを広げた姿を写してみたい。
というわけで……
パシャ。
うーん、背ビレ腹ビレが開いてない……。
パシャ。
ああ、なんで尻ビレだけが中途半端???
パシャ。
全部開いているけど全部中途半端な感じ………。
あと一息だ、それ、パシャ!!
オッ、口まで開けてくれたけど………
尾ビレが上端で切れてしまった(涙)。
ここでタイムアップ。
砂地に這いつくばってジッとし続ける30分は、さすがにシビレる寒さである。
浅場に戻ってくると、まだ午後3時前だというのに、リーフ際から見上げる水面はすっかり斜陽の輝き。
そして船に上がると……
青空の下でじっくり冷え込んだ北風が、容赦なく濡れた体に吹きつけるのであった。
ああ、耳が千切れそう……。
2015年12月26日
朝帰り。
2015年 12月25日(金)
北の風 波あり
本日(26日)は朝帰りだったため、日記を書いている時間なし。
おっと、トップページのクリスマスバージョンを早く元に戻さなきゃ!!
ほんじゃまた。
2015年12月25日
テントウムシのうた。
2015年 12月24日(木)
北の風 波あり
昨日はミツバチだったけど、今宵はテントウムシ♪
白いテントウムシと……
赤いテントウムシ。
イセエビの出汁が効いた濃厚スープをいただいた後、アンティパストは…
ナポリサラミとパンチェッタ、そしてリコッタチーズに島ダコのマリネ。
やっぱフレッシュチーズって美味しいなぁ。
プリモは……
アカジンのソテー・バジルソース風味。
そして今宵、我が家では年に1度級のステーキ肉の日になったセコンドピアットは……
我那覇ミートで吟味に吟味を重ねた甲斐がありました。
もちろん溢れる緑はマサエ農園の野菜たち。
ようやく野菜食べ放題の季節到来!!
とまぁこんな調子で食べて飲んで、映画はもちろん「34丁目の奇跡」(新しいほう)。
昔からクリスマスごとに何度も観てるのに、なんでこんなに面白いんだろう……。
未見の方は、本日是非。
というわけで、1日中降っている雨が夜更け過ぎに雪に変わることは絶対にない沖縄ではあるけれど、それなりにクリスマスイブな夜なのでした。
みなさま、メリークリスマス!!
2015年12月24日
PTA視察研修。
2015年 12月23日(水)
南西の風 けっこう荒れ模様
水納小中学校の恒例行事に、PTA視察研修というものがある。
ご存知のとおり水納島の場合、家族に就学児童生徒がいるいないにかかわらず、住民=PTAなので、我々もその対象ではある。
けれどいかんせん団体行動ができない我々なので、イレギュラー的に突如決まった牛のセリ見学以外、これまで参加したことはなかった。
ところが今回、ひょんなことから参加することになってしまった。
で、朝イチの船で渡久地港に渡り……
学校が役場から借りたマイクロバスでGO!
あ、ちなみに運転手はセンセイ(シーズン中、コーラルリーフさんでスタッフのように給仕をしていた、アセロラジュニアことヤスターダ先生)。
かつてはおじいおばあも大参加していたイベントなので、この行事の日の島内はヒトッコヒトリーヌ状態になっていたものだった。
しかし寄る年波で高齢者の参加は無くなり、下は乳幼児から上は60代というメンバーである。
仕事があるために参加できない船員さんたちに見送られつつ、全島民の80パーセントを載せたマイクロバスは出発。
目指した先は……
ご存知、中城城跡。
一週間前からずっとこの日は芳しくない天気予報が出ていたのだけれど、この日この時最も雨に祟られたくない時間帯は、春の陽気もかくやと思わせるほどの暖かさ&青空。
天気予報などものともせず、誰一人雨具など持っていない強気の姿勢(?)が功を奏したに違いない。
(雨天の場合の次善の策はあるんだろうかと問うたところ、学校関係者によると「晴れると信じてた」とのこと。脱帽。)
そんな青空の下、この季節ならではのツワブキが咲き誇り、鮮やかな黄色で城跡を彩っていた。
城址公園入口付近ではこの日、中城城ツワブキまつりが開催されていた。
入場早々に聴こえてくる三線の音色。
なにがどうと知っていたわけではないはずなのに、その音につられるようにしてフラフラ~と会場を覗きに行くオジサンたち数名。
遺伝子的にお祭り好きなのである。
帰りがけにも足を運んだ民宿大城のヤスシさんは、手にお茶とお菓子とみかんを抱え、ベンチに座ってモグモグ。
「タダでみんなに配ってるよぉ!」
いや、そういう趣旨ではないような気が……。
ともすればみんながみんな、よーいドンで勝手気ままにあっちゃこっちゃ行ってしまいそうなところ、さすが団体ツアー、あらかじめ現地ボランティアガイドの予約をしてあったのだった。
おお、こういう団体旅行的案内なんて、かつて都内で勤めていた頃の社員旅行以来である。
こういう時にも勝手に動き回っているに違いないと思われたオタマサが、意外にも興味津々で最前線で案内を聞いていたので、そっち方面は彼女にまかせ、僕は小学生の通知簿でさんざん先生に書かれていた時からまったく成長していない落ち着きの無さぶりを発揮し、こういうモノに興味をひかれまくっていた。
みつばちマーヤ。
沿道に咲き誇るツワブキに、ミツバチたちがブンブンブンブン、ここは養蜂場ですか?ってなくらいの量で飛び交っているのだ。
何を今さらミツバチなんて……と思われる方がいらっしゃるかもしれないけれど、水納島にはミツバチはいないのである。
花の蜜や花粉を集めるミツバチは、もちろん子供の頃からおなじみの虫。
ところがこの21年間というもの、身近にまったくミツバチがいない生活だったのだから、この姿に心を奪われるのも仕方がない。
ミツバチたちがこうして大フィーバーしているのは、もちろん満開のツワブキたちのおかげだ。
それにしてもこのツワブキ、もともと中城城築城の時代から周辺に自生していた花とはいうけれど、2007年の同じ時期に、タコ主任やうみまーるの2人と訪れた際には、さほど印象に残らなかったよなぁ……。
……と思っていたら、先ほどのツワブキまつりは今年で第6回。すなわち第1回は2010年だ。
2000年に世界遺産に登録されて以来、ボランティアスタッフによって増やされ始めたツワブキがこんにちのような見頃を迎えるまでには、それなりに長い月日がかかったのだろう。
ひとしきりボランティアガイドさんの説明を聞き終えたあと、城址を散策する。
ナリコさんも歩いてます。
ジュンコさんも歩いてます。
かつての主・護佐丸よりも城主らしく見えるのは気のせいでしょうか……。
首里城をはじめとするその他の城と違って、中城城跡は先の大戦での被害がかなり軽微で済んだそうで、世界に誇る石垣はほぼ原形をとどめているのだとか。
散策路が整備され、芝生もきれいに整えられ、太平洋も東シナ海も見渡せるベルベデーレな丘の上に威容を誇る城跡。
まさかこの地(のすぐ脇)に、ほんの一昔前まで動物園や遊園地があっただなんて、世界遺産マニアには想像もつかないことに違いない。
というわけで、本日の中城城址のベストショットはこちら。
アーチの下でポーズをとるリュウタ。
あそこに立ったらヒーローみたいになるぞ、というと、彼はダッシュしてポーズをとってくれたんだけど、ちょうどそのタイミングで向こうからこちらに来ようとしていたタカシさんをひとまず脇で待たせてからのポージング。
小学2年生にして、彼はすでに人生を楽しくする方法を知っている。
そんなこんなで、中城城跡公園見学ツアー終了。
このあとは楽しいランチ!!@コスタビスタ沖縄、そして個人的に人生初ライカム探訪と続いたわけだけど、なんてことだ、中城城跡見学だけで紙数……じゃないか、ドット数が尽きた。
それについてはまたあらためてご紹介……するかどうかはわかりません。
てなわけで、無事に午後4時半には渡久地港に帰還。
そういえば、名護を過ぎてから連絡船が出発する直前まではけっこうな土砂降りに。
ああ、これが中城城址じゃなくてよかったよかった。
まさに、信じる者は救われる。
2015年12月23日
アンユージュアル・ユージュアルズ。
2015年 12月22日(火)
南東の風 おだやか 水温22~23度
暑いです。
海は穏やかです。
潜りに行きます。
というわけで、ランニングマスターも大晦日に向けてそろそろラストスパートという時期にもかかわらず、呑気にダイビング。
同じ海に潜り続けて21年ともなれば、まぁお馴染みの顔ぶれというか、出会ったからといってアドレナリンが湧き出るわけではないオトモダチの数はかなり増えてくる。
でもおなじみの顔であればあるほど、付き合いが長いだけに「あれ?」ということもある。
たとえば昨日出会ったハマクマノミ。
北よりの風が吹くといつも船の真下あたりになるリーフ際にいるから、かれこれ相当長い付き合いになるハマクマノミのメス。
ところがよく見てみると………
尾ビレが変なんです。
成長途上で何らかの原因でヒレが裂けることにより、本来1本のはずの旗が2本になっていたり、1枚のはずの背ビレが2枚に分かれて見えたりすることはちょくちょくある。
でもこれって、まるで腕のまったく毛に関係ないところからピンと生えてる宝毛のような、本来そうなるはずじゃないヒレの伸長の仕方のような………。
拡大してみよう。
なにこれ、どうしちゃったの?>ハマクマノミ。
村山富市の眉毛みたいに、老成すると伸びちゃうもんなんでしょうか。
ハマクマノミとはもうかれこれ7852回くらい出会っているはずなのに、それでも新たなオドロキがあるなんて。
これだから海は楽しい。
今日もまた、おなじみのはずなのに「あれ?」なシーンに遭遇した。
水納島の砂地には、かなりフツーにクロエリオオメワラスボがいる。
白い砂地の上に白く細い体、しかも底から20センチくらい上でホバリングしているだけなので、上から目線(?)でのみ潜っている人は、背景に紛れてしまっているその姿になかなか気づいてくれないため、案内しているとワジワジすることもよくある。
でも目線を限りなく砂底に近づけると、こういうふうにホバリングしている姿を観ることができる。
ただし、ウカツに近寄ると彼らは危険を察知し、すぐさま矢のような速さで砂の中にブスッと飛び込んでしまう(ちゃんと穴があるらしい)。
なのでこれまでは、のんびりホバリングしている姿か、砂の中に勢いよく突き刺さる瞬間しか目にしていない。
ところが。
この日ふと目を向けた砂底に、こんな姿のクロエリオオメワラスボが。
砂底から顔を突き出しているところなんて、初めて観る姿だ。
カメラを向けてもどうせすぐに引っ込んじゃうんだろう……と期待せずに撮っていたら、けっこう近くまで寄らせてくれた。
最終的には砂中に姿を消したものの、シュッと素早く引っ込んでしまうのではなく、徐々に徐々に、最後は顔だけ残しつつ、ゆっくりと引っ込んでいった。
クロエリオオメワラスボ、ひょっとしてガーデンイールになりたかったのか???
年がら年中同じところで潜っていると、先日のヒラカメガイのような種類としての衝撃の発見はそうそうないけれど、おなじみのお魚さんたちの「新発見」はけっこうある。
これだからダイビングはやめられない。
2015年12月22日
グローイングアップ・波動砲。
2015年 12月21日(月) 曇りのち晴れ
南東の風 少し波あり 水温22度
沖縄には「トゥンジィビーサー」、すなわち冬至の冷え込みという季節の言葉がある。
毎年その頃になると、北の方から大陸の高気圧が張り出してきて、冷たい冷たい寒気を沖縄地方にも容赦なくもたらすようになるからだ。
が。
冬至を翌日に控えたこの日、そんな冷え込みなど千里の彼方の話でしかないほどに、日中はTシャツ短パンで過ごせる暑い暑い1日になってしまった。
野菜にはびこる害虫たちがやんややんやの喝采をあげていることだろう。
といいつつ、1日を過ごすうえで暖かさがありがたいのは我々も同じ。
おかげで海へ行こうという気にもなる。
ウェットスーツを着た状態でタンクを下ろしたりなんやかんやをしていたら汗が出るほどの暑さではあったけれど、ドボンと海に飛び込んだら水温は先週から1度下がっていた。
仕事で潜っていたら戦意喪失級のレベルながら、遊びで潜っている分には、寒くなったら上がればいいのだからモンダイはない。
なにしろ海から上がれば暑いのだから。
聞くところによると、海が蓄熱してくれていたおかげで、この15年チョイほどは地球の気温の上昇率が緩和していたらしい。
温暖化傾向で見るなら、モラトリアム期間のようなものだったというのだ。
ところがついに海の蓄熱能力も限界を迎え、いよいよモラトリアム期間は終了を迎えるという。
すなわち、気温の上昇は加速度アップ。
50年後には……とか、今世紀の終わりごろには……という話を聞いてもどうせ自分たちはこの世にいないのだから、と無縁を決め込む人たちがきっと多いのだろうけれど、その途中の段階ですでに壊滅的な気候変動になっているはずである、ということに気づいている人はなぜか少ない。
そしてそれは、COP21で議決する程度のゆるい対策では、すでにどうしようもない段階に来ているのは間違いない。
そんなこととはつゆ知らず、海の中の生き物たちは今日も健気に生きている。
最後に観てから一週間経って、推定イロカエルアンコウチビターレはどうしているだろうか。
……まったく同じ場所に居た。
先月22日に初めて見つけた時こそ違う場所に居たけれど、その後はずっとこのカイメンの傍にいるチビターレ。
心なしか大きくなったような気がする。
というか、カエルアンコウらしいふてぶてしさが加わってきたような……。
そのためか、以前は観ている時には気づかなかったほどだったエスカが、ファインダー越しながらピコピコ動いているのが見えた。
その様子も随分サマになってきた。
ファインダー越しに観ていると、このカイメンの周りをわりとチョコマカ動いてはジッとする、というのを繰り返す。
その途中途中で、小さな、けれどもこのチビターレよりは大きなスズメダイたちにいじめられているようにも見える光景が。
彼らを見返すことができるようになるまで、あともう一息の辛抱だ。
明日のためのその1的予行演習なのか、トドメの波動砲をこの日も発射。
その口径、たしかに増大している。
成長中の波動砲、この日は3度発射してくれたんだけど、1度目はファインダーから目を離してカメラをいじくっている時に、2度目は最初の写真のように背景に青味が入るように撮ろうとしたらピンボケに、で、3度目にしてようやくフツーに撮れたのだった。
おかげで35分も同じ場所に佇んだままに。
カエルアンコウを観ていると、観ているこっちがカエルアンコウ状態になっているのであった。
2015年12月21日
ちょーでーぐゎ。
2015年 12月20日(日) 晴れ
南東の風 少しうねりあり
土曜日に那覇でダイビングクラブのOB忘年会があったので、夫婦二人で参加してきた。
で、もちろんながら盛り上がってしまうので、気がつけば時計は午前3時前。
それで翌朝は昼まで寝ていられればいいのだけれど、あいにく所用を済ませつつ島に戻るためには、午前中のうちにホテルを出なければ間に合わない。
ここはひとつカレーでも食べておきたいところ……
……といいつつ、昨夜は勢い余ってコンビニでチキンカツカレーなんぞを買ってしまい、寝る前に部屋で食っちゃったからなぁ。<バカ。
とりあえずメイクマン本店での用を済ませ、そのまま高速に乗って素直に北上しようかとも思ったのだけど、前回紹介した麺家にらいを探訪した際に次善の策として(ほら、臨時休業にハマることもあるから…)キープしていたお店があったことを思い出した。
というわけで訪れたのは……
屋号を記した大きな看板は屋根の上にあるので、麺ソーレーという可愛いダジャレ看板だけという、いたってシンプルなお入り口のお店は、その名をちょーでーぐぁという(漢字で書くと兄弟小)。
以前は南風原かどこかにあったそうだけど、今は西原町は坂田の交差点から小那覇へと下る道沿いにある。
この日に訪れるつもりはなかったので、例のプリントした地図はやはり持ってきてはいなかったものの、グーグルマップちら見でつけてあった見当は、米軍のピンポイント爆撃よりもはるかに精度が高かった。
開店直後にもかかわらずすでに先客が数組いた店内はかなり広く、カウンターと厨房の雰囲気はなんだかアメリカドラマに出てくるダイナーのような気配もある。
注文は券売機。
初めて訪ねる店で券売機だと、どういうメニューがあるのか勝手がわからないから、続々と入店してくるお客さんがいたりすると焦ってしまってまったく本意ではない注文をしてしまいかねないところ、幸い後ろに誰もいなかったから落ち着いて選ぶことができた。
ここにもやはり野菜そばがあった。
10秒ほど悩む。
が、弱気なサインに首を振り、得意な魔球を投げ込むだけよ、そうよ、勝負よ、ピンクのサウスポー。
トロトロ軟骨ソーキがウリのちょーでーぐゎそば。
自家製麺と手打ちそばの2種類から麺を選ぶことができ、手打ちは自家製麺よりも50円プラスになる。
で、手打ちそばのちょーでーぐゎそば680円也。
麺家にらいといいここちょーでーぐゎといい、今のところサンプルは2例しかないとはいえ、田舎度がより高い北部よりも、むしろこのあたりのほうがそばの価格は控えめなのではないか。
また、盆の上になぜだかちんすこうが袋入りで載っているほか、ここではセルフサービスでモズク酢をお好みの量取ることができた。
そういえば、本部町内のそば屋「茶話之屋」でも、生野菜サラダがセルフサービスで提供されていたっけ。
近頃富に過当競争気味の沖縄そば屋、各種サービス合戦になっているんだろうか………。
たしかにオマケのサービスもうれしいところではある。
しかし肝心要はもちろんそば。
手打ちそばらしくツヤツヤツルツルの麺を、まずは一口。
おお、さすが手打ちそば!
豚メインなのであろう出汁も落ち着いたアッサリ感で、酒にただれた五臓六腑を慈愛のエキスで満たしてくれる。
二日酔いのためさほど食欲はなかったような気がしていたのに、ウマイウマイとあっという間に完食。
同じメニューの小を頼んだオタマサも、もちろんご満悦。
こうなると野菜そばやゆし豆腐そばも試してみたいところである。
次回の楽しみにとっておこう。
昼が近くなると、続々と入店してくるお客さんたち。
さすが日曜、ピーク時ともなれば、広い店内がたちどころに満席になるのだろう。
そば屋というと、なじみの店に行っていつもの美味しいヤツをいただくのが一番とは思っているけれど、こうして各地のお店を探訪してみるのもけっこう楽しい。
ブームのおかげで田舎のガソリンスタンドよりも圧倒的に数多い沖縄そば屋だから、その楽しみは当分尽きることはなさそうだ。
2015年12月19日
麺家にらい。
2015年 12月18日(金) 朝雨パラパラのち晴れ
北の風 けっこう波あり
この日の朝から、連絡船は運航を再開。
朝イチの便で本島へ。
この日予定されている我々の所用は午後イチからなんだけど、朝8時半の便以外の選択肢が無いところがツライところ。
しかも所用終了後、午後5時渡久地港発の最終便に間に合うかどうか微妙なタイミングでもあった。
あとは帰るだけとなって車に乗ったのが午後3時32分。場所は西原町内の国道329号線。
どこかで変に混んでなければ間に合う……………かも。
と信じて頑張ったら、10分余の余裕を残して間に合ったのだった。
プチプチトマト号もなかなかやる。
さてそんなわけで午前中はかなり時間があったので、滅多に足を運ぶことがない地域の、未だ訪れたことがない沖縄そば屋を探訪することにした。
訪れたのはここ。
かつてはケーキ屋さんの建物だったのだろうか、Castleという文字も建物の造りもなんだかメルヘンでありながら、屋号はまごうかたなき沖縄そば屋の「麺家にらい」。
国道329号から海側へ入ったところにある、中城村のムダに広く大きな運動公園のすぐ脇にある。
北部で暮らす我々にかぎらず、一見さんが通りがかりにフラッと訪れるのはほぼ不可能な立地だ。
にもかかわらずけっこうな人気店らしいのだから、昨今の沖縄そばブームにおけるネット社会の貢献度は、相当大きいに違いない。
僕もまた例に漏れず前日のうちに自宅のパソコンで下調べをし、このお店を選んで場所の見当もつけておいた。
僕を信じていないオタマサは、そのうえさらに地図を印刷しろという。
まぁたしかに不案内な場所だし、その後にはずせない用が控えているから道に迷うわけにもいかないので、地図を用意しておいた方が心強いか。
なにしろスマホもネットを使える携帯も持っていない我々だから、事前の準備が大事なのである。
が。
オタマサ、地図を忘れるの巻。
しかも二人とも、店名すら覚えていなかったりするの巻。
それでもたどり着いたのだから、グーグルマップをひと目見ただけでつけた僕の「見当」の精度の高さよ。
店のおねーさんが準備中の看板を営業中に替えている開店早々に入ると、手前にカウンターとテーブル席、そして奥には座敷があるかなり広い店内だった。
メニューには「野菜そば」の文字が燦然と輝いていたものの、こちらの野菜そばはもっぱら女性をターゲットにしたヘルシー志向で、「お肉はいっさい使用しておりません」と謳っていたのでやめておき、僕は軟骨ソーキそば600円、オタマサは軟骨ソーキそば(小)500円にした。
近頃流行りの券売機システムではないから口頭で注文。
すると店のおねーさんが、
「大盛りにしますか?」
と。
そんなに大食いしそうに見えるんだろうか……。
チビターレのオタマサと一緒にいると、錯覚で大柄に見られてしまうのである。
けっしてデブなわけではなく、ただデブをこじらせているだけなんだけれども、まぁせっかくだから大盛りでお願いすることに。
するとおねーさんは厨房に向かい、
「軟骨大と軟骨小」
と伝えていた。
メニューには小はあっても大はない。
はたして大になるといくらになるんだろう???
驚いたことに、大盛りにしてもお値段変わらず。
そんな軟骨ソーキそば(大)がやってきた。
外付けハードディスクのように、大量の軟骨ソーキが別皿に盛られている。
具のソーキをこうして別皿にすることには賛否あるのかもしれないけれど、それはすなわち出汁にこだわりがあることの証でもある。
期待に胸を膨らませつつ、まずは当店自慢の自家製麺を一口。
う……美味いッ!!
太めのラーメンのようなそばに染み込む鰹100パーセントの出汁はまさに、二日酔いの朝の命のドリンク。
豚や鶏メインの出汁だとともすればラーメンのようになる沖縄そばながら、鰹出汁なら完全無欠の和のテイストだ。
具の軟骨ソーキも、じっくりコトコト煮込まれ具合も炙られ具合も味の染み込み加減もパーフェクト。
オタマサも大満足である。
さらに驚いたことに!!
セルフサービス(といいつつ、明らかに一見さんの我々にはさんぴん茶を出してくれた)の飲み物コーナーには、冷水やさんぴん茶、温かいお茶といったおなじみのもののほかに、アイスコーヒーまで用意されていた。
しかも!!
こんなサービスまで。
一口サイズの手作りの蒸しケーキ。
この隣には各種既成品のお菓子も用意されていたけれど、やはりここはひとつ蒸しケーキを食べてみよう。
添えられたカボチャのタネが可愛い。
蒸しパンのしっとりとした食感、そばの余韻を損なわない控えめな味付け。
沖縄そば屋さんで考え得るサービスの範疇を遥かに超えている(ちなみにこれまたオシャレなお手洗いの洗面台には、マウスウォッシュまで用意されてあった)。
それにしても。
沖縄そば屋といえば、お昼時の回転率が売り上げを大きく左右する業界のはず。
しかるにサービスでアイスコーヒー、おまけに一口サイズのデザートときたら、食後に長居してくださいと言っているようなものではないか。
たしかに沖縄そば屋といえば昔から県民にとってファミレスのようなものだから、家族連れでわいわい楽しくする場所ではある。
座敷には子供用の小さな座椅子もたくさん用意されている。
だからといって、大盛りにしても値段が変わらないこの価格だけでこんなにサービスして、しかも回転率を低くする方向に持っていって、経営の方は大丈夫なんでしょうか????
などと余計な心配までしてしまう。
ひょっとして、中城村にはそういう方面での助成金があったりするのだろうか。
ともかく。
ビジュアルよし、出汁よし、麺よし、味もよし、おまけに各種サービス良し。
那覇の街中やもっと人口が多い地域の店ならいざしらず(しかも値段はもっと高い)、通りがかるヒトといえば村民広場的運動公園利用者くらいのお店でこのグレードの高さ!!
さほど期待せずに訪れたことが申し訳なくなるくらいに、近来稀に味わう感動的美味さだった。
お近くにお立ち寄りの際には是非!!
……って、なかなか「お近く」に立ち寄れる場所じゃないんだよなぁ。
というわけで本日は更新できましたが、19日は那覇で忘年会があるので、明日のこの稿の更新はありません。
西原まで往復した翌日、今度は那覇まで。
うーむ……………さすが師走。
2015年12月18日
天国と地獄。
2015年 12月17日(木) 曇り所々に青空
北の風 激荒れ
引き続き冬型の気圧配置がもたらす北の強風のため、連絡船は終日欠航。
欠航=来店者無しなので、お昼時に散歩した。
この日たどり着いたのは、ご存知「秘密のビーチ」<秘密がご存知じゃおかしくないか?<細かいことを気にしてはいけない。
この場にいるだけで、波しぶきで塩塩のパーになってしまうほどだ。
ちなみにここは、穏やかな日々にはこんな感じ。
潮位と立ち位置が異なるとはいえ、その差はまさに天国と地獄。
地獄に当たれば、連絡船が欠航するのもやむを得ないのであった。
明日はようやく時化がある程度おさまる見込みで、連絡船も朝イチからの運航再開をすでに発表してくれている。
「発表」っていうと大げさか。
実は我々には18日にどうしても外せない用があるんだけど、16日朝イチで連絡船が渡久地港へ行って欠航してしまうまで、18日の朝の運航の保証はなかった。
でも半日の用のために事前に2泊、ヘタしたら当日も帰ってこられないから3泊ってのはちょっとなぁ……ということで、一応船長カネモトさんには念を押しつつ、18日の朝から運航できるほどに海況が回復することに賭けていたのだ。
それがこの日日中の時点で、翌朝からの運航再開が決定。一か八かに賭けた我々にも連絡をと船長からお達しがあったのか、事務のエーリーちゃんからその連絡があった次第。
島で暮らしているとフツーのことに感じてしまうようになってしまっているけれど、海運会社から個人向けに直接運航状況の連絡があるなんて、よくよく考えるとフツーはあり得ない話ではなかろうか。
小さな島には不便なこともたくさんあるけれど、有難いこともそれ以上にたくさんあるのであった。
というわけで、18日に島に戻って来られれば19日朝の更新がありますが、戻ってこられないと19日の晩は那覇泊のため、20日の更新もありません。
あ、久しぶりに「海のなんじゃこりゃ?」やお魚コーナー、それにギャラリーも更新してあるので、日記が未更新の際はそちらをどうぞ(笑)。
2015年12月17日
働くおじさん働くおじさんこんにちは。
2015年 12月16日(水) 曇り
北の風 激荒れ
オフになってから何度か時化はあったけれど、大陸の高気圧が沖縄方面まで本格的に張り出してきたのは今年初。
畑をしているヒトたちにとって、待望の冷え込みになった。
ところで、昨日掲載した畑の写真は11日に撮ったものだけど、この日ほぼ同じアングルから撮ってみた(オタマサの位置が多少違うけど)。
たった5日間で、緑の勢いが増しているのがわかりますか?
害をなす虫さえいなければ、野菜たちにとって抜群のお天気が続いているのだ。
害虫がたかるのは、葉が折り重なって隠れ家にも保温施設にもなる居住空間を提供する野菜がもっぱらだ。
白菜などはその最たるもので、マサエ農園の白菜たちも、パッと見は順調に育っているように見える。
しかし日々害虫の有無を欠かさないオタマサチェックで、隠れ潜んでいる虫たちが発見される。
あ、念のため写真はもう少し下にするので、イモムシ系が苦手な方は今のうちにスルーしてくださいね。
こういうヤツ。
これが1、2匹ならともかく、放っておくとひとつの白菜の中に団体様状態になってしまって、本来育つべき新芽を次から次に食べてしまい、白菜は巻くことなく終了してしまうことになるから、こまめのチェックは欠かせない。
ところで、おもしろいことに今年白菜にとりついているこのイモムシ、前世紀から畑で野菜を作り始めているオタマサによれば、今まで観たことがない種類だという。
どういうわけか我が家には「イモムシガイドブック」なる超マニアックな図鑑が3巻揃っている。
調べてみたところ、ビンゴ!は見つからなかったものの、ナリと食性に鑑みて、シロチョウ科の蝶かヤガ科の蛾ではなかろうかと思われる。
それにしても、この図鑑が、まさか「実用」になる日が来るとは思いもよらなかった…。
蝶であれ蛾であれ、こんな小さなイモムシのせいで、下手をすると白菜が1個丸ごと、ひいては白菜全てがダメになってしまうのだから、無農薬で野菜を育てるということがいかに尊い作業かということがよくわかる。
害虫も、冷え込みが続けば活動を停止する。
その隙を逃さず、今日もイモムシチェックに励むオタマサなのであった。
そんな冷え込んだ日に、島で働いているのは畑作業のヒトたちだけではなかった。
こんなところにヒトの姿が。
これがどこだかわかりますか?
そう、ここ。
20年以上も住んでいるというのに詳しくは知らないんだけど(以前聞いた話を忘れた)、船舶用か何かの無線のための鉄塔で、灯台の傍らに建っている。
かつて一度天辺まで登ってみたことがあり、空を飛ぶカラスさえ眼下に見えるその高さから眺める島の全景は、なかなか絶景かな絶景かなだった。
ただ。
ほぼただの鉄骨だから、高所恐怖症の気がある僕にとっては完全無欠のお股ヒュンッ状態。
そんなところで、たとえ命綱付きとはいえ、強風吹きすさぶ中、冷え込みて手足もかじかんでいるだろうに、日中ずっと作業をしている現場作業員たち。
保守点検か何だか、今週月曜日から島に泊りこみで仕事をしている彼らである。
その姿を見ていると、その昔教育テレビで放送していた、「~♪働くおじさん、働くおじさん、こんにちは!」という歌で始まる社会科の番組を思い出してしまった。
ちなみに彼らは民宿大城さんにご宿泊。
7、8人が一週間ご宿泊だなんて、この季節にはフツーはあり得ない話だ。
だから大城のヤスシさんも、
「冬のボーナス♪」
と言ってゴキゲンである。
連絡船が欠航しているため宿で用意したのであろうお弁当を現場に運ぶ姿にも、お天気&海況とは真逆の、♪心ウキウキ~ハッピートゥデイ!的陽気さが見られるのだった。
2015年12月16日
アウトオブ眼中。
2015年 12月15日(火) いい感じの雨
ほぼ無風のち北の風 おだやかのち波あり
適度に雨が降って、ちゃんと晴れる日もあって、畑の野菜たちにとってはシアワセな日々が続いている。
……はずなんだけど、いかんせん気温が高すぎる。
多少気温が高くとも野菜たちそのものにはモンダイはない。
しかし、害虫たちは気温が高いことによって活発なままになる。
全島無農薬の水納島のこと、マサエ農園程度の小さな範囲ですら害虫に目を光らせ続けるのは大変だというのに、湧川農園のように出荷もしている規模となると、ひとたび虫がたかれば手に負えなくなるのは必定。
そのため、せっかく順調に育っていたダイコンに虫がたかって手の付けようがなくなったために(ちゃんと育たなくなる)、すべて引っこ抜かれるかそのまま鋤きこまれるかして一からやり直しということになっているところもある。
寒くなるべき時にちゃんと冷え込まなければ、いろんなところに支障が出てくるのだ。
明日以降の冬型の気圧配置は、待望の冷え込みをもたらしてくれることだろう。
話は変わる。
ハダカハオコゼという魚がいる。
その名のごとく、葉っぱのように薄い体をしたオコゼだ。
でも何が「裸」なのかは知らない。
オコゼというと武骨で毒のある魚というイメージが先行する方もいらっしゃるかもしれないけれど、このハダカハオコゼは10センチにも満たないサイズで、なおかつカラーバリエーションも豊富。
なかにはこういう色をしている子もいる。
とりたてて珍しいというほどでもないんだけど、いるとなぜかゲストに案内したくなる魚なので、長らくガイドをやっている方ならおそらく、これまでに3万5千回くらいホワイトボードにその名を書いているに違いない。
なかでもこのピンク色の子はきれいだから、居たらどうしても撮ってしまう。
アクビでもしてくれないかなぁと期待しつつ、しばらく観ていることにした。
ハダカハオコゼはもちろん肉食で、落ち葉のようにユラユラしながら気配を消しつつ、うっかり近づいてきた小魚を一呑みにする。
また、口から触角がはみ出ているのを以前見たこともあるから、エビなどもフツーに餌にしているようだ。
エサの選り好みはしないのだろう。
ところが。
この日この時、ジッと観ていると……
ん?向こうから何か出てきたぞ。
お、ミヤケテグリ。
そんなところウロチョロしてたらアブナイぞ!
あ~、ミヤケテグリピ~ンチ!!
あれ?
スルー???
おおッ!!チャレンジャー!!
エビでも食っちゃうくらいだから、ミヤケテグリなんてほどよいおつまみになるのかと思いきや、ハダカハオコゼピンキーは微動だにせず。
ミヤケテグリはよほどまずいのだろうか???
ひょっとすると、泳いでいる魚だと8パーセント、着底している生き物だと10パーセントの消費税の差のために、グッと我慢をしていたのかもしれない………。
2015年12月15日
宇宙外来生物?
2015年 12月14日(月) 雨ポツポツ
北東のち東の風 おだやか 水温23度
3日間のチャンス最後の日は、朝からポツポツ雨が降っていた。
いつものオフシーズンならそれだけで戦意喪失というところながら、この穏やかな海はどうやらこの日まで。
次回のチャンスはいつになるやらわからないから、今日も再び海へ。
イロカエルアンコウがずっと同じ場所に居るのかどうかを観たいというだけでまた同じポイントに行ってみると、やはり彼は同じ場所に鎮座していた。
どうやら撮りやすいところまで出てくれる気配はないようだ……。
その後、先日見つけた小さなシャコにじっくり接近しようとしていたとき、なにやら興奮モードのオタマサが手の中から何かを差し出した。
力なく海底につくその物体。
撮影:オタマサ
こうしてアップにした写真を観ると、髑髏にも見えるその殻の中には臓器すら見えるから、「ナニナニこれ?」となりそうなものながら、なにしろ1センチにも満たないほどのサイズだから、僕の眼にはただの貝殻にしか映らなかった。
ところがオタマサは、泳ぐゼスチャーをしている。
泳ぐ貝といえばユキミノガイ系?
でも今さらユキミノガイって言われても……。
と、さほど興味を示さず引き続き小さなシャコに目を戻していると、その間にオタマサはこのクリーチャーを観察していた。
すると、殻の中に納まっているだけに見えたものが、ふとしたはずみに……
撮影:オタマサ
ピロピロ~と中身を出しては引っ込めていたという。
そして。
再びオタマサのオタオタ声が聴こえた。
ふりむくと、このナゾのクリーチャーが……
撮影:オタマサ
飛んでいた!
妖女シレーヌの羽のようなものを使って羽ばたいているではないか。
あまりに予想外の動きだったので、待てど暮らせど出てきてくれない小さなシャコはとっとと見限り、泳ぎ始めたこのナゾのクリーチャーについていくことにした。
というわけで、遊泳状態横から。
いやはや、これはもう宇宙外来生物としか思えないその動き。
写真だけを見ると、その羽ばたき方は、勇気一つをともにして蝋で固めた鳥の羽で空を飛ぶイカロスのごとく優雅な動きを想像するかもしれない。
けれど実際は、かなりの急ピッチ。
といっても写真じゃわからないだろうから、観れば酔ってしまいそうな動画をどうぞ。
この動き、何かに似ていると思いませんか?
そう、クリオネ=ハダカカメガイ。
どうやらこの宇宙外来生物は、そのハダカカメガイの親戚筋らしく、その名をヒラカメガイというらしい。
クリオネといえば冷たい北の海の生き物だから、その他の仲間もたいてい寒い地域にいるものとばかり思っていたら、まさかこんな亜熱帯の海にまで。
オタマサによると、学生の頃……すなわちほぼ30年前に、本島の砂浜で貝殻を見つけたことがあるという。
そういう意味では約30年の時を経て、初めて「生きている」状態を目にしたわけで、オタマサがオタマサモードになるのももっともだったのだ。
さて、この宇宙外来生物あらためヒラカメガイ、流れに乗りつつ泳ぎ続けていたところ、あるときふと静止したままになってしまった。
静止モード。
あ、ちなみに背後がえらく暗くなってるけど、これは撮り方の問題であって、実際の明るさは動画のとおりもっと明るい。
この静止モードのまま、ただ流れに身を任せるヒラカメガイ。
はて、なんで止まっちゃったんだろう?
と不思議に思いつつあたりを見渡すと、すぐ近くに根があった。
もちろん流れの上流側にはプランクトン食の各種魚たちが群れている。
なるほど、危険地帯を察知して動きを停めたのか。
……と納得しかけたその時!!
え”ーッ!?
なんと、徐に近づいてきたミツボシクロスズメダイが、ファインダーの視野の中でパクッと齧りついてしまったではないか(その瞬間は撮れず……)。
殻が相当固いのか、飲み込まれることなくすぐさま吐き出されはしたものの、撃墜された戦闘機のように、フラフラと力なく下方へ落ちていくヒラカメ吉………。
生体との遭遇まで30年弱かかった月日に比べれば、あまりにもあっけない出会いと別れなのだった。
2015年12月14日
小さな波動砲。
2015年 12月13日(日) 晴れ
北東の風 うねりあり 水温23度
いいお天気が続くこの3日間を逃さず、本日も海へ。
目的はもちろん昨日書いたとおりではあるけれど、エントリー早々にハナヒゲウツボがいた。
今年のシーズン中、かなり長期間に渡ってほぼ同じ場所に居てくれたハナヒゲウツボ2匹のうちの1匹だ。
ときにはこういうこともあった。
同じ穴から2匹が顔を出す、キングギドラマイナス1状態。
この日目にしたのは、このうちの小さい方だ。
こうして見ると大きい方がとてつもなく巨大に見えるけれど、さにあらず。
小さい方がとびきり小さいのである。
これよりも大きな真っ黒幼魚は何度も観たことがあるのに、この子はどうして早熟してしまったのだろうか。
しかし小さい小さいといっても、やはり対照物がなければわかりづらい。
そこで。
例の方法をハナヒゲウツボでもチャレンジ!!
おなじみの人差し指対人比。
そんなことしたらハナヒゲウツボが引っ込むでしょう、と思ったあなたはまだまだ甘い。
ワタシほど付き合いが長くなれば、指くらいじゃ引っ込まない(方法を知っている)のである。ハッハッハ。
とにかくそんなわけで、指より細いハナヒゲ大人なのであった。
小さいといえば。
この日オタマサがリーフ際で見つけたウミウシも、凄まじく小さなサイズだった。
このヒト。
撮影:オタマサ
人生最小級のシラナミイロウミウシ(推定5ミリ)。
こんな小さな子なんて、何かを撮っている時にたまたまそこにいたりしない限り、我が老いた目ではもはや絶対に見つけることなど不可能だろう。
発見したオタマサに教えてもらって撮ってみたけれど、指差されてさえ肉眼では「ひょっとしてウミウシ?」程度にしか見えない。
来夏、大きくなったらまた会おう。
さてさて本日の目的、イロカエルアンコウチビターレ。
前日、最終的に落ち着いたのはここだった。
はたして今日はどこにいるかな??
…ここにいた。
ほぼ同じ場所!
よっぽどこのカイメンが好きらしい。
この日は前日よりもっと納まりがいいところにハマっていたので、見える範囲はこれが精一杯。
でも今日は、周りで「私も観たい撮りたい」オーラを出すオタマサがとっとと現場を離れていたおかげで、そのままじっくり眺めていることができた。
すると………
小さな波動砲発射♪
さすがカエルアンコウ、観ていれば必ずアクビをしてくれるのは、サイズの大小で変わりはないようだ。
2015年12月13日
実はイロ?
2015年 12月12日(土) 晴れ
北の風 うねりあり 水温23度
短いローテーションで時化を繰り返すお天気が続くなか、どうやらこの日から3日間くらいは落ち着くような予報になっていた。
そこで、午前中のうちに長らく渡久地港に上架してあったうちの船を海におろし、島に戻ってきた。
午後から海へ。
実に3週間ぶりのボートダイビングである。
先日の激荒れのせいで、海中は台風後のような濁り具合。
そして水温は23度まで下がっていた。
そこまで下がると、3週間前まではまだリーフ際で川のように群れていたキビナゴたちの姿は消えている。
いよいよ絵的に静かな冬の海になってきた。
おお、そういえば。
3週間前に見つけた、あのクマドリカエルアンコウチビターレはまだいるだろうか。
さっそく訪れてみると………
いた。
前回とほぼ同じ場所ではありながらかなり奥にいるため、かさばるデジイチでは近くまで寄れないポジション。
ただでさえ小さいというのに、画面上の比率でいえばA4用紙の上の空豆くらい、しかも薄暗いとなると、どこにピントが合っているんだかさっぱりわからない。
しかし心の眼はちゃんとカエルアンコウの瞳を捉えていたのであった。
心の眼が捉えていたのは眼だけではなかった。
別カットをよく見ると……
エスカ(疑似餌)をフリフリさせていた。
ご存知のとおり、彼らカエルアンコウたちはこのエスカをフリフリさせて小魚をおびき寄せ、パクッと食べる。
でもここで群れているスズメダイたちのうちの、最も小さなものよりも彼は小さいというのに、そのエスカでいったい誰をおびき寄せようというのだろう??
というか、何食ってんだろう。
極小の頃の彼らの食生活を垣間見てみたいところである。
狭く奥深い場所に居るため、別のアングルから撮ることが不可能だったところ、しばらく観ていると彼が自ら動いて横向きになってくれたのでパシャ。
健気に踏ん張る手(?)が見えないのが惜しい…。
もっとも、ファインダーを覗いている我が目には、手(?)どころか目もちゃんと見えてなかったのだから、そこまで求めるのはゼータクというものか。
ところでこうして真横から観てみると、これってイロカエルアンコウですかね??
先だってはなぜだかクマドリカエルアンコウって思い込んじゃったけど、エスカの形といい、カイメンのような質感といい、カイメンの傍に寄り添っている姿といい、見れば見るほどイロカエルアンコウのような気配が。
ま、どっちでもいいや、しばらく居てくれれば。
3週間経ったからといって見違えるほど成長していたわけではないから(推定15ミリ)、この先しばらくは極小サイズのままなのだろう。
撮りやすいところにいる、というチャンスを求め、明日また訪れてみようっと。
2015年12月12日
老舗の本店。
2015年 12月11日(金) 晴れ
北の風 大きなうねりあり
覚悟したほどの被害はなかった冬の嵐。
各地でもかなりの雨をもたらしたそうだけど、ニュースで伝わってくるのはかつてないほどの「12月の夏日」。
夜更け過ぎに雪へと変わるはずの聖夜の雨は、今後は夏へと変わるようになるのかもしれない……。
さて、どんなにスムーズに用が終わっても、その日のうちに島へ戻ることがかなわないことが朝から確定していた前日。
フリーになった12時前には、すでに連絡船はこの日の運航を終了していた。
かくなるうえは本島泊。
家に戻れないとなるともちろん不便とはいえ、連絡船の時刻が関係なくなると、いろいろなことに時間の制約がなくなるという利点もある。
おかげでいつにもましてメイクマンであれやこれやを物色できたし、宮脇書店でじっくり立ち読みもできた。
そんなのんびりした午後を過ごす前、まだ嵐の先触れ状態の雨程度だった頃合いのランチタイムに訪れたのはここ。
先日(個人的に)衝撃の宮里店消滅事件があったばかりの、新山食堂本店にやって来た。
本店には実に十数年ぶりの訪問である。
はたして本店にも野菜そばはあったっけか。
来た。
見た。
あった!
良かった!!
オタマサはいつものようにてびちそば。
新山食堂といえばてびちと言われるほどに有名らしいけれど、てびち=豚足を受け付けないヒトは世の中にけっこう多い。
そんな方が「騙されたと思って」食べてみたら、人生的エポックメイキングな出会いになること請け合い。
実際お店の入り口にも、しっかり「オススメ」になっているくらいだ。
飲食店ではよくある話とはいえ、新山食堂なのか新山そばなのか、正式名称はどっちなんだろう?
さてさて、てびちの美味さは当然ながら知ってはいても、ワタクシが選ぶのはもちろん野菜そば。
たしかに野菜そばである
まごうかたなき野菜そばである。
素朴で美味しい昔ながらの味である。
しかし!!
ああしかし!!
……宮里店のあの味ではなかった(涙)。
ついに写真すら撮ることなく終わってしまった、野菜そば個人的県内ナンバーワンの味は、もう二度と味わうことができないのだろうか………。
食べられないとなれば、よけい食べたくなる。
かくなるうえは、浦添にあるという2号店を目指すしかないのか。
幻となってしまった野菜そばの味を求め、今日も私はそば屋をさすらう………。
ところで。
浦添は港川の外人住宅地区にあるという港川店は、昨年12月オープンだという。
一方、個人的野菜そばナンバーワンだった新山食堂宮里店は、もっともっと前からあった。
であれば、「2号店」は宮里店であるべきはずのところ、なぜに港川店が2号店、2号店と呼ばれているのだろうか。
そのあたりに、新山食堂宮里店が終わってしまった理由があるのかもしれない。なにしろ開店当時も、店頭に「大正十二年創業」とデカデカと看板があったほかは、まったく宣伝してなかったもんなぁ……。
2015年12月11日
12月11日の記事
2015年 12月10日(木) 曇りのち大雨
南の風 激荒れ
不吉な朝焼けで始まった10日は、八重山から宮古、久米島、本島と、沖縄地方全域を舐めるようにして席巻していった低気圧がパワー全開、ほとんど台風なみの勢いになっていた。
南風ではあったけれど、この猛威を前にしてはどうすることもできず、連絡船はやはり11時の便をもって終了。
午前中いっぱいかかる所用のため本島に出ていた我々は、ついに帰れぬヒトとなってしまった。
それにしてもなんという風だ。
北寄りの風ならまったく大丈夫だろうけど、南からこんな風に吹きつけられたら、我が家の庇やMasae工房の屋根などひとたまりもないかもしれない。
台風の際にはもちろんそれらのテント屋根は撤去しているけれど、まさか冬のさなかにそこまでしなければならない風が南から吹くとは思わず、そのままにしてお出かけしてしまった。
ああ、庇は吹っ飛んじゃっただろうか。
翌日、つまり11日11時の便で島に戻ってみると………
……母屋の庇部分のテントが半分めくれているだけで済んでいた。
覚悟していた状態に比べれば、被害は軽微。
ちなみにこれ、丸くなっているところには雨水が溜まっている。
もし雨が降らずに風だけだったら、このテントは風に煽られ続け、リピートタイの最後の1本が切れる同時に、風に乗って地の果てまでぶっ飛んでいたに違いない。
半分めくれ上がった状態で済んだのは、溜まった雨水の重さのおかげだったのだ。
雨よ、ありがとう!
あ、島内随所でテントの被害は出ていたようだけど、Masae工房の屋根はまったく大丈夫だったのでご安心ください。
ボートも長らく上架したままなのでモンダイなしです。
それにしても、冬にこんな南風なんてなぁ……。
ふがいなさすぎるぞ、冬将軍。
Posted by クロワッサン at
13:07
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2015年12月10日
思い立ったが伊勢海老。
2015年 12月9日(水) 晴れ
南東の風 波あり 水温24度くらい
これを書き始める前の、10日午前7時の朝焼け。
大地の目覚め的ビフォアサンライズ。
いつもだったら庭先から空を見上げて済ませるところ、あまりに異様かつきれいだったので、すぐさま桟橋まで行って撮ってきた。
桟橋にはほかにコーラルリーフのアヤコさんがいたほか、船長セイゴウさんも歩け歩けのついでに朝焼け鑑賞をしていた。
「雨が降るねぇ……」
つぶやく船長。
やはりこれは嵐の前触れですか。
低気圧の通過がもたらす嵐はいったいどれくらいのパワーになるのだろう。
午前中本島で用があるため出かけなきゃらならい我々は、連絡船が午後から欠航すると島に戻ることができなくなるかもしれない。
嵐のパワーによっては明日のこの稿の更新はありません。
さて。
翌日嵐確定状態だった前日9日は、南風が吹く暖かな海日和。
そんな朝、ふとイセエビを食べたくなってしまった。
というわけで夕食は……
今年初、イセエビのお刺身~~(パフパフッ)
お・い・し・い・♪
やっぱうめーわ、伊勢エビちゃんは!!