2012年12月09日

12月8日。

2012年 12月8日(土) 晴れのち曇り

北の風 波あり

 日々の暮らしにいまだ色濃く旧暦が息づいている沖縄だけど、すでに何度か触れているとおり、水納島ではいろいろな行事を新暦でおこなっている。

 そして12月8日といえば、ムーチーの日。
 ムーチーとはすなわちモーチー、餅のことだ。

 サンニンの葉っぱに包まれた、おなじみのもの。

 島ではちゃんと各家庭で手作りしているから、我々がそのおこぼれに与れる日でもある。
 手作りだからこそのいろいろな工夫もあって、味や材料などが微妙に異なるバリエーションが多いのが楽しい。

 そうやって新暦でムーチーの日を迎える以上、切っても切れないのが、この日はまた太平洋戦争の開戦日でもあるという事実だ。

 その昔子供の頃、12月8日といえば、決まってそういった戦争関係の映画やスペシャル番組が放送されていたものだった。

 宇宙戦艦ヤマトからの流れで、太平洋戦争時の連合艦隊各艦艇とその太平洋戦争史にかなり興味を持っていた小学5、6年生の頃は、そういう戦争映画をけっこう観ていた気がする。

 ところが、いつぐらいからだろうか、バブル期あたりからかな?数年前までの20年くらいの間、12月8日になっても、各テレビ局は特に何かを企図することが、不思議なくらいなくなっていた。

 あれはどういうことだったんだろうか。

 ところが近年になって、再び12月8日という日に合わせた番組がけっこう番組欄に見受けられるようになってきた。

 これはこれで、どういうことなんだろうか。

 で今日は、NHKが頑張っていた。

 「巨大戦艦 大和」

 これを午後7時半からのゴールデンタイムに放送するあたり、さすがNHK、昨日の津波騒ぎのときには、高台に避難してきた男性に

 「どんなお気持ちですか?」

 などという知性ゼロの質問を浴びせかけるような取材記者がまだいるにせよ、その存在はやはり民放と一線を画している。

 また、内容も、番組タイトルから受けるイメージとは一味違った。
 生き残った乗組員たちの証言に基づいた構成なのである。
 司馬遼太郎が「坂の上の雲」を執筆していた当時は、日本海海戦において旗艦三笠の乗組員だった方が、まだご存命だった。

 それにはかなり驚いたものだったけど、大和の乗組員も今なおご存命だなんて、今を生きる日本人のどれくらいのヒトが知っているだろうか。

 戦後頑なに口を閉ざして生きてきたかつての兵隊さんや水兵さんたちは、近年になり、「一斉に」と表現してもいいほどの流れで、自らの体験を語り始めている。

 戦争末期に末端の兵隊さんや水兵さんだった若者たちも、今や揃って90前後のお歳。
 墓まで持っていこうと思っていたであろう話を、後世のために、そして先に死んでいった戦友たちのために語ってくれているのである。

 そういう証言を地道に採録したドキュメントをこのところNHKはかなり力を入れて作っているようなのだが、これらの番組のほぼどれもが秀逸だ。

 そしてまた、そうやってインタビューに応えた方が、収録後ほどなくして、まるで蝋燭の日が燃え尽きるかのごとく、その生命を終える、なんてこともあるらしい。

 本当にもう、そういう話を直接聞くために残された時間は、限りなく少ない。今の時代が最後のチャンスといっていいだろう。 

 今回の「大和」乗組員の証言も、何年か前の映画「男たちの大和」がチープなコメディに思えるほどに、重く篤くそして一種の爽快さがあった。
 「本当の話」に勝るものはない。

 ところで、こういう時代を再現するのにつきものなのが、当時の全体主義的な世の中の風潮だ。
 やれお国のためにとか、英霊となって、だといったような。
 そんな社会を今の世から眺めてみると、なんでそこで反対意見を言わないんだろう?と不思議に思う若い人たちもいるかもしれない。

 当時の方々だって、みんな心の内側では息子が出征すると決まれば不安で仕方なかったろうし、戦死したと知れば悲嘆に暮れていたろう。

 が、それでも世間に対しては、出征を誉れとし、戦士をお国のため、と言わねばならなかったのだ。
 なんで息子が戦死して、悲嘆に暮れる前に「英霊」となったことを喜ぶ、などという外面を世間に対して見せ続けなきゃいけないんだろう?

 そういう社会だったからである。
 社会という全体が認めている「正義」や「常識」に対して、異を唱えられなかったのだ。

 個々の「異」は、かなり歪に作られた全体的な「総意」の前に、けっして表には出せない社会だったのである。

 ………なんて話になると、昔は大変だったんだねぇ、と他人事のように思う日本人が圧倒的に多いに違いない。

 が。

 韓国に媚びすぎだ、とテレビ局に文句を言った俳優が即座に干されたり、原発断固反対と言った役者もまた仕事を干されたりするのは、過去のことだろうか?

 また、今もなお先が見えない福島の地では。

 学校給食に使われている素材に不安を抱く母親が、子供に弁当を持たせて違うものを食べさせようとすると、なんでそんなことをするんだ!!みんな食べているんだから食べさせなさい!!的な、ものすごい反発を学校等から受けるという。

 自分たちで放射能の様々なチェックをしようとすると、そのヒトは病的に神経質でおかしいヒト、といったような扱いを受けるという。

 現在、放射能レベルは安全です。
 子供たちは大丈夫です。

 国や地域が唱えている「常識」に、個々の異を唱えることができないのだ。

 被災地の瓦礫を処理するのだけは勘弁してくれ、と抗議している人たちを指して、

 「勝手な国民が増えた!」

 と言い切る首長が現実に存在しているのだ。

 息子が戦死したのに、それを「英霊になった」と喜ばなければならなかった社会というのは、けっして過去の、他人事の話ではないのである。

 さらにそういう世の中に突き進むのかどうか、ということを問われている大事な大事な選挙が、いよいよ一週間後に迫っている。

 ………でもなぁ、「大和」と書いてあるのを見て、

 「ダイワ?」

 なんて言うヒトの割合が、思いのほか多かったらどうしよう??


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Posted by クロワッサン at 09:06│Comments(0)吉田兼好
 
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