てぃーだブログ › 徒然海月日記~つれづれくらげにっき~

2025年01月01日

MVP&MVS@2024。

あけましておめでとうございます
本年も拙日記とお付き合いのほど
どうぞよろしくお願いいたします



2024年 12月31日(火) 曇り

北西の風 荒れ模様

 予報どおり次第次第に風が強まってきた大晦日。
 
 ストロングというわけではないけれど、北西の風がこれほど吹けば、連絡船の欠航もいたしかたなしってところだ。
 
 それは予め通知されていたから、島のみなさんも昨日のうちにお正月の買い物は済ませた模様。
 
 この師走最後の1週間で連絡船が運航したのは合計3日間だけだから、その日に限って急な何かがあってチャンスを逃したら、お正月の準備すらおぼつかないところだ。

 そんなガタガタライフラインにもかかわらず、なんともタイミングが良いことにひと足早いお年玉が立て続けに届いた。
 
 そのうちひとつはきっとお正月スペシャルとして登場するだろうからそちらに譲るとして、彩りも豊かに目でも香りでも舌でも楽しめるお年玉がこちら。
 

 ひと足早い初日の出のような晩白柚を筆頭に、柚子軍団、そして隣の客がよく食べる柿たちも顔を揃え、我が家はすっかり果実まみれになった。
 
 柿がまた現在の品種改良を重ねた結果のとってつけたようなよそ行きの味ではなく、子供の頃に近所で生っている実を自分でもいで食べた柿のような、なんとも素朴に甘い味わいが懐かしい。
 
 たくさんある柚子は柚子胡椒や漬物の脇役として活躍するほか、たくさんあるから大晦日はゼータクに柚子風呂と決めこんだ。
 
 いやはや、ヌートリアの里にいらっしゃる柑橘女王様、今年は柿までまことにありがとうございまする!
 
 というわけで衝撃の大震災から始まった今年も、いよいよ大晦日。
 
 過ぎし一年をつらつらおもんみるに…っていうほどの記憶力は無いからつらつらできないんだけど、ついに始まった水納港大改修工事はやはり衝撃的だった。
 
 水納港大改修工事とはいったいなんのことだ?…という、今さら訊けない派の方々は、「ゆんたく!島暮らし」のコーナーでオタマサが2回に分けてまとめているからご参照ください。
 
 上のリンク先は10月に入稿したものだから、その後2ヶ月経って多少の状況変化が生まれている。
 
 衝撃的だったのは、つい先日連絡船船長から伺った話。
 
 どうにかこうにか最初の構造物を造ることができたら、その後は現行の桟橋を解体しつつ、防波堤同様その資材を再利用して他の構造物を造る工事に入る予定で、その場合現在の桟橋は使用できなくなる。
 
 その間連絡船は、新たにできているはずの構造物に接岸することになる…
 
 …という話は当初の説明どおりなのだけど、近頃請負業者から水納海運にもたらされた話によると、その新構造物を臨時の接岸バースにする期間を、5年間みておいてほしいと言われたそうな。
 
 5年間!!
 
 そもそも北部土木事務所都市港湾斑による住民説明会では、現場の工事全体が、2024年を含めて完成まで4年という話だったのに?
 
 臨時接岸バースに5年間ってことは、まだその後もしばらくかかるわけで、ここまでのグダグダぶりを見ているかぎりでは、その5年もはなはだアヤシイ。
 
 船長は新港が出来上がるまで「8年くらいかかりますよ、これ」と言っていたけど、10年かかるとみていたほうがいいかもしれない。
 
 というか、ホントに出来あがるのかな?
 
 サグラダファミリアになる可能性もなきにしもあらず…。
 
 その他リゾート開発話が公けのコトになるなど、我々を取り巻く周辺環境は日増しに悪化の一途をたどっている一方、海中環境も今夏はやばいことになっていたのだった。
 
 白化である。
 
 これは98年以来のカタストロフィ的大規模白化は、リーフ上以浅で育っていたミドリイシたちを壊滅させた。
 
 でも98年の絶望的大白化とは違い、ミドリイシたちのなかにも耐性を持ち始めたものがいるのか、リーフエッジよりも深いところでは、生き残ったものがけっこう多かった。
 
 おかげで、ミドリイシが壊滅したら姿を消してしまう魚たちも、今のところ激減はしても絶滅はしていない。
 
 近海のサンゴたちも同様にこれくらい生き残っていれば、再びリーフが元の姿を取り戻す日は案外近いかもしれない。
 
 環境がサンゴたちの成育に適してさえいれば。
 
 杜撰ともいえる周辺環境への配慮の欠如は水納港大改修工事にかぎったことではなく、狂乱不動産バブルに踊り狂う現在のオキナワは、亜熱帯の自然というかけがえのない財産を全身全霊をかけて破壊し尽くそうとしている。
 
 全県そんな状況では、たとえミドリイシたちは復活しても、海全体はけっして元通りにはならないだろう。
 
 すなわち、毎年毎年飽きもせず同じように潜っているように見えて、実は毎回毎回の我々のダイビングは、その都度見納めといっていいかもしれない。
 
 今年もいろいろなものを見納めたなぁ…。
 
 そのMVPといえばほかでもない、人生初遭遇のスミツキソメワケベラ
 

 リンク先でも触れているように、その存在は前世紀から知ってはいたんだけど、これまでただの一度も会ったことはなかった。
 
 夏場にわりと長く居続けてくれた間に、30年分くらいは出会えた気がする…。
 
 そんな彼も、惜しまれつつ秋には姿を消してしまった。
 
 温暖化が進んで水納島の周りが常時水温28度以上になればともかく、まだそうなるのは当分先の話だとすれば、レア度的にもおそらく人生最初で最後となることだろう。
 
 一方オタマサのMVPは…
 

撮影:オタマサ

 …まだ記憶に新しいバロニアモウミウシの仲間。
 
 拡大。
 

 その存在を巨匠コスゲさんに教えてもらって以来、オオバロニアチェックに余念がなかったオタマサが、ついに自力で発見、しかも100パーセント天然果汁状態で撮影したものだ。
 
 二日後に再訪したところ、前日もオオバロニアの細胞壁の中にいたウミウシの色が、まったく変わっていたというのもミステリアス。
 
 一方、お馴染みの種類ではあっても、その生態で魅せてくれたものたちに捧げられるモストヴァリアブルシーン、略してMVSは、今年はなんといってもこのシーン。
 

 ご存知シモフリタナバタウオの卵保育だ。
 
 シモフリタナバタウオがこのように黄色い卵を保護するということについては、これまた前世紀から知ってはいたものの、なかなかその様子をじっくり拝見することができないままワタシは生きてきた。
 
 それが今春、ついに大願成就!
 
 …発見者はオタマサだけど。
 
 オタマサもMVSをひとつだけ挙げるとするならこれ、というくらいだから、ひと様にとってはどうであれ、我々にとってどれほど人生的ヨロコビに満ちたシーンだったかおわかりいただけよう。
 
 毎回毎回が見納めとは言いつつも、毎回潜るたびに新しい発見とヨロコビももたらしてくれる海。
 
 来たる新年には、はたしてどんな出会いが待っているだろう?
  


Posted by クロワッサン at 06:08Comments(2)水納島の海世間の美味いもの

2024年12月31日

沖縄にもいるとは知らなんだ。

2024年 12月30日(月) 曇り時々日差し

北西のち南西の風 おだやか 水温22度

 2日がかりになるはずだったところが1日で終っちゃったものだから、この日秘密基地にいる必要は無くなった。
 
 これで雨模様の冴えないお天気だったりしたら、そのままゆっくりして最終便で帰ってもよかったのだけど、曇りがちではあっても海は今年最後のグッドコンディション。
 
 今月は(おそらく来月も)3日きざみで高気圧が張り出しては去り、張り出しては去り…を繰り返すものだから、たまの海日和を買い物その他のお出掛けにあてなければならないことが多く、せっかくヒマなのになかなか思うように潜ることができていない。
 
 となれば、このラストチャンスを逃す手はない。
 
 朝イチの便で島に戻り、それから海へ繰り出そう!
 
 …あ。
 
 そうだった、銀行仕事もしなければならなかった。
 
 昨日のうちにしておくつもりでいたのだけど、あいにく日曜日、銀行の窓口は世間に対して堅くシャッターを閉ざしている。
 
 9時の開店に合わせて用を済ませたとしても、朝イチ便は渡久地港9時出航、間に合うはずはなかった。
 
 仕方なく、午後イチ便で戻ってから潜りに行くことにした。
 
 でもこの日の朝はかなり冷えていて、けっこう戦意を喪失しかけていたんだけれど、昼前に外に出てみると、屋内とは違って意外に暖かい。
 
 しかも日差しが見え隠れ。
 
 暖かな空気と明るい光に励まされ、喪失しかけていた戦意はたちまち復活、諸々の用事を済ませ、意気揚々と島に戻ったのだった。
 
 というわけで、本年最後、2024年の潜り納め。
 
 だからといって過度な期待はしていなかったけれど、ポイントについて用意をしようとしていた時、70~80メートルほど離れた水面から、バシャッ!とわりと大きなものが跳ね飛んだ。
 
 目の端だったのでよく見えなかったんだけど、サイズ的にクジラほどではないにしろ、ダツやスマなどよく水面を跳ねる系の魚よりは遥かに大きかった。
 
 はてなんだろう?
 
 …首をひねる前に、早くも再びジャンプ。
 
 カジキだ!
 
 背ビレを閉じてはいても、その戦闘的機能美に満ちた上アゴのシャープなフォルムは見紛いようがない。
 
 どうやら泳ぎ進みながら跳ねているらしく、場所を進行方向にずらしながらも、その後もう2度ほどジャンプしてくれた。
 
 あいにく視野30度、しかももう一度跳ねるかも…と推測して観続けるということを知らないオタマサは、いずれのチャンスでも目の端でしか観られなかったようながら、オールレンジの観測が可能でなおかつ次の動きを容易に予測しうるワタシは、2度目3度目4度目のジャンプをまざまざと拝見することができた。
 
 何カジキかは知らねども、過去にも1~2度観たことがあるカジキジャンプ。
 
 リーフからさほど離れた場所ではないのに、こういうところにも姿を現しているのだなぁ…。
 
 まだ1ミリも潜っていないのに、レアものとの遭遇になんとも充実した潜り納めである。
 
 もういいもの見ちゃったし、海中では欲張らずにのんびりしていたところ、久しぶりにハダカハブラックに出会った。
 

 こちらで紹介しているように、ハダカハオコゼにはいろんなカラーバリエーションがあるんだけれど、そのうちこのチョコブラックは最も出会う頻度が少ない(気がする)。
 
 肉眼で見るともっと黒く見えるのに、光を当てるとけっこうライトなブラックだった。
 
 むしろ赤味が残っているようにも見える。
 
 ひょっとして、ちょっと前までピンキーだったのかな?
 
 遭遇頻度僅少につきここぞとばかりに見つめ続けていても、ユラリユラリとする以外に特に何もしてくれないハダカハブラック。
 
 向こうも退屈してきたらしく…
 

 …アクビしていた。
 
 最も口が開いているところを撮ろうと待ち構えていたら、そのタイミングを逃してしまった…。
 
 リーフ際に戻ってからは、このところのルーティンでもあるテングカワハギチェック。
 
 この日は1ペア2匹だけ(オトナサイズ)だったけれど、ともかく健在。
 
 一方サンゴたちに新たな禍をもたらしているシロレイシガイダマシたちは、前回もそう感じたのだけど、さほど目立たなくなってきている気がする。
 
 これは水温が下がったために貝たちが不活発になっちゃったからだろうか。
 
 それとも、我々の知らぬ間に有志のみなさんが排除活動をしてくれたからだろうか。
 
 事情はともかく、この様子なら、少なくとも冬の間の2次災害とはならずに済みそうだ。 
 
 この夏には時間が取れずに潜れなかったダイバーのみなさんのなかには、年末年始こそ!と南国にダイビング旅行を予定されている方も多いことだろう。
 
 でも夏には当たり前に観られた白化の様子を観るには、時すでに遅しか…
 
 …とお嘆きの方も心配御無用。
 
 生き残ったサンゴたちは完全に元の色を取り戻している一方、各種イソギンチャクたちの多くは、もう水温も22度まで下がっているというのに、依然白化したまま。
 
 なので↓こういうシーンなら、年末年始でもまだいくらでもご覧になれます。
 

 このようなイソギンチャクに住まうクマノミ類やテングカワハギ、それにサンゴの様子だけを気にしていたらとうてい気づかなかったであろうちょっとしたサイズの死サンゴ石の下に、アヤシゲな尾ビレが見えた。


 こんなところにゴマウツボ?
 
 そのままジッとされていたらゴマウツボか…で終っていたであろうところ、ワタシの気配を察知したのか、尾ビレをピロピロ動かし始めた。
 
 その動き、ゴマウツボではないんじゃ?
 
 ちゃんと覗きこんでみると…
 

 え?ナマズ??
 
 海にいるナマズといえば……ゴンズイ。
 
 たしかに巨大化したゴンズイも観たことはあるけれど、ゆうに30センチはあるこの魚はどう見てもゴンズイには見えない。
 
 あ、ちなみにダイバーにも釣り人にもおなじみのゴンズイといえば、伊豆でも沖縄でも観られる魚…
 
 …だったはずなのに、いつの間にか(2008年)本土で観られるものと九州沖縄以南で観られるものとが、分類的に別物とされてしまった。
 
 そしてこれまたややこしいことに、従来の和名ゴンズイには新しい種小名がつけられ(japonicus)、沖縄で見られるものは学名はそのままに、「ミナミゴンズイ」という新たな和名が付けられている。
 
 その違いなど、シロウト目には地域変異程度の差なんじゃねーの?ってくらいであっても、きっと両者にはアカデミック変態社会のみなさんが黙ってはいられない分類学的な「有意な違い」があるのだろう。
 
 もう15年以上前のことなのに、今ごろ知ったワタシ。
 
 お魚コーナーもそのうち書き換えておかなきゃ…。
 
 それはさておき、あきらかにミナミゴンズイではないサイズ、そしてその口元。
 

 クリクリお目目の周りには、線香花火のようなヒゲが。
 
 エラの下のものはヒゲじゃなくて腹ビレが変化したものか?
 
 誰だこれ?
 
 こういうナマズ系、昔大瀬崎で何度か観たことがあったけど、なんて名前だったっけ…。
 
 あ!
 
 イタチウオだ!
 
 ドデンッとでっかくて、地味で、暗がりでジッとしてばかりいるから、たとえ出会っても大きなヨロコビとはならなかった大瀬崎のイタチウオ(腹ビレ変化系のヒレになど、当時は気づきもしていない)。
 
 しかし水納島で暮らすようになって30年目にして初めて出会ったイタチウオは、いろいろと興味深かった。
 
 本人には申し訳ないけれど、ライトに照らされたことによって落ち着かなげになってしまったあとのその動きが面白い。
 
 背ビレと尻ビレをピロピロ動かすその様子は、その昔熱帯魚を飼っておられた方にはお馴染みであろうトランスルーセントグラスキャットみたい。
 
 あ、ヤツもナマズだったか…。
 
 そのヒレの動きは画像じゃわからないので、動画で(30秒過ぎからヒレの動きがグラスキャット化します)。
 
 
 
 危うく「ゴマウツボか…」で終わってしまうところ、よくぞ気がついた。 >俺。
 
 というか、イタチウオが沖縄にも分布しているとは知らんかったなぁ…。
 
 実はすでに「ミナミイタチウオ」なんて名前がついて別の種にされていたりして…。
 
 ともかくも個人的に初遭遇となる沖縄の、いや水納島のイタチウオ。
 
 潜り納めのダイビングは、お魚コーナーにまた新たな魚をプレゼントしてくれたのだった。 
 
 海神様、ありがとうございます。
 
 カジキも海中で是非…。
  


Posted by クロワッサン at 08:31Comments(2)水納島の海

2024年12月30日

懐かしや、ポップンロールステーション。

2024年 12月29日(土) おおむね晴れ

北の風 波あり

 夜明け頃にはまだ風がヒューヒュー音を立てていたから、これはひょっとして欠航か?
 
 …というメも無きにしもあらずと思っていたところ、7時30分を過ぎても水納海運公式サイトには欠航告知は出ていない。
 
 どうやら4日ぶりに通常運航となりそうだ。
 
 翌日はさらにグッドコンディションになりそうなので、これは本島で1泊できるチャンス。
 
 お出掛けといっても遠出するわけではなく、どこかに美味しいものを食べに行くわけでもなく、ただただ秘密基地物置作業のため。
 
 南米大河でポチッとした商品が前回出掛けている間に島に届いていたので、今日明日で作業をすれば、目標地点まで年内に到達できそう。
 
 年末&お正月準備モードに入っているオタマサを島に残し、朝イチ便で渡久地港に到着した後は、脇目もふらずに秘密基地へ。
 
 そしてさっそく作業を進める。
 
 きっとあれやこれやそれやとあちこちでうっかり八兵衛状態となり、当初の見込みの半分も進まないのだろうなぁ…
 
 自分を知っているワタシは、最初からそのように覚悟していた。
 
 ところが、うっかり八兵衛はすっかりなりを潜め、せいぜい美女相手に鼻の下を延ばしているところを女房おしんに見咎められた弥七程度のおいたで済んだおかげで思いのほか作業は進み、思いがけずもこの日のうちに目標地点まで到達してしまった。
 
 いったい何をしていたのかというと、まずは前回出来上がったなんちゃってトリマーテーブルを使用する。
 
 たとえなんちゃってでも、それなりに機能すれば…
 

 …長い角材にも、このようにまっすぐな溝を掘ることができる。
 
 で、この幅で一直線の溝を掘ることができれば…
 

 …こんなレールを嵌め込むことができる。
 
 この角材を、すでに受け入れ態勢を整えてある作業台に取り付ける。
 
 それにはワタシのようなうっかり八兵衛ではとてもクリアできそうもない数々のチェックポイントがあるのだけれど、ともかくもできうるかぎりチェックしつつ角材を設置。
 
 その角材に、今度はこういうものをくっつける。
 

 これは裏のテープをはがすと貼り付けることができるシール状のメジャー。
 
 数字が左から右へ行くにつれて数字が増えていく通常タイプならホームセンターにも売られているのだけれど、このような逆目は少なくとも名護のメイクマンには無い。
 
 なのでさきほどのレールと同じく、こういうものも南米大河で購入し、角材に貼り付ける。
 
 ただし、このままではゼロ地点をパッと見で特定できないため、ゼロ地点を求める作業をしなければならない。
 
 とりあえず30センチの長さとなるよう、テキトーな角材の左右に2本の線を引き、キチンと固定しておいてからまず右端をカットする。
 
 で、その状態で左端の線のところが切断地点から30センチ、すなわちメジャーの30センチ地点ということになる。
 
 そこにメジャーの30センチのラインを合わせ、さきほどの角材にこのメジャーをピシッと貼り付ける。
 
 で、貼り付けるところまでは完了したものの、ホントにメジャーが示す数字は合っているのだろうか?
 
 確認すべく、今度は35センチに合わせて合板の端材を固定しておき、角材をそれに当てた状態でカットしてみる。
 

 すると…
 

 ここで困ったことに気がついた。
 
 この「5」は35センチのところなんだけど、巻き尺の目盛りでいうところの〇〇センチというのは、木口がこの目盛りのラインのどこにある状態であればいいのだろう?
 
 直上?左端?右端?
 
 …という、今さら訊けない大事なコトを、今の今までよくわかってなかったじゃん > 俺。
 
 なにしろちゃんと測って線まで引いて丸ノコでカットしても、1ミリ2ミリずれているのは当たり前というのがこれまでのワタシの世界だから、いきなりこんな目盛りのどの部分にあれば正解なのかなどという細かいこと(基本ともいう)など、気にしたことがなかったのだった。
 
 ↓こっちのほうが35センチなんですかね?
 

 なんだかガラスハゼの背中の模様は背ビレの前に出ているか出ていないか的な、クラシカルアイギブアップ案件…。
 
 でも正解はどうであれ、ワタシの中で統一見解があればいいだけの話で、測るたびに基準を変えさえしなけりゃ特にモンダイはないはず。
 
 大事なことは、いったん木材を当てる位置を決めてしまえば、あとは何本であろうと線を引かずに同じ長さでカットできるということ。
 
 ためしにやってみたところ…
 

 …惑星直列級の一直線!!(もちろん反対側も同様です)
 
 これまでのワタシにはとうていありえなかった。
 
 ところで、さきほどからカットカットと書いているけれど、いったい何でカットしているのかというと…
 

 スライド丸ノコ♪
 
 これまた知っているヒトは知っている、でも興味ない方にはノンダイバーにとってのダイブアラートなみに縁がないものだろう。
 
 とにかくこれが、先日から「(個人的)新兵器」と称しているもの。
 
 こういう卓上電動工具になると、あれがいいこれがいいそれがいいという評価話が星の数ほどネット上に溢れているから、それらを参考にしてどれがいいか悩んでいると、永遠に買いそびれてしまう。
 
 そして買いそびれているうちに、円安と諸式高騰のダブルパンチで段階的に価格が上がってしまった…。
 
 1000円2000円のものなら上がったとしても差額はたかが知れているけれど、このクラスの電動工具で15パーセントほど価格アップするとけっこうショックを受ける。
 
 もうこれ以上後悔したくないので、どれであれ一長一短あるのなら、マキタのノットハイエンド機で決まりッ!ってことにした。
 
 で、買ったはいいものの、どのように設置するか、または使うたびに置き場所を変えるのか…ということからまず考えなければ。
 
 いずれ表の吐き出し窓の外にウッドデッキを拵えようと企んでいる身としては、持ち運びできる状態にしておいたほうが便利なような気がしつつ、今年2月に作った壁際作業台があることだし、この際スライド丸ノコステーションにすることにした次第。
 
 ポップンロール・ステーションを聴いていた学生時代も今は昔、じじぃになったらスライド丸ノコステーション(こないだ何かの講演会の新聞広告で、講演者の一人としてマスミ・ロドリゲスさんの顔写真が載っていた…)。
 
 スライド丸ノコのいったい何がスライドで、なにがどう便利なんだ…という話はいずれ訪れるであろう機会に譲るとして、スライド丸ノコステーションにするためには、さきほどのメジャーつき角材に、「ストップブロック」などと気取った名前で呼ばれるものを、これまたなんちゃって造作で装着しなければならない。
 
 その「なんちゃってストップブロック」がこれ。
 

 目盛りを示すラインと木材が当たる部分に凹凸があったら話にならないから、木材が当たる部分は下から垂直になっている必要がある…などなど、これまたいろいろ注意事項はあるものの、カットした合板を貼り合わせて穴を開けてボルトを通して…ハイ、おしまい。
 
 ただしレールに合うT型のボルトというのも、そもそもレール自体が南米大河だから、既存のどういうモノが合うんだか事前にホームセンターなどで試行錯誤ができず、やむなくボルトも南米大河。
 
 どうせだったら、それとセットになっているノブも南米大河…
 
 …と、なんだかんだと南米大河産パーツだらけになるわけだけど、そこらのホームセンターじゃ売られていないものばかりだからしょうがないのである(DIY変態社会のみなさんは、こういうノブもチョチョイノチョイで自作する)。
 
 ともかくそんな次第で、今月初めに意を決してスライド丸ちゃんを購入したあと、さっそく件の壁際作業台↓を…
 

 …まずは天板の上をスライド丸ノコの定盤の高さと合わせるために、連合海軍第一航空戦隊の主力空母赤城のような2階建て構造にすることにした。 
 
 ↓参考画像。
 

 それが今月上旬のことで、その間あれやこれやと検討を重ねつつも、スライド丸ノコステーション大作戦はどうにかこうにか今年のうちに、「とりあえず使える状態」という目標地点に到達したのだった。
 
 ちなみに前回作ったなんちゃってトリマーテーブルは、高さを空母赤城の甲板の高さに(ほぼほぼ)合わせてあるから、長い材を短かくカットする際などに延長テーブルとして利用可能だ。
 

 スライド丸ちゃんの向こう側は180センチあるので、台の長さが足りない…って事態に陥ることはそうそうないだろう。
 
 ハッ!
 
 ウッドデッキの根太やデッキ材は??
 
 ……気づかなかったことにしよう。
 
 左右の台は長いに越したことはないんだけど、このように配置すると、限りなく動線を遮断されてしまう。
 
 動線だけならともかく、なにぶん根がうっかり八兵衛なだけに、致命的欠陥や落とし穴がどこに潜んでいるか知れたものではなく、けっして「完成!」と手放しで喜んでもいられない高い緊張感はある。
 
 とはいえとにもかくにも同じサイズでホイホイカットできるというのは、ワタシにとってはザンギリ頭をたたかれたに等しい文明開化の音といっていい。
 
 より精密を求める匠の世界であれば、あれのほうがこれのほうが…というものが世にいくらでもあるだろうけれど、今のワタシにはこれで充分…
 
 …というところまで、この日のうちにたどりつくとは思わなかったなぁ。
 
 これで満足してこのまま放置プレイになったら、それこそ学生の頃、大事に大事に大事に大事に冷蔵庫に安置していたマスクメロンが、いざ食べようとしたときには腐りまくっていた…というタコ主任の悲劇級の「持ち腐れ」になってしまう。
 
 これを使ってまず何かを作る…ってことを、来たる新年の第一目標にしよう。
  


Posted by クロワッサン at 07:33Comments(2)日々の作業

2024年12月29日

ラグジュアリーフリーザー。

2024年 12月28日(土) おおむね曇り時々日差し

北の風 荒れ模様

 予報どおり北風は昨日よりも強まって、洋上にはウサギさんの群れが跳ねまわり、連絡船は沈黙を保ち続けた。
 
 そして北風がどんどん運び込んでくる寒気はことのほか冷たく、時を追うごとにどんどん気温が下がっていく。
 
 そのため、機能停止級ではないものの、ジッとしていたら寒さに震える1日になってしまった。
 
 この冬はそういう日が多いものだから、亜熱帯のといえどもさすがに雑草たちはダメージを受けているらしく、いわば「冬枯れ」のような雰囲気を呈してきている。
 
 おかげでガメ公のエサ採りの際には薮の先まで侵入しやすくなっているのはいいのだけれど、肝心のクワの葉まで寒さのダメージを蒙っているから、この冬は久しぶりに低気温によるエサ不足に悩まされそうだ。
 
 ま、それくらい低気温だとガメ公の活動もまったく不活発になるから、エサはそれほど必要ではなくなるけど…。
 
 一方、そんな寒さと適度に降る雨がもたらす世界は沖縄における「冬野菜」たちにとってはパラダイスなので、オタマサの表あたいの野菜たちも…
 

 裏あたいの野菜たちも…
 

 …全身でヨロコビを表しつつスクスク育っている。
 
 毎日その世話をしているオタマサも、スクスク育ちはしないけれど同じように全身でヨロコビを表しているのだった。
 

 このように冬がちゃんと冬でいてくれれば、少なくとも野菜に関して我々が困ることはまずない(モヤシは食べたくなるけれど…)。
 
 とはいえタンパク質系となるとそうもいかない。
 
 野菜たちのおかげでヘルシーではあってもラグジュアリーには手が出せないため、諸式高騰の世の中にあってはお肉はますます高嶺の花になっていく。
 
 そば屋で出会うことはあっても、食卓ではしばらく顔を見ることさえない三枚肉もさることながら、三枚肉とともに沖縄を代表するブーブー肉である本ソーキなど、盆と正月が一緒に来たような日でもないかぎり食する機会などまったくない(オタマサがそっち系に食指を動かさないため、たとえ諸物価が高騰していなくても機会は極めて僅少なのだけど…)。
 
 そんなワタシの慎ましくも切ない願いが、サンタさんに届いた!
 
 連絡船に載せたという知らせを受けてオタマサが受け取りに行った荷物は…
 

 …電車の座席に放置されていれば、たちまち通報されて係員が大挙押し寄せるであろう不審な袋だった。
 
 しかしその中身は…
 

 …本ソーキの山!
 
 おそらく我が家の消費量でいえば、5年分に相当するといっても過言ではない…というか、近年はソーキといえば軟骨ソーキしか買えないから、本ソーキなど調理前の姿を拝む機会はこの5年間で2度あったかどうかくらい。
 
 一袋5円ほどのビニール袋の中身は、ラグジュアリーミートだったのである。
 
 実はこれ、言ってみればオタマサの野菜が変身した姿でもある。
 
 ネット通販のご注文を受けると、商品を発送する必要がある日に本島に出かける用があればなんの問題もないところながら、それだけのために船賃をかけるわけにはいかないから、郵便局ひとつない島に居る我々は、多くの場合水納島御用達の郵便配達レディに頼ることになる。
 
 それでけっこう普段からお世話になっていることもあって、少しばかり野菜を見つくろえると、折りに触れ御礼代わりにお渡ししているオタマサ。
 
 それが郵便配達レディにはいつもご好評をいただいているんだけど、彼女は逆にその野菜への御礼代わりにと、時々なにかをプレゼントしてくれるのだ。
 
 それが娘さんが営んでいるケーキ屋さんの手作りケーキ(めっちゃ美味しい)ということもあったんだけど、今回はご主人がオシゴトで取り扱っておられる商品の山なのだった。
 
 生鮮食料品の流通・販売を一手に引き受けておられるので、郵便配達レディのご家庭では普段からとてつもない量のソーキ汁を作っては消費しているという。
 
 だから彼女的にはいわゆるひとつの「少しだけど…」とおっしゃってはいたけれど、我々からすれば山のような本ソーキ。
 
 いやはや、郵便配達レディがギャートルズの父ちゃんに見えた…。
 
 彼女のおかげで野菜が肉に変わるわらしべ長者となり、盆と正月が一緒にやってきたクリスマスイブ、さすがに丸焼きチキンを用意していたからその日は無理でも、翌日、いや、翌々日くらいには早くも登場!
 
 …するかと思いきや、オタマサは
 
 「正月にソーキ汁でも…」
 
 すぐに食わんかい、すぐにッ!
 
 というわけで、超絶級のオアズケを食らっているワタシである。
 
 ただ。
 
 郵便配達レデイは本ソーキだけではなく、こういうモノも一緒に届けてくださっていた。
 

 見た目は同じくらい不審なビニール袋ながら、その中身は…
 
 鮭のカマ!(写真を撮るのを忘れた…)
 
 生鮮食料品は、肉だけではなかったのだ。
 
 産地とは遠く離れた沖縄ながら、サーモン系の消費量がやたらと多いのはみなさんご存じのとおり。
 
 なので鮭ももれなく取り扱っておられるのだけれど、たとえば弁当屋さんなど、1匹の鮭のうちで必要な部分といえば切り身くらいのもの。
 
 必然的にカマ部分は余っていくのだという。
 
 そこで郵便配達レディ宅ではそのカマを米と一緒に炊いて、鮭メシを作るのだそうな。
 
 先日渡久地港でお会いした際にそのレシピを伺い、その時お伝えいただいた予告どおりにホントにモノが届いたものだから、さっそくオタマサはレシピどおりに作ってくれた。
 

 米と一緒にカマをまるごと投入して炊き、炊きあがったらいったんカマを取り出して身をほぐしつつ骨をとり、ご飯に混ぜ合わせるとこうなる。
 
 ビジュアル的にはサケフレークをかけただけのものと大して変わらないかもしれないけれど、そのお味ときたらアナタ…
 
 まいうーッ!!
 
 減塩鮭の塩分と鮭の出汁だけだというのに、このえもいわれぬゼータク風味…。
 
 シメのご飯なのに、これを肴にまた酒が飲める。
 
 お肉はオアズケ中ながら、魚好きのオタマサのおかげで鮭メシには年内に大願成就。
 
 あと2回分あるから、新年早々にまたゼータクできそうだ。
 
 鮭カマや本ソーキが冷凍庫に溢れているだなんて、まるで梅酒がシュワッとウメッシュのようなシアワセ…。
 
 いやはや…良い年を迎えることができそうだ。
  


Posted by クロワッサン at 08:05Comments(0)世間の美味いもの

2024年12月28日

バツイチカメムシ。

2024年 12月27日(金) 曇り時々晴れ

北の風 けっこう波あり

 この日も朝からそれなりに北風が吹いてはいたけれど、前日に比べればそれほどでもなく、時化が予想される翌日と比べてもきっと大したことはなかったね…ってことになるだろうくらいに、風は弱まっていた。
 
 その日のマックスを記す天気概況でも海上の風速は11メートルほどで、その他あらゆる予報も実感体感どおりの内容だ。
 
 ああしかし。
 
 この日も連絡船は全便欠航なのだった。
 
 もっとも、そのおかげで前日から避難させてもらっているうちのボートは、朝イチの連絡船が来る前に移動させなきゃ…なんてことにならず、朝からそのままでモンダイなし。
 

 クリスマスが終わっても、港内はホワイトのままだけど…。
 
 この白濁物質が研磨剤になって、船底に蔓延り始めている藻をこそげ落としてくれればいいのになぁ。
 
 こんな感じでときどき日差しが出てくると暖かく、桟橋にいてもたいした風ではないから、夕刻にまたミジュン釣りをしてみた。
 
 先日も触れたように、浚渫区域が拡張されて群れが泊地で落ち着いて過ごせるようになったせいか、師走も終ろうかという今もなお、ミジュンたちが港内に群れ集まっているのだ。
 
 強風のため作業台船が来られないからだろう、昨日からずっと現場は沈黙を守っているので、ミジュンたちものんびりしている。
 
 ただし、風景的にはまったくのんびりしていないけど。
 

 浚渫を進める一方で、このところ次々に運び込まれているケーソン(基礎用巨大コンクリートブロック)が、無造作に並べられている。
 
 ずっと放置プレイ状態だった砂防ネットは、昨日今日の作業休止中はこのように現場を囲ってあるから、一見白濁対策がなされているように見える。
 
 でもミジュンの群れがこの砂防ネットの下を自由自在に行き来しているところからして、ほとんど意味をなしていない…。
 
 桟橋付け根には、運搬台船の手配の都合で一時的に盛られている砂の山があり、おりからの強風が生み出す波が打ち寄せるものだから、まるで地球温暖化で溶けまくる南極の氷山のように、時々音を立てて砂山の端が崩壊していく。
 
 そして波で攪拌されて白くなった水が、防砂ネットをくぐって外にどんどん出ていく…
 
 …という図式のようだ。
 
 ミジュンたちとしてもそんな白濁ゾーンにはいたくないのか、群れが桟橋から離れたところに留まっているために、オモチャのようなサビキセットではまったくの射程圏外だ。
 
 周囲に何も無ければ無理矢理遠投して…って手もあるけれど、群れがいるのは防砂ネットの周りなものだから無理。
 
 なので、ビミョーに移動している群れが時々射程圏内に入るわずかなチャンスを活かし、なんとかこの日の夕食分を釣ることができた。
 
 この日の釣果は…
 

 …オタマサ鮨に(右端に写っているのは、一緒に釣れたハララー)。
 
 おろした生姜をちょいと載せていただく。
 
 先日も書いたけど、やっぱこの季節の大きく育ったミジュンは脂がのって旨い!
 
 もっと波穏やかで桟橋脇に集まってくれていたらなぁ…。
 
 でもこういうモノって、あともう少し食べたい…ってところで終わるのがいちばん美味しいんですよね。
 
 さてさて、この日はときどき晴れ間が見えたこともあって、ガメ公が小屋の外に出てくるほどには暖かかった。
 
 それでも今冬はちゃんと寒い日がフツーに多いから、野菜たちは大喜びだ。
 
 一方、ちゃんとした冬になっているために、ガメ公のエサになるクワの葉の新芽の出方もまたしっかり冬になっていて、ここのところは必要量を集めるのがちょいとばかりしんどくなっている。
 
 ま、その分白菜たちが育つと思えば…。
 
 そういう日々だから虫たちも冬の様相を見せるようになっていて、数年前に拙日記限定で話題沸騰となっていた例の越冬隊がこの冬も出現している。 
 

 言わずと知れた、シロジュウジホシカメムシ。
 
 カメムシがウジャウジャいる様子をもっと大きな画像で見てみたい…という変態さんは、画像をクリックするとわりと大きな画像をご覧いただけます。

 そんなの絶対見たくないッ!という方も、ものは試しで指の間から是非どうぞ。
 
 ちなみに、その名や模様から、なんだか十字軍の騎士団の紋章のように見えなくもないけれど、この模様を正しい角度で見れば、ホントは「十」じゃなくて「X」。
 
 また、ホシカメムシ科に属するからこの名があれど、だからといってシロジュウジホシカメムシの体にはどこにも☆印や散りばめられた点々模様などはない。
 
 であれば、「バツイチカメムシ」でいいんじゃ…
 
 < よくない。
 
 毎度のことながら、いったいどこにこんだけいたんだろう…ってくらい集まっている。
 
 これは灯台ロードの沿道に生えているユウナ(オオハマボウ)の葉の裏で、シロジュウジホシカメムシはこのユウナでよく観られる(このテの木になる実をチュウチュウするらしい)。
 
 この道に限らず水納島の未舗装路の沿道にはこのユウナが多く、この灯台ロードも例に漏れないというのに、不思議なことに越冬隊が集まっている木は前回とまったく同じ。
 
 なんで?
 
 そういえば、先日騒いでいたミヤコキンカメムシも、好物らしい赤い実がなる木は島内のそこかしこで繁っているというのに、キンカメが観られる木は今のところそこ一か所だけ。
 
 しかも同じ木にやたらと多くついている。
 
 なんで?
 
 今や税込8千円オーバーになってしまったラフロイグであれ庶民の味方トリスであれ、まったくお酒を飲まない方からすればウイスキーはウイスキーでしょ?というのと同じで、葉っぱや実をチュウチュウしない我々にはどれも同じように見えても、カメムシたちからするとまったく別次元のシングルモルトのユウナだから…
 
 …とか?
 
 などと愚にもつかぬことを考えているうちに、今日も日が暮れていく。
 
 そして日はまた昇ろうとも、明日の欠航はすでに確定している。
 
 今月も海に行く頻度が激減しているけれど、これほど海況が悪い日が多いと、ようやく訪れた海日和を買い出しなど必要なお出掛けにあてざるを得ないからどうしようもない。
 
 一週間くらい夏のような日が続いたりしなかなぁ…。
 
 あ、それだと白菜がまた溶けてしまうかも。
 
 万事ウィンウィンというわけにはいきませんな。
  


Posted by クロワッサン at 08:48Comments(0)島の美味いもの昆虫記

2024年12月27日

目指せ、泥沼からの脱出。

2024年 12月26日(水) 曇りのち雨模様

北の風 朝だけおだやかのち荒れ模様

 昨日島を出る時点で、この日は午後からやや荒れ模様になりそうという予報が出ていた。
 
 本格的に風が強まるのは夕刻になってからっぽい見込みだったので、連絡船的には最終便がビミョーかな…といったところだ。
 
 でもこの季節のこと、まさか最終便がビミョーだから全便欠航……ってことはまさかないよねぇ?
 
 朝イチ便が到着した際、そう船長に尋ねたところ、
 
 「それはさすがにないですよぉ!」
 
 と船長は朗らかに答えてくれたのだけど。
 
 その日のうちに、船長から連絡が。
 
 「明日………全便欠航ということになりました」
 
 船長的には少なくとも朝は出せそうというつもりでいたようだけど、社長の決定とあればいかんともしがたい。
 
 ただ、その欠航の決定を島の主だった方々に伝えるのは船長のシゴトなので、少なくとも朝は出せそうと言っていた手前、とってもとってもつらいシゴトになったことだろう。
 
 そういうこともあろうと思えばこそ、島民割引乗船料に比べれば燃料代のほうが遥かにバカ高いにもかかわらず、我々は自分たちのボートで渡久地港まで来ていたのである。
 
 前線通過は昼過ぎくらい、風が吹き始めるのはそのあととなれば、まぁ昼頃に島に戻るくらいでいいだろう。
 
 というわけでこの日は、11時頃に秘密基地を出て、買い物を済ませてから渡久地港出発、という予定にしていた。
 
 ところが。
 
 9時過ぎには早くも雨が降ってきて、雨雲の下の強風が吹き始めたっきりおさまる気配がない。
 
 これは……前線の接近が早まっているのでは?
 
 幸い雨雲は途切れ途切れのようだから、ここはひとつ予定を繰り上げて早めに帰ることにしよう。
 
 買い物を済ませて渡久地港を出航してみると、すでに洋上は北風に追い立てられたウサギさんだらけになっていた。
 
 航行中雨には祟られなかったものの、波しぶきを浴び続けながらだったものだから、島に到着した頃には土砂降りの中に立ち尽くしていたかのようにビショビショになってしまっていた(半身だけ)。
 
 大陸の高気圧が張り出してくるローテーションの間隔が短すぎるのもさることながら、予報が伝えるよりも張り出してくるスピードは速いし、そして予想されているよりも遥かに風は強い…というのが最近の特徴だ。
 
 すなわち、天気予報などてんで当たらない。
 
 朝こそ「これで欠航?」という状況だったかもしれないけれど、昼前からはもう充分「こりゃ欠航でしょう」という海況に豹変していた。
 
 9時半頃から突風が吹き始めていたことを考えれば、さすが社長判断、グッジョブでございます。
 
 明日明後日はもれなく欠航だろうから、本日欠航であることを幸い、連絡船用バースにボートを着けて帰還。
 
 いやはや……寒い。
 
 年末年始も同じようにガタガタのお天気になりそうで、予報的にはかろうじて29日、30日の両日に連絡船が運航できるお天気になりそうながら、当日の天気すら当てられない天気予報を鵜呑みにしていると、お正月のための買い物ができないまま年を越さねばならなくなるかもしれない。
 
 となれば、確実に出掛けられるうちに買い出ししておくに如くはない。
 
 というわけで昨日は買い物がメイン、本日は朝のうちに帰還を余儀なくされてしまったため、今回はさほど時間を取れなかったのだけど、このところ取り組んでいたものが、ようやく形になるところまでこぎつけた。
 
 これ。
 

 興味がない方がご覧になっても、何が何やらさっぱりわからないこと間違いなし、かといってすぐに何かわかる方がご覧になると、鼻で笑わてしまうこと間違いなしの、甚だなんちゃって感丸出しのこの卓上のモノ、これは一応簡易トリマーテーブルのつもりで作ったもの。
 
 この天板の裏側はこうなっている。
 

 破裏拳トリマーが逆さまにくっついて、刃先が天板の上から顔を出すという仕組み。
 
 こういうもので何ができるのかというと、本来は手に持って木材に沿わせて動かす必要があるトリマーを逆に据え置き、木材のほうを動かすことによって作業が手軽になる。
 
 トリマーを手に持って動かす際には、刃によってはまっすぐ動かすための定規になるものをその都度セットしなければならないところ、こうしておけば木材を当てるガイドフェンスの位置を変えるだけで…
 

 …木材を動かせば、望むところに溝を掘ったり側面を削ったりすることができるのだ。
 

 ご興味は無くとも、なんとなく「便利かも…」ってことはおわかりいただけることだろう。
 
 そう、きっと便利になるはず。
 
 でもね、そもそもその便利のために作ろうと思い立ったわけじゃないのですよ。
 
 というのも、先日ようやく購入した新兵器、それをいっそう便利に使うために作業台を拵えなければならず、あれやこれやいろいろ調べながら頭の中に完成形ができ、現在制作途上。

 で、その作業台のかなり重要な部分を拵えるためには、このトリマーテーブルがあったほうがいいんじゃね?ってことに気がついた次第。
 
 つまり、もともとの目的のものを作るためにこれを作ったのであって、これでようやく次の作業に取り掛かれる…
 
 …という段階に達したに過ぎないのだった。
 
 なんだかどんどん泥沼にハマっている気が…。
 
 ネット社会はこういう時にはホントに便利で、昔ならドゥーパ!の別冊ムックを参考書代わりにするしかなかったところ、今や星の数ほどのDIYerがそれぞれYoutubeやブログで自慢の腕と経験値を披露してくれるおかげで、ワタシのようにな~んにも知らなくてもそれを参考にするだけで、それっぽいものができてしまうようになっている。
 
 DIYの世界にも、数多くのYoutuberがいるのだ。
 
 でまたそういう方々のエデュケーション能力はやたらと高く、視聴しているだけでなんだかすぐにでも作れてしまいそうな錯覚を覚えてしまう。
 
 その錯覚度合いを例えて言うなら、「潜るんです」を買っただけで、もう巨匠コスゲさんのような写真をいくらでも撮れる気分になっているようなもの。
 
 それはそれとして、動画のチャンネル登録数とかブログのアクセス数がとてつもなくスゴイ方々などはもはや趣味の域を超えているから、そういう方々の「人様に見せるための動画」を観ていると、ワタシなどこの先百年生きたとしても絶対に作れないと確信できる手際のよい作業の様子に引き込まれ、作れるわけではなくともついつい動画に見入ってしまう。
 
 ただ、動画やブログがほんの数年過去のものだと、そこで紹介されているありとあらゆる工具や資材の価格が、この数年の間にドンッと跳ねあがっていることに驚かされる。
 
 あれもこれもそれもどれも、もっと早いうちに買っとけばよかったなぁ…。
 
 今や合板1枚すら高過ぎて購入を躊躇する時代、貴重な木材を費やして作ったこのなんちゃってトリマーテーブルは、はたして予定どおり活躍する日が来るだろうか。
 
 その結論が年内に判明するかどうか、すなわち泥沼からの脱出なるかどうかは、すべてこのあとの海況にかかっているのであった。
  


Posted by クロワッサン at 08:07Comments(2)日々の作業

2024年12月26日

聖夜の無節操。

2024年 12月25日(水) 晴れ

東の風 波あり

 前日の名残り的風浪が多少あっても、すっかり晴れ渡った空と輝く太陽が、あっという間に「春」にしてくれた。
 
 名護まで出掛けてメイクマンに行くと、売り場はすっかり「新春」モードになっている。
 
 …って、今日はクリスマス当日なんですけど?
 
 クリスマス商品は完全に片づけられ、特設売り場はお正月用品オンリーだ。
 
 イブの夜に飲んだらクリスマスはおしまい…
 
 …というのがホームセンターであるらしい。
 
 さてさて、昨日は写真1枚で終わってしまったそのイブの日、ガメ公はホワイトクリスマスになっていた。
 

 強風が続いたために石畳の坂道の脇に溜まっていたパウダーサンドを、排除を兼ねて運んできたもの。 
 
 曇り空の寒々しいお天気だったから、いつもならエサをムシャムシャ食べ終えたらとっとと小屋に帰って二度と出てこないはずのところ、白くなった世界にご機嫌になったのか、再び出てきて歩き心地を試しているガメ公である。
 
 おそらく沖縄でホワイトクリスマスになっているのはガメ公くらいだろう…
 
 …と思いきや、桟橋周辺もすっかりホワイトクリスマスだった。
 

 多くの方には青く見えちゃうんだろうけど、これ、ビーチエリア全域に渡って白濁しまくりですから。
 
 でまたこの日は風が東寄りに回ったこともあって、北風によって沿岸に押しとどめられていた白濁水が干潮に向かっていることもあって、航路からどんどんリーフ外に流出していく。
 

 公共工事という名の環境テロは継続中だ。
 
 ちなみに相変わらず夜通し作業をしているから、聖夜は静夜ではなかったりする。
 
 海は環境テロ継続中でも、もちろんイブの夜は毎年恒例のお食事イベント。
 
 まずはスープと前菜だ。
 

 ハレの日にしか登場することはない蕪のポタージュ。
 
 もちろん材料は庭の畑産の蕪。
 
 ポタージュなのでタマネギも投入することになるのだけれど、タマネギを多くしすぎるとタマネギのスープになってしまうところ、ほどよい加減だったようで湯気からも蕪が香り立つポタージュになっていた。
 
 美味し。
 
 そこいらのスーパーなら向こう側が透けて見えるような生ハムしか売られていないけれど、プラザハウスのロジャースフードマーケットにあった生ハムたちはモノが違った。
 

 でまたこの生ハムがルッコラと合うんだわ。
 
 ルッコラなんて、このためにわざわざ買ってなどいられないけれど、庭の畑やプランターでスクスク育っているものだから、こういう時にはとっても便利。
 
 その他、薫玉やテリーヌモドキなど、普段なかなか会えない逸品たちも、もちろんオタマサの手による。
 

 美味し。
 
 これだけでお腹一杯になりそうなところ、今日は胃袋テロの日だからまだ終わらない。
 
 お次はお魚。
 

 アカジンのカルパッチョ♪
 
 タマネギ以外の野菜はもちろんオタマサ産だ。
 
 お刺身でいただけるように処理して冷凍しておいたものだから、アカジンならではの甘味はバッチリ残っている。
 
 オリーブオイルだけでも良し、胡椒を加えても良し、さらになんちゃってジェノベーゼソースをかけても良し。
 
 ああ…美味し。
 
 そしてメインディッシュは…
 

 丸ごとローストチキン♪
 
 子どもの頃はトムとジェリーでしか見たことがなかった鶏の丸焼き、オトナになるといくらでも食べられるシアワセ…。
 
 ひところは鶏丸々1羽買えない時期があったから、今年はどうかな…と思っていたところ、先日行ったロジャースで売られていたのですぐさま購入。
 
 すると、今年はサンエーでも売られていたのだった。
 
 しかもロジャースよりはお安いお値段で。
 
 でも高い分モノが違うのか、ジョートーなローストになっていた……
 
 …と思うのは気のせいか?
 
 ちなみに完全に脇役状態で添えられているお野菜たちは、コーンを除いてこれまたオタマサ産。
 
 ニンジンはまだ収穫するには早い時期ながら、間引かなければならないから、間引いたチビチビを無駄にせずこのようにしていただく。
 
 そしてチキンのお腹の中には、鶏の出汁を吸いまくっているガーリックライスが詰め込まれている。
 
 これがまた酔いの進んだ脳にとっては猛烈に…
 
 美味し。
 
 ワインがワインがススム君♪
 
 さてそのワイン、ありがたいことに高級スパークリングを頂戴していたので序盤はそちらをいただいていたんだけど、この日のために気合を入れて決意も新たに購入してあったのがこちら。
 

 よく「ラベル買い」という言葉を耳にするけれど、それはすなわち中身がどうこうよりもラベルの絵柄とかデザインが素敵だから選んだという意味で、オタマサの場合鳥さんが描かれているとすぐさま飛びついたりする。
 
 そういう意味の「ラベル買い」ではないんだけど、このあまりにも売る気もやる気もなさそうに見えるラベルに、ついつい惹かれてしまった。
 
 生まれ変わったら日本が好きなイタリア人になる予定のワタシなので(だからといってジローラモになりたいわけではない)、とりあえずイタリア産の…という選択基準はあってもその先の知識など微塵もないから、もちろんのことなんでこんな名前になっているのか、その理由など購入時には知る由もない。
 
 後刻調べてみたところ、なかなか興味深い逸話があった。
 
 なんでもイタリア北部のワインどころバローロ村では、その土地自慢のワインの高級品質規格をクリアしたものにお役所から「バローロ」という栄えある称号が与えられるという。
 
 このボルゴーニョのワインも品質規格は完全にクリアしていたので、お役所での審査に臨んだところ、
 
 「色に問題がある」
 
 という、イチャモンにも似た理由で却下されたそうな。
 
 ところがそれほど時を置かず、同じブドウから同じ製法で作った他の樽のワインを審査に出したところ、それは「バローロ」の称号を得ることができたという。
 
 同じワインに対して異なる評価を下すだなんて、まったくどういうこっちゃ!
 
 ボルゴーニョのオーナーは、たいそうご立腹になったそうな。
 
 ワイン農家がどれほどの思いを込めながら苦労をしてワインを作っているかということなど、所詮オヤクニンになどわかるはずはない…。
 
 そのあたりは、朝ドラ「らんまん」に出てきた酒税取り立てのヤクニンに相通じるものがあるに違いない。
 
 そんなお役所に対する憤りもあって、オーナー氏はあえてこのワインはバローロの称号を求めず、ランクでいえば格下げになりつつもノットバローロとして売ることに決めたのだった。
 
 そこでリリースする際に名づけられたのが、名前の無いバローロという意味を込めての「NO NAME」。
 
 襤褸は着てても心は錦、格は下げても誇りは高くあれというわけだ。
 
 でも世間のみなさんはそんなオヤクニンの評価に左右されることはなく、リリースされたと同時にコイツは美味い!ということにすぐさま気がつくから、たとえ公的称号はなくともこのワインは生まれた時から「バローロ」として非公式に認定されているのだそうな。
 
 そんなワイン農家の誇りが詰まったNO NAME、まずはひと口…
 
 美味し。
 
 すみません、ワインの味を細かく語る術などもってないもので…。
 
 フルボディではあっても、血の滴る肉に食らいつきたくなるようなタイプではなかったような気はする。
 
 とにかく気がつけば1本空いちゃったのだから、美味しかったことはたしかなのである。
 
 そしてそれが、前日写真1枚で終わった理由です。
 
 さて、この日は前述のように朝から本島まで出て、名護で買い物を済ませてから秘密基地で一泊。
 
 その前に、渡久地港周辺で船主会が音頭をとって実施しているという、クリスマスイルミネーションを見に行ってみよう。
 
 いつもなら灯ともしごろになるともう飲んでいるから車で出かけられなくなるところ、この日は夕食の買いものを暗くなるまで待ち、夕暮れ時に渡久地まで行ってみた。
 
 すると…
 

 おお、洋上に浮かぶツリー、そして本部大橋にもイルミネーションが。
 
 そして渡久地港を囲むように、イルミネーションが施されていた。
 
 ただ…。
 
 このツリーや本部大橋の電飾は点灯したままだからとっても落ち着いて見えるのに対し、港内奥側から中ほどにかけてのイルミネーションは、いずれもせわしなく明滅するタイプになっている。
 
 もちろんイルミネーションは点灯のままだけではなく、明滅するのもアリではあるけれど、その明滅の間隔があまりにも短すぎ、なんだかジュリアナ東京のような、もしくは場末の飲み屋街の客寄せネオンのような風情が…。
 
 もう少し落ち着ける明滅間隔にできないものか…。
 
 でも夕暮れ時ということもあって、こちら側だけを見ているとけっこう素敵。
 

 ホントは連絡船待合所の駐車場を取り巻くフェンスにも電飾が施されているんだけど、そちらは闇に包まれていた。
 
 おそらくセキュリティのために夜間の建物は完全に閉ざされているから、電源を引っ張ってこられなかったのだろう…。
 
 残念。
 
 もっとも、ジュリアナ的に明滅するくらいなら、無かったほうがよかったかも?
 
 この聖夜に最もビックリしたのは、谷茶公園だった。
 
 近年の谷茶区はやる気に満ちている方が区長さんになったそうで、さびれた御願所でしかなかったところに幟や観光案内を立てたりしてその由緒をたいそう盛り上げており、谷茶公園の御願所では初詣が行われるようにもなっている。
 
 押しも押されもしない立派な神社になっているわけだ。
 
 その神社の境内といっていい谷茶公園に…
 
 …ジュリアナ電飾が盛大に施されていた。
 
 そりゃイエスの誕生を祝う聖夜ではありますけれど、それを神社でやっていいのでしょうか?
 
 「とんだ神様違いやッ!」
 
 と、谷茶海神宮の神様はご立腹かもしれない。
 
 クリスマス当日に正月用商品だけになるホームセンターにしろ、クリスマスを祝う神社にしろ、無宗教であることにもちろん異議はないけれど、それでもやっぱり多少の節操は必要ですな。
 
 年末年始、荒れに荒れ狂う海況になってしまったら、それはジュリアナ電飾のせいってことで…。
  


Posted by クロワッサン at 09:00Comments(0)日々の徒然島の美味いもの

2024年12月25日

We Wish You a Merry Christmas。

2024年 12月24日(火) 曇り

北東の風 けっこう波あり

 



  


Posted by クロワッサン at 07:36Comments(1)日々の徒然

2024年12月24日

ウミウシの変身。

2024年 12月23日(月) 曇り

北東の風 けっこう波ありのち少し波あり 水温22度~23度

 一日中曇り空のお天気ではあったけれど、前日に比べれば随分暖かく、ガメ公ですら外に出てきてムシャムシャエサを食べるほどだった。
 
 寒くはなくても朝のうちはまだ前日の強風の名残りがあって、洋上はわりと波波だ。
 
 それでもその後回復していく見込みということもあって、連絡船はようやく通常運航に。
 
 ダイビングボートは本島から来ているのに連絡船が欠航していた先日とは逆に、この日は連絡船が運航しているのにダイビングボートは1隻も島の周りには見えなかった。
 
 行きたいところに行けるチャンス。
 
 というわけで海へGO!
 
 行きたいところとはほかでもない、その後のバロニアモウミウシチェック…
 
 …とオタマサが言う。
 
 そりゃその後の経過は気になるところではあるけれど、たった2日で何がどう変わるということもなさそう。

 ま、ウミウシが居なくなっているってことはありそうかな?
 
 とはいえ最初からリーフ際に居続けるのもなんなので、まずはルーティンコースを巡ってみたところ、過去に何度か紹介している同じ場所に、もうかれこれ何代目になるのか不明のカンザシヤドカリsp.の姿があった。
 

 巣穴周辺のサンゴが傷んでいるから同じ場所感が薄れているけれど、これまで多くのゲストにご覧いただいた場所だから、ご記憶の方も多いことだろう。
 
 いつ頃からだったか忘れたけど、このごろは巣穴入り口に綺麗めのイバラカンザシの親戚がついていて、2匹が仲良くおしゃべりしているかのような風情になっている。
 

 これぞまさしくカンザシヤドカリ?
 
 一昨日は6ミリ半のウェットスーツ導入のおかげで寒さのストレスが無くなったと書いたばかりだというのに、今日はエントリーと同時に寒い。
 
 やはり太陽が出ていないと潜る前のぬくもり貯金がゼロのままだから、エントリーと同時にマイナスになっていくのだろうなぁ…
 
 …と思いつつダイコンの水温表示を見てみると、水深15メートル以深では前回より1度低い22度表示。
 
 数字を見た途端にいっそう寒さが募ってしまった…。
 
 そんな水温だというのに、ムチカラマツにはガラスハゼの卵があった。
 

 低水温ながらも卵の発生はちゃんと進んでいて…
 

 …お目目キラキラ。
 
 ちなみにこのムチカラマツでは、今月3日にも卵を確認していた。
 

 このときは現在より1度ほど高い水温だったとはいえ、それでも夏場に比べれば遥かに低い。
 
 だからといって発生がこのまま3週間ずっと停滞したままってことはないとなると、ここのガラスハゼ夫婦はこの卵たちが孵化したあと、さほど時を置かずにまた次の卵を産んだということになる。
 
 こんな季節に?
 
 ガラスハゼ、気でも狂ったのだろうか。
 
 高水温期間が長すぎて、調子狂っちゃったのかなぁ…
 
 …と思いつつも念のために拙日記の過去記事を確認してみたところ(PC版ページでは、左にブログ内検索窓があるので、「ガラスハゼ」で検索すると過去記事をまとめて見られるのです)、なんとなんと今年1月、今よりもさらに冷たい海の中で、ガラスハゼは産卵していたのだった。
 
 今年のデキゴトだというのに、それも、こんな寒い季節にフツーに観られるということを再認識していたというのに、そんなことなどすっかり忘れていただなんて。
 
 どうやら調子が狂っているのは、ガラスハゼではなくワタシのほうらしい…。
 
 リーフ際に戻ってきて、そろそろバロニアモウミウシチェックでも…と思い始めた時、眼下に真っ黒クロスケの姿が。
 

 今春ついに当店Tシャツモデルデビューとなった真っ黒クロスケ、昨年までの2年ほどの間はやたらと遭遇頻度が高く、同じ子が同じ場所に長い間居続けてくれていたというのに、デビューさせた途端すっかり影をひそめてしまっていた。
 
 それが秋の初め頃から再び安定的に見られるようになってきて、冬になってもけっこう出会えている。
 
 こうしてあらためて見ると、やはり下アゴの黄色いラインは目立つなぁ…。
 
 モデルになってもらうに際し、コスト的にも当初は黒一色で…と思っていたのだけれど、やはり真っ黒クロスケとはいっても背ビレの黄色は捨て難い。
 
 割愛した口にも、黄色は捨て難かったか…。
 
 そうやってあれこれ思案した黄色ながら、世の中には何度も何度もハナヒゲウツボの幼魚をご覧になっているにもかかわらず、背ビレが黄色いことにまったく気がついていない方もいらっしゃったのだった。
 
 たしかにこのアングルから眺めてばかりいると、背ビレは見えないか…。
 
 この真っ黒クロスケはかなりのお利口さんで、どれほど近寄っても全然引っ込まない。
 
 ワタシがいるせいでアカテンモチノウオがフラフラ近寄ってきては、真っ黒クロスケに嫌がらせをするように巣穴まで来てビビらせるから、その都度クロスケは引っ込む。
 
 でもその後すぐさま顔を出してくれるほどのお利口さんだ。
 
 クロスケがお利口さんであることをいいことに、あーでもないこーでもないと撮っているうちに、ついうっかり時間を費やしてしまった。
 
 というわけで、このあとバロニアモウミウシチェックに行けず。
 
 ま、いっか、オタマサが行っていることだし。
 
 そしてきっと何の変化も無かったというレポートで終わるのだろう…
 
 …と思いきや!
 
 クリアー状態になっていたオオバロニアの細胞壁の中では、意外な変化が出来していたのである(以下の写真すべて撮影:オタマサ)。
 
 まず、卵が増えていることに気がついたオタマサ。
 

 白で囲っている部分に見られるバカボン印は、2日前には無かったものだ。
 
 ただ、かなり小さなバカボンではある。
 
 前回2匹いたうちの、小さいほうが産んだ卵なんだろうか?
 
 ところで肝心のウミウシの姿は?
 
 1匹だけ確認できたオタマサ、しかしそのウミウシの姿は…
 

 …あれ?
 
 こちら側にくっついているため見えているのはウミウシの腹側、という違いはあっても、その蓑の部分(背側突起)の色合いが、前回観たヤツと全然違うんですけど?
 
 お腹側から見ているからだろうか。
 
 オオバロニアの細胞壁のなかを這っているこのウミウシが、奥の方に行ったところを無理矢理背側から撮った画像を見てみると…
 

 形状はそっくりながら、やっぱり色は全然違っている!
 
 どーゆーことですか、これは。
 
 元々緑色だったものが、この2日間の間に食べたエサのために(もしくはエサを食べていないために)オレンジ色に変わった?
 
 それとも、前回観たウミウシたちが産卵を済ませて外に出ていったあと、近縁ながらも別種のウミウシが入ってきてヨっコラショ…とばかりに卵を産んだ?
 
 ウミウシ変態社会では、これは広く知られている話なんだろうか…。
 
 たった2日じゃ大した変化はないだろうとタカをくくっていたら、思いがけず新たなナゾが。
 
 この疑問を抱えたままでは年を越せなくなってしまう。
 
 ご存知の方、テルアスプリーズ!

 ところでこの日の朝は、海へ行く前に、連絡船用バースに避難させてあったうちのボートをまずは定位置へ戻す必要があった。

 で、ロープを解いてボートを動かそうとしたそのとき、眼下に黒く蠢く祟り神が。

 ミジュンだ!

 この師走にミジュンの群れだなんて、少なくとも水納島の桟橋周辺では目にしたことがない(はず)。

 夕刻になっても桟橋周辺にたむろしていたから、シメシメとばかりに竿片手に桟橋へGO。

 すると、すぐさま1匹ゲット。

 サビキセットなのに1匹ずつってのもなんだけど、群れに放り込めばすぐ食いつくから、この調子ならあっという間に10匹20匹になっちゃうかも。

 浚渫のせいで白濁しているため、ミジュンたちも何が何やらわからないまま食いついてくるのだろうか。

 そもそもミジュンが群れているのは、浚渫が進んで泊地の深い部分が広大になり、群れにとって居心地がよくなったからかもしれない。

 なんだ、時ならぬミジュンは工事のおかげか!
 
 …と喜んでいたところ、次第次第に群れは桟橋から離れてしまった。

 これじゃあ届かないじゃん。

 でも夕刻になって活発化しているだけで、少し待てばまた桟橋脇に戻ってくるかも。

 …と気を取り直してしばし待とうとしたら、なんてことだ、バージが入港してくるではないか。

 工事のおかげでミジュンが釣れたのはいいけれど、その工事のおかげで釣りができないのであった。

 というわけで、オタマサはたったの1匹、ワタシは3匹で終了とあいなってしまった。

 たった4匹とはいえ、獲れ獲れピチピチ。

 もちろん夕食には…


 …お刺身で登場。

 さすが冬になってさらに成長しているだけあって、秋の初めにいただくミジュンとは脂のノリが全然違う!

 夕食に食べる分だけ釣ってくる…というのも、考えてみればゼータクな暮らしなんだけど、物欲が満たされることがゼータクだという価値観の社会では、なかなか生きづらくもあるのだった。
  


Posted by クロワッサン at 09:04Comments(4)水納島の海島の美味いもの

2024年12月23日

十年一日ハカイダー。

2024年 12月22日(日) 曇り時々雨パラパラ夕刻ちょい晴れ

北の風 荒れ模様

 近年はずっとその傾向があったとはいえ、大陸の高気圧が張り出してくるローテーションの間隔が異常なくらいに短いために、穏やかな日になったと思ったらすぐさま強い北風の日、というパターンが続いている。
 
 そのため連絡船も中1日、2日の運航しかできず、今月は当初冗談で言っていたとおりに、欠航している日のほうが多くなりそうな様相だ。
 
 前日から吹き始めた強い北風はこの日も続いていて、昨日吹き始める前から欠航していた連絡船は、もちろん本日も全便欠航。
 
 そうなりそうな天気予報だったから、すでに数日前から年末恒例の御願所掃除をこの日行う予定になっていた。
 
 参道を覆う木を払ったり沿道の草を刈ったり、御願所周辺の掃き掃除をするこの作業、毎年年末に島民総出でやっているものながら、今では総出といっても数えるほどのため、沿道の草刈りなどはあらかじめ班長がトラクターでドドッと刈り払い済みということもあり、当日の作業自体は、他についでに何かを…なんて話にならないかぎり、それほど時間がかかるわけでもない。
 
 ということもあり、本日の作業開始は10時からということになっていた。
 
 ただ、朝から相当寒さが厳しく、10時になるのを待っている間に凍えて死にそうになってきたものだから、いささか早めながらもとっとと現場に行って始めておくことにした。
 
 どう考えても作業をしていたらむしろ暑くなるであろう厚着のまま作業をしていたら、みなさんが集まってきてしばらく経った頃には汗をかくほどに。
 
 同じ作業をするにしても、寒さに震えながらやるより、心地よ汗をかくくらいのほうが、脳内やる気物質が充満しやすい(※個人の体質です)。
 
 そして11時過ぎにはあらかた終了。
 
 冷えたままなら体を動かす気にもならなかったところ、作業予定があったおかげでいい運動になったのだった。
 
 このように体を動かせば温められる我々哺乳類とは違い、外気温に体温を左右されるガメ公は、本日は完全に機能停止。
 
 小屋から一歩も外に出てこなかった。
 
 ストロング級ではないにしろ冷え込む日が多く、なにしろあの暑がりのナリコさんまでが「今月は寒い!」と言うくらいだから、けっこうちゃんとした冬になっているようだ。
 
 昨冬の師走は暖かすぎたために、収穫前の白菜が畑で腐ってしまったけれど、今季はちゃんと寒いし寒いと虫の活動も不活発だから、期待どおりの収穫が見込めそう。
 
 昨冬は夢と散った白菜と豚肉のミルフィーユも、あと少しでゲンジツのモノに……♪
 

 話は変わる。
 
 以前も何度か紹介したことがあるように、当サイトに掲載している画像(主にお魚さん)の使用を求める連絡が、年に何度かもっぱらテレビ番組制作関係者からもたらされる。
 
 基本的に彼らは無償で利用させてもらう前提で連絡してくるから、当店規定の料金を提示すると、そのうちの半数は「またの機会に…」となる。
 
 今年の夏以降、そうやって画像使用許諾を求める連絡が、意外なところからいくつか寄せられた。
 
 絵を描いたりアート作品を制作するために画像をモチーフにしたいというご希望が、それぞれまったく別のところからいくつか寄せられたのだ。
 
 いわばモデルとしてのご指名。
 
 画像をそのまま使うわけじゃなし、当方としても栄えあるお話だから、こういう場合は無償の提供でまったく差し支えない。
 
 その旨お伝えすると、絵のモデルとしてご要望があった方からはご返信があり、完成後には作品を贈ってくださるとのこと。
 
 来夏の予定だそうだから、乞うご期待。
 
 ちなみにその方は、少し前に琉大理学部の大学院にて海洋生物を研究されていたという。
 
 当時お住いだったという場所は琉大北口を出てすぐのところだったから、ワタシにとっても昔懐かしい地名…
 
 …なんだけど、今ではすっかり変わってしまっており、ワタシが今そのあたりに行くと、おそらく迷子になってしまうことだろう。
 
 今朝早くにメールチェックをしたところ、昨夜のうちにまた画像を使用したい旨を伝えるお問い合わせフォームの通知があった。
 
 その送信者を見てビックリ。
 
 なんと、ほんの少し前までお父さんお母さんと一緒に雑貨屋さんまで買い物しに来てくれていた娘さんではないか。
 
 ご両親はともにダイバーで、かつては当店でファンダイビングをされていたこともあったのだけど、お子様が生まれた頃からダイビングは引退しつつ、島には毎年ご家族でいらっしゃるようになっている。
 
 お盆時期の常連さんだから、当店ゲストのみなさんのなかにもご存知の方が多いことだろう。
 
 その娘さんといえば、ついこの間まで小さなお子さんのはずだったのに、気がつけばティーンエイジャー!
 
 そりゃ我々も齢をとるはずだわ…。
 
 で、彼女は今般同人誌を制作することとなり、それに当サイトの画像を掲載したい旨を伝えるご連絡だった。
 
 これがアナタ、LINE文面ばかりになってちゃんとした日本語の文章が書けないオトナだらけになってしまった現代ニッポンにおいては絶滅危惧種といってもいいほどの、感動的に立派かつ丁寧な、膝も襟も正してキチンとした姿勢で拝読しなければ…と思ってしまうほどの文面(カタい内容というわけじゃなくて、文章の話ね)。

 増すゴミが話題にする「若者たち」にはかなりの偏向があるために、それを見てオトナたちは安心し、「近頃の若い者は…」と決まり文句を口にする。

 でも増すゴミが取り上げない多くの若者たちのほうが、そのへんのオトナたちよりもよっぽど素晴らしいのである。
 
 ただしそれを知ってはいてもそういうことに接する機会が少なくなっていることもあり、おじさんはただただ感動してしまった。
 
 だからというわけじゃないけれど、ティーンエイジャーだし同人誌だし、そもそもかつて毎年たくさんご購入いただいていた御礼もあるしってことで、こちらとしてもクレジット表記だけお願いして無償の提供でよござんすよってところ。
 
 なので、ご希望に沿いそうな画像を添付しつつその旨伝える返信を送ると…
 
 「お写真ありがとうございます!予算はある程度ありますので、使用料もお支払いしたいと思っています。御手数ですが、金額等ご提示頂ければ幸いです。」
 
 …というご返信が。
 
 まったく、無償利用を前提にしてオファーしてくるテレビ番組制作会社に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
 
 というか、18の頃のワタシには、とてもじゃないけどこのような文章を書く能力は無かった…今も無いかも。
 
 破天荒かつ破滅型酒飲みのご両親…いや、お母様か…が、このようにステキにお子様をお育てになっておられたとは…。
 
 で、ティーンエイジャーのお言葉に甘え、金額を提示してディール。
 
 来年早々には完成するそうだから、いったい何系の同人誌なのか、どんな画像が使用されているのか、これまた乞うご期待。
 
 …という用件のほか、まんざら知らぬ仲でもないから彼女は近況も知らせてくれて、それによると、なんとなんと、彼女は琉球大学理学部海洋自然科学科を志望しているという!
 
 海洋自然科学科とは、いわずとしれた旧海洋学科の生物系や化学系を含むいくつかの自然科学系学科の発展的再編後の学科である。
 
 事務手続き的(?)に「直接」の後輩にはあたらずとも、事実上の我々の後輩といってもいい(もっとも、ワタシの場合は地質系だったので、正確には物質地球科学科がそれにあたるんだけど…)。
 
 いわく、進路に迷っていたところ半年ほど前に拙日記をご覧になり、それがきっかけで志望校決定となったそうな。
 
 なんだかとっても光栄かつ恐縮……。
 
 ひょっとしてご両親は、「余計なサジェスチョンをしやがって!」と怒っていたりとか??
 
 と尋ねてみると、ご両親は
 
 「水納島に連れて行ってよかった」
 
 とたいそうお喜びのご様子だそうな。
 
 < 作戦成功ってことかも?
 
 こういうしっかりした子が入学するとなれば、海洋自然科学科もさらなる発展への道となることだろう。
 
 ほんの少し前まで小さな女の子だった娘さんから、未来に明るい希望を抱かせてもらえたのだった。
 
 そして30~40年後には、彼女も↓こういう写真を友人たちと一緒に撮っているかもしれないね。
 

海洋学科設立50周年記念パーティ―にて@11月

 画像を提供してくださった中央の女性から(彼女の独断で)みなさんの肖像権をいただいているので、他の皆さんにおかれましては目線やモザイクを入れていないからといって怒らないでくださいね。
 
 あ、そうそう、いちばん手前の若いニィニィはその彼女の長男で、彼は海洋自然科学科卒。
 
 件の娘さんの望みかなってご入学となった暁には、彼の直接の後輩となるわけか。
 
 この長男君だって、ほんの少し前まで赤ちゃんだったのに、もう社会人なんだものなぁ…。
 
 友人の子どもたちやゲストのお子様たちの成長ぶりをまざまざと目の当たりにすることによって、我々のサザエさん的十年一日生活は、時の流れの前に脆くも木っ端ミジンコにされてしまうのであった。
  


Posted by クロワッサン at 08:14Comments(0)日々の作業日々の徒然

2024年12月22日

解明・バカボンのナゾ。

2024年 12月21日(土) 晴れのち曇り一瞬雨

北の風 おだやかのち荒れ模様 水温23度

 今日は冬至。
 
 午前中は春の陽気を思わせるポカポカと暖かな日和で、昼の散歩など背中にあたる日差しが暑さを感じさせるほどだった。
 
 汗ばむほどの陽気の下で散歩をしている時に、オタマサが「今日は冬至だから柚子風呂ならぬシークヮーサー風呂にする?」と尋ねる。
 
 ランチ後の満腹時にその日の夕食で何が食べたいか訊かれてもどーでもよくなるのと同じく、暑いさなかに湯舟に入ることなど想像もしたくない。
 
 なので今日はいいや…と応えたのだけれど、散歩中に日が陰り始め、風が冷たくなってきたかと思ったら、夕刻にはすっかり冷え冷えの冬モードになってしまった。
 
 今さらもう風呂に湯を張る時間もなく、せっかくの冬至だというのにシャワーのみで体が温めることもできずに終了…。
 
 今その時の感覚だけを恃みにすると後悔することになる…という典型例ですな。
 
 最終的には冬になってしまったけれど、朝はバッチリの海日和。
 
 少々うねりはあるものの、ポカポカ陽気の下ではなにほどのことでもない。
 
 というわけで、朝から海へGO!

 …という海況にもかかわらず、本島からダイビングボートが4隻ほど来ているくらいだったにもかかわらず、連絡船は朝から全便欠航。

 「海上強風のため」

 だそうだ。

 天気予報がはずれて好天になったわけじゃなし、予報どおりのグッドコンディション、朝イチの便だけなら余裕の状況なのに欠航って言われましても…。

 船長自身はOK判断にもかかわらず運航しないってのは、つまりそーゆーわけである。

 でもこれで欠航していたのでは、ライフラインであるからこそ海運会社にもたらされている補助金は返上しなきゃならないんじゃね?
 
 さてさて、この冬初めての6ミリ半装備のおかげで、海中での寒さのストレスはまったくなく(動きづらいというストレスはあるけど)、これまで5ミリでガマンしていたのはなんだったのだというほどの快適さ。
 
 快適なココロで眺める海は、いつも以上に心地いい。
 
 そんなココロに応えてくれるかのように、久しぶりにこの方の姿が復活していた。
 

 ご存知ホワイトソックス。
 
 今年の4月5月に話題をさらった(?)ホワイトソックスだったけれど、日が高くなって照度が上がったのがイヤだったのか、それとも水温が高くなってウンザリしていたのか、6月に観たのを最後に、夏場になるとすっかり姿が見えなくなってしまった。
 
 完全にGoneかと諦めていたところ、冬になってまったく同じ場所に再登場。
 
 なんともサンタさんカラーなあたり、ちゃんと出現のタイミングを考えているのだなぁ。
 
 < 考えてません。
 
 久しぶりの再会に気を良くしつつリーフ際に戻ってくると、夏から秋にかけて話題にしていたクログチニザのアブノーマルヤングが同じ場所でいまだ健在だった。
 

 けっこう育っていて、8センチくらいはありそう。 
 
 この日はアブノーマルの他に5センチほどのノーマルキレンジャーの姿もあった。
 

 この時期でも5センチほどのチビがいるのだなぁ…。
 
 ノーマルキレンジャーチビターレは、その黄色い姿を活かし、ヘラルドコガネヤッコとよく行動を共にしているんだけど、このノーマルチビターレも3~4匹のヘラルドコガネヤッコたちと一緒に過ごしていた。
 

 両者は同じような場所で暮らしてはいてもエサとするものが異なっていて、藻食性のクログチニザチビターレとしては、ヘラルドコガネヤッコのふりをして混じっているほうが、他の縄張り持ちの藻食性の魚の目をごまかせるからか、なにかと都合がいいように見受けられる(ヘラルドコガネヤッコには利点が無さそう…)。
 
 となると、アブノーマルチビターレはヘラルドコガネヤッコと一緒にいる意味はない。
 
 だからだろう、夏場にはソメワケヤッコとずっと一緒に過ごしていたものだった。
 
 ただし水納島でのソメワケヤッコは、ヘラルドコガネヤッコのようにどこにでもいるヤッコというわけではなく、幼魚が育ち始めてもオトナになるまで居つくことはほとんどない。
 
 このアブノーマルチビターレが行動を共にしていたソメワケヤッコも、やがて姿を消してしまった。
 
 でもそこからわりと近いところにいた別のソメワケヤッコは、今なお健在だった。
 

 これでもまだ7センチほどと小さいのだけれど、昔はこの時期まで居続けてくれるソメワケヤッコなんてかなりレアだった。
 
 ところが近年はソメワケヤッコチビターレの出現頻度が増してきたこともあってか、冬を越すソメワケヤッコが微増している気がする。
 
 かつて1度だけシゴトで訪れたグレートバリアリーフの小島の浅場に広がっていたガレ場に、ソメワケヤッコのペアが水納島のヘラルドコガネヤッコくらいたくさんいて驚いたものだった。
 
 やがて水納島でも、浅いガレ場がソメワケヤッコだらけになる日が来る…
 
 …かもしれない。
 
 そんな彼らを眺めながらリーフ際で過ごしていると、オタマサがリーフエッジから手招きしていることに気がついた。
 
 なにかいるらしい。
 
 指さしつつ何か言っているけれど、まったく聞きとれないから指さすほうを見てみたところ…
 

 変態社会人でもガイドでもないのに、これをご覧になっただけでこのあとワタシが何を伝えようとしているかおわかりになった方は、その昔「世界まるごとハウマッチ」で大橋巨泉が多用していた
 
 「スルドイ!」
 
 の一言を進呈いたします。
 
 まったく鋭くないみなさんのために説明すると、これは透明になってしまっているオオバロニアの細胞壁(オオバロニアは単細胞の藻なので)。
 
 普段は黒真珠かと見紛うほどの色合いだというのに、なんで透明になっているの?
 
 そんなアナタはこちらをご覧ください。
 
 そう、巨匠コスゲさんがそっと教えてくれたあの夏の日に、我々が初めて知ることとなったウミウシをご記憶だろうか。
 
 その後もオタマサは、オオバロニアがわりとよく観られるゾーンを訪れるたびにチェックを欠かさずにいたところ、この日ついに…
 

 ヤラセなしの天然果汁100パーセントで発見!
 
 …オタマサが。
 
 いわずと知れた、バロニアモウミウシの仲間である。
 
 にしても、せいぜい直径2センチほどしかない透明になっているオオバロニアに気がつくだなんて、視野30度以内の高い集中力はさすがだ(その半分でも視野30度外にも割り振ってくれればなぁ…)。
 
 直径2センチの球体の中にいるウミウシだから、当然ながらクラシカルアイにはつらいサイズ。
 
 そのため当初はオオバロニアの細胞壁のこちら側に貼りついていて、お腹側を見せているのかな…と思っていたら、うまい具合に最初から背中側を見せてウロウロしていた。
 

 オオバロニアの外の石灰藻か何かが、妖しくピンクに染めてくれた。
 

 夏に巨匠に見せていただいたウミウシとは少々異なる種類のようながら、いずれにせよ「バロニアモウミウシの仲間」くらいまでしかわからないだろうから、今深く追求するのはやめておこう。
 
 オオバロニアが透明になっているってことは、細胞内の主要成分をほぼほぼ食い尽くしているはず。
 
 なのにまだ中に閉じこもっているのはなぜ?
 
 最初に透明なオオバロニアの殻の写真をご覧になった時点でお気づきになった方も多いことだろう。
 
 そう、オオバロニアの細胞膜の中で、コイツは…
 

 …産卵していたのだ。

 さきほどオタマサがなんとか伝えようとしていたのは、卵のことだったのか。
 
 言うまでもなく、バカボンのほっぺのようなマークはすべて卵。
 

 ひとつのバカボンに無数の卵がひしめいている。
 
 この渦が何個もあるところを観ると、オオバロニアの中身を食べ尽くしたあと、憑りつかれたように卵を産みまくっていたのだろう。
 
 オオバロニアの細胞膜の内側に産めば、完全無欠のパーフェクトセキュリティに違いない。
 
 やるなぁ、バロニアモウミウシ(の仲間)。
 
 それにしても、両性具有のウミウシたちとはいっても単為生殖できるわけではないから、繁殖のためには伴侶が必要なはず。
 
 産卵の前に互いの配偶子を必要とするわけだから、オオバロニアの中に入る前にそれを済ませているのだろうか。
 
 それとも、オオバロニアを巡りながらホイホイ交尾してまわる係でもいるのだろうか。
 
 その答えを、すでにオタマサが見つけていた(撮った写真を見て後刻気がついたともいう)。
 
 その答えとは……これ(以下の写真2点、撮影:オタマサ)。
 

 なんとオオバロニアの中に、もう1匹いた!
 

 同じオオバロニアの中で、2匹が一緒に暮らしていたとは。
 
 卵のバカボンマークに大小の違いがあるのは、2匹の体格の差によるものだったのか…。
 
 単細胞生物の中に棲む小さな小さなクリーチャーの話ながら、なんだかとっても大きなことを知ったような気がする冬至のダイビングなのだった。
 
 巨匠、夏に蒔いてくださったタネが、おかげさまでちょっとした結実となりました。
 
 あらためまして感謝いたします!
  


Posted by クロワッサン at 08:35Comments(2)水納島の海

2024年12月21日

すぐおいしい すごくおいしい。

2024年 12月20日(金) 晴れ

北の風 うねりあり

 ヒミツの畑での作業をするために日帰り予定で島から出てきたオタマサを渡久地港で迎え、夕刻島に戻ってきた。
 
 相変わらず水納港大改修工事は続いていて、夜間作業も依然盛大に行われている。
 
 秘密基地で過ごす夜のほうがよっぽど静かだ。
 
 夜間作業をし始めた頃は工事の音に気づくことすらなかったオタマサだったけれど、ワタシの留守中に行われていた工事は相当激しいものだったらしく、オタマサですら眠りを妨げられるほどだったという。
 
 たまたまその日、夜間作業がどういう様子なのか、宵の口に桟橋まで行ってオタマサが撮ってきた写真がこちら。
 

 本島からもよく見える照明が煌々としている様子は、さながら未知との遭遇…。
 
 何度も言うけど本来はこれを真夏にやろうとしていたのだから、先日のダンプの行列と同じくらいまったく正気の沙汰ではない。
 
 今夏島に宿泊されたみなさんが少なくとも夜は静かに過ごせたのは、ひとえに杜撰な工法と工期の設定をしていた北部土木事務所都市港湾斑のおかげ。
 
 予定どおり工事が進まなくて良かったですね。
 
 さて。
 
 世間の流行に乗り遅れる形で昨秋は「カムカムエブリバディ」、そして今春は「らんまん」を1日5話ずつ観て全話コンプリートし、遅ればせながらその面白さを知った我々。
 
 それもこれも、全話収録済みのDVDを贈ってきてくださる朝ドラ伝道師のおかげである。
 
 その朝ドラ伝道師が新たにもたらしてくださっていたかつての朝ドラを、このところ1日5話ずつ…と思ったら、当時は土曜日も放送していたから1日6話ずつ観ている。 
 
 朝ドラ伝道師は、毎度その作品がどのように面白いか、親切にも説明してくださるのはいいのだけれど、下手をすると勢い余って話の内容を初めから終わりまで全部話されてしまうかもしれないので、そういう話になると誰が出演しているかくらいで脳内回路を遮断していた。
 
 なのでまったくゼロからのスタートだったんだけど、これがまた面白い。
 
 よくよく考えたら主人公夫婦は、出演している作品は違えど、どちらも高く評価されているゴジラ映画の主要キャストではないか。
 
 いわばゴジラ夫婦の奮闘記である(それをいうならゴジラー1.0の主要女性キャラ2人は、実は朝ドラヒロインコンビだったんですね)。
 
 事前情報を脳内シャットアウトしていたから全然覚えていなかったワタシとは違い、聞いてもすぐに忘れるオタマサは気にせず朝ドラ伝道師の話をちゃんと聞いていたらしく、これは日清の創業者がモデルだと伝道師は言っていたという。
 
 オタマサの記憶などアテにはできないから、何かの話とごっちゃになってんじゃね?と話半分で聞いていたところ、たしかに序盤からやけにラーメンが伏線になっているっぽい。
 
 これはやはり日清か。
 
 ラーメンで日清というと、カップヌードル?
 
 …と朧げに頭に思い浮かべながら観続けていたところ、いよいよ肝心かなめの話に突入してきた今、主人公が研究に着手し始めたのは鶏ガラスープ。
 
 鶏ガラスープといえば……
 
 元祖鶏ガラといえば、それは……
 
 これじゃないか!
 

 ~♪ すぐおいしい、すごくおいしい
 
 そうだったそうだった、即席ラーメンの元祖といえばチキンラーメン、カップヌードルよりもずっと早く世に出てきていたのだなぁ…。
 
 我々世代の場合、物心ついたときにはどちらもすでにこの世にあったから、それが世に出てきた衝撃を感じたことがないのだけれど、湯を注ぐだけで3分でラーメンになる商品だなんて、(現在の)マイナ保険証システムなんぞよりもよほど国民にとって有意義なものだったことだろう。
 
 それを発明してしまえるヒトがいたんだもの、さすがものづくりの国(かつては?)。
 
 NHKの番組のこと、もちろんチキンラーメンなどという名前は出てこないけれど、主人公が完成させようとしているラーメンは、誰がどう見ても間違いなくチキンラーメンである。
 
 そんなドラマを観ているうちに…
 
 無性にチキンラーメンが食べたくなってしまった。
 
 思い立ったらすぐにスーパーへGO!できる本島ビトとは違い、思い立っても欠航続きでなかなか島から出られず、念仏のようにチキンラーメンチキンラーメン…と繰り返す日々は、ようやく先日外出した際に終わりを告げた。
 
 というわけで、先ほどの写真。
 
 そして…
 

 ~♪ すぐおいしい すごくおいしい。
 
 パッケージ写真よりも5倍増しで投入されているネギは、もちろんヒミツの畑でオタマサが作っているもの。
 
 …と、こんなどーでもいい写真を撮っている場合ではなかった。
 
 3分のところ2分半くらいでいただくのが好きなワタシなのに、写真を撮っている間に伸びちゃったじゃん…。
 
 でもやっぱり元祖鶏ガラ、この味はチキンラーメンならではだ。
 
 カレーのように1日3食1週間21食でもOK…というわけにはいかないものの、たまに食べると他では味わえないヨロコビがある。
 
 作中の主人公がこういった食品の研究開発に着手した動機は、戦後の飢えにあえぐ国民の姿を見るに見かね、貧困に起因する栄養失調にあえぐ人々を救いたいという思いだった。
 
 そして現在のチキンラーメンのパッケージには…
 

 WFP(国連世界食糧計画)とは、飢餓と貧困の撲滅を使命に活動する国連の食糧支援機関だそうな。
 
 日清食品はこの機関の「学校給食支援」を応援しているとのことで、チキンラーメンひとつにつき0.2円、たった0.2円でも年間では3000万円を目標にして、WFPに寄付しているという。
 
 創業者の思いは、ちゃんと現在の日清食品の企業姿勢に受け継がれているのだなぁ…。
 
 そもそもものつくり大国だった当時のニッポンの創業者の皆さんは、大なり小なりそういった志があるヒトばかりだった印象がある。
 
 国民を飢餓と貧困へと追いやる政府と財務相官僚たちとは、まったく真逆の姿勢。

 まったく彼らときたら、「すぐおかしい すごくおかしい」だものなぁ。
 
 いっそのこと政府も官僚も民間に丸投げしたほうが、国民の暮らしはよほどマシになるんじゃなかろうか…。
 
 ところで。
 
 日清、そしてラーメンと聞いて、そのモデルは…
 
 日清製粉?
 
 日清食品?
 
 もひとつおまけに日清オイリオ?
 
 さすがに日清オイリオとは思わなかったけれど、日清とついている企業名がいくつかある。
 
 いずれもチキンラーメン開発者が作った会社のグループ企業なのだろう…
 
 …とこれまで長い間ウスラボンヤリ思っていたのだけれど、この日これを書くにあたってチョコッと調べてみて驚いた。
 
 これら3社は、資本的にも業務的にもまったくなんの関係もない企業なのだそうな。
 
 ややこしいッ!
 
 この3社の中ではチキンラーメンの日清食品が最も後発のようだけど、その社名は「日々清らかに豊かな食品を作る」という創業者の思いが込められているという。
 
 一方他の2社はどちらも明治期創業で、当時の日本において「日清」という言葉は、今でいうところの「国際」とか「インターナショナル」といった用語と同じく、広く海外を視野に入れているということをアピールする目的でけっこう使用されていたらしい。
 
 それがためにややこしいことになっているのはわかるにしても、そこにわざわざ「日清食品」って企業名にしなくても…創業者。
 
 というわけで、みなさまにおかれましても、0.2円を寄付すべく…
 
 ~♪ すぐおいしい すごくおいしい

 ※ここまで内容に触れてもどの朝ドラだったか思い出せない方のために、その答えを。



  


Posted by クロワッサン at 08:10Comments(0)世間の美味いもの

2024年12月20日

システマチックデジタル対アンシステマチックアナログ。

2024年 12月19日(木) 曇りのち時々雨

北の風 時化模様

 前日から強まった風はいよいよ本格化し、朝から問答無用の時化模様になった。
 
 もちろん連絡船は全便欠航。
 
 昨日配達する旨の案内があった南米大河商品は、このままでは今日も虚しく渡久地港をスルーしていくことになるだろう。
 
 ナニゴトもシステマチックかつデジタルになっている運送業界なので、連絡船がその日運航しているかどうかを事前に確認することはなく、ともかく配送順にキチンと荷物を積んで港に行くだけは行くらしい。
 
 その1点だけ見ると全然デジタルとは思えないけれど、いちいち確認するほうがよほど無駄なアナログ作業ということなのだろう。
 
 でもまぁヤマト便の場合は、島内配達を委託されている民宿大城さんとのやり取りがあって連絡船の事情その他を理解してくれているから、運航し次第ちゃんと配達される。
 
 でもその他の業者では、連日の欠航となるとシステマチックな規定によって送り主に返送されてしまうかもしれない。
 
 南米大河でいろいろポチッとしていたために、それぞれの商品を配送する業者も様々で、昨日届く予定だった商品のうち、ひとつは佐川急便による配送になっていた。
 
 昔はとりあえず連絡船に載せて、セールスドライバーが後刻「荷物を連絡船に載せました」という連絡をしてくるだけで済んでいた。
 
 ところがなにかといえばセキュリティな世の中になって以来、連絡船に載せる前に必ず送り先に事前確認が必要になってしまった(海運事務所側の、ひいては「航行の安全」を管理する監督官庁側の要望かもしれない)。
 
 かつて固定電話利用だった頃、その連絡を配送スタッフがしようにも、我々が留守にしていると電話には出られない…ということがよくあった。
 
 かといって留守録にその旨残してくれるわけでもなく、この番号にかけ直してくれというメッセージもなく、着信記録に電話番号が出ない当方の固定電話には、誰かから電話がかかっていたってことしかわからない。
 
 そういうことが繰り返されるうちに、モノは送り主へと返品されてしまった。
 
 配送業者いわく、
 
 「連絡をしたけれど連絡がつかなかったので…」
 
 当時すでに、留守録にメッセージを残すという文化はすたれつつあったらしい…。
 
 そんなこともあったものだから、少なくともヤマト便以外の業者にはヒトコト伝えておかなければ。
 
 どうせなら直接受け取ってしまったほうが手っ取り早い。

 そこで、まずはクロネコヤマトの名護配送センターまで電話してみた。
 
 でもいわゆるひとつの「0570」から始まる番号のこと、機械メッセージが始まって、要件ごとに何番を押せというたらいまわし案内が続き、ようやく…
 
 …と思ったら、機械のおねーさんは
 
 「では、チャットをご利用いただきます」
 
 ガラケーだっちゅうの(島でのテザリング利用のために、スマホとガラケーをオタマサと入れ替えているので)。
 
 ブラックキャットでこれだったら、飛脚となるとさらに埒が明かないに違いない。
 
 というわけで、再び名護に行く。
 
 幸い…というか必然的にというか、佐川急便の名護配送センターはクロネコヤマトの配送センターにほど近いところにあるようだから、ルート的には全然無駄がない。
 
 まずはパンの名店カイトの近くにある佐川急便へ。
 
 事務所にいたおねーさんに事情を説明すると、
 
 「荷物の問い合わせ番号はお持ちですか?」
 
 しまった、南米大河の配送状況案内ページには荷物のID番号が記されていたというのに、書き写してくるのを忘れた…。
 
 それでも宛先のワタシの名前で該当するものがあるかどうか確認してくれたおねーさんは、
 
 「送り先の住所は瀬底になってますが…」
 
 水納島の住所が「字瀬底」であるということなど、大手業者の名護配送センターでも知らないヒトのほうが多いのである。
 
 合点してくれたおねーさんによると、荷物はすでに配送コースに乗っているので、ドライバーから直接連絡させるとのこと。
 
 番号を伝えると、おねーさんから状況を聞いたセールスドライバーからすぐに携帯にかかってきた。
 
 ヤマト便の場合は連絡船の最終便に載せることが多いのに対し、佐川急便は午後1時便に合わせて回るようコース設定しているらしい。
 
 時刻は1時30分。すでに欠航と知って渡久地港をスルーしていたようだ。
 
 そのセールスドライバー氏の都合としては、再び渡久地港に寄れるのは午後4時から5時の間になると思うという。
 
 そのほうがこちらとしては都合が良かったから、4時過ぎを目途に、その頃になったらまた電話して確認してくれるということで落ち着いた。
 
 おねーさんにお礼をいい、佐川をあとにしてヤマトへ。
 
 センター内の受付では先客の対応に追われていたところ、ワタシに気がついた手隙そうな年配のおじさまが用件を聞きに来てくれた。
 
 事情を伝えたところ、おじさまは「ドライバーに訊いてみましょうねぇ…」と言いながらスマホをピポパと押して、すぐさま配送中であることを確認、そして受け取りの打合せが直接できるよう、そのスマホをワタシに渡して、ドライバーと話させてくれた(スマホを渡す際に、袖口で拭き拭きしてからという気遣いあり)。
 
 ヤマト便はもともと渡久地港には最終便に合わせて来るということもあって、運ちゃんと話した結果、午後4時前くらいにってことで落ち着いた。
 
 これでどちらの荷物も無事に受け取ることができるだろう。
 
 昔ならこんなこと、家からの電話1本ですぐに済んだ話だというのに、システマチックなデジタル社会はなんとも不便なものだ…。
 
 さて。
 
 せっかく名護まで来たのだからとメイクマンに寄って、買い物を済ませて秘密基地に戻ったのが午後3時過ぎ。
 
 だからといって荷物が来るまでずっと渡久地港で待っているのはバカらしいから、時間になるまで秘密基地でチョコチョコと作業をしていた。
 
 渡久地港までなら10分以内で行けるから、運ちゃんが事前に連絡をくれれば、時間を合わせられるだろう。
 
 ところが4時近くなっても連絡が無いので、そろそろ渡久地港に行っておくか…と思ったその時、ようやく電話が鳴った。
 
 ヤマト便からだ。
 
 「今渡久地港に着きました」
 
 え?
 
 今着いたと言われましても…。
 
 そこまで10分かかると伝えると、
 
 「う~ん、10分か……もう少しあとになってもいいですか?」
 
 というので、こちらが待つ側になってもいい旨伝え、ともかく渡久地港まで行くことにした。

 忙しい身のこと、10分が大切なのはわかるけれど、相手もその10分が大切かもしれない…ということをまだ理解できる年齢ではないらしい…。 
 
 渡久地港に着くと、今度は佐川急便から連絡が。
 
 「あと15分から20分くらいでうかがえると思います」
 
 おお、佐川急便、事前にちゃんと連絡してくるあたりはえらい!
 
 でも待てよ。
 
 タイミングが妙に重なってしまうと、ヤマト便と佐川急便のトラックが共に並んでワタシに荷物を…なんてシーンになるんじゃ?
 
 その心配はなかった。
 
 まずはクロネコヤマトが例のトラックで来て、小さな荷物を手渡すやいなや、風のごとく去っていった。
 
 しばらくのちに、佐川急便も登場。
 
 飛脚マークのトラックだとばかり思っていたら、ロゴひとつない軽のワゴン車だったので驚いた。
 
 でもセールスドライバーのユニフォームは着ているから、正真正銘のスタッフだ。
 
 ひょっとして、ルーティンの配送業務終了後、個人的に港まで来てくれたのだろうか?
 
 それとも、北部は取り扱う荷物が少ないから、軽のワゴンで間に合わせているのだろうか?
 
 その昔佐川急便がブイブイいわしていたころは、集荷スタッフはとてつもなく礼儀正しく腰が低いのに対し、末端の配送スタッフの態度はかなり品下がる…という傾向があったものだった。
 
 ところがこの日の配送スタッフの対応の、なんとジェントルマンであったことか。
 
 わけのわからぬ小さな荷物ひとつのために出向く羽目になった不満など微塵も滲ませることなく、笑顔で商品を渡してくれたセールスドライバーであった。
 
 ちなみにどちらも受け取る者の身分を示す何かを提示する必要など一切なし。
 
 配送中の荷物についてはID番号だなんだかんだとややこしいのに、受け取る時にはなんの証明も要らないのだなぁ…。
 
 そのほうがいいけど。
 
 というわけで、システマチックなデジタル社会でアナログ対応をするとこういうことになる、という一例でござんす。 

 こういう話になると、昔から高齢者が決まって言うセリフ

 「昔はよかった…」

 を、なにかにつけふと口にするジジイになってしまいました…。

  


Posted by クロワッサン at 08:09Comments(0)日々の徒然

2024年12月19日

Sherry, Sherry baby。

2024年 12月18日(水) 曇りのち雨模様

北の風 午前中はおだやか午後から荒れ模様 

 本日も寒々しいお天気となって、午後からは予報どおり風も強まってきた。
 
 午前中はフツーに運航できそうな海況だったけれど、朝イチだけ運航してくれた先日とは違い、この日の連絡船はおだやかな朝から全便欠航。
 
 昨日の最終便でオタマサは島に戻ったため本島に単身赴任中のワタシは、この日再び南下する用事があって、日中はほとんど車内だったから寒さに震えることはなかったけれど、ずっと外にいたら八甲田山になってしまいそうだ。
 
 道中のそこかしこで星の数ほどあった工事現場の交通誘導スタッフの方々も、相当つらかったろうなぁ…。
 
 工事現場といえば、先ごろ埋め立て再開となったからなのか、このところはまたまた本部半島海沿いロードには、土砂を運ぶダンプカーが長蛇の列になっている。
 
 土砂を船着き場に運び、そこから船でグルリと本島を回って辺野古まで運ぶようにしているんだけど、船着き場は国道沿いにあるので、ダンプもまたそこを通る。
 
 で、北からくるダンプどもはその船着き場に入るためには右折しなければならず、わりと交通量の多いところだから直新車が多く、フツーでもホイホイ右折できるわけではない。
 
 そこへもってきてゲート付近で健気に人力で妨害しようという努力をされている方々がいらっしゃるために、ダンプに右折のチャンスがあってもすぐには右折できない。
 
 畢竟、右折のためのダンプは長蛇の列となる。
 
 その様子を動画で…。
 
 
 
 これは先日助手席にいるオタマサに撮ってもらったもので、これでも相当な数だけど、ひどいときにはもっと先のカーブを越えて並んでいることもある。
 
 ここの信号には右折車線があるとはいえ、もちろんのことこの数ではほとんどすべてのダンプが右折車線からはみ出ていて、2車線ある直進車線のひとつを塞いでしまっている。
 
 なんだかもう、これだけでも正気の沙汰ではないよなぁ…。
 
 もう報告するのもバカらしいからいちいち写真には撮ってないけれど、本来の採石目的を越えて土砂を掘り出しまくっているために、採石場の最西端の小山はいよいよ無くなりそうな勢い。
 
 土砂を積んだ多数のダンプがひきもきらず山を下りてきては国道に乗り出しているから、採石場周辺の国道沿線は大気汚染で苦しむニューデリーかと見まがうほどの粉塵が舞っている。
 
 採石業者が自費で道路清掃用車両を動かしているとはいえ、もちろんのことそれはエクスキューズ以外の何物でもなく、焼け石に水どころか水素原子一粒くらいのものでしかない。
 
 こんな道を雨降りの時に通ろうものなら、車はたちまちラリー中のランチア・ストラトス状態になるだろう。
 
 ま、レンタカーは気にせず走るだろうけど…。 
 
 そこまでダンプを駆使しても軟弱地盤を埋め立てるためにはまだ足りないらしく、さらに土砂採掘の魔の手を奄美にも伸ばそうとしているようだ(那覇空港増設のときもやってた気がするけど…)。
 
 在沖米軍海兵隊のグァム移転が5000人規模で始まろうというときに、のんびり埋め立て作業をしている飛行場がようやく完成した暁に、そこを使用する海兵隊は沖縄にいるんだろうか…(ちなみにグァム移転のための巨額費用のかなりの部分を日本が負担するそうです)。
 
 普天間基地の代替施設として作られている辺野古の飛行場は、あくまでも「抑止力」のため、いわば国土を守るため。
 
 櫻井よしこのようなみなさんは口を揃えてそうおっしゃる。
 
 でもそれが仮に本当のことでも、存在意義があるうちに完成しなければ、それは存在意義が無いことと同じなんじゃ…。
 
 いずれにせよ、国土を守るために国土を削りまくっているってのは、ブラックジョーク以外のナニモノでもない。
 
 神々がおわしますニッポンの台地や海にとってみれば、むしろ日本政府のほうがよほど仮想敵国、いや、事ここに至ればすでに敵国なんじゃなかろうか…。
 
 このところ頻発する全国各地の不作、不良のニュースに鑑みるに、すでにして祟りが始まっているような気が…。
 
 そんな憂世とは関係なく、今宵はとっておきの1本をついに開封。
 
 こちら。
 

 これは夏場にとある方から頂戴したもので、古酒と書いてあるからといっても泡盛ではない。
 
 なんと純米酒の古酒!
 
 その名も「夢乃寒梅 古酒 2004年」。
 
 愛知県は鶴見酒造が生み出している逸品だ。
 
 ヒト様からいただいたモノしか飲んだことが無いからエラそうなことは言えないものの、食中酒としてではなく、お酒だけを楽しむときに飲む日本酒の古酒がけっこう好きなワタシながら、「2004」という数字に驚いた。
 
 またしても石坂金田一の出番である。
 
 「20年前!?」
 
 20年熟成の純米酒、はたしてどんなお味?
 
 さっそくグラスに注いでみる。
 

 日本酒と聞いて一般的に思い浮かべる色味とは全然違う古酒色に輝いているグラスから、ひと口……
 
 おお、やっぱり古酒は…
 
 ~♪ シェ~リィー シェリー ベイビー…
 
 シェリーの味♪
 
 …って、ホントのシェリーを飲んだことがあるのかどうか記憶は朧なんだけど、かつて訪れたシチリアでマルサーラワインは飲んだことがある。
 
 純米酒が時を経て醸しだす味わい深さは、酒精強化ワインに相通じる長期熟成ならではのものだ。
 
 ラベルにはためくフランスの国旗は、なぜだかフランスで開催されているらしい日本酒の品評会での金賞受賞を誇らしげに謳っているもののようだ。
 
 品評する方々もきっと日本酒の奥深さに瞠目し、
 
 「ジュトジュデニジュウッ、セボネアシボネ!」
 
 などと言いながらトレビアン化していたことだろう。
 
 ちなみにその品評会は、「食と飲み物の相性」に重点を置いているという。
 
 あのぉ…ワタシは熟成日本酒を食中酒にするのは好まないんですけど。
 
 やはりワタクシごときは「トレビア~ン!」にはなれないようだ。
 
 おフランスの品評はともかく、個人的「死ぬ前にもう一度飲んでおきたい酒」に堂々ランクイン。
 
 普段なら手が出ない高根の花ではあるけれど、いざとなったらポチッとしてしまおうっと。
 
 でもワタシのこと、いざ買おうとしたら、夢乃寒梅は「夢の完売」になっているのだろうなぁ…。
  


Posted by クロワッサン at 08:29Comments(0)吉田兼好世間の美味いもの

2024年12月18日

伊予柑絶滅の危機。

2024年 12月17日(火) 晴れ

北東の風 おだやか

 晴れたら晴れたで、特に朝は放射冷却のためにすこぶる級に寒くなる。
 
 前日の沖縄はこの冬一番の寒さだったそうだけど、今日も二番目くらいじゃなかろうか…
 
 …というのは朝だけで、晴れていると日中が暖かくなってくれるのが素晴らしい。
 
 この日は冷たい北風もなく、なんとものどかな南国モード、昨日今日と沖縄に滞在されていた旅行客のみなさんは、よほど普段の行いがいいのだろう。
 
 ちなみに連絡船はもちろん今日も通常運航だったけれど、やはり中2日はすでに確定しているらしく、夕刻渡久地港で船長から明日18日の欠航がすでに決定されていることを告げられた。
 
 はたして大晦日まで、連絡船は何日運航できるだろう?
 
 その数少ない運航日となったおかげで、昨夕白石産トレトレ蓮根が届いた、ということは昨日触れた。
 
 一方その日の朝には郵便物も久々に受け取ることができていて、木原すきすきみかんからの注文書も届いていた。
 
 例年に比べると届くのがずいぶん遅いから、ひょっとすると不作のためにもうみかん作りを辞め、猪漁師にでもなったのだろうか…と思っていたところ、遅くなった理由はやはり不作が原因だったようだ。
 
 不作のうえに遅作だそうで、例年ならとっくに色づいている伊予柑などが全然みかんカラーになってくれず、そのためお歳暮の季節に合わせた「贈答用」がまるで出荷できない状況だという。
 
 異常なまでの秋の高温多雨が、伊予柑を伊予柑にしてくれないのだそうな。
 
 気象の変化はけっして今年だけのことではなく、温暖化に伴う秋の高温多雨は常態化する傾向にあるなか、この先伊予柑は作れなくなる公算大ということで、木原すきすきみかんでは、今後伊予柑を他の柑橘類に替える方針とのこと。
 
 伊予の国で伊予柑が作れなくなる時代が来るとはなぁ…。
 
 そういえば先日は、伊勢の海からエビが消えた!というニュース記事を見たっけか。
 
 近頃の伊勢のエビ漁の漁場は、遠く千葉、茨城になっているという。
 
 種類としてはそれもやはり「イセエビ」なんだろうけど、はたしてそれは「伊勢海老」なのだろうか…。
 
 でも漁場を他所に移すという奥の手がある漁師さんたちはまだいい。
 
 土地を他所に…というわけにはいかない農家は、作るものを替えるしかない。
 
 みかんやエビにかぎらず、近年はどこにも似たような話があるだろうことは想像に難くなく、白石の蓮根だって、泥が乾ききってしまえば蓮根どころの話じゃなくなるのだから、やがて採れなくなる日が来るかもしれない…
 
 …というような話をこの日書こうと思っていたところ、まさかのオニオンリングネタでコメント欄にご登場のすきすき木原。
 
 本来なら忙しい時期のはずなのに、のんきにセニョール・ターコを懐かしく思い出しているのは、きっとつらいゲンジツからの逃避に違いない。
 
 年が明ければようやく色づくであろう伊予柑、今後伊予の伊予柑が食べられなくなる前に、みなさんドシドシご注文くださいませ。
 
 …とここにリンクをはろうとしたら、木原すきすきみかんのサイトが表示されなくなっていた。
 
 サーバーまで異常気象で変になったのか?
 
 …と思ったら、表示されているサーバーからの通知によると、当方側でなにやらの設定が有効になっていないため…とかなんとか書いてある。
 
 ちゃんと表示されるのかどうか不明ですが、一応リンクをはっておきます。
 

 伊予柑、美味しいよ♪



  


Posted by クロワッサン at 07:54Comments(4)世間の美味いもの

2024年12月17日

思いきりメキシカンと蓮根ショック。

2024年 12月16日(月) 曇り

北の風 波あり

 予報どおり一夜明けると風はすっかりおさまっていたけれど、北風に乗って運び込まれた冷たい空気が大量すぎて、朝から絶望的に寒く、ガメ公ならずとも機能停止しそうだった。
 
 でも本島まで出かけなきゃならず、そしてこの日は通常運航確実の連絡船が来る前に連絡船用バースに避難させてあるうちのボートをのかさなきゃならないから、いっそのことボートで8時過ぎに島を出ることにした。
 
 そしたらアナタ、洋上の寒いこと寒いこと。
 
 後から知ったところでは、この日の沖縄はこの冬一番の寒さになっていたそうな…。
 
 たしかに、日中も時を追うごとに寒さがつのってきたものなぁ。
 
 さて、本日は久しぶりに名護以南まで足を延ばす用があったので、せっかくだから宜野座のクリームクリームで…
 
 …と思ったら、日曜日と月曜日は定休日。
 
 コザにも立ち寄るから、ウワサのTESIOを訪ねて魅惑のソーセージを購入しよう…
 
 …と思ったら、コザ本店は月曜定休。
 
 チャンチャン。
 
 でもここでへこたれるわけにはいかない。
 
 コザに寄るのはお昼時になるということもあり、珍しくオタマサが事前に下調べをしたところ、先日訪れてその魅力にハマったプラザハウスにメキシコ料理店があるという。
 
 そしてプラザハウスには、ロジャース・フードマーケットがある!
 
 というわけで、一路プラザハウスを目指した。
 
 11月からこっち、県内のホームセンターやスーパーでは、お正月用グッズを売りながらもクリスマスソングを流すという、脳内気候変動になってしまいそうな季節感の無さに包まれてしまうけれど、もともとがアメリカンなプラザハウスは正真正銘のクリスマスシーズン。
 
 やはりこういうところで耳にすると、クリスマスソングもいいもんですな。
 
 我々が学生の頃の沖縄本島といったら、今よりも遥かにやりたい放題だった米軍(今は日本政府のほうがやりたい放題に見える…)がずいぶん幅を利かせていたから、街の様子は現在よりももっともっとアメリカンで、一応マナーとして反米感情を抱きつつも、アメリカンな繁華街もまた、若かりし日の原風景だったりする。
 
 そんな原風景を懐かしく思い出すプラザハウスで、思いきりメキシカン。
 

 …って、ここって店頭に目立つ看板がひとつも無い?
 
 …と思ったら、庇になっているアーケードの上に、各店の看板がデカデカと掲げてあるのだった。
 

 このあたりに住んでいる方々なら知らぬ人とていないであろうタコス専門店「セニョール ターコ」。
 
 セニョール・タコと言ってしまうとスペイン語圏を旅するタコ主任になってしまうから、語尾はちゃんとターコとのばさなければいけません。
 
 正午ちょい前に入店したところ、幸いカウンターで並ぶヒトの姿はなかったけれど、我々が注文した直後からいきなりゾロゾロゾロと人がやってきて、次々に注文をしていた。
 
 こちらもやはり地元客が多く、家族連れやお昼休みの勤め人、そしてアメリカーといった方々でにぎわっていた。
 
 店内はさすがプラザハウスのテナントってな感じでこじゃれていて、テンガロンハットや牛の頭骨など、いかにもなメキシコ演出もちゃんとある(県内有名人のものとは別枠で、宮本亜門のサインも飾られていた=矢印の先)。
 

 カウンターでオーダーした際におねーさんから「20分ほどお時間をいただきますよ…」と脅されたわりには、待つこと5分ほどで運ばれてきた。
 
 オタマサは、タコス2ピース(1個200円)とオニオンリング。
 

 タコスはともかく、オタマサがオニオンリングをわざわざ注文するとは珍しい…と思ったら、下調べをした際に、「オニオンリングが売り切れていて残念!」というコメントを目にし、客が残念がるってことはよほど美味しいに違いない、と目をつけていたそうな。
 
 2つほどいただいてみたら、なるほどこれは美味しい。
 
 一方ワタシは…
 

 …インチラーダプレート。
 
 土星の衛星のような名前のインチラーダがいかなるものか、まったく知らずに雰囲気だけでオーダーしたところ、これがアナタ、今この時この瞬間のワタシが全身全霊で待ち受けていた期待どおりのお味。
 
 その昔美浜のセブンプレックスの近所に食堂的雰囲気のメキシコ料理屋さんがあって、当時は映画を観に行くたびにといってもいいほど利用していたものだった。
 
 ところが美浜を訪れる人々の口にメヒコの味は合わなかったのか、残念ながらその後店を畳んでしまい、以後は気安く気軽に食堂的ノリでメキシコ料理を食べられる店を発見できずにいるのだけれど、なんだかその頃の味再来ってな感じ。
 
 インチラーダ(エンチラーダ)とはすなわちブリトーにチリソースをかけたようなものっぽく、挽肉その他具材がトルティーヤに包まれ、そこに手の込んだチリソースととろけたチーズという、こーゆーものを食べたい空腹時の脳天直撃級ど真ん中ストレート料理だった。
 
 ボリューム的には10年前のワタシなら「あともう少し…」というところながら、今ならこれでまったく満ち足りる。
 
 にもかかわらず、これでどちらも600円台のお値段とは…。
 
 さすが地元の皆さんが普段使いするお店、800円オーバーの沖縄そばの出る幕ではない。
 
 オタマサも大満足のランチとなったのだった。
 

 プラザハウスでは、ランチ以外にも目的があった。
 
 TESIOにフラれてしまったために次善の策となったのが、ロジャース・フードマーケット。
 
 本島で娘さん家族が暮らしていることもあって、田舎に住む県民よりも遥かにこのあたりの情報ツウとなっているIKAMAMAさんから教わっていたこのお店、表側のブティック系店舗群はまったく無縁なかわりに、奥にあるフードマーケットは…
 
 …テンション上がりまくり。
 
 いやはや、これはすぐそこのイオンライカムになんぞ行っている場合ではないですぞ。
 
 今年はチアーズ!まで足を延ばせないからどうしようかと思っていたクリスマス用のチーズを、そしてそこらのスーパーでは絶対に目にすることはできない価格帯のワインたちがズラリと並ぶワインコーナーから、(個人的に)選りすぐりの1本を(お小遣い)で購入。
 
 その他、来たる年末のお食事イベント(クリスマスともいう)に向けて、充実のお買い物ができたのだった。
 
 ちなみにここにはヌチブタさんのサンドイッチのほか、お弁当などテイクアウトランチも揃っていて、それを購入し、建物内各階にたくさん設けられている居心地よさげなテーブル席で気軽にランチ…ということもできる。
 
 この日のような寒さ厳しい時にそんなことをしていたら、席に着いたとたんアスタラビスタベイビー状態になって凍って固まってしまうかもしれないけれど、ポカポカ陽気の日和ならとっても心地よさそうだ。
 
 その後名護で買い物を済ませつつ、午後4時前には渡久地港に。
 
 この日は本島泊予定だから、連絡船の最終便に乗るわけではないんだけど、ここ数日連絡船が欠航している間に毎日のように「本日お届けします」というメッセージが南米大河から届いていたその荷物は、中身のほとんどが秘密基地用だから、留守中の島に届けられてまた本島に運ぶというのもバカらしい。
 
 というわけで、港でインターセプトというわけだ。
 
 ヤマト便なので連絡船に載せられるのは最終便なので、午後4時までに回収する必要があったのだった。
 
 すると、事前に配送予告をされていた南米大河の荷物のほかに、もうひとつ大きな我が家宛ての荷物があった。
 
 こ…これは!
 
 師走に送ると予告されていた逸品だ。
 
 その逸品とは…
 
 これだ!
 

 …って、このようにビニールに封入されていると、何が何やらわからんというヒトのほうが多いかもしれないから、さっそく取り出してみる。
 
 ジャンッ!
 

 そう、レンコン!
 
 …とカタカナで書くと意味が分からないけれど、これぞまさしくザ・蓮根。
 
 佐賀県は白石産トレトレの蓮根である。
 
 この情報化社会のこと、蓮根がどのような場所でどのように育っているかということについてはこれまでテレビでちょくちょく目にしてはいたとはいえ、このように泥に塗れた蓮根の姿を直に見るのは初めてかも…。
 
 聞くところによると、日持ちさせるためにはこのように泥付きで封入しておいたほうがいいそうで、まさに産地の状態そのままの姿。
 
 大量の蓮根をいきなり全部食べてしまえるわけはないから、この日は1ブロック利用してさっそくオタマサがきんぴらにしてくれた。
 

 まずは一切れ食べてみる。
 
 こ……これはッ!!
 
 旨いッ!!
 
 普段たまに口にするレンコンとこの逸品を目隠しして食べ比べたら、ガクトならずともすぐさまわかるほどにまったくレンコンじゃない味…というか、まさにこれが蓮根の味であって、普段食べているのはなんだったんだってなくらいに月とスッポン、蓮根とレンコンの違い。
 
 めっちゃ美味しいんですけど……蓮根。
 
 これまでずっとワタシのなかでは蟹江敬三級のシブい脇役であり続けたレンコンが、蓮根となって一気にスターダムにのし上がった。

 クリスマスは蓮根かなぁ…

 < それはない。
 
 カルチャーショック級の蓮根ショック、それもこれも午後4時に間に合わせて渡久地港に到着したからこそである。
 
 …いやいや、それを言うなら、連絡船の運航がわずか中2日になりそうなこのタイミングでブツを贈ってくださったからこそ。
 
 ずっと欠航していてヤマト便は配送不可能状態だったということは、これまでずっと名護の配送センターで眠っていたのだろうか?
 
 …と思いきや、発送日は先週末の14日。
 
 ひょっとして贈り主は、天気図とにらめっこしながら完璧なタイミングを測られたのだろうか。
 
 でも、週末のお出掛けでご購入のはずだから、ご本人にはなんの意図も計算もなかったのでは…。
 
 ということは、たまたまその日に発送され、たまたま順調に配達されたわけか。
 
 なんという幸運。
 
 さすが、ただ海底にボーッと佇んでいるときに、全身をさらしているハナヒゲウツボの幼魚が目の前を横切っていくなんてシーンに遭遇されるだけのことはある…。
 

 贈り主のふんどし男さん、そのたくまざる幸運のおかげで、我々は美味しい蓮根をいただくことができました。
 
 この場をお借りして、その幸運に感謝!
 
 これで本人もついてきたらいろいろ面倒くさいけど、モノだけ届いたらとってもイイヒトに見えるなぁ…(爆)。
  


Posted by クロワッサン at 08:59Comments(2)街の美味いもの世間の美味いもの

2024年12月16日

いぶし銀の味。

2024年 12月15日(日) おおむね晴れ

北の風 荒れ模様

 夜明け前から晴れていたおかげで日中は青空が広がるいいお天気になったものの、晴れているがために朝の放射冷却は凄まじく、日が高くなるまではかなりキビシイ寒さになってしまった。
 
 外気温に体温を左右されるガメ公は、大きいからなかなか冷え切るまでいかないのはいいものの、ひとたび冷え切ってしまうと今度は温まるまでに時間がかかってしまう。
 
 そのためものたちは機能停止状態から復活するまで相当時間がかかっていたようで、晴れていると知るやすぐさま出てきて日向ぼっこを始めたまま…
 

 …昼過ぎまでほとんど動かなかった。
 
 冷え込みのダメージは大きかったらしく、午後になってもけっして活発になることはなく、まだ日の高いうちに早々と小屋の中に帰っていったガメ公である。
 
 昼に灯台ロード方面を歩いてみると、沿道のリュウキュウアサギマダラたちはヒラヒラとお日様の暖かさを喜んではいたものの、まだ体があったまり切れていないらしく、できることならジッと止まって日光浴したいモードになっていたほど。
 
 暖かい日なら、止まっているときには滅多に翅を広げたままにしてくれないツマムラサキマダラも、日光を求めて翅を広げていたほどだから、早朝は相当寒かったのだろう。
 

 たとえ寒くとも体温が激しく下がるわけではない我々は、日が高くなるとかなり暖かく感じられるようになった。
 
 冷えている時に体を動かすとどこかしら傷めてしまうけれど、これだったら体を動かしてなにかしようという気にもなる。
 
 そこで、しばらく放置し続けてしまったために周りの雑草のせいで塞がってしまった未舗装路を、再び開通させることにした。
 
 とはいっても一気にやるとシンドイから、草刈り機の燃料タンク1杯分で終了しよう…
 
 …と決めて始めたところ、どういうわけだか燃費が良くて、燃料タンク1杯分で余裕で開通した。
 

 しばらく放置していた間にギンネムは伸びるわ増えるわ、左サイドから牛草が、そして右サイドからはススキがそれぞれ道を塞いでいて、元の道がどこなのか前を見ているだけではわからず、時々後ろを振り返ってまっすぐであることを確認しながらの草刈り。
 
 でもそうやってサイドから倒れて好き放題に伸びてきている草たちに覆われていたおかげで、元の道の下生えが育つ余地はまったくなかったようで、基本的に両サイドを刈るだけで済んだ。
 
 やはり雑草たちにとっても、お日様の光は重要なのだ。
 
 道も開通したことだし、さっそくお昼の散歩で通ってみる。
 

 ルート的にはここは我が家から裏浜に行くにもカモメ岩の浜に行くにも便利なところで、散歩中のガメ公にとっても都合がいい道。
 
 もっとも、道とはいっても本来は地図上の「道」ではなく、あくまでも昔から慣例的に道になっているだけで、正しくは人様の土地だったりする。
 
 諸々の事情で現在は持ち主がそーゆー方面のヒトになっているから、これまたなにかあったら四角い仁鶴師匠にま~るくおさめてもらわねばならないのだった。
 
 ああ、島にいても本島にいても、同じことばっかりやっている気が…。
 
 日中に体を動かせば、夕刻のビールはひときわ美味しくなる。
 
 本日はこれ。
 

 今秋のエビスビールの新顔、「燻(いぶし)」。
 
 度数も色も濃い目のエビスは、その名を見て誰もがイメージする味で、なんだか燻製を肴にビールを飲んでいるかのような…。
 
 新顔なのに早くも燻し銀の味とはこれいかに。
 
 喉が渇きまくりの夏にはけっして飲みたくない系ながら、今の季節にはバッチリだ。
 
 ちなみに上の写真は写真を撮るために外に出ているだけで、実際は風呂上りでたちまち湯冷めしてしまいそうなほどに寒い…。
 
 さてさて、今日はもちろん全便欠航だった連絡船も、明日からまた中2日くらいで平常どおりになりそう。
 
 海も再び凪ぐみたいだから、海へGO!…
 
 …と行きたいところながら、あいにく明日はお出掛けだ。 
  


Posted by クロワッサン at 07:23Comments(0)日々の作業世間の美味いもの

2024年12月15日

30年目の氷解。

2024年 12月14日(土) 曇り時々サーッと雨

北の風 荒れ模様

 昨日は歩いていて暑さすら覚えるほどだったのに、たった1日で寒さが身に沁みる真冬に変身。
 
 昨夜から吹き始めた風は朝になってもそのままで、もちろんのこと連絡船は全便欠航だ。
 
 南米大河で購入していた商品がいくつかあって、その配達通知が届いてはいたものの…
 
 「本日お届け予定です」
 
 …というメールを見せられたところで、届けられるものなら届けてみろとしか言えない。
 
 北西~北からの強い風だったから、普段うちのボートを停めている側は満潮時ともなると波波になる。
 
 でも昨日まだ風が吹き始める前に連絡船側に避難させておいたから、眠れない夜を過ごすことなく済んだ。
 

 満潮時には波しぶきがかかるからここまで来られないけれど、潮が引いていればこの場にいても平気だ。
 
 ま、荒れているといってもせいぜいそれくらいの風ってことね。
 
 でもやっぱり桟橋周辺はクリームソーダ状態。
 
 なにしろ砂防ネットはどこを囲うわけでもなく、無意味にだらしなく伸びているだけなんだもの、波打ち際や浚渫現場が波に洗われれば、水はすぐに白濁して方々に広がっていく。
 
 こんな寒さ厳しい強風の日でも作業を続けている現場のみなさんも辛いだろうけど、海中の生き物たちはもっと大変な目に遭っていることだろう。
 
 さてさて、寒さは厳しくとも幸い雨はかろうじて踏みとどまってくれていたので、またお昼にガメ公のエサ採りを兼ねた散歩。
 
 昨日30年ぶりの再会を果たしたこともあり、さっそくその30年前にキンカメに会った場所を訪ねてみた。
 
 どの植物だったかという記憶は残っていないけれど、どのあたりだったかということは覚えているのだ。
 
 で、記憶に残っていない植物ではあっても、こんな感じの葉をしていたような…という、富山の蜃気楼よりも朧げな記憶はあって、毎冬その記憶を元にチェックしてみるものの、キンカメ越冬集団はおろかカメムシがついているのを観たことすらない。
 
 その朧な記憶の葉っぱとは、これ。
 

 こんな感じの小さな丸っこい葉がたくさんついている植物だったような…
 
 …と、この日も一応チェックしてみた。
 
 すると、いつになく食痕がたくさんあることに気がついた。
 

 この食痕はその後結局タイワンキドクガなどのイモムシたちのシワザらしいと判明したものの、食痕があるということは何かがいるという印でもあるから、いつもより丁寧に葉の裏表をチェック。
 
 すると……
 

 …いたッ!!
 
 でも……
 

 …あれ?
 
 キンカメはキンカメでも、ナナホシキンカメムシより2~3周りほど小さいし、星模様の塩梅も違っているような…。
 
 それが10年前に観た記憶ならまったくアテニならないところながら、なにしろ昨日観たばかりだからさすがの豆腐脳もしっかり違いを認識できる。
 
 そしてこの新型キンカメはこれ1匹だけではなく、同じ木のそこかしこでメタリックボディが輝いているではないか。
 
 おそらく幼体であろうと思われる姿もチラホラ観られた。
 

 帰宅後なんでも知っているグーグル先生に尋ねてみたところ、コイツはミヤコキンカメムシという種類であることがわかった。
 
 メタリックボディのカメムシって、ナナホシキンカメムシだけじゃなかったのか!
 
 ん?
 
 みなさんと同じく、事ここにいたってワタシもハタと気がついた。
 
 島に越してきたばかりの30年ほど前に出会ったキンカメ越冬集団って、実はこのミヤコキンカメムシだったんじゃね?
 
 え"―ッ!?
 
 救いの手を差し伸べてくれているとずっと信じていた星が、ようやくたどり着いてみれば実は地球を滅ぼそうとする悪魔のような星と兄弟星であることを知る…くらいの衝撃的ジジツかも。
 
 ホントにそうなら、昨日のナナホシ君は個人的水納島初記録種に、そして今日のこのミヤコのミヤコこそが、約30年ぶりの再会ってことになる。
 
 朧げな葉の記憶、そしてこの日の個体数からして、どうもそれが真実っぽいなぁ…。
 
 夕刻になると気温も随分下がっていたので、ひょっとして越冬集団になっていはしまいかと期待して、少しばかりちゃんとしたカメラを携えて再訪してみた。
 
 すると昼とは違って姿は減っていたものの、再びメタリックボディを拝むことができた。
 

 よく観ると、体の表面には産毛(?)がたくさん生えていることがわかる。
 

 グーグル先生で調べた際に赤い実をチュウチュウしている画像もあったので、実際に是非観てみたいと思って探してみたら…
 

 …チュウチュウしていた。
 
 知る人ぞ知る、カメムシたちはセミと同じ半翅目(カメムシ目)の昆虫だから、その口の機能もセミとそっくりだ。
 

 注射針のようになっている口を実に刺して、チュウチュウしてますです、ハイ。
 
 小さく丸い5ミリほどのチビターレは、やはりミヤコキンカメの幼体であることがわかった。
 

 また、オトナの背中の紋様には個体差があるそうで、この日観られたものはみな背側の後半まで黒い模様があったけれど…
 

 …なかには上の写真でいうと左側の最後の2点が無いものや、黒い斑紋がまったく無いものもいるのだそうな。
 
 そのあたりに興味を持ってしまうと完全にカメムシ変態社会になってしまうけれど、そもそもナナホシキンカメムシとミヤコキンカメムシをひと目で区別できるってのも、もはやその世界の扉を開いてしまっているのかもしれない…。
 
 昨日今日とせっかくの週末にカメムシネタとなり、虫嫌いの方にとっては地獄の画像の連打だったろうけれど、異形のモノ、異質なモノを愛せるようにならなければ、人類の未来はないのであります。
  


Posted by クロワッサン at 08:27Comments(0)昆虫記

2024年12月14日

30年ぶりの再会。

2024年 12月13日(金) 早朝雨のち晴れそして夕刻雨

東のち北西の風 日中はおだやか 水温23度

 前日それなりに強く吹いていた風は未明には静かになり、夜明け頃にはすっかり落ち着いていた。
 
 これなら連絡船は動くかも。
 
 ただ、午後から北風がやや強まる見込みで、そうなると運航に支障をきたしそうだ。
 
 シーズンオフのこと、朝だけ運航するなんてことがあるはずもないか…
 
 …と思いきや、本日は朝イチの1往復のみ運航、その他は欠航というお達しが。
 
 今日だけのことなら全便欠航にしていたかもしれないところながら、翌日は欠航確定予報、そのあとも微妙となれば、今日も欠航したら4日連続…なんてことになってしまう。
 
 週末に本島で用がある方々もいらっしゃることだし、ここはひとつ朝だけでも…
 
 …ということになったのだろう。
 
 たった1往復とはいえ、そのおかげで郵便物も新聞も届き、こちらから出したい郵便物を出すこともできたのだった。
 
 グッジョブ、連絡船。
 
 ただ、天気予報とは裏腹に、この日は結局日中はずーっと穏やかなままで、午後5時を過ぎてからようやく北西の風が吹き始めてきた程度だった。
 
 あまりにもいいお日柄にもかかわらず、連絡船が運航している気配が無いことを不思議に思ったトシおばさんから、「こんないいお天気でも連絡船は欠航してるの?」と不思議がるお電話があったほど。
 
 気象台も罪な予報を出すものである。
 
 そもそもこの日は曇り予報だったのに、朝から晴天!
 
 近頃は雪女でさえふくらはぎやお腹を富士山の溶岩遠赤外線で暖める時代なんだもの、冷たい水に長時間居続けるなんてことが体にいいはずはない。
 
 でも冷たい海に潜っても、エキジットすれば冷えた体をポカポカ陽気がすぐさま暖めてくれる。
 
 冬の太陽は富士山の溶岩級なのである。
 
 海から上がった後の暖かさという希望を抱きつつ潜っていたところ、ゾウリエビの脱皮殻が無造作に横たわっていた。
 
 尻尾の先以外は完全体だったから、砂底に置いて記念写真。
 

 夜行性のゾウリエビは日中はリーフ際の暗がりの奥の奥に潜んでいるから、通常のダイビングでは日中に会うことはまずない。
 
 でもこのように脱皮殻があるってことは、こういうところにもいるんだなぁ、ゾウリエビ。
 
 ご存知のとおりゾウリエビもまたたいそう美味なエビで、これほどの大きさ(20センチオーバー)なら食べでもあろうというもの。
 
 でもさすがに脱皮殻じゃ、どうしようもない…
 
 …と思いきや。
 
 エビとなれば脱皮殻だって御馳走!というモノがいた。
 
 こちら。
 
 
 
 さすがに硬い殻は食べてないみたいだけど、脱皮殻の内側の何かをモグモグしていたクマドリ。
 
 彼にとって、エビは脱皮殻でさえ御馳走らしい…。
 
 昼過ぎになってもポカポカ陽気が続いていたから、ガメ公のエサ採りも兼ねて散歩に。
 
 日差しの下を歩いていたら日陰を求めたくなるほどの陽気で、キジバトも豆鉄砲を食らったような顔をしながら、のどかに道端で日向ぼっこをしていたほど。
 

 色づいたシークァーサーも、青空に映えている。
 

 それでいて風はそよとも吹いていないんだもの、トシおばさんが連絡船欠航に首をかしげるのも無理はない。
 
 肝心の目的であるクワの葉採りをしていたところ、葉の上に見慣れぬカメムシの姿を発見した。
 

 5ミリほどと小さく、成虫でもこんなに小さな虫など、調べたところできっと正体不明で終わるのだろうなぁ…
 
 …と思いきや、グーグル先生に伺ってみれば、出るわ出るわ、まったく同じ虫の画像が星の数ほどヒットするではないか。
 
 おかげでたちまち正体が判明した。
 
 この虫、その名をヨツモンカメノコハムシという。
 
 そう、カメムシではなくカメノコハムシの仲間だったのだ。
 
 幼虫も成虫もサツマイモをはじめとするヒルガオ科の植物の葉を食べるそうで、そのためにサツマイモの害虫として広く知られているらしい。
 
 熱帯地方を主生息域にしていて、国内ではもともとは沖縄でのみ確認されていたという。
 
 それが前世紀末には九州に広がり、今世紀に入ってからはどんどん本土にその分布域を広げているそうな。
 
 ヨツモンカメノコハムシもまた、温暖化に伴う害虫北上の例のひとつなのだろう。
 
 もともと沖縄にはいたというから水納島にもいて不思議はないものの、カメさんたちの非常食用にとかつてマサエ農園畑2号でかんだばーを育てていた際には、こういった虫による食害などほとんどなかったし、ヨツモンカメノコハムシらしき姿を目にした記憶もまったくない。
 
 ひょっとして、近頃新規に上陸してきたんだろうか?
 
 さて、散歩を終えて家に戻り、採ってきたクワの葉をビニール袋に入れようとしていたときのこと。
 
 クワの葉に、キラリと輝く何かが。
 
 ん?
 
 おおっ!!
 
 思いがけない虫の姿がそこに!
 
 葉についていることに気がつかず、そのままカゴに詰めてしまったのだろう。
 
 すぐにも飛んでしまいそうな様子だったので、とりあえず手の中に入れ、証拠写真を残すべく何かに止まらせることにした。
 
 クワの葉にいたんだから、クワの木でいいか。
 
 その虫とは、この方。
 

 なんとなんと、ナナホシキンカメムシ!
 
 かつて紹介した、彼らの華麗なダンスをご記憶の方もいらっしゃることだろう。
 
 一般的なカメムシの概念をひっくり返すほどの感動的に美しいメタリックボディ、これなら玉虫厨子ならぬ亀虫厨子を作ることだってできそうだ(でもタマムシと違い、死ぬと色が変わるらしい…)。
 
 上のリンク先でも触れているように、越してきたばかりの95年の2月か3月に島内を散歩していたところ、(おそらく)このカメムシ(と思われるカメムシ)が葉の裏で集団になっているシーンに遭遇したことがあった。
 
 当時はまさかその後長らく会えなくなるなどとは思わず、これが亜熱帯でフツーに観られる昆虫ワールドか…と感心しただけで終わってしまった。
 
 その後喜如嘉の七滝では会えたけれど、水納島ではこれがようやく2度目になる。
 
 ほぼ30年ぶりの再会!
 
 あっという間に羽ばたいて飛んでしまいそうな雰囲気だったから、慌てて証拠写真を撮っていたところ…
 
 あれ?
 
 なんか落ち着いているっぽいぞ、キンカメ。
 
 葉に下ろしたらすぐ飛んでいくかと思いきや、キンカメは妙に落ち着いて触角の手入れまで始めた。
 

 そのあとヒョコヒョコと歩き始めはしたけれど、いっこうに飛び去る様子はなく、惜しげもなくメタリックボディを見せつけてくれるキンカメ。
 

 お腹まで完全無欠のメタリック。
 
 そしてキンカメは、クワの居心地がいいのか、まったりし始めた。
 

 終始落ち着いていたキンカメとは真逆に、水納島での30年ぶりの再会に舞い上がってしまったワタシであった。
 
 それにしても、採ったクワの葉についていたってことは、クワもエサなのだろうか?
 
 調べてみたところ、キンカメは主に「オオバギ」「カキバカンコノキ」「ウラジロアカメガシワ」「タイワンツルグルミ」の実の汁をエサにしているそうな。
 
 名を連ねられてもすぐにはどんな植物なのか見当もつかないからザッと調べてみたところ、このうちいくつかは島内で似たような姿を目にしている気がする。
 
 その昔キンカメ集団を観たのがいったいどの木の葉だったのかまったく記憶にないものの、これらの仲間の葉の裏を探せば、ひょっとするとこの冬密集越冬隊と遭遇できるかも?
  


Posted by クロワッサン at 10:23Comments(0)水納島の海昆虫記

2024年12月13日

カラスの行水とパクチー祭り。

2024年 12月12日(木) 雨のち晴れ

北東の風 荒れ模様

 前夜のうちに北に回った風は未明にけっこう強まり、洋上はそのまま荒れ模様の1日に。
 
 珍しく2日続けて通常運航となった連絡船も、再び休憩タイムとなった。
 
 それでも、早朝まで降っていた雨はやがて止み、日が高くなる頃には空はすっかり晴れ渡った。
 
 おそらく前日はジッとしていたであろう灯台ロードのリュウキュウアサギマダラたちも、日を浴びるヨロコビに沸き立っていたほか、ガメ公も久しぶりに散歩を楽しむことができた。
 

 ほんの少し前までは薮だったのに、あっという間に草が刈り払われ、そして野焼きも終了しているリョウセイさんの畑。
 
 一般的な露地栽培の始動としてはかなり遅く、本来ならこれは10月末くらいにはこうなっているはずのものなのだけど、気候変動で冬の始まりがおかしくなっている昨今では、モノによっては今くらいから始めた方がうまくいく…
 
 …ということが、すでにここ何年かのリョウセイさんによって実証されている。
 
 ともかくもここにガメ公が侵入できるのは今のうちだけなので、好きに歩かせてみたところ、灰の感触が面白いのか、意味不明にジグザグに歩くガメ公だった。
 
 このすぐ傍に、水納ビーチのBBQコーナーがあって、その屋根の上から1羽のカラスがガメ公の様子を観ている…
 

 …と思ったら、熱心に羽繕いをしていて、なおかつなぜだか全身ずぶ濡れに見える。
 
 ちょっと体を震わすだけで…
 

 …かなりの水しぶきが飛び散っているところからして、相当ビショビショっぽい。
 
 日中ずっと晴れていたというのに、なんで濡れそぼちているのだろう?
 
 その理由はほどなく判明した。
 
 このBBQコーナーの裏方に洗い場などの作業スペースがあって、その上に庇代わりにビニールシートが張られているんだけど、隅々までピンと伸ばして張ってあるわけではないために、真ん中に雨水が溜まり続けて相当な量になっている。
 
 なんとカラスはそこに飛び入り、バシャバシャバシャッと水浴びをしているではないか。
 
 あいにく屋根の上の水溜まりなので下から撮ることはできなかったものの、カラスが楽しげに水をバシャバシャさせている様子が面白かった。
 
 入浴時間が極端に短いヒトの風呂の入り方を「カラスの行水」と言うってことは、子供の頃からさんざん聞いてはきたワタシながら、、リアル版カラスの行水は初めて観たかも…。
 
 ちなみにリアル版「カラスの行水」は、でっかいだけに豪快ってことのほかには、他の鳥さんたちとなんら変わることのない水浴びの仕方でございました…。
 
 話は変わる。
 
 野菜たちが日を追うごとにスクスク育っていくこの季節は、庭先のなにげないところも緑緑している。
 

 暑さに苛まれる夏とは違い、今の季節は緑にとって天国のような気候なのだろう。
 
 夏にこそたくさん食べたいパクチーも、実は暑さが大嫌いな植物だから、この時期にしか育たない。
 
 もっと熱いところで食されている植物だから意外に思ったものだったけど、本場(?)タイでも同様らしい。
 
 で、ようやく季節を迎えたパクチーたちも、今ではすっかり食べ頃になっている。
 

 庭にはオタマサハーブコーナーに直植えしてあるものと鉢植えのものとがあって、観葉植物のような態をしている鉢植えのものも、もちろんしっかり食用だ。
 
 このままでずっといてくれればいいんだけど、彼らにとって過ごしやすい季節だけにスクスク育ち、気がつけば旬を過ぎてしまう。
 
 ワタシが気がつくのはいつも旬が過ぎてからだから、今年は食べ頃の間に是非実現したいことがあった。
 
 それが今宵、ついに実現!
 

 パクチー大量投入ラーメン。
 
 いつぞやいただいたインスタントのパクチーラーメンが忘れられず、また食べたいまた食べたいと念願しつつも、毎年気がつけば旬終了というワナにハマり、なかなか実現できないでいたのだった。
 
 パクチーが大嫌いなヒトにとっては、蝶が嫌いなヒトが蝶々お日様祭り状態の灯台ロードを歩くがごとき地獄のような様相だろうけど、ふんだんに使えるものをふんだんに投入するヨロコビは何物にも代えがたい。
 
 もっとも、このところの雨のせいかパクチー風味はそれほど強力ではなく、それほどのインパクトがあったわけではなかったんだけど…。
 
 幸い食べ頃は続くから、フォーやタイ風サラダなどなど、活躍の場はいくらでもあるだろう。
 
 パクチー祭りの日々はまだまだ続く。
  


Posted by クロワッサン at 08:02Comments(0)鳥さんたち島の美味いもの